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ヨーロッパとイスラームの共生は,なぜうまくいかないのか? シリア戦争と難民,トルコの存在,「イスラーム国」の背景.そしてムスリム女性が被るベールへの規制,多文化主義の否定など,過去二〇年間に起きたことを,著者四〇年のフィールドワークをもとに,イスラームの視座から読み解く.
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Posted by ブクログ
イスラーム圏に少しでも身を置いたことがあるものとして、友人にも多くのムスリムがいる一人の日本人として、もっと早く読んでおくべきだった本。 一部の国では「宗教を批判することも、神を冒瀆することも、表現の自由のうちに含まれる」は想定外で「自由」のレベルが我々の想像を絶していることを理解した。 いくら...続きを読む文字で「自由」と記載しても理解が違うんだな…そりゃぁ、お互いを分かり合うことは難しいし、共存も難しい。ただ、お互いを「尊重」することはできると思うのは日本人だからなのだろうか。いや、そうであって欲しくはない。
先日「イスラエル」という本を読み、ユダヤ教とヨーロッパの関係について理解を深めたので、次はこちらでイスラームとの関係について知ろうと思った。 まずイスラーム、イスラム教の教えについて、私もご多分に漏れず過激なイメージがあったので、そこが訂正された。弱者を救済する、心に平穏をもたらす。宗教はみなそう...続きを読むゆうものだと思っていたけど、作者曰く、その他の宗教よりもその作用が大きいように書かれていると理解した。 ジハードで銃を持ちテロを起こす人たちはイスラーム世界の中でもごく一部。 また、ヨーロッパ社会各国の異文化、異民族への考え方も新たな知識となった。フランスのライシテ、ドイツの血統主義など、ヨーロッパと一口に言っても、それぞれの主義主張は違うし、イスラームへの対応も異なる。日本人は排外主義=極右と捉えがちだけど、リベラル層も排外主義に傾いている。 しかしながら、いずれの国も排外的な政策に傾倒していることは間違いない。 そしてそうしたヨーロッパやアメリカ、その他社会の排外的な政策や、イスラームは危険という決め付け、欧米的ポリコレなどの思想などなどが世俗的だったムスリムさえもイスラームに再覚醒させたのではという筆者の指摘は納得だった。 このところ、イスラエル、ロシアプーチン大統領に関する本を読んでいて、共通するところは、欧米諸国が自分たちの考え方を正として、相手のことを理解しようともせず、押し付けていることが火種となっている、ということだと思う。 流行りの言葉でメタ認知の重要性をより感じる本(たち)だった。
990 内藤 正典(ないとう まさのり、1956年9月29日 - ) 日本の社会学者・地理学者。専門は国際移動論、現代イスラーム地域研究。同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授、一橋大学名誉教授。博士(社会学)(一橋大学)。日本中東学会会員。専門はトルコの国際関係、特に西ヨーロッパにお...続きを読むけるムスリム移民の研究、9・11以降はイスラムと西欧世界との関係、現代トルコの政治と社会。80年代まではシリアを中心としたアラブ地域での研究を行ってきたが、政治的な事情でヨーロッパ在住ムスリム移民研究を始める。9・11以降は西欧とイスラームの衝突を抑止するための研究を、近年はイスラーム法学者の中田考とともに日本を含めた非イスラーム社会のゼノフォビア、イスラーモフォビアに関する著作も発表している。東京都生まれ。1975年 東京教育大附属駒場高校卒業、東京大学教養学部理科Ⅱ類入学1979年 東京大学教養学部科学史・科学哲学分科卒業。東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程進学1981年 同修士課程修了、理学修士。同博士課程進学、ダマスカス大学留学1982年 東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程(博士)中退1997年 博士(社会学)(一橋大学、学位請求論文『アッラーのヨーロッパ、移民とイスラム復興』)研究歴1982年 東京大学教養学部助手(文部教官採用)1986年 一橋大学社会学部講師(文部教官、配置換)1989年 同助教授昇格1990-92年、トルコ共和国アンカラ大学政治学部客員研究員。1997年 一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻教授昇格2010年 一橋大学退職、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2020年 一橋大学名誉教授。 