痛みについてそんなに考えたことはなかったけれど、確かに場所によって痛みの質は違うし人に伝えるのは案外難しいし、状況や場所によっては伝えること自体恥ずかしかったり軽んじられたりする。
痛みに苦しみ抜いてきた人の重みのある話ばかりで「そんなふうに考えたことなかった」や「そんなふうに思ったり感じたりしてしまうものなのか」などの驚きや恐怖がたくさんありました。
けれど知りたくないということはなく、恐ろしいけども知らないよりは知っていたいと自分は思う方なので興味に引っ張られて読み進め、付箋だらけになってしまった。
「どんな体験をした人にも、それゆえに見える景色や立てる地平がある(p7)」本当に経験しなくてはわからない知ることができない理解できないことというのは必ずあるといつも自分も思っていました。
p62に親しくもなくどちらかと言えばあまり関わりたくなかったような相手なのに、他の人には理解してもらえなかった痛みを理解してもらいお互いに通じ合ったことで、もう会うことがなくても孤独を感じた時の支えとして心のなかにとどまり続けているおじさんの話も、これはそういう経験をした人でなければ実感としてわからないことだろうと思いました。
でも、平時なら(頭木さんも普通に世間で出会ったら、と書いてるけど)絶対関わるようなことがなかったような相手と特殊な事情や状況から一時触れ合って、ものすごく支えられるということは珍しいことではあるけれどあるんじゃないかなと思いました。
関わりの長さとか深さなどとは関係なく、理解し合えたということがお互いに伝わったことでそれが一生の支えになるということはあると思います(そこまで深くはないけど自分も似たようなことがありました。その時のことは心に残っています)
それも体験したゆえに見える景色の一つ、というものかもしれないとも思いました。
とは言え、体験することが返って理解を妨げることがあるというのも言われてみるととても頷けた。(p144)障害者や高齢者の大変さを疑似体験装具を使ってバーチャルリアリティとして一時的に体験することで「こういうものか」と分かってもらうことが、その苦難に対しての理解度をそこまでに留めてしまってそれ以上理解を深めることを困難にすることがあるというような内容だった(体験した結果「思ってたより大変じゃなかった」というような)それはあるかもしれないとちょっと目からウロコ感だった。
体験しないよりはしたほうがいいような気もする。けれども、一時的にこういうものかと感じるのと恒常的にその困難を抱えて暮らすのでは全く違う体験であるのは当然なのに、そこまで考えられなくなってしまうということだ。
痛みについてずっと書かれているけれども、他人に自分の苦しみや辛さを理解してもらうというのは本当に難しいなと考えさせられるエピソードでした。
全12章で各章の扉にエピグラムがあるのだけれど特に2章の遠藤周作先生のエピグラムが沁みました。遠藤先生も若い頃から大病をされて痛みに苦しまれてきたので「不幸や苦痛はどんな種類のものであれ、人間に孤独感を同時に与えるものだ」という言葉には重い実感が込められていると感じました。
p71出産時の痛みについて考えたことはなかったけれど、確かに種の存続のために大切なのだから痛みがなくもっとスムーズに行われるようになっていいはずなのに何故そうならなかったのかという考察がとても興味深かった。
出産の痛みはあって当たり前とか痛みを乗り越えて産んでこそ立派みたいな話を昔はよく聞いたけど今考えたらとんでもないこと言ってるなと思う。このことはもっと考えられても良いんじゃないかなと思いましたね。
10代の頃に人並に自殺を考えたこともあったが、それは元気だったからこその破壊衝動のようなもので、病気になって以降、自分が自殺することはないと思っている。いつも溺れかけているわけで、生きることに息をすることに必死だからだ。(p164)ここを読んで自分の兄弟が病気で死にかけて手術して回復した後「死にかけてから死にたいと思わなくなった」と言ったことを思い出しました。
苦痛に苦しむ人間を、周囲が嫌がるのは、やはりおそろしいからだ。(略)自分はそっち側ではないんだと、自分に言い聞かせるために(p169)
これは犯罪被害者が差別される構造に似ているなと思いました。
不安や恐怖に関わりたくない避けたいという気持ち。
心の辛さを逸らすために体を傷つけてしまう自傷について他書からの引用で(p245)自分で自分を助けようと自傷する、という言葉が出てきます。とても重い。でも自傷してしまう人の真実なのだなぁとも思いました。
傷つけたかったり死にたかったりするわけではなく(苦しむ心を)助けたくて(体を)傷つけてしまうということなのだなと。
心の傷は見えないけれど肉体の傷は見える(人に傷を見つけてもらえる)ということもあるのか、とその壮絶さに言葉を失います。
p276脳のエラーの話も興味深かった。脳のエラーを修整するリハビリをしていったら痛みが消えていった、という話は衝撃的です。そんなことかあるのか!と人間の脳の不思議さをとても感じました。幻肢痛についても触れられていますが、幻肢痛が「ある」ことを思うと脳のエラーで痛みが出るなんてことがあるのだなととても納得できます。
この脳のエラーをリハビリする話は幻肢痛や原因不明とされている痛みを回復するためのヒントになる話なのではと感じました。誰かそういう研究をする科学者はいないかなぁ?
本書はたくさんの文学作品などからの引用がかなり盛り込まれていて(頭木著書の特徴?文学紹介者という肩書だし)ガイドブック的にも読めます。実際読んでみたいなとか読んだなと思う本も出てきました。
さらには次に読もうと手元においてた本も出てきてびっくり。本書と相互引用的に次読みたいと思います。
歌人で早世された笹井宏之さんの短歌もちょっと紹介されていて、自分は好きで何冊か本も持っていますが本書で紹介された作品は知りませんでした。
たくさん驚かされ考えさせられ、新たな本との出会いの手がかりも得られた良い読書でした。
最後に覚えておきたい言葉。
「絶望したときには本が命綱になる」
読むことで命を繋いできた頭木さんだからこその実感のある言葉。
立ち直れたなら、本はいらない。立ち直ることができずに、ずっと絶望状態が続くことがある。しかし、倒れたままでも生きていかなければならない。そういうときに読むことをすすめているのだ(p131)