【感想・ネタバレ】痛いところから見えるもののレビュー

あらすじ

痛いのは疲れる、そして孤独だ――

痛みは人を孤絶させる壁。が、そこに岩清水のように滴る言葉があった。
――鷲田清一(哲学者)

ユーモラスで、しみじみせつない、はじめてみる光。
――伊藤亜紗(美学者)

潰瘍性大腸炎から腸閉塞まで――壊れたからこそ見えるものがある。
絶望的な痛みと共に生きてきた著者がゆく“文学の言葉”という地平

・水を飲んでも詰まる“出せない”腸閉塞のつらさ
・痛みでお粥さえ口に“入れられない”せつなさ
・オノマトペ、比喩……痛みを「身体で語る」すすめ
・女性の痛みが社会的に「軽視」されてきた理由
・カントの勘違い、ニーチェの“苦痛の効用”…etc.

なぜ痛みは人に伝わりづらいのだろう?
「痛い人」と「痛い人のそばにいる人」をつなぐ、かつてなかった本

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Posted by ブクログ

ネタバレ

痛みについてそんなに考えたことはなかったけれど、確かに場所によって痛みの質は違うし人に伝えるのは案外難しいし、状況や場所によっては伝えること自体恥ずかしかったり軽んじられたりする。
痛みに苦しみ抜いてきた人の重みのある話ばかりで「そんなふうに考えたことなかった」や「そんなふうに思ったり感じたりしてしまうものなのか」などの驚きや恐怖がたくさんありました。
けれど知りたくないということはなく、恐ろしいけども知らないよりは知っていたいと自分は思う方なので興味に引っ張られて読み進め、付箋だらけになってしまった。

「どんな体験をした人にも、それゆえに見える景色や立てる地平がある(p7)」本当に経験しなくてはわからない知ることができない理解できないことというのは必ずあるといつも自分も思っていました。

p62に親しくもなくどちらかと言えばあまり関わりたくなかったような相手なのに、他の人には理解してもらえなかった痛みを理解してもらいお互いに通じ合ったことで、もう会うことがなくても孤独を感じた時の支えとして心のなかにとどまり続けているおじさんの話も、これはそういう経験をした人でなければ実感としてわからないことだろうと思いました。
でも、平時なら(頭木さんも普通に世間で出会ったら、と書いてるけど)絶対関わるようなことがなかったような相手と特殊な事情や状況から一時触れ合って、ものすごく支えられるということは珍しいことではあるけれどあるんじゃないかなと思いました。
関わりの長さとか深さなどとは関係なく、理解し合えたということがお互いに伝わったことでそれが一生の支えになるということはあると思います(そこまで深くはないけど自分も似たようなことがありました。その時のことは心に残っています)
それも体験したゆえに見える景色の一つ、というものかもしれないとも思いました。

とは言え、体験することが返って理解を妨げることがあるというのも言われてみるととても頷けた。(p144)障害者や高齢者の大変さを疑似体験装具を使ってバーチャルリアリティとして一時的に体験することで「こういうものか」と分かってもらうことが、その苦難に対しての理解度をそこまでに留めてしまってそれ以上理解を深めることを困難にすることがあるというような内容だった(体験した結果「思ってたより大変じゃなかった」というような)それはあるかもしれないとちょっと目からウロコ感だった。
体験しないよりはしたほうがいいような気もする。けれども、一時的にこういうものかと感じるのと恒常的にその困難を抱えて暮らすのでは全く違う体験であるのは当然なのに、そこまで考えられなくなってしまうということだ。
痛みについてずっと書かれているけれども、他人に自分の苦しみや辛さを理解してもらうというのは本当に難しいなと考えさせられるエピソードでした。

全12章で各章の扉にエピグラムがあるのだけれど特に2章の遠藤周作先生のエピグラムが沁みました。遠藤先生も若い頃から大病をされて痛みに苦しまれてきたので「不幸や苦痛はどんな種類のものであれ、人間に孤独感を同時に与えるものだ」という言葉には重い実感が込められていると感じました。

p71出産時の痛みについて考えたことはなかったけれど、確かに種の存続のために大切なのだから痛みがなくもっとスムーズに行われるようになっていいはずなのに何故そうならなかったのかという考察がとても興味深かった。
出産の痛みはあって当たり前とか痛みを乗り越えて産んでこそ立派みたいな話を昔はよく聞いたけど今考えたらとんでもないこと言ってるなと思う。このことはもっと考えられても良いんじゃないかなと思いましたね。