コソボでは、ムスリムの比率が九二%、アルバニアは八二%、ボスニア・ヘルツェ ゴビナ四二%、マケドニア三四%(マケドニアについてはトルコのNGO、1日日人道支 援財団、二〇一四年による)、モンテネグロ一九%、というように、ムスリムの比率が 高い国が並んでいる(図序―2参照)。これらバルカン半島の国々にムスリムが多いのは、オスマン帝国領であった時代に、ムスリムに改宗してそのまま住み続けた市民が多いからである。 二〇一三年にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪れたときの旧市街の印象は、トルコの歴史ある地方都市そのものだった。コーヒー店には縁台があって、そこでトルココーヒーを啜り、談笑する。銅の打ち出しで鍋やコーヒーポットをつくる職人たちのいる小道は、トルコのサフランボルあたりの旧市街を散策している気分にさせてくれた。 ボスニアは一五世紀にオスマン帝国の一つの州となり、サラエボはその主要な都市となった。一九〇八年にオーストリア・ハンガリー帝国に編入されるまで五〇〇年もオスマン帝国の一部であったのだから、トルコの街にみえるのも当然である。しかし独立後の三〇年で、新たなムスリム社会が形成されつつある。オスマン帝国が支配た時代から住んでいるムスリムだけではない。今のボスニアには、シリア難民だけでなく、イラク、イラン、パキスタン、アフガニスタン、さらには北アフリカ出身者ま で、多くの人たちが、EU加盟国のクロアチアに近いビハチや首都のサラエボに集 まっている。二〇一八年だけで、新たに約五万人がボスニアに来たと言われている 。 最近では、東ヨーロッパのポーランド、チェコ、ハンガリー、そしてスロバキアと いう四つの国(ヴィシェグラード四カ国)が、ヨーロッパ全体のなかでも極端なイスラーム嫌悪を掲げる政治家の舞台となりつつある。これら四つの国にムスリムは少なく、彼らが現実のムスリムと接したうえでの嫌悪感ではなく、想像上のムスリム像からひどく嫌悪しているのである。先に挙げたピュー・リサーチセンターの国別ムスリム人口の推計によると、東ヨーロッパ諸国のムスリム人口の比率は、ポーランドで〇・一%、チェコで〇・二%、ハンガリーで〇・四%、スロバキア で〇・一%となっている。ムスリムが非常に少ない地域で、ヨーロッパで最も激しいイスラモフォビアが起きていることは注目すべき現象である。 最初に、フランスの公的な場でのムスリム女性の被り物が問題となったのは一九八九年だった。ムスリムの女子生徒がスカーフを着用して公立中学に登校しようとして、校長がこれを禁じたため論争となったのである。 非イスラーム社会なら、そこで階級闘争の考え方が生まれ、社会主義が力をもっていくことになるのだが、イスラーム社会は、なかなかそうならなかった。ロシア革命以来、社会主義には宗教を敵視する傾向が強く、無神論者が多い。しかしイスラーム圏では、ムスリムの行動が世俗的になる、つまり信仰実践に不熱心になることはあっても、積極的に神を否定する無神論者は増えなかった。 イスラーム社会では、西欧や日本とは違って、貧困層に位置づけられることになった人びとは、男性も女性も、イスラームの教えにさらに忠実に生きたいという方向に傾斜していった。傾斜したといっても、それは経済的に上昇することが困難であっだがための諦念からそうなったとみることもできる。西欧化したエリートは物質的な豊かさを得た。貧困層は物質的豊かさには無縁であったが、 イスラームは人の心に効をもたらす。イスラームというと被り物論争も含めて、規範性ばかりが西欧では注目されるが、心理的、社会的にみれば、人にやすらぎを与えることが教えの根本にあ る。 そのときに、攻撃のターゲットとされたのが、最も目につくムスリム女性の被り物 だった。その結果、ムスリムの女性は二重の問題に直面することになった。最初の問 題は、ただでさえ家父長的性格の強いムスリム社会のなかで、外に出る、つまり教育 を受けたり、職に就いたりすることはむずかしかったことである。そして、イスラー ムに則った服を着ることで親や夫を何とか納得させて外に出ると、今度は、外界から の敵意にさらされたことである。 そして、2014年から2018年にかけて、イスラーム過激派によると思われるテロ事件が多発したため、被り物が公共空間での秩序に反するものであり、治安上の脅威とする見方が、急速に強まった。個人を特定できないために、もし、男性が被っていたらどうするのか?被り物のために監視カメラをすり抜けてしまったらどうするのか?というのである。