あらすじ
維新後、各地で生まれた民権結社。それは〈デモクラシー〉に夢を託した人びとの砦であった。新しい社会を自らの手で築く。その理想はなぜ挫折に終わったのか。旧来の秩序が解体してゆくなかで、生き残る道を模索する明治の民衆たち。苦闘の足跡が、いまの日本社会と重なって見えてくる。
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戊辰戦争が自由民権運動に大きな影響を与えているという見方は画期的だと感じた。自分は戦争の中身と終戦後の被害に目を向けがちだった。しかし、結果はどうであれ戦争が後の時代に与える影響は計り知れないものがあると実感した。今後は自由民権運動前後の出来事や人々の動きに注目していきたいと思う。
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○目次
はじめに
第1章:戊辰戦後デモクラシー
第2章:建白と結社
第3章:「私立国会」への道
第4章:与えられた舞台
第5章:暴力のゆくえ
終章:自由民権運動の終焉
おわりに
○感想
本書は、地方民会など近代の自治体制度史を専門とする作者が、自由民権運動というパンドラの箱を開け、研究史を整理した上で自由民権運動の特質を探った一冊である。
本書は、筆者が自由民権運動を戦後デモクラシーの一つと位置づけた三谷太一郎氏の研究を受けて、特質の考察がなされている。
戊辰戦争という内乱を経て、脱身分制社会を図る明治新政府の時代において、勝者・敗者の側でそれぞれポスト身分社会の模索が行われた。
興味深いのは、敗者の側の多くは時の権力中枢に迎合的になること、一方勝者の側ではその内部での主導権争いが起こり、その中の一つの流れが自由民権運動に繋がったとされる点である。
また、戊辰戦争の際に一時的にでも武士成を果たした周縁の民(博徒など)や農民など庶民の一部も、明治という新時代に自らの手で身分上昇を勝ち取ろうというグループもあり、彼らも自由民権運動の担い手となっていく。
要するに、自由民権運動とは、政府との間で行われたポスト身分社会をの主導権争いという側面、そしてポスト身分社会の時代での自ら再度武士成を果たそうとする身分上昇を目指す運動という側面、この異なる志向のグループが相互の思惑が一致して結び付いたものといえる。
自由民権運動の一派である愛国社系のグループが「私立国会論」にこだわるのも、政府との主導権争いだとすれぱ理解しやすい。
本書の最後には、自由民権運動の研究史のまとめがあるため、こちらも使い勝手がよい。ぜひ、本書の元ネタになった『岩波講座 日本歴史 近現代1』の松沢論文と合わせて読んで頂きたい。
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自由民権運動。なんとも響きのいい言葉。と思いきや、まったくのまやかし。身分制社会に代わる新しい社会制度として民主社会を求めた、まではよかったが、実際には戊辰戦争での功労者の地位を求めた運動だった。挫折して当然。
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「自由民権運動」は、学校で習うイメージで言えば、西南戦争の後に言論の力で戦い、議会開設という民主主義の果実を得たという、現代的な、崇高なもののように思える。とりわけ、昭和に入って戦争に突き進んだ歴史を闇とすれば光として描かれやすい歴史である。
しかし、実際はどうか。著者は、板垣・星といった運動エリートではなく、地方で展開された集会の議論をベースにこのような民権運動像を描き出す。そもそも著者は、民主化・近代化に果たした自由民権運動の役割をそれほど評価していない。あくまで、政府の必要というかなりドライな見方をする。そして、著者は、運動の中に先進的な思想ではなく、身分制度復活という復古理想的なものを取りだす。自由民権運動に関わった人々はごろつきであり、暴動を一つの手段として、経済的利益を求めたのである。
運動とは理想の元に一枚岩なのではなく、むしろ現世的な利害のもとでより多くの人をどう巻き込んでいくかにかかっていることを示す一冊。
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自由民権運動について全く詳しくなかったが、戊辰戦争で活躍した、これまで支配層ではなかった人たちが政治や支配層(という言い方が適切かわからないが)に「割りこむ運動」であった、というのは面白かった。
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自由民権運動の研究は1980年代の「民権百年」運動をピークに長らく停滞している(とあえて断言してしまう)が、本書はそうした停滞を打ち破る可能性を感じる労作である。戊辰戦争による近世身分社会の解体に起因する人びとの帰属不安や承認欲求を原動力とする社会変革運動とみなす視点は、明らかに今日の新自由主義下の社会混迷(高度成長期に形成された社会システムの崩壊、貧困・格差の拡大)を投影しているが(氷河期世代の著者の問題意識が垣間見える)、自由民権運動を把握する際にこれまでネックとなった「復古」的要素や「堕落」・「逸脱」と評されがちな事象をも正当に評価する意義を有している。秩父事件を運動の終点とし、大同団結運動以降の動向と切り離している点には異論もありえようが、自由民権運動を狭義の政治運動ではなく、近世近代移行期の社会流動による諸潮流の結節点とみる本書の視点に従えば当然の帰結であろう。
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<目次>
はじめに
第1章 戊辰戦後デモクラシー
第2章 建白と結社
第3章 「私立国会」への道
第4章 与えられた舞台
第5章 暴力の行方
終章 自由民権運動の終焉
<内容>
「おわりに」に著者が書くように、大変クールな自由民権運動の本。ただ教科書よりもリアルな話がうまく盛り込まれていて、読んでいて違和感を感じなかった。板垣退助や後藤象二郎の民権運動への目論見(「わりこむ運動」と表記)。博徒や下層民の民権運動への幻想(「終章」の最後に書かれた秋田県のエピソードが哀しい…)。江戸時代からわずか10年程度しかたっていない中、今の我々が考えるような「民主主義」が日本に根付いていたわけがなく、農民層は農民層の士族層は士族層の、淡い憧れから民権運動は動いていた感じがよくわかった。これを授業に組み込むのはなかなか難しいが、少しずつ反映させられたらいいかな?!