上岡伸雄のレビュー一覧
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『レス』というのは主人公の名前である。最近では珍しくなったが、『デイヴィッド・コパフィールド』しかり、『トム・ジョウンズ』しかり、長篇小説の表題に主人公の名前をつけるのは常套手段だった。原題は<LESS>。これが「(量・程度が)より少ない」という意味を持っていることくらい、最近では小学生でもわかる。そういう名前の持ち主が主人公であり、それが表題や各章のタイトルになっているとしたら、初めから内容が想像できるというもの。
口の悪い評者がハリウッドの二流のロマコメのようだ、と評していたが、いいじゃないか。ロマコメは嫌いではない。スプラッターやホラーより、ずっと好きだ。でもこれはロマコメではない。男女間の恋愛は一切出てこない。というより主人公のアーサー・レスはゲイなのだ。ただし、コメディではある。行く先々でトラブルが待ち受けており、アーサーはバナナの皮に滑り、落とし穴に落ちる(いうまでもなくこれは比喩である)。読者は痛い目に遭うアーサーのしくじりを笑いながら、しだいに愛しはじめていることに気づく。
「行く先々」と書いたが、これは比喩ではない。本文中にもちらっと出てくるが、小説の中で主人公は世界を一周する。そう、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』のように。ただし、相棒のパスパルトゥを連れずに。それというのも、それまでパスパルトゥ役を受け持ってくれていた恋人のフレディが結婚式を挙げることになったから。勿論、喧嘩別れではないので式に招待されている。アーサーは式に出て、みんなに笑いものにされることをひどく怖れている。しかし、欠席しても陰口を叩かれるのは同じだ。
アーサーにはかつてピュリッツァー賞を受賞した詩人のロバートという年上の恋人がいた。マリアンという女性と結婚していた詩人を奪って長い間一緒に暮らした過去がある。その彼が若いフレディと暮らしていることをみんなが知っている。今度は、もうすぐ五十になる自分が捨てられた格好だ。式を欠席する口実を作るため、彼は放ったらかしてあった手紙の束を手にとり、スケジュールを組み上げた。世界各地で行われるコンテストや、講演、対談の依頼をかたっぱしから引きうけるのだ。言い忘れていたが、アーサー・レスは作家である。
処女作『カリュプソ』は、『オデュッセイア』の「カリュプソ」の視点からの語り直しだった。これは世界で訳書が出されるほど評判を呼んだ。ただし、最新作『スウィフト』は、出版社に留め置かれたままで出版のめどが立っていない。アーサーは長年の恋人と別れ、独りで五十歳の誕生日を迎えることに耐えられそうもない。そこで、旅に出ることにした。そうすれば、次々と立ち現れる新しい土地のできごとに気がまぎれ、フレディのことを考えずにすむだろうし、友人たちとサハラ砂漠をラクダで越えながら、誕生日を迎えられる。
一番目はサンフランシスコの自宅からニューヨークへ飛び、SF作家との対談。二番目はメキシコ・シティで開かれる学会に参加。三番目はトリノで最近イタリア語に訳された本に賞が与えられることになっている。四番目はベルリン自由大学の冬季講座で、好きなテーマで五週間の授業が待っている。五番目はモロッコでマラケシュからサハラ砂漠を越えてフェズまでの旅。これは自費の旅行。六番目はインド。フレディの義理の父である旧友カーロスの提案でアラビア海を見下ろす丘にある隠遁所で小説を執筆する。最後が京都。懐石料理を食べて機内雑誌に記事を書く。東から飛び立ったアーサーは世界を一周して西から帰ってくることになる。
しかし、対談相手のSF作家は食中毒に苦しんでいるし、メキシコの学会は終始アーサーには理解できないスペイン語が使われている。トリノでは最終選考に残った作家たちの間で自身を喪失し、ベルリンでは自分のドイツ語のひどさを思い知らされる。ただし、悪いことばかりでもない。ベルリンの授業は若者たちに大うけだし、ヴィンセントという恋人もできる。サハラ砂漠ではお定まりの砂嵐に遭遇するが、自分の小説に足りなかった点を発見することもできる。インドでは、それを手掛かりに小説を書き直し始める。
