内藤正典のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
内藤正典『イスラームからヨーロッパを見る』<岩波新書>を読んでいたのだが、中東事情やイスラム教等々について、あまりに分からないために挫折した。そうしたわけで、新書の中で出てきたトルコを事例に、同じ著者の本書を読んだ。
現在、西欧世界では、「イスラム」という言葉を聞いただけで「嫌な感じ」を受ける人が増えており、日本でも同じように、イスラム教の信者というだけで怖いと感じる人も多い。筆者は、こうした態度に対して、「私たちは果たしてイスラムのことをどれだけ理解しているでしょうか?」と投げかけ、知らない文明や文化について、簡単に好き嫌いを口にしてしまうことの危うさを指摘する。そして、「日本のものさし」だけで、自分たちと異なる「異文化」を測らないことが大切だと述べる。
「ものさし」というのは、「不平等をなくそう」「公正をすべての人」と言ったときに、何を平等と考えるか、何を公正と考えるかを決める価値観のことだという。二つの大陸にまたがって、ヨーロッパとアジアの間にあったトルコでは、常に「西洋のものさし」と「東洋(イスラム)のものさし」をどうしたら融合できるかを模索してきた。この本では、そんなトルコの歴史を振り返り、現実にいた「トルコ人」の素顔を描くことを通して、日本の社会制度や私たちが持っている「日本のものさし」に揺さぶりをかける。
中でも印象に残っているのは、第1章「イスラムと政教分離のはざま」だった。ここでは、トルコ共和国建国から、イスラム政党が民衆の支持を得るまでの経緯が説明されている。トルコは、その建国のときから、政治と宗教を分離する「政教分離」の考え方に則って、「世俗的な国家」であるとしてきた。しかし、現在、トルコで民衆からの支持を受けているのは、イスラム教の道徳観を政治理念とする公正・発展党である。
こうした状況になるまでには、政治を宗教から分離することを訴える「世俗主義」の政党による不正と、イスラム政党による生活改善の取り組みがあった。政教分離を訴える、「世俗主義」の政党は、国内の混乱を抑えるための手段として、軍部のクーデターに訴えたり、贈収賄を行っていたりという有様であった。そして、1990年代まで、都市部を中心とした貧困層の生活などは、改善されないことに、民衆は不満を持っていた。一方で、イスラム政党の福祉党は、こうした都市問題に対して、マンションの建設や経済的支援を通して、解決を乗り出した。こうした施策は、目に見えて民衆の劣悪な生活を改善し、少しずつ支持を得るようになってきたのである。
こうしたイスラム政党の活動は、イスラム教の教えに基づく、倫理観に則ったもので、多くのイスラム信者の心にも訴えるものであった。そして、西洋的な民主的な手続きの中で行われたものだった。こういった宗教と政治の関係は、あまり日本では馴染みのない世界観であるように思う。
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Posted by ブクログ
とてもわかりやすい!
この本を読むと、いかに自分がイスラームについて無知か、そして巷にはびこるイスラームのイメージが、いかにアメリカや西欧諸国によって作られたものかがよくわかる。あまりに無知すぎたので、イスラームの歴史のところなどは、地図と照らし合わせながら読まないとわからないなと思いつつ読み飛ばしてしまったが、この本は発刊が少し古い(2012年)ため、同じ著者の新しく出た本も読んで復習したいと思う。
ものすごく大まかに言うと、西欧諸国にとっての近代化の絶対条件が世俗主義(政教分離)だが、これをイスラーム諸国に押し付けるのは間違いだという内容である。
「アラブの春」(これも西欧諸国の都合で命名されたネーミングの感あり)の後に各国がたどった経緯を見ていくと、民主化運動により独裁者に打ち勝ったあとに選挙で勝利したのは、いずれもイスラーム色の強い政党だった。欧米のメディアでは、民主化運動がイスラム原理主義に打ち勝ったと報道したが、むしろ逆で、西欧諸国に倣って世俗主義に走り、私腹を肥やした独裁者に対し、「正しくイスラームする」動きへと傾いたのだ。アラブの春より10年ほど早く、トルコが民主化のプロセスに入ったのも、イスラーム政党が躍進した成果だという。メディアが喧伝する、「イスラーム主義は民主化の敵」というメッセージが間違いだというのがよくわかる。
