【感想・ネタバレ】自由論のレビュー

あらすじ

本当の「自由」とはなにか、考えたことはありますか? 個人の自由への干渉はどこまでゆるされるのか。反対意見はなぜ尊重されなければならないのか。なぜ「変わった人間」になるのが望ましいのか。市民社会における個人の自由について根源的に考察し、その重要さを説いたイギリス経験論の白眉。哲学を普通の言葉で語った新訳決定版! 現代人が必ず読むべき、今もっともラディカルな書。

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Posted by ブクログ

自由を最大限保証することの効用とそれでも自由を制限せざるを得ない場合について具体的な事例をあげつつ考えていく。人や社会は、他人の自由を思わず知らず不当に制限してしまいがちなもので、その事例が「あるある」的に、シニカルかつユーモラスに、それでいて大真面目に描かれていく。名文・名言と言いたくなるようなフレーズに満ちており、読んでいて気持ちがいい。

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2025年06月20日

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ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806年5月20日 - 1873年5月8日)は,功利主義を代表するイギリスの哲学者である。ミルの『自由論』は,功利主義の原則を社会と国家に適用したものであり,国家の権力が個人の自由を妨げることが正当化されるのは,他者に実害を与える場合に限定されるべきで,それ以外の個人的行為は必ず保障されるべきだと論じた。また,参政権の拡大をもたらしていた民主主義の政治制度について,大衆による多数派の専制をもたらす危険性があることを警戒していた。

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2025年03月25日

Posted by ブクログ

アマプラで無料やったんで読んだ。

社会はなぜ、人々に自由を与えた方が良いのか、について、色々場合分けしながら主張している。
自分の主張に対して自分で反論し、その反論にさらに自分で反論することによって説得力を出していた。

