【感想・ネタバレ】ネイティヴ・サン―アメリカの息子―(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

1930年代、大恐慌下のシカゴ。アフリカ系の貧しい青年ビッガー・トマスは、資本家令嬢で共産主義に傾倒する白人女性を誤って殺害してしまう。発覚を恐れて首を斬り、遺体を暖房炉に押し込んだその時、彼の運命が激しく変転する逃走劇が始まった――。現在まで続く人種差別を世界に告発しつつ、アフリカ系による小説を世界文学の域へと高らしめた20世紀アメリカ文学最大の問題作が待望の新訳。

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Posted by ブクログ

つらい。
「黒人」と、差別され続ける人々の心のなかを垣間見せてもらったよう。
起こしてしまった凶行だけど、根にあるのは白人社会への恐怖心。

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2025年11月05日

Posted by ブクログ

差別をしないということは、悪口を言わない・暴力市内・見下さないということだけではない。人種が違うだけで、同情したり、自分の人種以上に優しく接したり、申し訳ない気持ちになることもまた、差別の一種だと思っている。

本書『ネイティブ・サン』では黒人の主人公ビッガーに対して、「仲良くなりたい」というスタンスで歩み寄ってきた2人の人物、ジャンとメアリーがいた。

ジャンは白人がこれまで黒人にやってきた歴史を申し訳ないと言い、黒人であるビッガーを特別扱いしようとしていた。日本人の我々にも、たくさん他国に迷惑をかけた歴史があるが、それは現在の我々のやったことではない。これに対して、私は申し訳なく思ったり、こちらがその罪滅ぼしをする必要はないと思っている。我々が唯一やらねばならないのは、「二度と同じ歴史を繰り返さないこと」だけである。そのために歴史を学ぶ努力も怠らないことである。

ジャンとメアリーという2人の白人たちの振る舞いは、間違ってはいないが正しくもなかったということだ。「差別してもダメ、優しくしようとしてもダメならどうすればいいんだ!」という文句も言いたくなるが、それほどこの人種問題が複雑で解決が難しいことを示している。アメリカ文学が面白い理由が詰まっている。

周囲の連中は、白人女性が殺された=黒人によるレイプと勝手に決めていたが、ビッガーの目線でこれまで物語を見てきた我々には、「黒人はそこまで単純な生き物ではないぞ」という嫌悪感が湧き上がってくる。このような、ビッガーを擁護したい気持ちも最初はあったのだが、ビッガーが次々と罪を重ねていくにつれ、流石に擁護する気持ちも失せてくる。そしていつしかビッガーの視点に立つというより、「白人と黒人」というもっと大きなテーマが隠れていることに気づき、頭を悩ませることになる。

著者であるWright氏の潜在的な感覚を反映した主張は、黒人のビッガーだけでなく、白人の共産主義者ジャンや白人弁護士のマックスによっても語られているように感じた。ビッガーのセリフと同じかそれ以上に白人のマックスやジャンのセリフの方が多いのだ。

Wright氏の自伝小説である『Black Boy』からもわかるように、彼はクリスチャンではないものの、キリスト教に深い関心を抱いており、南部から北部のシカゴに移ってからは共産主義にも触れている。彼の興味がこの『ネイティヴ・サン』にも現れているのを確認できたのは個人的に興奮できるポイントだった。

0
2024年09月06日

Posted by ブクログ

(1940年発表)
読書会に参加しました。
みなさまありがとうございました。


アメリカ全土で黒人差別が当然だった1930年代のシカゴ。
黒人青年のビッガーは仕事もなく、仲間とたむろいながら窃盗や強盗をしていた。盗みの対象は黒人の店ばかり。黒人同士の事件は警察はまともに扱わないからだ。
そんな日々を送るビッガーだが、皮肉な巡り合わせが重なり人を殺してしまう。

