上岡伸雄のレビュー一覧
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人生が複雑怪奇であるということは真実だ。平凡な人生というものはありはしない。と、解き明かすような、アメリカの想像上のある町「ワイインズバーグ」に住む人々の暮らしや心模様の物語群でした。ひとつひとつの物語でもあるが、若い地方新聞記者ジョージ・ウィラードは聞き役でもあり、つなぎ役でもあり語り部です。
1900年代の初めに書かれたアメリカ文学、ヘミングウェイやフォークナーに影響を与え、モダニズム文学のさきがけということです。この前に読んだ佐藤泰志『海炭市叙景』の下敷きのようなものということで読みました。
なるほど、あるまちを創造、住人の人生模様を癖や性格などを素材にして物語るのは同じようです。でも、この「ワイインズバーグ」に住む人々は、「海炭市」に住む人々の生活がなんだか哀しげな様子なのに対して、こちらはとても奇妙な、むしろあっけらかんとしているような人間模様です。それなのにすごく人間らしいんですよ。人間はみんなどこかしら「いびつ」なところがあるんだよ、と言っています。
作者の観察眼、資質の違いですね。それともアメリカモダニズムと私小説派の違いかも。
こちらも結論は出ません、明るい未来の予言もありません、けれどもどこかしらおかしみを感じ、ほっとしたのも本当です。それに両方とも人間観察の背景に自然が美しく配されているのが印象深く、感動します。 -
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ネタバレ元恋人の結婚式への出席を回避しようと、仕事で世界一周をしようとするゲイの作家の物語。コメディタッチで、明るい話だった。ただ、この物語の語り手とその結末にはラブストーリーとして感動するものがあった。個人的に気に入ったのはレスのある一面の真実であるところの、レスが恋をしているようなキスをし魔術的な魅力のある触れ方をする点が美しく描かれているところ。そしてひと頃のゲイ文学ではよくありそうな悲劇的な英雄像は排され、愛すべき、人並みなキャラクターとして描かれているのもよい。ゲイという存在がマジョリティの人々と肩を並べて歩いていくのはこのような感じなのかもしれない。
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ミステリーなのか判断が難しいが面白かった。
潜入スパイの割には、殺処分した人間の亡霊にいつまでも煩わされたり、潜入先の上官である将軍の娘とやってしまったりと、プロのスパイ像とは程遠い、地味で弱く人間臭い主人公。
「烏賊」のエピソードは笑うところだよね?今一つ、ユーモアなのかシリアスなのかわからないところがあるが...
過去の植民地時代から冷戦の代理戦争であるベトナム戦争を通し翻弄されるベトナムを、主人公と2名の友人の生き様を通して描いている。感動はないが読みごたえはあった。
後半の長期に渡る思想教育的な尋問の場面は、「1984」とかもそうだけど、きっとここがクライマックスな割には難解なんだよね。理解できたようで、できていないようで。 -
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著者は、2012年9月から2013年3月まで米国ニュージャージーの大学に滞在した米文学者。そこでの研究テーマは「9.11テロ事件後の文学」。
映画化され、日本でも公開になった『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』をはじめ、9.11を扱った小説を取り上げて、テロに対して文学に何ができるかを検証している。かつてピカソが「芸術は飾りではない。武器だ」と語ったとされているが、著者のインタビューに応じた作家たちからはこの文学版とも言える言葉があふれ出る。「歴史において、人生において、われわれの時代を反映する最も強力な没入型の方法は今でも文学」「文学は他者の経験に共感するような形で関わる機会を与えてくれる」
なにも9.11に関わる文学でなくても到達できそうなポイントではあるが、読後に残ったのは文学が持つ強さや永続性。もちろん、9.11ならではの指摘、すなわち、アラブ系やパキスタンの作家が描いた9.11の視点や、徴兵制がなくなった後の戦争小説の質の変化など、興味深いものもいろいろある。しかしながら、読後にもっとも強く残ったのは、やっぱり小説を読み続けようという思い。中途半端なビジネス本を3冊読むよりは良質な小説を1冊読みたい、と常日頃思っているのだが、その意をますます強くした。 -
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新潮社の名作新訳コレクション「Star Classics」の一冊として刊行された本書は、19世紀後半から20世紀前半を生きたアメリカ人作家、シャーウッド・アンダーソンによる長編作品である。全く知らなかった作家及び作品であるが、これが大変素晴らしい。