その他、イスタンブールのラビ(ユダヤ教の指導者)が、ムスリムと共存することは何の問題もないと語っており、イスラエルなどという国家を作ったのは時期尚早だと断言したというエピソードには驚いた。また、アルメニア問題(オスマントルコ領内のアルメニア人に対する虐殺があったかどうか)について、当のアルメニア正教の指導者は、そんな問題を今さら蒸し返すこと自体が迷惑だと言っているらしい。選挙で自国に住むユダヤ人やアルメニア人の票を得ようと、当事者すら問題としていないようなことを蒸し返したり口を出したり。アメリカや西欧諸国がやっていることは、イスラーム側からすればとても迷惑なんだろうなと感じた。
ロシアの問題についても思うことだが、私たちが触れる情報には、ほぼもれなく西側諸国のフィルターがかかっており、それを外してきちんと相手を見ない限り、まともな対話は難しいんだろうなと感じる。少しずつでも、知っていきたい。 -
Posted by ブクログ
「イスラム」とか「タリバン」とか「シーア派」とか、よく聞くけれども分かっていない、もしかすると偏見だけで固められているかもしれないことを、分かりやすく、歴史と宗教を見ながら、今の情勢について解説する本。「パレスチナ問題」とか「クルド問題」とか、中東の時事問題の定番になっている事柄に触れられている。
読んでいてやっぱり途中でゴチャゴチャしてきて、結局飲み込むところまで行かなかったが、たぶんちゃんと読めば分かりやすい本なのだと思う。ノートとかにまとめながら読み進めたい衝動に駆られた(結局、なかなか出来ないけれど…)。
断片的だが、以下は気になったところのメモ。「信徒でない私からすると、ムスリムは、少なくとも戦争に向いていません。イスラームという宗教には、商業的な性格が強くて、商売の公正について細かい規定をもっています。」(p.12)というのが、まずイスラム教のイメージらしい。どっちかと言えばユダヤ教の方が商人のイメージがあったので、これは意外だった。「日本ではあまり知られていませんが、地中海の東よりにあるキプロス島は、現在もなお、南北に分断されています。」(p.69)というのは、知らなかった。キプロス島って『オセロ』の舞台だよな、と思いながら、行ってみたいとかのんきに思っていたが、「一九六〇年代から七〇年代前半にかけて、南北間で激しい衝突が起きたため、ついに一九七四年にトルコ軍が介入して、強引に南北を分断しました」(同)というところらしい。平和な地中海の島、っていう勝手なイメージと全然違う場所だった。
こういった数々の偏見や勝手なイメージに、実はこういうことだ、という解説が色々ある部分が貴重だが、その1つにイランについて、「ひげ面にターバンのイスラーム指導者や黒衣の女性たちからイランのイメージをもつのは間違いのもとです。ターバンの下にも、黒いヴェールの下にも、『私たちはアーリア人の血筋』と言いたげな顔が隠されているからです。」(p.82)ということで、「イラン人には、自分たちを周囲のアラブ民族やトルコ民族よりも優秀な民族だと考える人が少なからず存在します。」(同)というのも、言われないと分からない。
そしてシリアもイランも、読み終わって数日経った今ではその2つの関係ももう分からなくなってしまったが、「シリア政府も、イランからやってきてイラン革命を称える人たちがやたらと宗教的情熱を燃やすのは困ったことでしたから、大きな団体が来ると、郊外の山の中の施設に閉じ込めてしまい、そこで『アッラーは偉大なり、ホメイニ万歳』とイラン・イスラーム革命のスローガンを好きなだけ叫ばせておいて、一般の市民には見せないようにしていました。」(p.107)というのは、何ともリアルな話だと思った。
あとは「民族主義」について。帝国主義に代わって、「民族主義」と「社会主義」が流行った、と書かれているが、「しかし、結局のところ、『民族主義』というのは残酷なもので、必ずその国のなかのマイノリティを差別し抑圧する結果をもたらします。社会主義にいたっては、盟主のソ連をみれば明らかなように、権力構造がちっとも民主的にはならず、党幹部が権力を独占して腐敗し自ら崩壊してしまいました。」(p.111)という、こういうことが分かって歴史を見れば、理解しやすくなるかもしれない。そしてそもそもこの民族主義によって国家を作ることと、イスラーム共同体とは全然違う、ということを理解しないといけない。「同じ言語を共有しているからといって、それを単位に国家をつくるという発想は、ずっと後の十九世紀ぐらいになってから確立されるもの」(p.127)という、これも意外なことだった。そして国家に納税、という発想も現在の西洋的な見方であって、喜捨はするけど「ムスリムは徴税されない」(p.132)ということらしい。(これが「中東民主化のうねり」(同)だそうだ。)