主題は、アーサーがオーラのように身に纏うイノセント(無垢)である。よくある手法だが、語り手は知っているが主人公は知らない。アーノルド・ローベルの『お手紙』という絵本がある。かえるくんが親友のがまくんに手紙を書く。それをかたつむりくんに配達してもらうのだが。「まかせてくれよ」「すぐやるぜ」というが、勿論手紙はなかなか届かない。がまくんの家を訪ねたかえるくんはがまくんに書いた手紙を聞かせる。「いい手紙」を待つ二人の長い時間が愛おしい、というあの手法だ。
アーサーの小説は「仰々しく感傷的」と評されたり、自分がゲイであることを恥じている「駄目なゲイ」であることを書いている、とゲイの作家に言われたりする。そう言われるたびに傷つき、自信を無くすアーサーだが、彼の小説が好きだ、という人物は周りにたくさんいる。アーサーにそれが見えていないだけだ。五十歳が近づき、年取った独身者のゲイになることを心の底で怖れてもいる。しかも、それを隠そうともしない。人前にまっさらな自分を開けっ広げにできる人間などめったにいない。それも五十歳にもなって。
授業で取り上げられる作品がジョイスだったり、ウルフだったり、レイモンド・チャンドラーの言葉が引用されたり、とお気に入りの作家がチョイスされていることも嬉しい。ネタバレになるので詳しくは書けないが、手の込んだメタ小説でもある。「信頼できない語り手」という手法も取り入れて、予想される結末へと向かってじっくり迂回しながら歩を進めてゆく。伏線の回収のされ方も堂に入ったもので、失くしたものと手に入れるものの均衡すら美しい。コメディでピュリッツァー賞(文学部門)受賞というのも、なかなかないことらしい。人物や衣装、風景の美しさはまさに映画向き。チャーミングな小説である。 -
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随分前に橋本福夫の訳で読んで、大好きだった本。上岡伸雄の新訳が出て、『リンカーンとさまよえる霊魂たち』の訳も良かったし、再読してみた。
とてもいい訳だと思ったが、福田訳を何度も読んでいたので、どうしても違和感があった。特に美しい「紙玉」(上岡訳では「紙の玉」)の「ひねこびたリンゴ」という言葉が心に残っていたので「ごつごつしたリンゴ」には物足りなさを感じてしまった。
しかし、全部読んでみると福田訳よりずっと分かりやすく、福田訳では読み飛ばしがちだった「狂信者」(福田訳では「信仰」)は思い込みを信仰に結びつける者の恐ろしさ、愚かさ、悲しさが伝わってきて、ラストのジェシーの哀れな姿は胸に迫るものがあった。
「冒険」は福田訳よりずっと良かった。これはソフトな「天人唐草」(山岸凉子)だなと。知らぬうちに世間や常識や親の教えにがんじがらめになって、若さと正気を失う女は、今もいると思う。
これは南北戦争のあとの物語だが、過去の物語ではない。今もこういう人たちはいるし、自分もその一人なのだと思う。
しかし、若いのにこれに共感してしまうとは何と寂しいことか。過去の自分を哀れに感じた。 -
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必読書としてよく挙げられてはいるものの、なかなか読む機会を得なかった『ワインズバーグ、オハイオ』、新訳が出た、ということですぐに入手した。
で、読み始めたものの何やかやで途中でページが止まっていた、のだが、今朝、ふと再開したところ、とにかく止まらなくなってしまった。
無数の人たちが次々に現れては短い物語の主人公となったり、脇役となったりする。当初は、だれに心を寄せればよいのか掴み切れず物語に入り込むことを難しく感じたていた。それも途中で手が止まっていた要因かと思う。
ところが、なぜか、今日は読み始めたときに「これは、読める」と思った。そして案の定、一日をかけて、すべてを夢中で読んだ。読書には、なぜか「その時」があるものだ。
今からちょうど100年前のアメリカの小さな町に暮らす人々の話だというのに、なぜこうも瑞々しいのだろう!