現実に、そのような事件が多発したわけではないが、可能性としてはやはり否定できない以上、フルフェイス型の被り物はセキュリティを理由に規制されていくことになった。 だが、今にして思えば拙速だった。ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー の四カ国は、温度差こそあるものの、巨ひに制約を課されることを嫌い始めている。 だがムスリムの家系に育った若者は、どこかでイスラーム的なもの、ムスリム的な 生き方に触れている。どんなに世俗化した家族であっても、親戚のなかには礼拝を欠 かさない者もいるし、親がラマダン月の断食をしなくても、誰か断食を守る人もいる のがふつうである。何もしなくても、ムスリムにとって大切な断食明けの祭りや犠牲祭に親戚を訪ね、着飾って晴れがましい思いをした人ならいくらでもいる。 そのころ、オランダでは寛容の終焉を象徴する一連の事件が起きた。二〇〇四年 に、映画監督のテオ・ファン・ゴッホがモロッコ系移民の青年に暗殺された。原因は イスラームを侮辱したとされる"Submission"(服従)いう映画だった。裸体の上に薄 布をまとったムスリムの女性が男性からの暴力を訴えるこの作品は、西欧世界では高 い評価を受けたが、ムスリム社会からは激しい反発を受けた。ストーリーは、ありう るものだったが、裸身を見せながら礼拝するシーンなどの表現はムスリムにはありえ ないものだった。 二〇一七年の総選挙でリベラル政党のルッテ首相が異性との握手を拒むムスリムに はオランダに居場所がないと主張したことも、イスラームを反リベラルと決めつけて ムスリムの排斥を助長するものであった。もちろん、より激しく反移民を主張するポ ピュリストのウィルダースのPVVから票を取り戻すための発言だったが、結果とし て、リベラル政党であるいDが、排外主義のポピュリズムに接近し、手を貸すこと になった。 統合プログラムをスタートさせて五年経った二〇一〇年に、メルケル首相がドイツ の多文化的状況は失敗だったと発言したのである。だがドイツには、異なる文化集団 を並存させるという発想はなく、「異文化をもったままドイツに居てもいいが、居場 所はないと思うよ」と言い続けていたのである。この点は多くの移民が指摘している が、何十年もドイツに暮らしていても「ところでいつ母国に帰るの?」と聞かれると いう。メルケル首相は、一方で、イスラームはドイツ社会の一部だと認めつつ、他方 ではムスリム移民がいつまで経ってもドイツに「統合」されなかったことを失敗と呼 んだのだが、当然のことながら、それはドイツ社会と移民社会の相互作用の結果で あった。 だがその先には、男性と女性は何をするにも平等であるべきだから、学校では男女 いっしょに水泳の授業も受け、女性だけがスカーフのような被り物を着けるのは女性 差別であり、一〇代の後半になったら子どもは親から自立すべきだというような規範 そごきた を受け入れることが求められた。ここでイスラームの規範と齟齬を来したのである。 イスラームでは、第二次性徴を経た「大人」の男女は互いの秘すべきところを他人の 前にさらしてはならない。親子の関係はヨーロッパ社会よりもはるかに密接である し、家族から離れることによって人間が自立するものだという観念もない。こういう 宗教的な価値に踏み込むような「郷に入っては郷に従え」を文化的な同化政策と受け 取ったのである。 だがその先には、男性と女性は何をするにも平等であるべきだから、学校では男女 いっしょに水泳の授業も受け、女性だけがスカーフのような被り物を着けるのは女性 差別であり、一〇代の後半になったら子どもは親から自立すべきだというような規範 を受け入れることが求められた。ここでイスラームの規範と齟齬を来したのである。 イスラームでは、第二次性徴を経た「大人」の男女は互いの秘すべきところを他人の 前にさらしてはならない。親子の関係はヨーロッパ社会よりもはるかに密接である し、家族から離れることによって人間が自立するものだという観念もない。こういう 宗教的な価値に踏み込むような「郷に入っては郷に従え」を文化的な同化政策と受け 取ったのである。 しかし、ここに深刻な断絶があることにムスリム移民も気づいていなかった。ドイ ツ側が言っていたのは、ここに滞在するならルールに従えということであって、ルー ルに従ったらドイツ人として、ドイツ社会を構成する対等なメンバーとして承認する という意味ではなかったのである。強固な血統主義にもとづく国民観念をもつドイツ に、そもそも、民族も文化も異なるトルコ人やアラブ人を同胞として受け入れる素地 はなかった。つまりドイツには、相手を同化させる意図は最初からなかったのであ る。しかし、規範だけを相手に押しつけても、移民の側は、いつまで経っても自分た ちを「仲間」として受け入れないではないかと反発してしまう。結局、この断絶が、 ドイツ社会に排外主義・反イスラームを生み、ムスリムの側にみずからをドイツ社会 から隔離する傾向を生むことになった。