この殺人に至るまでに、当時のアメリカの差別社会、ビッガーの性質、そして被害者側の軽々しさが書かれていく。
当時のアメリカで差別されていたのは黒人だけではなく、共産主義者、ユダヤ人達も対象だった。
一見黒人に理解を示す白人もいる。資産家たちが黒人のための住宅を作ったり、福祉施設から紹介された黒人を雇ったりする。だが彼らは被差別を謳いながらも黒人のことを「あなたたちの民族」と自分たちとは区別するし、福祉や寄附をするのもあくまでも「白人と黒人は別だ」という前提のもと自分たちの商売に有利な範囲でだけ行われている。
序盤に「白人と黒人は同じだ」という共産主義者も出てくるが、彼らの見ている黒人は彼らが理想化している黒人であり、実際の黒人ではない。
だから自分たち白人が優しい言葉をかければきっと黒人たちは喜ぶと思っている。しかしビッガーたちがそんな白人に感じるのは、恐怖と距離感だった。黒人たちは常に<恐怖と屈辱>を抱えさせられていた。「教育を受けたいか」と言われても、その後黒人には仕事がない。白人が黒人のために作った住居とは白人とははっきり区別されている。白人が黒人に優しい素振りをするのは騙すときだけなのだ。

…と、まあそんなことが分かるようになっているので、ビッガーが起こしてしまった最初の事件はやむを得ないと分かるんだが、そもそもビッガーが短気で暴力的で窃盗常習者であり、さらにどんどん犯罪を重ねてゆくのはさすがに同調できない。
小説ではビッガーが犯罪を重ねることを
 <偶発的な殺人によって、彼は周囲の人々との関係に秩序と意味が築き得ると感じ取るに至った。その殺人によって生まれて初めて自由であると感じたために、それに対する道義的な罪と責任を受け入れた。人々と違和感なく接したいという漠然とした要求を感じ、それがでいるたようになるために身代金を要求した。このすべてをやり、失敗した。P493>
としている。
つまり、白人にずっと支配され指図されてきたので、自分自身のために考えたり感じたりすることができなくなっていたのが、殺人により初めて自分の意思で世界に立った、世界と繋がったと感じたという心情を書いている。

しかし、小説としてはビッガーが捕まって死刑になるとしか考えられなくて、犯人側から書かれたサスペンスのような追い詰められるチリチリした気持ちを味わいながら読み進めた。

読んでいってぐっと興味を惹かれたのは、逮捕された後のビッガーが自分の気持ちに向かい合うようになってから。

最初の事件の前にビッガーに手を差し出して見せた白人共産主義者のジャンがいる。彼なりの理想のために、黒人に混じり「自分は理解しているよ」と示そうとしたジャンだが、ビッガーの起こした事件により、自分の考えは表面的にしかしなかったことを悟る。そして自身もビッガーによる被害者でありながら、ビッガーのためにユダヤ人の老弁護士マックスを紹介する。
物語は、共産主義者、ユダヤ人、黒人犯罪者が分かり合おうとする方向に…、…、と思ったらやっぱりそんなに簡単には行かない。
ビッガーが諦めているからだ。

<彼は誰に対しても責任を取ったことがない。何かを共用されるような状況になるやいなや、彼は反抗した。自分が恐れる世界に対しての強い衝動を挫こうとしたり、あるいは満たそうとしたりして、日々を過ごしてきたのである。P79>

<こう叫びたかった。「違う、俺は怖かったんだ!」しかし、誰が彼の言う事を信じるだろう?自分があの夜どう感じていたか、こういう男たちに説明しようと試みもせず、自分は死んでいくのだろう。P606>

ビッガーの犯罪により、アメリカ中の黒人への憎悪は増していた。人々は黒人を憎む理由ができたとして、黒人全般へのより激しい暴力や差別を爆発させていた。それは黒人たちでさえ「あのニガーのせいで(黒人が黒人をニガーというニュアンスはどんなものだろう?)俺たちまで大迷惑だ。」と怒りを見せる。
ビッガーを告発する白人たちは、これを機会とばかりに共産主義者も共犯として潰そうとするし、政治家はビッガーを死刑にするとして支持率をあげようとする。

そんななか、ユダヤ人老弁護士のマックスはビッガーに質問する。
 いままでどのような人生を送り何を考えていたのか、なぜ殺したのか、本当は何をしたくて何をしたくなかったのか。
初めて自分を「何かを持つ人間」のように接したマックスの問い掛けと自分の答えにより、ビッガーは自分の人生、感情、人となりが認知されたと感じた。

 なんということだ、自分が殺人を、その後も罪を重ねたのは、このことに気が付くためだったのか(P653あたり)

<彼らが望んでいるのは、君の命であり、復讐だ。彼らは君がやったようなことができないよう、君たちを隔離しているつもりだった。今は心の奥底で、君にああいうことをさせてしまったのは自分たちだと分かっているから、それで腹を立てている。人がそういうふうに感じてしまったら、彼らと理屈で分かり合うのは無理だ。P649>