少しずつ読み進めるにしたがって、誰が誰やら、という状態だったのが、ひとりの青年に少しずつ焦点が集まってくる。そして次第にワインズバーグという町が立体的になってくる。
川本三郎さんによる巻末の解説に、とてもよい一文があった。
「アンダーソンは良き人々の心のなかの負の部分に着目する。それでいて決して彼らを否定するのではない。心に屈託を抱え、周囲に溶け込めない、心寂しき人々を、その負の部分を含めて肯定しようとする。愛そうとする。だから、読み終ったあと、読者は夜の暗さのなかに、夜明けの光を感じ取り、穏やかな気持ちになる」
善良で「いびつな」人たちの小さな物語(とはいえ、わずか数ページに人生が凝縮されていたりもする)は、今後また手に取れば、また違う面白さを見出すのだろう。ああ、それにしても面白かった。今はただ豊かな読後感に浸っている。 -
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ものすごく面白かった。
と言ってしまうと、あまりに平凡で身もふたもないのだが、それ以外に言葉が見つからないぐらい、面白かった。
全編「おふざけ」がちりばめられている。「ミリオンダラー・ベイビー」のオスカー女優、ヒラリー・スワンクとデスティニー・チャイルドなんて、いったい何度名前が登場しただろうか(彼女らは自分の名が使われることを承知したのかしら)?わたしにはわからなかった「あの人」もたくさんきっと出ているのだろう。そこに、いかにも若い男の子たちらしいお下品な会話がポンポン飛び交う。電車で読んでいると、時にほっぺの内側を噛んでにやけ防止をしたくらいだ。
…それなのに、行間のどこにも「死」のイメージが漂っていてとても悲しいのだ。
ある銃撃戦を境に、慕っていた先輩を喪い、一夜にして全米の英雄に祭り上げられた19歳の少年の目から見たアメリカの、どこか狂ったような愛国精神と熱狂、欲得ずくで動く大人たちの醜さよ。
ふつうに生きた60歳よりも老成してしまった19歳は、それでもやっぱり19歳で、その純真もまたまぶしい。
どこまで、なにを書いてもこの本の魅力と深さは伝わらない。 -
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ネタバレ退屈という感覚は単なる個人の心理状態ではなく、政治的・経済的に構築された構造の一部として生み出されているのだと思った。退屈は、仕事と余暇の分断、そしてそれを支える資本主義的イデオロギーのなかで制度的に再生産されている。
ギグエコノミー(インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方のこと)に見られるように、現代の労働は短期的かつ不安定であり、アルゴリズムや他者の評価に左右され続ける。その結果、労働は自己実現の手段ではなく、主体性を弱めるものとなり、常に刺激に晒されながらも満たされない退屈を生み出している。これは暇だから生じる退屈ではなく、常に不足を感じさせられる構造から生じる退屈である。この構造は消費の場面にも当てはまる。SHEINの児童労働問題が繰り返し指摘されながら解消されないのは、消費者がその事実を知っていても、それを自分の問題として引き受けず、安さや即時的な満足を優先した消費行動を続けているからではないか。搾取の責任を企業や国家だけに帰すことはできず、消費者個人もまたこの構造に組み込まれている。重要なのは、退屈であることそのものではなく、退屈を退屈として認識し、立ち止まって考える時間を持てないことだと思う。退屈を即座に刺激で埋めてしまう行動の積み重ねが、モノの価値や労働の重みを考える機会を奪っている。手間をかけることは、手間をかけないことより価値が低いわけでも高いわけでもないが、作られる過程や投入された労働が見えることで、正当な対価について考える余地が生まれる。その対価を支払うかどうかは消費者の選択に委ねられているが、その選択は、考える時間があってはじめて成立する。退屈を排除するのではなく、退屈と向き合う時間を取り戻すことが、消費や労働のあり方を見直すための重要な手がかりになると感じた。 -
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19世紀のアメリカ中西部・オハイオ州の田舎町の人々を描く短篇集。