アメリカで2025年1月20日第二次トランプ政権が樹立した。トランプ大統領と言えば第一次政権の際、イスラエルの首都をエルサレムと認め、イスラム社会から激しい非難を浴びた、超イスラエル寄りを政策に掲げる人物である。トランプ氏自身は敬虔なキリスト教徒(自身はプロテスタント、福音派はトランプを熱狂的に支持...続きを読む)であるが、身内にユダヤ人が居ることはよく知られている。その様なトランプ氏が再び大統領に就任したのだから、過去にあったイスラムとの対立の懸念が再発するのは当たり前のことだ。また現在はイスラエルによるパレスチナ侵攻中の最中であり、トランプ氏の介入で一時的な停戦状態にはなったものの、諸外国から見たイスラエルへの処罰的な扱いについては、誰ひとりとして口を挟めない状態だ。世界の富を欲しいままにするアメリカの怒りを買うことは、グローバル経済からの脱落に繋がるリスクを抱えることを誰もが知っている。今再び世界はイスラム社会とキリスト教を中心とする西欧諸国との分断の危機に立っていると言えそうだ。 近年、不安定なアラブ地域からの難民・移民のヨーロッパに向けた流れは、その方向を西側だけでなく日本や中国といった東アジア、インドネシアに代表されるイスラム社会を抱える東南アジア地域にも広がっている。それは世界人口比率におけるムスリムの爆発的な増加を見れば理解できるが、自分の周囲にも見た目明らかにムスリムであるとわかる人が増えてきたのを感じる。会社にも社員として在籍しているし、近頃は空港だけでなく、ショッピングモールでも祈りの場を確保した施設が増えてきた。多産を善とするイスラム教に対して、キリスト教国は概ね先進国として少子化の課題に直面するという、真逆の現象が起きているから、ムスリムの増加は、アジアの東の端日本でも感じられるようになってきた。元々、アラブ社会はトルコなどを通じてヨーロッパに近い位置にある上、少子化による労働力不足に悩む先進国から見ると、労働力としての移民への期待は大きかった。結果的に何百、何千万という人々が、永住を求めてヨーロッパ各国に散らばった。対するヨーロッパ諸国はキリスト教文化であるから、ここに異文化理解の大きな問題・課題が表面化する事になる。その顕著な事例として、フランスによるブルカ禁止の法制度化、デンマークの新聞社が掲載したイスラム風刺画の問題、その他にもイスラム教を風刺の対象とする様な表現者が殺害されるなど、記憶にある方も多いだろう。日本でも数年前にアニメ映画の中で、イスラム教で禁じられるクルアーンの音源化などが映画の配給を一時的にストップさせるといったニュースもあり、イスラム教の教えの中で何が禁じられるかなど興味を持った方も居たのではないだろうか。 そもそも生まれた土地も信仰も考え方も異なる人間が集まれば、理解が出来ないことはたくさん出てくる。イスラム教では食さない豚肉を、日本人もスペイン人も問題なく食べている。正確にいうなら日本やスペインを国籍にもつムスリム以外は食している。ムスリムが食べないのは自分たちの信仰であるイスラムの教えに於いて禁じているからであり、豚肉を食す人々を見ても何も思わない。イスラム教とはムハンマドの日常生活の中に密接した教えを守ることが主であるから、かつて不衛生な社会の中で、生の豚肉を食べて食中毒になった事に起源するかもしれない(私は正確には知らないが)。そうした積み上げられてきた、安全に平和に健康的に生活する為の知恵の集合体と言っても良いのかもしれない。そうした教え(ハディースなど)を守って生きる事がムスリムの考え方であり、ごく一部の思想(イスラム国)を除いて、土地に縛られる事もない。一方でキリスト教徒は地続きのヨーロッパで如何に租税をかき集めるか、肥沃な土地を奪い合うような国境に縛られてきた人々である。ここにも考え方の差は大きく影響するだろう。それが更にはその国の政治や経済に作用し、異なる考え方を持つムスリムからは理解できないだろうし、その逆キリスト教徒のイスラム社会の不理解、理解不足を生むのは当然だ。個人の思想、宗教、政治あらゆる差異がある中で、双方に馴染めない人々がやがては一致団結して対立に加担する。またそうではないイスラム社会の中にも、異文化に染まっていく事への危機感を持つ人々もそこに加わる。どちらが先か、同時かは判らないが、次第に対立構造が明確化し、そこへメディアを通じて広く影響を及ぼす事が可能なトランプ大統領の発言が出れば、とても相互理解に至るまでは遠いだろうと感じる。 益々混迷を極める世界の宗教事情。日本人は島国で閉鎖的で無宗教などと言われた時代は終わりを告げ、ヨーロッパ諸国の様に、異文化、他文化への接触機会が増えている。