10代の頃に人並に自殺を考えたこともあったが、それは元気だったからこその破壊衝動のようなもので、病気になって以降、自分が自殺することはないと思っている。いつも溺れかけているわけで、生きることに息をすることに必死だからだ。(p164)ここを読んで自分の兄弟が病気で死にかけて手術して回復した後「死にかけてから死にたいと思わなくなった」と言ったことを思い出しました。

苦痛に苦しむ人間を、周囲が嫌がるのは、やはりおそろしいからだ。(略)自分はそっち側ではないんだと、自分に言い聞かせるために(p169)
これは犯罪被害者が差別される構造に似ているなと思いました。
不安や恐怖に関わりたくない避けたいという気持ち。

心の辛さを逸らすために体を傷つけてしまう自傷について他書からの引用で(p245)自分で自分を助けようと自傷する、という言葉が出てきます。とても重い。でも自傷してしまう人の真実なのだなぁとも思いました。
傷つけたかったり死にたかったりするわけではなく(苦しむ心を)助けたくて(体を)傷つけてしまうということなのだなと。
心の傷は見えないけれど肉体の傷は見える(人に傷を見つけてもらえる)ということもあるのか、とその壮絶さに言葉を失います。

p276脳のエラーの話も興味深かった。脳のエラーを修整するリハビリをしていったら痛みが消えていった、という話は衝撃的です。そんなことかあるのか!と人間の脳の不思議さをとても感じました。幻肢痛についても触れられていますが、幻肢痛が「ある」ことを思うと脳のエラーで痛みが出るなんてことがあるのだなととても納得できます。
この脳のエラーをリハビリする話は幻肢痛や原因不明とされている痛みを回復するためのヒントになる話なのではと感じました。誰かそういう研究をする科学者はいないかなぁ?

本書はたくさんの文学作品などからの引用がかなり盛り込まれていて(頭木著書の特徴?文学紹介者という肩書だし)ガイドブック的にも読めます。実際読んでみたいなとか読んだなと思う本も出てきました。
さらには次に読もうと手元においてた本も出てきてびっくり。本書と相互引用的に次読みたいと思います。

歌人で早世された笹井宏之さんの短歌もちょっと紹介されていて、自分は好きで何冊か本も持っていますが本書で紹介された作品は知りませんでした。
たくさん驚かされ考えさせられ、新たな本との出会いの手がかりも得られた良い読書でした。

最後に覚えておきたい言葉。
「絶望したときには本が命綱になる」
読むことで命を繋いできた頭木さんだからこその実感のある言葉。
立ち直れたなら、本はいらない。立ち直ることができずに、ずっと絶望状態が続くことがある。しかし、倒れたままでも生きていかなければならない。そういうときに読むことをすすめているのだ(p131)

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2026年01月11日

Posted by ブクログ

間違いなく、今年のベスト本に入る一冊。
あなたも私も経験したことのある痛みから、経験したことない痛みまで。あらゆる角度から、痛みに思いを巡らせる。
“文学的に”と著者が言うように、客観的な痛みの評価や羅列ではなく、あくまで当事者(とその周囲)がどう感じ、どう世界を見ているかということが語られる。共感もあれば、未知の経験に慄くことも。それらは全て身近な、私や隣人の話だと感じる。
“痛み”を私にとってより身近な心身の不調に置き換えられる事柄もあり、共感してもらえたような気になることも。

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2025年12月12日

Posted by ブクログ

ありそうでなかった「痛い人と痛くない人の間にある本」。

どんなに好きあっていても、親しい間柄でも、痛みは移植できない。

今痛みを感じていて、それを軽んじられて悲しい人。

痛みをかんじているひとのそばにいる人。

そして、わたしのように、すぐに他者の痛みを、わかった気分になってしまいがちな人におすすめ。

反省しました。

他者の痛みは直に感じられることはなく、自分の過去の痛みから類推しているだけだ、というような、ヴァージニア・ウルフの言葉にはハッとした。

文学紹介者の頭木弘樹さんらしく、たくさんの「痛み」の本も紹介されている。

自分の身体の痛みも、他者の体の痛みも、軽視しないようにしたい。

そしてそんな社会になればいい、いや、していきたい。

せめて自分の周りだけでも。

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2025年11月28日

Posted by ブクログ

「廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは」この短歌は、私も衝撃を受けた。作者はこの歌から「壊れたからこそ見えるものもあるなあと思った」という。
短歌はもちろん、作者のその感性も素晴らしいと思った。
痛みと同じく、悲しみもまた自分でコントロールできないという部分は同じで、経験によって本来握りしめていた自己を抜け出し、新しい視点を得ることができる機会になると思う。