しかしこの小説は「分かりあえて良かった」にはならない。マックスは、自分がビッガーを感動させたことの重みが分かっていなかった。二人は真に分かり合えたわけではないのか。

<「俺は殺したくなかったんだ!(中略)でも、俺がなんのために殺したかというのは、それ自体が俺だからなんです!ものすごく奥深くにあるのものが、俺に殺しをさせた!ものすごく強くそれを感じたから、殺さずには…」P775>

著者のリチャード・ライトも激しい差別を受けてきた。そんな黒人から、アメリカで、差別が当然の黒人として生きることが書かれる。
自分は「高み」でわかったつもりで誰かに接してはいないだろうか、個人の行為を「彼らを憎んで良い理由」にしていないか。
後半の弁護士マックスの弁舌は「魂への訴え」のようだった。もう唸りながら噛みしめるように読んでいった。しかし同時に罪を罰するという意味での裁判では、淡々と事実に照らした刑罰を決める場所であり、個人の罪を自らの罪として受け止めるために判決内容を決めるというのは裁判制度としては難しいよね、とも思う。


読書会メモ
・アメリカを問うのが、アメリカの作家
・捕まったあとになって、人との交流が行われ、自分が欲しかったものが分かってくる。
・殺人に理由はある。しかしうまく説明できない。それを小説として言葉にしている。
・人と人との交わり、魂の交流の物語
・魂の交流はあったがその場だけだった。成功しない、誰も幸せにならないことが文学的。(しかし犯罪者が神との対話をしたのなら、それでも意味はあるとも思う)
・題名の意味は「アメリカの息子」であり、ビッガーはアメリカが産んだ息子という意味?
・「ビッガー」という名前はアメリカでは当たり前なの?小説としての意味を持つ造られた名前なの?

0
2023年06月22日

Posted by ブクログ

以前、気になったことがあって、読まねばならぬと自分なりにリストアップしていた。

今回、手に取ったのは、検閲で削除された数か所が原作のまま、翻訳されての発刊。
その個所を気になって読むと、やはり・・というか、性的描写の生々しさを感じさせ、それに人種的なニュアンスが影響している個所であった。

ガーディアン誌が選ぶ「読んでおくべき本」にリストアップされている。
そもそも、この選書に従う気持ちがないあまのじゃくの私・・一層、読んだ上でのやりきれない感情が一層ネガティブのベクトルに傾いた。
構成は心理的描写(白人、アカ、黒人それぞれにおいて)がこれでもかというほどに、生々しく綴られ、幾度、読むのを投げ出そうと感じたか。加えて、後半3割強の法廷劇。
これほどに弁護士の語りが延々と、津から強く語られる裁判は現実にありうるのだろうかとすら考えてしまう。
読ませるといえばそれまでだが、度を越えていないとも言えず、息切れしながら、少しずつ読み進めていく。

南北戦争から数えると相当な歴史的分断といえるが、民族としての対立というのは少し違う気がする。
アフリカから綿花労働の奴隷 働き手として連れてきた黒人がルーツの一つであり、加えて、中南米からの移住も含めると民族的対立というのは言い方がふさわしくない気がするが。
一方的に、新大陸に最初に渡ってきた白人たちが都合のいい解釈の元に、黒人を「完全に非人間の存在」と据え置いた都合のいい社会的位置関係としか思えない。

日本人がどうこう言えるほど甘くない深刻な問題はこの先も簡単に拭い去れない大きな問題といえる。
ビッガーは無知で粗暴な人間として描かれ、それだけに、罪を現在と突き詰めることが問題という法廷劇・・これまた読むのが苦しいほど理解できない部分が多かった。

そもそも炉で一人の白人女性を骨まで焼き切れるのか、圧倒されんばかりににおいが立ち込めたと思うのに・・簡単に発見されなかったのが最後まで不可思議な展開とあいまった。

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2023年06月14日

Posted by ブクログ

とにかく読んでて苦しい。
救いようのない話で、いまだにアメリカ社会では続いていることが怖すぎるし、それだけ根深いんだなと思う。
アメリカ文学といわれる類の、社会の闇や事実を容赦なくぶつけてくるところ。もっと読んで知りたいと思う反面、読んでいる最中から、もうやめたい、しばらく読みたくないと思ってしまう
生身の人間が一番恐ろしいということ

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2023年04月03日

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