冒頭「いびつな者たちの書」で語られるとおり、この作品で描かれるのは「孤独・不安・疎外感」を感じている「完璧でない者たち」である。
いずれの話も個人的な葛藤を題材にしているものの、それらを主人公の視点からとりまとめることで、19世紀後半の中西部の雰囲気を上手く描いている。
ここで語られた「いびつな者たち」が、まさしく現在のラストベルトの労働者階級(ヒルビリー)になっていったのだと思うと非常に興味深い。
個人的には、「考え込む人」のいかにもウブなセス・リッチモンドに最も感情移入できた。
アメリカの田舎町の鬱屈を描くという点で、時代も舞台も全然違うけど、映画「ラスト・ショー」のような雰囲気の小説だった。 -
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1960年にアメリカで発行され、映画も有名な本書。1930年代のアメリカ南部が舞台。主人公のジーン・ルイーズ・フィンチ(スカウト)が6歳(小1)から3年生のハロウィンまでが描かれる。父は州議会議員で弁護士のアティカス。母はスカウトが2歳の頃死亡、兄のジェムは4つ上。カルパーニアという黒人女性が家政婦に来ている。スカウト6歳の夏に一つ年上のディルが夏の間だけその地の叔母のところに来ているのに出会い、3人で夏を過ごすようになる。近所には仲良しのミス・モーディーの家もあるが、嫌みたらしいミセス・ドゥボーズの家と三軒先にラドリー家がある。ラドリー家はその地域全体で不可侵のような場所になっていて(引きこもっているブー・ラドリーがいるらしい)ジェム、ディル、スカウトはその家にちょっかいを出す遊びを始める。・・・このへんまでがすごく読むのが大変。その後、黒人が白人女性をレイプしたとして訴えられる裁判の弁護をアティカスが指名されて引き受けることになり、裁判の様子は迫真の描写で引き込まれる。後半以降は最後の驚きの出来事まで一気に読める感じです。
まあ、とにかく主人公スカウトが素直で賢くて感心します。そしてアティカスの驚異的な正義感。かっこいい。スカウトは女の子として当時必要だったことが嫌いでいつもオーバーオールを着ています。話の中には最貧民の白人たち(カニングハム家等)や黒人と家族でいたいために愚か者の擬態をしているミスター・レイモンド、黒人への判決を憂うテイラー判事など魅力的な人物が多く出てきます。前半の無駄っぽかったラドリー家へのいたずらも最後に活きます。
目線が低学年のスカウトなので、一応小学生でも大丈夫な表現です。レイプがわからないスカウトがお父さんに聞いたりとか。でも、これを小学生で読んで感銘を受けられたら天才やね。映画を見ていたら楽しめるかも(私は見ていません)。 -
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1930年代の南部アメリカ、6歳の少女スカウトは4歳年上の兄ジェムと、弁護士の父アティカスと田舎町に暮らしている。母親はスカウトが小さいころになく亡くなっており、家の中のことは黒人女性のメイド・カルパーニアがやってくれている。その頃の南部の町では、まだまだ黒人の差別が厳しく、ニガーと公言してはばからない人が多くいる。黒人だけでなく、貧しい白人たちは学校にも行けず劣悪な生活から抜け出すことができずにいる。アティカスの偏見にとらわれない態度は、町の人々から信頼を持たれている。そんな町でおきた白人女性のレイプ事件。アティカスは被害者の白人女性が犯人だと名指しする黒人の弁護をすることになる。
ずいぶん前に暮しの手帖から出ていた「アラバマ物語」の新訳。あらすじはなんとなく知っていたが、ちゃんと読んだのは初めて。あらすじを聞いても「アラバマ物語」の表紙がオーバーオールの少女のアップなことが不思議だったのだが、今回読んでみて納得した。
時代を感じさせるストーリーだが、兄妹の生活ぶりなどが生き生きとしている。なんということのない出来事と思われていたことが、ラストの大きな出来事への伏線となっており、ちゃんと回収されてエンディングへとつながる。読んでみて良かった。 -
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あなたは、『アメリカの映画俳優グレゴリー•ペック(1916〜2003)の代表作と言ったら何だと思いますか』と聞かれたら何と答えますか?
