妻から『アラバマ物語』って知ってる?と聞かれたので、そのとき読んでた津村記久子著『やりなおし世界文学』に載ってるよと言うと、それはスルーされて、妻の通う英会話教室生徒の元高校英語教師のかたとアメリカ人講師のかたが「アラバマ物語はよかった」と話していたそうだ。
たしかにこの本はおもしろかった。通勤のとき、1回乗り過ごし、3回乗り過ごしかけた(たんに暑さ?でボケてるだけで指標として不適切説あり)。
何がおもしろかったのか?いちばんは主人公の女の子だと思う。
主人公のスカウトは、父アティカスと4歳年上の兄ジェムの3人家族だ。
物語は、スカウト6歳のころから始まる。母はスカウトが赤ちゃんのころ亡くなっている。それで家には、黒人の家政婦カルパーニアが通いできている。
夏休み、近所にスカウトより一つ年上の男の子、ディルがやってきた。夏休みだけ叔母さんの家に世話になっているのだ。
この子どもたち3人の夏休みを読むのは、ほんとうに楽しかった。いろんな遊びをかんがえだしていく。この子たちと近所の人たちとのやりとりも、また楽しい。
そこではられた伏線は、最後にしっかり回収されていた。
スカウトは女の子だが、兄といつも遊んでいるためか、あるいは母をしらないからか、「女の子らしさ」は好まないようだ。
大人のつかう言葉の意味も、まだ、よく分かっていないみたい。
だが、スカウトは自分が見たままに、感じ考えたことを言葉にし、そして質問する。「白人」「女性」「宗教」「大人の事情」などに関係なく。
物語はスカウトの目をとおして、1930年代のアメリカ南部の世界がかたられていく。スカウトの語り口は颯爽としていて、すがすがしい。
1930年代は、大恐慌の余波が残り、第二次世界大戦前であって、アドルフ・ヒトラーがいる時代だ。
スカウトは率直に、当時の黒人への差別がどのようなものであったか語っている。白人たちは、普通に黒人に対する差別ワードを言いまくっている。
スカウトが子どもであるためか、正面切って語られていないが、女性の権利も制限されている。
差別や蔑視はいまも続いている。当時と比べて少しずつよくなっていると思いたい。読んでいると、理性に訴えてもどうしようもないことなのかとも思える。
思いだしたのは、神を信じ創造説を信じるひとたちだ。ひとのことは言えない、創造説は?だが、自分だって神社やお寺にお参りにいく。
脳の神経回路をひとつひとつつなぎ直さないとダメなような気もする。モジュールぽんなら楽だけど。
本とは離れるけど、映画『アラバマ物語』に主演したグレゴリー・ペックは、この『アラバマ物語』が代表作だとアメリカでは言われているそうだ。映画の中のグレゴリー・ペックはアメリカの理想の父のひとりとされているらしい。
確かに立派なお父さんだ。ただ、本を読んでも、どのへんが理想的なのか、わたしにはよくわからなかった。子どもたちとの接し方とか、公平で正義をもとめる姿だろうか。とにかく、読書が趣味で生活に余裕があるようにみえる「父」だった。長距離の通勤がないからかな?
そもそも、わたしは父ではあるが自分で「理想の父」なんて考えたことがなかったように思う。それは子どもが願うことか?
子どもたちが小学生のころ、毎日がバタバタしていて、とにかく必死だったことを思いだす。
いまこの時を父として頑張っているかたは、アメリカの標準タイプの「理想の父」と今の自分を比較してみてもおもしろいかもしれない。
わたしは、過ぎたことでもあり、遠慮しておきますけど。