20世紀のアメリカ文学を眺めたときに、我々は牧歌的なマーク・トウェインやO・ヘンリらの作風と、ヘミングウェイやその後のフォークナーに流れていく実存主義的な作風との間に断絶があることに気づく。シャーウッド・アンダーソンは、まさにその断絶を埋める世代の代表的作家である、というのがアメリカ文学史における位置づけなのだそうだ。
本書では、オハイオ州の架空の町、ワインズバーグを舞台に、主人公である地元新聞記者のジョージ・ウィラードのもとに寄せられた町中の様々な人物の絵姿が連作短編の形で綴られていく。都会への憧憬、恋愛(ロマンス)への思慮、セックスの欲望など、市井の人々が抱く様々な感情が包み隠されることなく描かれる、かつ彼らの抱える課題が決してハッピーエンドに回収されるわけではない様子は、そのあとのフォークナーの作風に繋がるような不穏さを感じさせて止まない。かつ、架空の町を舞台に市井の人々を動かすという舞台の設定も、フォークナーにおけるヨクナパトーファ群を想起させる。 -
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本書の上巻は、全体に抑揚のないストーリーで、ベトナム戦争について何らかの原体験がないと楽しめない本だと感じた。もう下巻は読むこともないと思っていたが、なぜか気になる存在ではあった。しばらくたって思い立ち、下巻を読み始めると、抑揚のないストーリーの中にも激しく迫るものを感じ、やめられなくなっていた。
北側の2重スパイの南ベトナム軍の情報将校として従軍し、サイゴン陥落以降はアメリカに逃れた。アメリカでもスパイ活動は続き、ラオス国境に舞い戻る。そこで捕らわれの身になった主人公は北側のスパイだったにかかわらず、抑留され半生を振り返る告白文を書かせられる。それが本書だ。
ベトナム戦争を戦い、同時代を生きた人々を通じて、読み手は存在の意義や、存在すること自体が何の意味を持つのか、問われだす。哲学だ。
原文は韻を踏み、ダブルミーニングが多用された美しい文章のようだ。翻訳に苦労が現れている。日本語でしか読めないことを少し残念に思いつつも、風変わりな印象を残した面白い1冊でした。 -
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前作アラバマ物語では、保守的なアラバマの小さな町で黒人の被疑者が公正な裁判を受けられるように、偏見と戦う勇気ある信念ある弁護士だった父は、20年後には、黒人と白人は一緒に暮らせないし、白人至上主義者の集会にも顔を出す現実主義者になっていた。主人公の娘のめんどうをよく見てくれた家政婦だった黒人女性も離れていった。前作のイメージからすると幻滅の現実だけど、でも実態はそうかもしれないと思われる。
NOVAの講師とこの本の話をしていたら、リンカーンも黒人と白人を同等の人間としようとしたわけではなく、奴隷制に反対しただけだよ。とのこと確かにキング牧師らの公民権運動は、奴隷制廃止の100年近くあとだ。 -
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これって、早い話が人格形成小説(ビルドゥングスロマン)だよね?年若い青年が周囲の人々の影響を受けて、自己を作り上げてゆくことを主題とする。ヘッセやマンとちがうのは、これがたった一日の出来事を中心に書かれているってこと。雪混じりの感謝祭の日にテキサススタジアムで行われる、ダラス・カウボーイズとシカゴ・ベアーズのアメリカン・フットボールの試合会場が舞台。
で、なんで一日かというと、ビリーっていうんだけど、この主人公。陸軍の二等兵で、イラク戦争で手柄を立てて勲章を二つも貰い、ただいま仲間のブラボー分隊と一緒にご褒美の「勝利の凱旋」旅行中。二週間かけて、アメリカ各地を回ってきて、いよいよ今日が最終日。この日の試合観戦中ハーフタイムショーにゲスト出演したら、その足で基地に向かい、そこから二十七時間後には無事イラクに帰還の予定だ。
耳の穴の中まで砂が入り込んでくる砂漠の戦闘地帯から、酒と女と豪華料理に囲まれ、取り巻き連中の称賛の声を浴びる夢のようなアメリカに。そこからまた地獄の戦場に突き返されるわけだ。たしかに、息抜きにはなるかもしれないけど、よくよく考えてみれば、やっと生命を脅かす危険のない安全地帯に帰った者を、たった二週間でもとの危険地帯に送り返すくらいなら、こんな仕打ち、しないほうが彼らのためだろう。
それには訳があることくらい、ビリーにも分かっている。というか、だんだん分かってくる。アメリカ人は9.11以来、怯えているのだ。いつまたやられるのか、と。それくらいならこちらからやってしまえ、と戦争を始めたのはいいが、戦況は思わしくなく厭戦気分は強まる一方。そこへ現地で取材中のフォックステレビから、ブラボーたちの勝利を伝える映像が飛び込んできた。好戦気分を盛り上げるキャンペーンの絶好のダシとして使われたのがビリーたちだ。