そしてこういう現在の西洋的な見方、という枠組み(「世俗主義のものさし」(p.29))にあまりにとらわれ過ぎているということが問題なのだと分かる。(なんか平行線が交わってしまう「非ユークリッド幾何学」みたい?と思った。)「ムスリムのスカーフは、単純な話で、性的羞恥心の対象となる部位を覆っているだけのことです。」(p.158)ということも含めて。
他にも、「多くの村にはイスラーム法学に未熟な出来の悪いタリバンが赴いて、生半可な知識で、つまりしばしばイスラーム法から逸脱した刑罰などを実施してしまいます。」(pp.172-3)という問題とか、でそもそもそのタリバンというものも「ソ連軍が侵攻したとき、アメリカはこれに対抗させるために、神の戦士、あるいはジハードの戦士、すなわちムジャッヒディーンを養成して戦わせる戦略を立てました。」(p.169)という、これが「タリバンの原型」だそうだ。
という、上のメモも極めて断片になってしまったが、世界のことを知るのにイスラムのことを知らないとか分からないという訳にもいかないと思うので、もう少し上の話も自分の中で整理できるように勉強して、自分の無知を補っていきたいと思った。(21/02) -
Posted by ブクログ
とても勉強になった。
2020年に書かれたものなので「今」のヨーロッパとイスラームの現状がわかる。
シリア内戦によって多くの難民がトルコに行き、さらに西ヨーロッパに移動することになった。
ヨーロッパとイスラームの共生は、なぜうまくいかないのか?まずはヨーロッパはキリスト教なので、うまくいくわけがないと思った。過去には共生しようと努力した国もあったそうですが、9.11のテロでムスリムに対する感情が180度変わってしまった。「良いムスリムと悪いムスリムがいる」そんなことはみんな知っている。ムスリムが全員テロリストなわけではない。でも怖いよそりゃ。
日本人でよかった。 -
Posted by ブクログ
EUの、国連の、領域国民国家という概念の「限界」を、現実の中東・欧州の情勢から指摘する。非常に示唆に富んでいる。以下、メモ。
・EUの限界
リベラルの正体が、難民問題で露呈。難民ではなく不法移民だとEUは言うが、なぜ難民が発生するか、シリアで自国民を虐殺している政権があるせいなのは知っているはず。これまでヨーロッパ諸国が普遍的な価値として共有してきたはずの自由、平等、人権は、人類すべてに適用されるものではなかったということが露呈した。しかも難民排斥をしている側は自分を「リベラル」と呼ぶのだ。
移民に対して「同化を求めない(多文化主義)」国(オランダ、イギリスなど)は、じつは他文化に対する「無関心主義」のもとに成り立っていた。だから9.11テロで何も知らなかったゆえの「恐怖」が顕在化し、オランダではムスリムに対する迫害が起こった。イスラームは女性に強制的にベールをかぶせると言いながら、オランダは街のど真ん中に売春宿(飾り窓)を置いている、そこにいる女性たちの多くはカリブや中南米やアフリカ、あるいは東欧の貧しい国から「売られてきた」女性だ。であるにもかかわらず、「個人の自由」とうそぶいている。
一方で「同化を求める国」では、「●●人にしてはよくやっている」というところからいつまでも脱することができない。同化の努力をしている姿だけは評価される。遅れた連中が頑張っているのは好ましいことだからだ。フランスではライシテと呼ばれる政教分離の原則をたてに「スカーフ禁止法」が施行されたが、女性のかぶりものは「イスラームのシンボル」でもなんでもない。言いがかりにすぎないものである。
・領域国民国家の限界
地図からISは確かに消えたが、もともと「領域国民国家」は西欧のパラダイムであって、ムスリムたちが求めているのは国境とか国民という枠組みではなく〈純粋にイスラームの立場に立って「何が正しく、何が邪悪なのか」ということを宣言できるリーダー≒カリフの存在がもたらす秩序〉である。かつてはオスマン帝国による穏やかな統合のなかで暮らしてきたクルド人たちがサイクス=ピコ協定をもとに引かれた国境線により「ほかの民族が支配する国民国家内のマイノリティ」になってしまった。領域国民国家という幻想が生んだ、典型的な被害者である。
・限界の国連
国連が調停者としての役割を果たせていない理由の一つは、今、中東でおきている問題の多くが、主権国家間で話し合って方がつく問題ではないから。アサド政権のように自国の国民を虐殺しているような問題は、「内政問題」なので国連は無力。リビアのカダフィ大佐が、欧米諸国の要求に従って非核化を受け入れ、非核化とそのための査察に応じたせいで、その後。多国籍軍が軍事介入に踏み込まれ政権崩壊、カダフィは惨殺、遺体はさらし者になっている。だからアサド政権はロシアに拒否権行使の口実を残すために絶対に嘘をつき続けるし、北朝鮮は絶対に核を手放さない。