斉藤悦則のレビュー一覧
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18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールの哲学的小説。波乱万丈の冒険譚を通じて「最善説」に疑問を投げかける。
何やら哲学がテーマになっているというのでどんな小難しい話が出てくるのかと思ったら、冒頭からたたみかけるような災難・悲劇・試練のオンパレードで引き込まれた。息もつかせぬスピード感で波乱万丈の大冒険を繰り広げる主人公。彼はただ運命に翻弄されているだけにみえて、その胸には常に「恩師の教え『すべては最善である』は本当か?」という命題がつきまとっている。この「最善説」という考え方は、本書に反発したルソーのように色々な解釈ができ、多くの人を議論に巻き込んでしまう魔力のようなものがあるように思える。この物 -
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面白かった。純粋で真面目で師匠の説く最善説をひたすら信奉するカンディード。苦難の旅で信じるものが揺らいでゆき、第二十三章では「この世界はいったい何なんだ」と悩むカンディード。第二十九章礼を尽くしてきた身分の高い恋人の兄を面と向かってとうとう「バカ殿」呼ばわりするカンディード(ここは笑いました)。人間について生きることについて現代でも解決できない同じことを、ずっと昔から人は悩み苦しんできたらしい。「リスボン大震災に寄せる詩」は素晴らしかった。よくも自分はカンディードとこれを読まずに今まで人生に悩んでこられたなと思う。詳しい解説がまた素晴らしく、目を開かされた思い。
パングロス先生を私は滑稽とは思 -
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自由論 J・S・ミル
自由論の金字塔であり、新型コロナにおける自粛“要請”を取り巻く環境で、今一度見直されるべき名著。
自由論の主張は、P29にある。
「人間が個人としてであれ集団としてであれ、他の人間の行動の自由に干渉することが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるである。文明社会ではあ、相手の意に反する力の行使が正当化されるのは、他のひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる」
本書では、この原理について、様々な領域で、考えられる反論に対して、その原理の重要性を述べる形で論の展開が進む。そして、この自由ということについては、ある種の大衆社会への警鐘でもある。自由を阻害 -
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「考えの違う人に対して、怒ることなく、寛容でいる」。当たり前といえば当たり前だけども、私にとっても、この本が書かれた当時のフランスの人たちにとっても、実践は難しかったらしい。
まず、本を読んで驚いたのはキリスト教の教派間で殺人や迫害が公然と行われてきた歴史があったこと。そして、その理由がまさに教派が違うからというものであったこと。本書の書かれた時代のフランスでは、カトリックがプロテスタントやユグノーといった少数派の教派を迫害していたらしい。そうした歴史を述べながら、「それに対して、筆者がそれを戒め、寛容という人徳を持つことを勧めるという流れで構成されていました。
雑にまとめると、最初の言葉 -
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ここ最近も「あいちトリエンナーレ」の問題や、川崎のヘイト・スピーチ規制条例をめぐる問題などで、何かと話題に上る「表現の自由」。中学校のときに公民の教科書で教わるが、改めてちゃんと学んでみようと思い、そのことについて触れた重要な古典である本作を手に取ってみた。読んでみると飜訳の妙もあるのか全体的に予想していたよりもわかりやすく、とても勉強になった。ただ、内容については同意できない部分もある。本作が発表されてからだけでも2世紀以上が経過し、現在われわれは自由権というものが当たり前のように定着している世の中に住んでおり、たとえば「公共の福祉」などを理由に、自由が制限される場合についても十分に理解して
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1763年ヴォルテールによって著された『寛容論』
ある一家に起こった事件に対して憤慨し、
その要因である宗教団体の「不寛容」な振る舞いに対して、ローマや聖書などの歴史から引用し、「寛容」でないことを弾劾した書。
そこに日本の事柄も出てくる。
日本人は全人類のうちでもっとも寛容な国民であると。
そこにイエズス会の宣教師がやってきて信仰を広めるのだが、
「島原の乱」として有名なキリスト教徒のあの大静粛は、実はこのイエズス会が自分たち以外の宗教を認めたがらないことが原因だとヴォルテールは言う。
つまり不寛容だと。
同様に同じロジックによって、
ローマを題材などにして、
寛容によってではなく、 -
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こんなにも笑える古典は初めてだ。
たっぷりといたずらな皮肉が効いている。
不幸の域値を越えて爆笑となる。
