松沢裕作のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
Twitterで見かけたこの本、読みやすい良書だった。
不景気、大きな社会構造の変化期ゆえに肥大化する大衆の不安、家に搾取される女性たち、貧困者への冷たさ、競争社会、若い男性たちの暴動など。
切り口もわかりやすく、小学校高学年からでもわかるだろう。
作者の視線は、明治以降の、成功者=特別努力した者、という思想に嵌まる罠について集中して警句を発してくれる。
昨今の考えにもおおいに通じるこの感覚は、確かに怖いものだ。
この罠の背景にある物を見れば、日本社会が、自分は苦労しているのに、のうのうとして怠けている(ように見える)のに生活をみんなのお金から補填してもらうヤツへの冷たさがなにによって起こるのかわかってしまう。
狭い価値観、余裕のない社会、いずれも多様性の裏側に、弱く声のない誰かを追い詰めていく。
(近年、自己責任論を声高に口にした為政者といえば小泉純一郎だが、それ以降の社会の歪みのなかで一体誰が得をしていたのか?
よく見なくてもわかる社会の一端に、私たちが声をあげるべきは自分より下の階層へのうらみ・ひがみ・ねたみ・そねみではなく(田中芳樹)、上つ方への毅然とした意見でしょ。) -
Posted by ブクログ
本書は大学における講義内容をもとに執筆されたものだが、とても興味深い内容で広くお薦めするに値する本だと思う。
副題に「社会集団と市場から読み解く」とある通り、「社会集団」と「市場(マーケット)」の2つを軸として、歴史的事象が整序され叙述されていく。
はじめに示されるのだが、明治期日本社会の構造を示した基本的な見取り図(13頁)が参考になる。
まず、日本近代社会を理解する前提として、江戸時代の社会(日本近世社会)の構造についての説明がある。
・領主制
・農村における基本的単位の「村」と、連帯して領主に年貢を納める責任を負う村請制
・「町(ちょう)」と、労働提供義務である”役”
第2章では、近世身分制を解体した戸籍法、廃藩置県について論じられる。これらの大改革は、しかし計画的に行われた訳ではないと著者は言う。戸籍法の契機は、脱籍浮浪人の治安問題であり、廃藩置県も政府内部の対立が克服できないための一か八かの決断であった。
第3章では、地租改正と、大規模な町村合併による村請制の解体が説明される。
以下、興味を惹かれたのは、
「第6章 小農経営と農村社会」の「家」経営体の戦略、現金収入を増やすための副業。
「第7章 女工と繊維産業」。当初は顔の見える関係同士の間で、女性労働者が農家という「家」から、製糸工場主の「家」へと派遣されて働いていたのが、製糸業の発展に伴い、遠隔地からの募集となり、女工の奪い合い、引き抜きが増えたこと。
「第8章 商工業者と同業組合」。近代工場制ではない、職人や町工場的な小規模工場が根強く存在し、また織物業等農家副業による生産も重要な位置を占めていたこと(在来産業と呼ばれる)。
各章ごとに参照文献も紹介されており、自分の関心の高い事項を更に勉強するのに役立つと思う。 -
Posted by ブクログ
大学の先生が、大人のために、個人主義とかGDPとか多数決とか公正や信頼などについて解説してくれる本。
多数決は何かを決めるときに必ずしもベストな手段ではないとか、なるほど。
利己主義は昔からあるけれど、個人主義は比較的新しいもので、国によって発生過程が異なり、「フランス革命に反対する勢力が、社会を解体する良くないものだと否定する文脈から登場し、19世紀半ば以降の英国では、個人の自由な経済活動が『小さな政府』とセットで強調されるようになり、哲学と文学が盛んだったドイツでは多様な個性を重んじる個人主義が重んじられ、アメリカでは他人の力を借りず一人でやりとげる『セルフ・メイド・マン』の概念と結びついた」という話。
統計的に言えば、一定の社会的属性に入る人たちが例えば失業という共通のピンチに瀕していても、一人ひとりにとっては自分だけの問題のように感じてしまう。このことを、「集団・階層」から「個別の状況や個人史」への「社会学的革命」と呼び、本来は社会的な背景をもっており個人のせいにはできないような事柄までも個人の問題のようになってしまった。なるほどねー。社会問題の個人化ってわけだ。