日本で多いのは「ローマの休日」でしょうか。あとは「オーメン」。映画好きならば「ナバロンの要塞」「マッケンナの黄金」「渚にて」「アラベスク」等が出て来るかも。
しかし、本国アメリカで評価が高いのは、何と言ってもこの小説を映画化した「アラバマ物語」だそうです(アカデミー主演男優賞受賞)
1933年のアメリカ南部アラバマ州メイコムという架空の町。スカウトことジーン•ルイーズ•フィンチは母を早くに亡くし、弁護士の父アティカス、兄ジェムと暮らしている。純朴なスカウトの目を通して、大恐慌に喘ぐアメリカ南部の地方都市の実態が赤裸々に綴られていきます。生活に困窮し、満足に出席できずに毎年一年生を繰り返す子どもたち。肌の色が黒いという理由だけで偏見を持たれる人たち。そんな中、一人の黒人青年が白人女性をレイプした嫌疑で告発され、父アティカスが弁護を担当することになります。
本書のタイトルは、父親のアティカスが子どもたちを諭す言葉からとられています。『ものまね鳥は何も害を与えず、ただ楽しく歌っているだけ。無力な者を殺すのは、ものまね鳥を殺すのに等しい』と。
本書は1960年に出版され、翌年ピューリッツァー賞を受賞しました。"法廷の中だけは、この世の中で絶対に平等な場所である"というアメリカの矜持が感じられる作品の新訳です。ただ、残念なことに、"2023年の今、世界は本当に変わったのか?"という思いを持たざるを得ないのも事実です。
…一応、最初の質問に答えておくと、
『仔鹿物語』
です。理由は、"人が生きる意味を教えてくれるから"と言って、『アラバマ物語』も好きだった亡き母が、子どもだった私に見せてくれたからです。そう、スカウトと同じくらいの年齢の時に。 -
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ハーパー・リーが自分自身が生まれ育ったアメリカ南部、1930年代のアラバマ州の架空の町メイコンを舞台に描いた自伝的小説。
世界恐慌以来貧困に苦しむ農村、そしてさらにその貧困の底辺にある黒人たち。
主人公のスカウトはまだ小学生になったばかりの少女だが、いつも男の子のようにオーバーオールを着て、兄のジェムと一緒に遊ぶ。そして、二人には夏休みの間だけ、メイコンに来て過ごすディルという友人がいる。
物語はスカウトと二人の少年を中心に、子どもたちの目線で見た当時の南部の社会を描く。
前半は学校には年に1日だけ来て、毎年落第する貧困家庭の子どもたちや、黒人と白人という明確な差別が残る社会、そして、白人の中にも格差があることなど、当時の南部の暮らしを描いている。
後半は白人の娘(但し、白人の中でも底辺の暮らしをしている家庭の娘)を黒人の青年が襲い、レイプしたとされる事件が起き、スカウトの父で、弁護士であるアティカスが容疑者とされる黒人男性の弁護に立つことになる顛末と、黒人を弁護したアティカスに対する社会の反応が描かれる。
この小説が発表されたのは1960年。61年にはピューリッツァ賞を受賞し、ベストセラーとなる。
作家のハーパー・リーは同時代の売れっ子作家トルーマン・カポーティとは旧知の仲で、物語の中に出てくるディルはカポーティがモデルだとされている。
カポーティが「冷血」というノンフィクション小説を書くための取材活動をしていたときには、彼の助手のような役割をしていた。映画「カポーティ」はその「冷血」を書こうとしていたカポーティの葛藤を描いた作品でハーパー・リーも出てくるが、彼のアシスタントの様な立場であった彼女が本作を書いて、ピューリッツァ賞まで取ってしまうのを見て、スランプに陥っていたカポーティが焦りの様なものを感じている姿を描いていた。
その時にハーパー・リーとはどんな人なのか、「アラバマ物語」(この新訳が出るまでの本作の日本訳タイトル)がどんな物語なのか気になっていた。
読んでみて、なるほど、カポーティが焦りを感じるのもわかる気がする作品だった。 -
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17,8年前に新聞の書評で知り、即購入。
以来塩漬け…なのに突然読めたのです。そして、とてもおもしろかったのです!
87分署や、映画を観たりして、行ったこともないのにニューヨーク好き。それもきっかけでした。
ニューヨークの成り立ちから、刊行当時まだ記憶が生々しかった911まで、歴史をふり返りながらそれぞれの時代を映す純文学が紹介されています。
ニューヨークを好きと言いながら、ほとんど何も知らなかった。ギャツビーもライ麦畑もオースターも読んでいない…反省。これから読みます…
なのにアメリカンサイコだけ読んでました(笑)今思うとちょっと気恥ずかしい…と思いながら、今読んだらどうなんだろう、とも考えています。
ドンデリーロ、ジェイマキナニーも、これから読みます。
なくならない人種差別、911、アイソラでも語られていた大停電、確かに昔は汚い印象だったニューヨークのゴミ問題…
これからも気になり続ける場所です。