あらすじ
外出のチャンスも、人に会う機会も減ると、スマホやパソコンを手放すことの出来ない時間が爆発的に増えてしまう。だが、持て余した時間をSNSに費やしネットサーフィンを繰り返すことで、貴重な資源が次々と権力者や大企業に奪われているのだ。トロント大学哲学科教授であり名エッセイストの著者が、「退屈の哲学的評価」「SNS依存と退屈の関係」などの今日的なテーマについて、鋭い洞察と規制の必要性を小気味良い筆致で綴る。訳者はロス、デリーロらの翻訳で名高いアメリカ文学者、上岡伸雄。
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Posted by ブクログ
退屈という感覚は単なる個人の心理状態ではなく、政治的・経済的に構築された構造の一部として生み出されているのだと思った。退屈は、仕事と余暇の分断、そしてそれを支える資本主義的イデオロギーのなかで制度的に再生産されている。
ギグエコノミー(インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方のこと)に見られるように、現代の労働は短期的かつ不安定であり、アルゴリズムや他者の評価に左右され続ける。その結果、労働は自己実現の手段ではなく、主体性を弱めるものとなり、常に刺激に晒されながらも満たされない退屈を生み出している。これは暇だから生じる退屈ではなく、常に不足を感じさせられる構造から生じる退屈である。この構造は消費の場面にも当てはまる。SHEINの児童労働問題が繰り返し指摘されながら解消されないのは、消費者がその事実を知っていても、それを自分の問題として引き受けず、安さや即時的な満足を優先した消費行動を続けているからではないか。搾取の責任を企業や国家だけに帰すことはできず、消費者個人もまたこの構造に組み込まれている。重要なのは、退屈であることそのものではなく、退屈を退屈として認識し、立ち止まって考える時間を持てないことだと思う。退屈を即座に刺激で埋めてしまう行動の積み重ねが、モノの価値や労働の重みを考える機会を奪っている。手間をかけることは、手間をかけないことより価値が低いわけでも高いわけでもないが、作られる過程や投入された労働が見えることで、正当な対価について考える余地が生まれる。その対価を支払うかどうかは消費者の選択に委ねられているが、その選択は、考える時間があってはじめて成立する。退屈を排除するのではなく、退屈と向き合う時間を取り戻すことが、消費や労働のあり方を見直すための重要な手がかりになると感じた。
Posted by ブクログ
インターネットのSNSについて、包括的な考えを書いたものである。したがって、学生が哲学や情報教育で読むべきほんである。しかし、哲学的な基礎知識が当然既存知識として書かれているので、哲学入門よりも応用哲学で扱われる必要があろう。新書としてはかなり重い内容なので、新書でなくてもよかったと思えるし、大学のゼミで扱う内容であろう。哲学的な部分は訳で割愛したと書かれているが、それ以外の部分でも哲学的な内容が入ってきている。