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2025年10月24日

Posted by ブクログ

痛みについて、総合的に書かれた本。
体の痛みのある世界の人が何を感じているか。痛みのない人との間にどんな溝があるか。

ネガティブなものを、全てポジティブ転換できるものばかりではない、ということを学ぶ。ポジティブ変換すべき、という価値観の中に生きていたことを思い知る。

痛い人とそうでない人の間には大きな断絶。痛い人に対して、わからないことを前提に関心を持つこと。自分の痛みは、同じ痛みを持つ人と分かち合うこと。

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●痛みと孤独
・痛みには孤独がもれなくついてくる
・心の痛みを(人には聞いてもらえないので)馬に聞いてもらう
・自分だけがガタガタと震えているのに、周りはみんな平気。痛い人はそんな立場にいつもいる。

●痛みによって結びつく
・「この人は本当にあの痛みをわかっている」
・2人で、おいおいと泣いた
・私の気持ちは、ずいぶん晴れた
・村上春樹:人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、もさもさによって繋がっているのだ
・世界母親大会(出産の痛みによって結びつく)

●お前なんかにはわからないと言わない、言われないために
・経験していない痛みはわからない。
・ありきたりな型にはめられる
・山田太一:災害にしろ、病気にしろ、経験した人としない人とではものすごい差がある。一生懸命想像はするけれど、届かないものがあると言うことを忘れてはいけないと思う。
・痛みの言語化は不可能。それでも、痛みがある人は、精神状態(つらい、悲しい)で語るのではなく、身体五感と言う次元で表現する方が相手に理解される

●痛みとマッチョイズム
・我慢が求められる。暗に明に。
・人は痛みを嫌悪し差別する。周囲が苦痛に苦しむ人間を嫌がるのは、やはり恐ろしいからだ
・我慢はあまり続けていると、もう無理と言う限界に達してしまう
・コントロール感を持てれば少し楽になる。

●痛くない人が言うべきこと
・どこが痛いですか?
・どんなふうに言いたいですか?
・どんなことを感じていますか?
・どんなことを考えていますか?

●痛みのある世界から見えるもの
・療養短歌と療養俳句:廃品になって、初めて本当の空を映せるのだね、テレビは。

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2025年10月19日

Posted by ブクログ

頭木さんのこのタイトルの本が出ると知って発売と同時に購入した。タイトルどおり「痛み(痒みについても少し)」について余すところなく語られていた。過去に筆舌に尽くしがたい原因不明の痛みを24時間×一週間経験したことがある。その後も色々な痛みに見舞われているがいつもあの時よりましと自分を慰めることができるほどだった。もちろん体の記憶は失われているが今でも時々思い返してみることがある。(不幸なことに猛烈な痒みの経験もある。)果てしなく続く痛みに耐えながらこれをどう表現したらわかってもらえるかと考えたことも思い出した。痛い人の孤独を理解し寄り添ってくれるこの本があれば多少なりとも救われる人がいると思った。今痛くない人にも読んでほしい。死ぬときにはどうか痛みだけは与えないでほしいと切に願っている。

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2025年09月26日

Posted by ブクログ

まず作者がどんな痛みを経験してきたのかと言う話から始まる。
「潰瘍性大腸炎」と「腸閉塞」
この2つの話が、まず最初に非常に強烈。
私もあちらこちら痛いところがあってひどい片頭痛持ちだが、この人に比べれば、なんと幸せなことよと思わずにはいられない。
痛み仲間として共感を覚える。いや、リスペクト?

者と一緒に、「ホントやだねえ」と呟きながら読んだ箇所たくさん。

「いろいろ大変だったんですね」とか、「ご両親もきっとつらかったですよね」「あなたももっと肩の力を抜いてできるといいでしょうね」
これらの言葉がトラウマの二次被害だったという「医学書院」の「精神介護」の雑誌に掲載された記事の紹介。

「いろいろ」のたった四文字。「大変だった」という大雑把な表現。これらの発言が「あなたの物語はこの程度のものだ」という断定に感じたという。

あーよくよくわかる!そうなのだ。その大掴みな適当な表現にガッカリするのだ。共感!


痛みとマッチョイズム
痛みには耐えるべきだ。耐える方が偉い。耐えられない奴は情けないと言うマッチョイズムが痛みの周辺にもあるという。
入院していたときの6人部屋の向かいのベッドのおじさんのところに同年輩の男性がお見舞いに来たと言うエピソード。
「どうだ。調子は」などと話しかけて、やおら自分の息子と釣りに行った話を始めた見舞客。息子の顔に自分の竿の釣り針が引っかかってしまったが、その釣り針を取る間息子が1度もいたいと言わなかったことを自慢する。
読んでいる私も実に気分の良くない話だった。
その場にいた6人全員の嫌な気分を共に味わった感じ。