という具合に興味深い話が多かったのだけれど、特に、第二章の「勤労」が面白かった。
岸信介政権の「国民皆保険」と「国民皆年金」は、日米安保が批判されていたので、アメとムチとして導入された→池田勇人内閣では、社会保障はぜいたくだとされ、働く者たちへ減税で報いた→経済成長とともに増える税収→減税、1947年以降国債発行しなくてもよくなった=「小さな政府」となった→貯蓄が増える、財政投融資も増える→さらに成長=「勤労国家」→バブル崩壊→消費低迷、物価下落、貸し渋り→企業は非正規雇用増やす→政府債務悪化、1995年財政危機宣言→政治家は個別の有権者の利益を提供するようになり(中小企業対策、農家の所得補償、地方向け公共投資など)→特定の誰かのための利益の寄せ集めのような財政→ジニ係数が増え、相対的貧困率も高くなった。福祉国家の実態は、経済成長に依存しており、景気が停滞するとすぐに不安定になっていった。なるほどー。 -
Posted by ブクログ
現代社会の抱える課題について、経済学・歴史学・政治学・社会学の視点から考えている作品です。
経済成長の基準とされる「GDP」について、その数値が示すものの意味と、GDP値を上昇させることの意味。
また、日本において根深く残る「勤労」感(働かざる者食うべからず、として貧困層をかれらの努力不足と断じる姿勢など)がどのように醸成されてきたのか。
多数決で物事を決定してゆく民主主義が抱えているシステム的な「課題」や、また「社会福祉」として行われる弱者救済が「人びとのニーズ」に合致しなければならないことなど、「これから先の社会」を考える前提としての「現代の社会」について、どのような仕組みで動いているのか、その歴史的な変遷をも含めて解説されている前半部分はとてもわかりやすく、大きな学びとなりました。
後半の記述の内、「11章 公」の章は少し議論が抽象的・概念的なものとなり、読みづらい印象ではありました。
「希望」とは単純な楽観主義ではありませんが、現在の社会状況を正確に把握し、構成員の多くが納得できる形で「より良い社会」へと更新してゆくために何ができるのか、を考えるきっかけを与えてくれる書籍です。 -
Posted by ブクログ
前々から気になっていた井出英策。今年一発目の本として「日本財政 転換の指針」を開き、ちょうど就任式を迎えたトランプ大統領の移民を排斥しようとする政策がなぜ得票に繋がるのか?の不思議に始めて明快な説明を受けたような気がして、講演会も聴きに行き、そこで民進党の前原誠司のブレーンとして研究だけじゃなく現実にコミットする!という宣言を聴き、著作も辿りながら、「財政」という自分にとっての新しいキーワードを手繰ってきた2017年は「大人のための社会科」を読んでの締めくくりとなりました。たぶん彼の案による「all for all」にも強いメッセージを感じ期待もしていたのですが、呆気なくテイクオフ出来ず瓦解崩壊。大丈夫?井出先生!でも熱い「上から目線」で反知性主義に抵抗するという本書の最終章は「希望」。『「進歩」が「第一の近代」を主導する理念であったとすれば、「第二の近代」を動かす理念として「希望」に注目が集まっているのかもしれません。』『希望という「ウォームハート」と社会科学という「クールヘッド」を結びつけること、これこそが本書のメッセージなのです。』いまをかえるための希望の希望を閉じたのが希望の党という皮肉。もっと読みたい考えたい「公」「共」「私」の新しい関係を。
-
Posted by ブクログ
自由民権運動の研究は1980年代の「民権百年」運動をピークに長らく停滞している(とあえて断言してしまう)が、本書はそうした停滞を打ち破る可能性を感じる労作である。戊辰戦争による近世身分社会の解体に起因する人びとの帰属不安や承認欲求を原動力とする社会変革運動とみなす視点は、明らかに今日の新自由主義下の社会混迷(高度成長期に形成された社会システムの崩壊、貧困・格差の拡大)を投影しているが(氷河期世代の著者の問題意識が垣間見える)、自由民権運動を把握する際にこれまでネックとなった「復古」的要素や「堕落」・「逸脱」と評されがちな事象をも正当に評価する意義を有している。秩父事件を運動の終点とし、大同団結運動以降の動向と切り離している点には異論もありえようが、自由民権運動を狭義の政治運動ではなく、近世近代移行期の社会流動による諸潮流の結節点とみる本書の視点に従えば当然の帰結であろう。
