斉藤悦則のレビュー一覧
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日垣さんの古典塾の先月の御題。
よみ遅れてしまったが、読んでみたら、新しく知る事実が多い。
まず、マルサスが、フランス革命を批判的にみていた、イギリスのバークなどと同じグループだということ。あと、後半はゴドウィンという今ではほとんど知られていない理想主義の学者の批判であること。
その他、おもしろい指摘
(1)人口はなんの抑制もなければ等比級数的に増加する。一方、人間の生活物資の増え方は等差級数的である。(p33)
これしか、マルサスの文章は知らなかった。マクロでいえば、科学技術による農産物の増産、新しい農地の開墾などによって、人口は増加してきたが、ミクロでいえば、農家の次男 -
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(AI壁打ちまとめ)
ミル『自由論』の論理展開の総整理
ミルの議論は、究極的には**「個性」の発展を通じた社会全体の幸福(功利)の最大化を目指すものであり、そのために「自由」**が不可欠であると論じられます。
1. 核心原則:他者危害の原則(Harm Principle)
出発点は、社会が個人に干渉できる唯一の正当な根拠を定めることです。
* 定義: 個人の行動が他者に危害(harm)を加えるのを防ぐ目的を持つ場合にのみ、社会(国家や世論)は干渉することが許される。
* 結論: この原則の裏返しとして、他者に迷惑をかけない限り、人は完全に自由であるべきである。
2. 自由の固有の領域(私的 -
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18世紀(1763年)の本。
主にキリスト教の宗派間の血みどろの闘争を諌め、寛容を説く内容。
発端は、ジャン・カラス事件における大誤審。最終的には冤罪と認定され、名誉回復されるのだが、死刑執行後ではほぼ意味がない。
ヴォルテールは延々と狂信の悪例をこれでもかと挙げていく。その一方で、イエス・キリストへの敬愛は揺るがない。
八百万の神の国に住むものとしては、この世に一神教が無ければ、人類はもっと幸せに暮らせているだろうと思ってしまう。イエス・キリストに救われた人もまた無数にいるだろうけれど。
「賢者ナータン」と同じくらい、一神教の信徒に読んで欲しい。
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1798年に,匿名で本書が刊行された。現代では「マルサスの罠」として有名な主張が記されている。その考え方は,のちに産業革命期においてマルサス主義として流布することになる。
マルサスの思想は,経済学のうえでは,人間理性の啓蒙による理想社会の実現を主張するウィリアム・ゴドウィンやニコラ・ド・コンドルセへの批判とも位置づけられる。これはフランス革命と付随する思想に対する懸念ともとれる。
で,肝心の本文はというと,話がとっ散らかっていて,考察のない出来の悪いレポートを長々読まされているようで苦痛であった。全体的な印象はビジネス書に近い。
経済学を考える上で重要な,本書の議題についていくつか整理し -
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ネタバレ古典派経済学を代表するイギリスの経済学者マルサスが著した本。
一般的に「マルサス主義」といわれる法則は大雑把にいえば『人口は、何の抑制もなければ、等比級数的に増加する。生活物資は等差級数的にしか増加しない』という一文にまとめられる。
豊かさこそ人口増加を引き起こす原因だと仮定し、貧民を適当に飢えさせることが長期的な社会の安定につながるとしたマルサスの論は現代において痛烈な批判の対象になりえる、しかし、それでもこの論が100年以上生き残ってきたのは他人と自分に優劣をつけ自らの優等性を確認し続けたいという人間の本性を捉えているからではないだろうか。 -
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これは何だろう。議論が荒すぎてビックリ。
加えて、300ページ弱の紙面を費やしてこれか。
改良の余地があることと、無限に改良できることは違う、という命題の説明が9章で議論されていて、その命題自体の真偽はマルサスの言う通りだと思う。
(例えば、人間の平均身長はまだまだ伸びるだろうけど、火星までは届かない、といったレベルの話。非常に単純で、分かりやすい。)
他の章はともかく、この9章の内容はそれだけ分かりやすい内容であるだけに、筆者の議論の運び方、展開の仕方に目が集まる。
だが、たったこれだけのことにどれだけ似たような話を挙げて、先人を批判すればいいのか。自己擁護と他者攻撃が過剰すぎる。正直よく -
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ネタバレ「人口は、何の抑制もしなければ等比級数的に増加するが、食料は等差級数的にしか増えない。」で有名な本です。人口と食糧の増加率の不均衡、つまり人口過剰は、貧困と悪徳(疫病や戦争等)によって均衡される、よって貧困は資本主義の欠陥などではなく、自然法則から発生するものであり不可避であるとしています。終章では、人口の原理は人々を苦しめるが、それはキリスト教的神による創造のプロセスにおいて必要な悪の成分の一つであるとしています。悪が存在するのは、絶望するためでなく行動するためで、我々は耐え忍ぶのではなくそれを無くすために努力することが神の意志の実現につながると結んでいます。
キリスト教ではない私には、神の