今では当たり前の自由主義だが、それもおそらくこの本が書かれる少し前ぐらいから、徐々に民衆に信じられてきた一つの宗教なんだなーと感じて面白かった。

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2021年11月29日

Posted by ブクログ

自由論 J・S・ミル

自由論の金字塔であり、新型コロナにおける自粛“要請”を取り巻く環境で、今一度見直されるべき名著。
自由論の主張は、P29にある。
「人間が個人としてであれ集団としてであれ、他の人間の行動の自由に干渉することが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるである。文明社会ではあ、相手の意に反する力の行使が正当化されるのは、他のひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる」
本書では、この原理について、様々な領域で、考えられる反論に対して、その原理の重要性を述べる形で論の展開が進む。そして、この自由ということについては、ある種の大衆社会への警鐘でもある。自由を阻害する、行動の自由に干渉するということにおいて、国家などによる暴力的な抑制と同等に、世間による干渉も同じレベルで制限されるべきと考えられている。トクヴィルの著作についても言及しながら、世論による自由の制限についても、その暴力性を指摘しているのである。ここに、アリストクラシー的な世界からデモクラシーに転換する時代の真っただ中において、天才であるミルが多数者の圧政に対してのアンチテーゼを展開した書ともいえるであろう。
徹底的に自分で考えにぬき、そして、想定できる反論に対して、一つずつ丁寧に抗弁するミルの筆致や文章のスタイルもまた好感を持つことができた。
全体として、自由が制限されるべきではないということの論拠は、個人的にはリスクヘッジと真理への渇望であるように思えた。ミルは、真理というものを考えたとき、その時代の多数者が必ずしも真理であるとは考えない。悠久の歴史の中で、その時代に信じられていることは、後世から見れば誤っていたということが多々あることを指摘し、真理への到達のためには、自由な意見の発揚と、徹底的な議論の必要性を説く。少数派の意見を抑圧することは、もし仮にその意見が正しかった場合の社会全体の損失の大きさを考えた場合に、理屈が通らないことを主張する。多様性はリスクヘッジのために必要なのである。よく例として挙げられる働きアリの例があるが。アリの集団では、いくらかの働かないアリがおり、隊列にも参加しない。しかし、そのアリは、いざ自分たちの群れの巣がなくなったときに真っ先に新しい巣を見つけ出してくる。働かないアリを無理やり働かせていると、巣がなくなったときに文字通り全滅してしまうが、それを防ぐためにリスクヘッジとして異なる行動様式を取らせているともかんがえられる。
ミルの論拠もこれに少し似ている。どんな人間に対しても、そして、その人間がいくら現代的な視点で見て、常識とは異なる生き方をしていたとしても、その人が他人に迷惑をかけない限り、その行動を批判することは許されない。彼/彼女を批判し、行動を抑え込むことは、道徳的な観点というよりも、その社会にとって不利益であるからである。彼/彼女らが、実は現代の常識では考えもつかない真理に近づいているかもしれない。そうしたときに、彼/彼女の意見を抑圧することは、未来に対して不誠実ともいえる行動であり、社会という寿命の長い生き物が生き延びるためには、あってはならない行動なのであろう。
これは現代に対しても非常に示唆がある。多様性は、短期的には統率を取ることに対して、障壁となる。しかしながら、長い時間軸で考えたときに、多様性はその組織のレジリエンスを向上させるのである。同質性の高い組織は、その時は一枚岩で強いが、長い時間の中では淘汰されてしまう。そして、その多様性を担保するのが自由に関するこの原理なのである。
一方で、ミルは社会に対する不利益を決して許さない。例えば、P44で「正邪はともかく、暴君殺しは殺人の範疇ではなく、内乱の範疇にあるものである」と述べている。暴君は社会に対して不利益をもたらす個人である。そして、その個人を殺すことは、殺人ではなく、社会による反発であるということである。この文章を読んで、カントロヴィッチの『王の二つの身体』を想起した。近世において、反逆罪の罪人に対して、身体の限界を超えた残虐な処罰がなされたことについて、王の身体に二元性を指摘して、説明がなされていたと記憶しているが、反逆罪は、王の生物的な身体ではなく、政治的な身体への攻撃であり、その報告であるがゆえに、生物的な次元での刑罰(人が死んだら終わり)ではなく、政治的なレベルでの象徴的な刑罰を行っていたというものである。カントロヴィッチの論を引くと、暴君を殺すことは、政治的な身体への攻撃である。仮に君主が暴君であり、社会という巨大な生命体に対しての反逆を働いた場合、それに対して報復することは、身体的な次元での殺人ではなく、政治的な次元での内乱になるということなのだろう。
ミルはやはり、社会というもの、ルソーの言う一般意志のようなもの絶対性や歴史的な責任を念頭に置いているように思える。長いスパンで時間軸を持ち、人間社会という次元での便益を徹底的に追求した思想家の爪痕が、本書には刻まれているのであった。

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2021年04月19日

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ここ最近も「あいちトリエンナーレ」の問題や、川崎のヘイト・スピーチ規制条例をめぐる問題などで、何かと話題に上る「表現の自由」。中学校のときに公民の教科書で教わるが、改めてちゃんと学んでみようと思い、そのことについて触れた重要な古典である本作を手に取ってみた。読んでみると飜訳の妙もあるのか全体的に予想していたよりもわかりやすく、とても勉強になった。ただ、内容については同意できない部分もある。本作が発表されてからだけでも2世紀以上が経過し、現在われわれは自由権というものが当たり前のように定着している世の中に住んでおり、たとえば「公共の福祉」などを理由に、自由が制限される場合についても十分に理解している。ただ、本作が執筆された当時はまだ議論が不十分なせいか、どうも内容に理想論的、原理主義的な部分が散見される。そりゃたしかに自由権は極力制限されないことがベストなのだろうが、本作の内容を現代で忠実に実践したら、おそらく社会はたちまち混乱に陥ってしまうだろう。また、もうひとつの同意できない部分として、これも時代柄仕方がないことなのだろうが、どうもキリスト教を絶対視するような価値観が眼につく。自由をめぐる議論のスタートとして、キリスト教も仏教もイスラーム教も、そのほかのマイナーな宗教もすべて同一線上にあるというところを大前提にしないといけないので、その部分にかんしては明確に間違っていると言っておきたい。とはいえ、現代社会におけるあらゆる自由は本書を含む偉大な先達の議論がもとになっており、この感想を書けることじたいも表現の自由のおかげといえる。そういう意味でも、全人類にとって必読の書であると言っても過言ではないだろう。