-
Posted by ブクログ
勤勉という美徳は、いつから貧しい者を責める道徳になったのだろう。
クーデターにも近い政変から始まった明治維新。政府は富国強兵を急ぐ一方、急激な社会変化への対策は後手に回った。富を蓄える者の陰で、農民や都市の貧民は困窮した。
そこで広まったのが「通俗道徳」である。勤勉、倹約、忍耐。努力すれば成功できる。裏返せば、貧しいのは本人の努力が足りないからだ。社会が生んだ格差まで、個人の責任へと置き換えられていった。
「頑張れば報われる」は美しい。だが、報われなかった人を責め始めたとき、その言葉は牙をむく。明治の生きづらさは、果たして過去のものだろうか。 -
Posted by ブクログ
「生きづらい明治社会」という題で、たしかに今よりもはるかに生きづらさはあっただろうとは思ったものの、令和の今にも共通する点もあり、150年経ってまた戻りつつある(あるいはずっと変わらない)のかと愕然としてしまうことも。
カネのない明治政府、現代の生活保護制度に通じるものの対象者が限られていた恤救規則、家に働かされる女性たち、日比谷焼き討ち事件などを起こし暴れる若い男性たち。いくつかの角度から明治時代の社会を切り取り、これらの点で現代と比較するとたしかに今よりも厳しい社会であったことが分かる。
一方で、明治の時代に浸透していた「がんばればかならず成功する」とする通俗道徳という考え方、裏返せば「成功していないのはがんばっていないからだ」とする自己責任論的な考え方は今の時代にも通じるところがある。それだけ今の社会(特に経済)に行き詰まり感があるということなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
著者がさまざまな機会に発表した論考などをまとめた本です。
学会発表に対する著者のコメントや、他者の著作の解説にあたる文章などが多く、歴史学を専門としない読者にとってはコンテクストが理解しづらいと感じるところもあります。とはいえ、日本近代史とともに史学史にも関心を向けつづけてきた著者らしく、過去の歴史学の方法を踏まえつつ、現在の研究の最前線において歴史学研究の方法にどのような変化が生じているのかということをていねいに論じているところもあり、興味を引かれるところもありました。
巻末に収められているのは、本書のタイトルにもなっている「歴史学は世界を変えることができるか」という論考で、抑圧からの解放を指し示すような役割を歴史学がどのようなしかたで果たしうるのかという問題をめぐる著者の考えかたが提出されています。著者は、歯医者の記憶を救済するというベンヤミンの歴史哲学の立場を、「学としての歴史学がなし得ることをこえていると思う」と批判しつつ、歴史学者としての「持ち場」において、抑圧からの解放のためにできることを考察しています。ベンヤミンの立場は、ブロッホのユートピア主義とは一線を画しており、著者のように単純なメシアニズムと解釈することは妥当なのかという点で多少の疑問は感じたものの、安丸良夫の通俗道徳批判や自由民権運動における解放幻想といった、具体的な歴史的事実のうちに問題を解決する道筋を見いだそうとする著者の議論は啓発的だと感じました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ歴史学者が論文の中で何をやっているかについて書かれた本。平易な文章で非常に分かりやすい。
また、個人の考えが重視される政治史、人々が規範として共通に持っていた考えを重視する社会史、そういった誰かの考えを離れて市場の動向とそれに対する諸反応を重要視する経済史、といった、歴史学の下位分野の違いも理解できた点では学びが多かった。
歴史学の論文からの引用が多く、もちろんそれぞれにはわかりやすく補足説明や解説が付与されているものの、論文の内容自体があまり興味が湧かないと多少読んでいて退屈さを感じるかもしれない。とはいえ、論文の書き方や資料(史料)の利用の仕方などは、歴史学に限らず人文学を学ぶ多くの人にとってためになる内容だと思う。