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Posted by ブクログ
本書は、明治社会がいかにして「通俗道徳(努力は報われるという信仰)」と「自己責任」の檻を築き上げてきたかを、緻密な史料批評を通して描き出している。
「病気にかからないのは、精神力があるからだ」 。明治の実業家・大倉喜八郎のこの言葉に対し、歴史学者である著者は「年中かぜをひいたり寝込んだりするので、うんざりしました」と漏らす。私もそう思う。
「からだが弱い人」と、「資本主義・小さな政府」の相性は最悪である。「体力」というリソースが制限されている者にとって、立身出世や自助努力を煽る社会は、偶然の不幸や身体の限界を「自己責任」として切り捨てる。そして、体力の有り余った「強者」が主導する構造が、支配者側に都合の悪い存在にしわ寄せを強いている……。
繰り返される歴史に、驚きと呆れを感じた。
また、興味深いのは、当時の貧困層の若者たちが、あえて貯蓄せず、あえて無茶をするという「対抗文化(カウンターカルチャー)」で抵抗した点だ。しかし、その熱狂も加齢(体力の低下?)とともに「どうせ変わらない」という虚無へと沈んでいく。この構造は、昭和の学生運動や、現代のSNSで過激な言説に走る人々の閉塞感とも地続きに見える。
だが、ここで無理に土俵に乗らないのも、ある種の生存戦略だと思う。そもそも、体力がない者は、限られた資源をどこに投下すべきか常に「最適配分」を考えざるをえない。その切実な工夫こそが、構造の欠陥を見抜くメタな思考パターンを育む。執着を捨て、システムから一歩身を引くことで、はじめて見える景色がある。
歴史を学び、長い時間軸で物事を眺めることは、「世の中のわけのわからなさ」と向き合うための「理屈」を豊かにするため。資本主義の暴走を食い止めるストッパーは、案外、「生きづらさを抱え、考えざるをえない人間」の視点にあるのかもしれない。
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