だが中盤、あまりにも悲惨なので笑えなくなってくる。
だが、終盤はもはやめちゃくちゃで哲学コントと言われるのもよくわかる。
だが、ヴォルテールは至って本気でこれを書いているのだろう。
本書を通じて一貫してあるテーマは、
「人が生きるということは、善なのかそれとも悪なのか?」
という人や人生の本質への問い。
実は、ヴォルテールはルソーから批判の手紙を受け取っていた。
「君の考えには人間の原始状態への考察への配慮が足らないよ」と。
この『ガンディード』は、そのルソーへの暗黙の返答 -
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1789年にイギリスで刊行されたマルサスが著した古典『人口論』
人間の人口と食糧の関係性を法則として明確に提示した書物だ。
「人口は等比級数的に増え、食糧は等差級数的に増える」とマルサスは論ずる。
つまり人口はかけ算で増え、食糧は足し算的にしか増えないということ。
その前提にあるのは、
1つは、食糧は人間の生存にとって不可欠であること。
2つ目は、男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も存続すること。
そして
こう結論づける。
人口の増加は食糧によって必然的に制限される。
食糧が増加すれば、人口は必ず増加する。
そして、人口増加の大きな力を抑制し、実際の人口を食糧と同じレベ -
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物事の本質を見抜く目を養うのに格好の書。
1734年にヴォルテールが著したこの『哲学書簡』は、すぐさま発禁にされた。
あらゆることに批判的な眼をもつことで、物事の本質を突き、自分の頭で考えることの大切さが表わされた書だ。
時流ではなく本質的な観点から、自国フランスに関係する愚行も批判している。
パスカルの「パンセ」に対する批判も素晴らしい。
権威を鵜呑みにせず、かといって素晴らしいことは素晴らしいと認めつつ、極めて理路整然と合理的に批判を行う点だ。
例えば、
パスカルは言う。
人は知性が豊かになるほど、世の中で個性的な人間をますますたくさん見つけるようになる、
と。
だがヴォルテー -
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「最善説」についての是非。世界は最善にできているのか、できるいるとしたら、不幸な人はなぜいるのか。個人のせいなの?悪いことをしたから。全体としての善。主人公カンディードが遭遇する様々な出来ことを通し、隣人と対話しながら、考えていく物語。頭でごちゃごちゃ理論を考えるでなく、目の前にある畑を耕そうというラストシーンがプラグマティックな印象を受けた。ドイツの観念論、フランスの構造主義、イギリスの経験論、アメリカの分析哲学、プラグマティズム。これらのもとになっているような、なっていないような。啓蒙の時代の17、18世紀であり、近代合理主義というか科学発展の時代の始まりに書かれた本で、現代のように、高度
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1700年代に書かれた内容を、普通に今の時代に日本語で
読めるということがとても奇跡的に幸せなことだと
思いました。また、やはり200~300年前から
読み継がれているという古典のパワーというものを
感じました。
18世紀以前のヨーロッパ、フランスでの宗教対立から
くる虐殺や殺戮、宗教のなのもとでの不寛容な事象が
多く発生していころの内容で。。。
宗教史をあまりわかっていない私にとっては、本来
理解しがたい内容や文章になっているはずのところを
新訳ということで、非常にわかりやすく理解しやすい
内容で書かれてあり感動ものです。
また200年以上も前のことなのに、今の世界や日本で
起こっている、 -
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読みたかった。JSミルの自由論が新訳で読みやすく
なって、文庫本で読めるということが、少し衝撃的な
ことではないかと思います。
自由に関しての考察と、現代にも通用する論理とその
論理展開における思考の流れが読んでいて非常に
気持ちのいいものでした。
自由に対する社会政治的、哲学思想的、慣習的、道徳的
それぞれにおける切り口においてのある意味
考えつくされているバイブルのようなものであるような
きがします。
公私の区分の原理に結びついた思想と言論の自由によって、
世論=多数派の専制を抑止し、多様性を持った民主主義を
成熟させることの有用性を再認識させられる内容です。 -
Posted by ブクログ
普段、ニュースに現れるものは事故や事件、災害など人々におこる不幸である。
というよりも、そういうものこそがニュースになるという面がある。
起こりうる「災害」や「不幸」を、その理不尽さをどのようにとらえるべきなのか。「カンディード」はまさにその「不幸」を引き起こすもの、つまりはこの世界を創り出した「創造主」に対する抗議、皮肉である。この世界は全能の「神」である創造主が創りだしのだから、間違いなど無い、「全て最善」である。毎日報道され、存在する無数の「事件」や「事故」も最善なのだとしたら、「そんなことはない」と反発を覚えるのではないだろうか。私は最初にそう感じた。ヴォルテールが本書で言いたかったこ