あらすじ
痛いのは疲れる、そして孤独だ――
痛みは人を孤絶させる壁。が、そこに岩清水のように滴る言葉があった。
――鷲田清一(哲学者)
ユーモラスで、しみじみせつない、はじめてみる光。
――伊藤亜紗(美学者)
潰瘍性大腸炎から腸閉塞まで――壊れたからこそ見えるものがある。
絶望的な痛みと共に生きてきた著者がゆく“文学の言葉”という地平
・水を飲んでも詰まる“出せない”腸閉塞のつらさ
・痛みでお粥さえ口に“入れられない”せつなさ
・オノマトペ、比喩……痛みを「身体で語る」すすめ
・女性の痛みが社会的に「軽視」されてきた理由
・カントの勘違い、ニーチェの“苦痛の効用”…etc.
なぜ痛みは人に伝わりづらいのだろう?
「痛い人」と「痛い人のそばにいる人」をつなぐ、かつてなかった本
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ありそうでなかった「痛い人と痛くない人の間にある本」。
どんなに好きあっていても、親しい間柄でも、痛みは移植できない。
今痛みを感じていて、それを軽んじられて悲しい人。
痛みをかんじているひとのそばにいる人。
そして、わたしのように、すぐに他者の痛みを、わかった気分になってしまいがちな人におすすめ。
反省しました。
他者の痛みは直に感じられることはなく、自分の過去の痛みから類推しているだけだ、というような、ヴァージニア・ウルフの言葉にはハッとした。
文学紹介者の頭木弘樹さんらしく、たくさんの「痛み」の本も紹介されている。
自分の身体の痛みも、他者の体の痛みも、軽視しないようにしたい。
そしてそんな社会になればいい、いや、していきたい。
せめて自分の周りだけでも。
Posted by ブクログ
「廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは」この短歌は、私も衝撃を受けた。作者はこの歌から「壊れたからこそ見えるものもあるなあと思った」という。
短歌はもちろん、作者のその感性も素晴らしいと思った。
痛みと同じく、悲しみもまた自分でコントロールできないという部分は同じで、経験によって本来握りしめていた自己を抜け出し、新しい視点を得ることができる機会になると思う。
Posted by ブクログ
痛みについて、総合的に書かれた本。
体の痛みのある世界の人が何を感じているか。痛みのない人との間にどんな溝があるか。
ネガティブなものを、全てポジティブ転換できるものばかりではない、ということを学ぶ。ポジティブ変換すべき、という価値観の中に生きていたことを思い知る。
痛い人とそうでない人の間には大きな断絶。痛い人に対して、わからないことを前提に関心を持つこと。自分の痛みは、同じ痛みを持つ人と分かち合うこと。
—-
●痛みと孤独
・痛みには孤独がもれなくついてくる
・心の痛みを(人には聞いてもらえないので)馬に聞いてもらう
・自分だけがガタガタと震えているのに、周りはみんな平気。痛い人はそんな立場にいつもいる。
●痛みによって結びつく
・「この人は本当にあの痛みをわかっている」
・2人で、おいおいと泣いた
・私の気持ちは、ずいぶん晴れた
・村上春樹:人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、もさもさによって繋がっているのだ
・世界母親大会(出産の痛みによって結びつく)
●お前なんかにはわからないと言わない、言われないために
・経験していない痛みはわからない。
・ありきたりな型にはめられる
・山田太一:災害にしろ、病気にしろ、経験した人としない人とではものすごい差がある。一生懸命想像はするけれど、届かないものがあると言うことを忘れてはいけないと思う。
・痛みの言語化は不可能。それでも、痛みがある人は、精神状態(つらい、悲しい)で語るのではなく、身体五感と言う次元で表現する方が相手に理解される
●痛みとマッチョイズム
・我慢が求められる。暗に明に。
・人は痛みを嫌悪し差別する。周囲が苦痛に苦しむ人間を嫌がるのは、やはり恐ろしいからだ
・我慢はあまり続けていると、もう無理と言う限界に達してしまう
・コントロール感を持てれば少し楽になる。
●痛くない人が言うべきこと
・どこが痛いですか?
・どんなふうに言いたいですか?
・どんなことを感じていますか?
・どんなことを考えていますか?
●痛みのある世界から見えるもの
・療養短歌と療養俳句:廃品になって、初めて本当の空を映せるのだね、テレビは。
Posted by ブクログ
頭木さんのこのタイトルの本が出ると知って発売と同時に購入した。タイトルどおり「痛み(痒みについても少し)」について余すところなく語られていた。過去に筆舌に尽くしがたい原因不明の痛みを24時間×一週間経験したことがある。その後も色々な痛みに見舞われているがいつもあの時よりましと自分を慰めることができるほどだった。もちろん体の記憶は失われているが今でも時々思い返してみることがある。(不幸なことに猛烈な痒みの経験もある。)果てしなく続く痛みに耐えながらこれをどう表現したらわかってもらえるかと考えたことも思い出した。痛い人の孤独を理解し寄り添ってくれるこの本があれば多少なりとも救われる人がいると思った。今痛くない人にも読んでほしい。死ぬときにはどうか痛みだけは与えないでほしいと切に願っている。
Posted by ブクログ
三大激痛とされ病気「心筋梗塞」「尿路結石」「群発頭痛」
本を読んでいるとさまざま痛みの表現がでてきます。病気や怪我の痛みから心の痛み。そんな体感でだけでなくさまざまな痛みについて描かれています。失恋に痛みがある。痛みを快感としたり、これも痛みだったのかという気づき。
この著者の特徴としてエピグラフ(書籍や章の冒頭に置かれる、題辞や引用句)が多用されています。
「痛みを一度も感じたことのない者に、痛みという言葉は理解できるのだろうか?」(哲学者ウィトゲンシュタイン)
「オムレツの味をどう教えられたって食べなければ分からない」山田太一・誰かへの手紙のように
こんな感じ。
だからより著者だけでなく、色んな人の視点の痛みに触れらることができ、またしっくりくる引用にであったりする。
その引用元の作品や知らない作家との出会いにもなる。
気がついたらエピグラフだけ読んでいました。エピグラフ、文字数は少なくとも情報や共感などの濃度があるのかも。