自分たちは絶対に弾の飛んでこないところで、フットボールの試合など見ながら、涙を流さんばかりに英雄たちを持ち上げることで、自尊感情を高める手段にする一般大衆。しかも、ハーフタイムショーのゲストはビヨンセとディスティニーズ・チャイルド。マーチング・バンドや予備役軍人の行進までごった煮状態にしたうえで、国歌を斉唱し花火を打ち上げる。セックスを煽る振り付けと弾丸が飛び交い爆発の閃光が燃え上がる戦争をコラボさせ、会場全体を愛国感情でハイにする演出。クソだ。
ビリーが軍隊に入ったのには理由がある。美人で賢い自慢の姉が自動車事故に遭い、死ぬほどの重傷を負った。美貌を失った姉との婚約を破棄した相手のサーブをバールでぶち壊したのだ。刑務所に行きたくなかったら軍隊に入れ、というのが裁判所の出した結論だった。その結果がイラク行きだ。学校になじめなかったビリーは同じ分隊の軍曹で暇があれば本を読んでいるシュルームという上官の影響を受け、本を読み始める。
今回の叙勲は、激しい銃撃戦をかいくぐり、倒れたシュルームを救出した行為についてのものだった。自分のメンターを喪ったビリーは、あの戦闘の中で死んでいったシュルームと生きのびた自分のちがいを考えないではいられない。ミリ単位の差が生と死を分けるのだ。すべては偶然が左右する。そんな世界では何をしても意味がないのではないか。誰かそれについて教えてほしい。あれから毎日、そう思いながらビリーは生きている。
十九歳のビリーはまだ女を知らない。ただセックスがしたいのではない。この人だと思う相手と愛し合いたいのだ。戦場では望むべくもないことだが、シャバにいる二週間なら可能。それなのにまだ誰にも出会えていない。今日が最後のチャンスだった。それが、実現する。チア・リーダーの一人で金髪っぽい赤毛の子が、ビリーと目を合わせる。ビリーも目が離せない。一目惚れってやつだ。この恋がどうなるのか。なんともせわしない展開だが、あの『ユリシーズ』だって、たった一日の出来事だ。世界は一日で「永遠」になる。
さらに、難題が降りかかる。休暇で一日だけ家に帰ったビリーに姉のキャスリンがイラクに帰るな、と囁きかける。逃がしてくれる団体と話がついている。英雄を死ぬかもしれないイラクに帰すなんてまともな国のやることではない、と。仲間を置いて一人だけ逃げることはできない、と断るビリーに、キャスリンは言う。あなたが死んだら私は自殺する。イラクに行くことになったのも自分のせいだから、と。悩んだビリーは、尊敬する軍曹のダイムに相談しようとするが、そんな時ブラボー分隊にトラブルが発生する。
すべてはビリーの目を通して語られる。テキサス出身で高校卒業前に軍隊入りした青年にしては、ちょっと考えが上等すぎるようにも思えるが、自分で言うように、イラクに行って歳をとったのだろう。アメリカという国家、アメリカ人という国民についての冷静で透徹した省察はこちらの心の中にすんなりと入り込んでくる。国家の名において人を殺す経験をした者として、ビリーは他の無辜のアメリカ人とは異なる。その目に映るアメリカ人は、無自覚に自我を肥大させ、何でも欲しがるいつまでも子どものままでいる大人のようだ。
愛する姉のためにしたことが、想像もつかなかった世界に自分を放り込んだ。学校にいてはできなかった勉強を戦地で積んで、青年は一気に成長する。彼の目に見えるアメリカは、命をやり取りする現場から生きて帰った若者たちをおだて上げ、その命がけの行為をはした金と引き換えにハリウッドに売り飛ばし、別の若者を戦場に行かせる手伝いをする、そんな大人ばかりが生きている国だ。
死線をくぐってきた若者のイノセントな目が見た現実のアメリカとアメリカ人の姿。今どき
こんなナイーブな十九歳がいるのか、と思ったりもするのだが、若者らしい純粋な視線がまぶしいくらいにクリアな視界を開いてくれる。ピラミッド状の構造を持つアメリカ社会の底辺近くで暮らす普通のアメリカ人青年の「永遠の」一日を、苦味を利かせたユーモアをたっぷり含ませた筆で描いたこの小説。近年まれに見る「偉大なるアメリカ小説」という評、あながち過褒とは思えない。 -
Posted by ブクログ
50の章で構成されている。
角川文庫くらいの大きさだし、文字も小さいわけでもないが通しで読むのは大変。
文章も指し示す内容は明白なんだけど意味するところとなると吟味を要する。
散文の現代詩を読んでるような感じ。
1日1章ずつトイレにこもった時にでも読むといいかもしれない。
ゆっくり読めば評価はもっと上がるかもしれないけど、サッと読んだ感じでは理解に至れるか怪しい。
内容が夢幻的で、それで京都的な日本の様子を描いている。
日本人にはなかなかこうは書けないなと思った。
西洋的な強い自我で見つめないとここまでの反応や描写は出ないんじゃないかな。
日本的な透明な自我ではそれは普通の事だから。
読めば京都を感じる。
ちょっと近った角度で見えてくる景色は面白いは面白い。
なので、再読はゆっくりしてみたい。