痛みに関してのもやもやを分節して、分析してくれる。
この本読んでよかった。

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2025年12月26日

Posted by ブクログ

三大激痛とされ病気「心筋梗塞」「尿路結石」「群発頭痛」
本を読んでいるとさまざま痛みの表現がでてきます。病気や怪我の痛みから心の痛み。そんな体感でだけでなくさまざまな痛みについて描かれています。失恋に痛みがある。痛みを快感としたり、これも痛みだったのかという気づき。

この著者の特徴としてエピグラフ(書籍や章の冒頭に置かれる、題辞や引用句)が多用されています。

「痛みを一度も感じたことのない者に、痛みという言葉は理解できるのだろうか?」(哲学者ウィトゲンシュタイン)

「オムレツの味をどう教えられたって食べなければ分からない」山田太一・誰かへの手紙のように

こんな感じ。

だからより著者だけでなく、色んな人の視点の痛みに触れらることができ、またしっくりくる引用にであったりする。
その引用元の作品や知らない作家との出会いにもなる。
気がついたらエピグラフだけ読んでいました。エピグラフ、文字数は少なくとも情報や共感などの濃度があるのかも。

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2025年11月22日

Posted by ブクログ

〈この本が目指すのは、痛い人と痛くない人のあいだに置いてもらって、「自分の気持ちはこれに近い」と痛い人が説明したり、「こういう痛みなの?」と痛くない人が質問したり、そんなふうに使ってもらえることだ。〉

痛みにさんざん苦しめられてきたご自身の半生を交えながら、「痛み」をいろんな角度から考察してみようという一冊。
頭木弘樹さんの著書には引用が多いけれど、そのどれもが絶妙。(おかげで今回も読みたい本がたくさん増えた。)
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』において、さまざまな痛みを経験してきたという加納クレタの台詞も、ここで改めて目にするとまるで別物のように響いた。
経験したことがない加納クレタの痛みは、彼女の恋人にも、もちろん私たちにも決してわかりえない。
しかし、〈「わからないことがある」と思えれば、もうかなり「わかる」に近づいているのだ。矛盾した言い方のようだが、たしかにそうなのだ。〉そして〈完全に「わかる」ことは無理でも、そうやって少しずつ「わかる」に近づいていくことはできる。到達はないけれども、無限に近づいていくことはできる。近づいたことを感じられたとき、痛い人にも痛くない人にも、感動があるはずだ〉。

想像することが大事で、文学はそのためにあるのだと、何度でもそう思う。
ちなみに「肩凝り」という表現を思いついたのは夏目漱石だそうで、そういう痛みについての“実感のこもった言葉”にどんどん触れていきたい。
ほかにも、痛みについて考えるときに参考となる文学が多数紹介されていて興味が湧いた。療養短歌、療養俳句なるものも気になる。石川啄木や正岡子規は私にとって教科書の中の人、だったけれど、病床で詠まれたものからその痛みを想像するとき、彼らは生身の人間としてそこにいたんだ、とふいに実感できた気がした。

痛いところから見えたものを、その人自身によるその人のための言葉で形にしていくことが、いかに重要か。
「痛い」はあまりにも主観的かつ個人的体験で、つねづね誰とも分かり合えないものだと諦めていたけれど、読み終えたあとには、少しその隔たりに光がさしたような思いがした。

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2026年01月11日

Posted by ブクログ

最近お気に入りの頭木さん。
潰瘍性大腸炎という難病に罹ったことから、様々な考察を経て彼特有の視点から物事を論考している著作が好きで、よく読んでいる。
本作は、著者自身も苦しんだ「痛み」に関するものだが、その訴えるところが他者理解についてあまりに的確すぎて、唸った。
経験していないことは想像しても分かり得ないという前提に立つことが理解のスタートラインだとか、そのわからないことがあると思えることがわかることへの第一歩だとか、対人援助を生業とする私にとっても、あまりに普遍的で基本的でありつつも最重要である事柄を端的に述べてくれている。

著者の文が好きなのは、とても示唆的なことを、平易に、さも大した話でもないように、自分なんかが偉そうに言えることではないんですが、という枕詞でもついていそうなくらい謙虚な姿勢で言っているところ。
なぜか妙な親近感が湧き、友人から話を聞いているかのような気分で読めるところである。
それでいてとっても含蓄があるのがいい。
著者自身が、とても苦しんだ経験があるからこそなのかな。

また次の作品が楽しみ。

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2025年12月27日

Posted by ブクログ

人格的参加。限りなく孤独で完全に個人的な事態。生老病死。永続性はあっても、再現性はない。つまり、思い出になり得ない。完治すれば、忘却される。一期一会は、まだ思い出すことはあるな。体験だからか。感覚であっても、感情を伴う必要はないか。

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2025年12月08日

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