ドイツの血統を重視する国民性、フランスの多様性を重視すると言いながらも共通を押し付ける国民性、トルコやアラブ世界に広がる宗派による複雑な対立関係。そしてそれを後押しするアメリカやロシア、イランなど。日本はアメリカの顔色ばかり窺い、追随しているだけで良いのか。少子化の波は止まらず、インバウンド需要も最高潮に、街には外国人が溢れかえる。ヨーロッパ諸国と同じ轍を踏む必要はない。寧ろ、生活の中に特定の宗教感に縛られにくい日本人だからこそ、分かり合える土壌は大きいと感じる。相手を理解し、協力し合える世界を今こそ日本が主導して作るべきではないだろうか。少なくとも私の周りには、ムスリムやキリストを「異なる」と考えている様な空気はなく、それぞれの文化や考え方を理解する人間が多く感じる。狭い島国で互いに分かり合えなければ、暮らしていけないからではないだろうか。
現代イスラム地域研究が専門の著者が、イスラム側から眺めた現代の相克。西欧の視点、キリスト教の側からイスラムを分析したものを読むことが多かったから、バランスをとる意味でも有益な本だった。特に地理的にも歴史的にも東西の文化が交わるトルコに関する記述は学びが多かった。 「多文化主義」という言葉も、この本を...続きを読む読みながら定義しなおすことができた。フランスの世俗主義、ライシテ、公的領域における非宗教性と、すべての宗教を平等に扱う制度の異同。非宗教性が国家原則になっているということは、多文化主義が根付く素地がない、という解釈。コミュニティごとに分かれて国家に参画するという考え方と、人種でも民族でもなく、個人として共和国の一員となるなら受け入れる、というスタンスの違い。オランダの歴史を読みながらこの部分がよく理解できた。
ムスリムと西欧世界(ヨーロッパ中心の)の状況がよくわかる本。 人間世界は難しい。文明の衝突、宗教的固定概念などという言葉が双方にあるのだろうと考えさせられる。もはや地球外に人類が植民するしか方法はなさそうな気もする。とはいえ今日探査機の火星着陸がニュースになっている段階であり、まだ人類は月以外の他天...続きを読む体に到達していないのでこれは即効薬にはならない。当分は何とかいろいろなだめすかしてやっていくほかはないのだろう。う~ん…
世界は繋がっており、つながっているからこそ分断がある。そして欧州におけるそれは、もはや破綻していると言わざるを得ないー。そんな切実な状況が伝わってくる。 無宗教とも言われる日本国民にとって、移民の問題は民族問題だと受け取りがちなものだ。 しかしそこには民族を基調とした欧州の考え方と、民族ではなく宗...続きを読む教にこそ寄る辺をもつイスラームとのわかりあえなさからくる断絶が横たわっている、ということがよくわかる。
とても勉強になった。 2020年に書かれたものなので「今」のヨーロッパとイスラームの現状がわかる。 シリア内戦によって多くの難民がトルコに行き、さらに西ヨーロッパに移動することになった。 ヨーロッパとイスラームの共生は、なぜうまくいかないのか?まずはヨーロッパはキリスト教なので、うまくいくわけがな...続きを読むいと思った。過去には共生しようと努力した国もあったそうですが、9.11のテロでムスリムに対する感情が180度変わってしまった。「良いムスリムと悪いムスリムがいる」そんなことはみんな知っている。ムスリムが全員テロリストなわけではない。でも怖いよそりゃ。 日本人でよかった。
個人的には殆ど知識や実体験の無いイスラムに関する一冊。宗教にもさほどの興味・関心は無かったのだが、昨今の世界中で起きている、異なる価値観の間の「分断」や「衝突」を見るにつけ、これからの世界はやはり宗教や民族、イデオロギーの対立を読み解いていかなくてはならないのか、と危惧する中、手に取って読んでみた。...続きを読む 一読しただけでは深く分かったとは思えないが、そもそも歴史的に「陸続き」の中で複数の民族、文化、イデオロギーを包含して発展して来たヨーロッパの国々が、イスラム(教、信徒、文化等)とどのように接し、共存・共生を図って来たのかについて一通りおさらいさせてもらえた気はする。 いや~、しかし、深い。 自分自身にとって、イスラム信徒が有するものに匹敵する「自分の軸となる価値観」とは何なのか?自分自身はイスラムをどう捉えるのか?イスラム信徒とは友達になれるのか?等々、考えさせられる宿題ばかりが残った。アタマがイタイ。
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イスラームからヨーロッパをみる 社会の深層で何が起きているのか
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