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2019年12月17日

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こんなに読みやすい哲学書は初めて!というくらい読みやすかったし、ミルの時代は尖った意見だったかもしれないか、今の時代に求められてることも書かれており、必読だと。

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2016年12月08日

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読みたかった。JSミルの自由論が新訳で読みやすく
なって、文庫本で読めるということが、少し衝撃的な
ことではないかと思います。
自由に関しての考察と、現代にも通用する論理とその
論理展開における思考の流れが読んでいて非常に
気持ちのいいものでした。
自由に対する社会政治的、哲学思想的、慣習的、道徳的
それぞれにおける切り口においてのある意味
考えつくされているバイブルのようなものであるような
きがします。
公私の区分の原理に結びついた思想と言論の自由によって、
世論=多数派の専制を抑止し、多様性を持った民主主義を
成熟させることの有用性を再認識させられる内容です。

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2016年08月28日

Posted by ブクログ

J.S.ミルの自由論は,学生時代からHarm Principleとの関係で注目して読んでましたが,岩波文庫の訳がなかなか読みにくくて文意がとれないところもありました。この新訳は,長々としたミルの文章を適宜分説するなどして読みやすく翻訳してあり,非常に新鮮な感じを受けました。ミルの大胆だけれども,いちいち頷かされる思想に存分に触れることができます。

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2015年12月19日

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宗教(主にキリスト教)の知識がほとんど無いので、そこについての記述はある程度割り切って流してしまったが、社会と個人という関係性についての名著であることに間違いはない。原著、岩波文庫版等を読んでいないのでどこまで”意訳”なのかが定かではないが、光文社古典新訳文庫の訳はとてもわかりやすく、かつメモしておきたくなるフレーズが非常に多い。

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2014年12月18日

Posted by ブクログ

ヘイトスピーチは言論の自由か?。それだけではないが自由についての古典を読まねばと手にとった。意外と具体例を挙げなから自由を述べているので、想像しやすい。また、文体はも平易。今、気になっている言論の自由についても一章が設けられている。自由について考察するときまずは読むべき一冊だと思う。(もっと早く読むべきだったかも)

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2014年03月19日

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原題 On Liberty 1859年発行

世界史の教科書ではベンサムの次の典型的な「功利主義者」(お父さんがベンサムの盟友らしい)だが、著作はまったく読んだことがなかったので読んでみた。

自分自身はリバタリアンだと思っているので、「元祖はこの人か」と感心する記述が満載だ。

異論反論を言う言論の自由の重要性を主張するにあたり、攻撃の対象となる言説が間違っている場合に異論反論が価値があるのは当然として、正しい場合であっても、異論に耐えるプロセスを経ることで質が上がるため、歓迎すべきである、という説明は説得的だ。

女性の権利に関しても、当時としては相当進歩的と思われる主張(男性と全く同じ権利を認めるべき)をしていて驚いた。(妻がハリエット・テイラーというフェミニスト)


自由に関する二つの公理
P229
さて、二つの公理とは、つぎのようなものである。
第一に、個人は、自分の行動が自分以外の誰の利害にも関係しないかぎり、社会にたいして責任を負わない。他のひとびとは自分たちにとって良いことだと思えば、彼にむかって忠告したり教え諭したり説得したり、さらには敬遠したりすることができる。彼の行動に嫌悪や非難を表明したくても、社会はこれ以外の方法を用いてはならない。
第二に、個人は、他のひとびとの利益を損なうような行動をとったならば、社会にたいして責任を負う。そして、社会を守るためには社会による制裁か、もしくは法による制裁が必要と社会が判断すれば、その人はどちらかの制裁を受けることになる。

P275
国家の価値とは、究極のところ、それを構成する一人一人の人間の価値にほかならない。だから、一人一人の人間が知的に成長することの利益を後回しにして、此細な業務における事務のスキルを、ほんの少し向上させること、あるいは、それなりに仕事をしているように見えることを優先する、そんな国家には未来がない。たとえ国民の幸福が目的だといっても、国民をもっと扱いやすい道具にしたてるために、一人一人を萎縮させてしまう国家は、やがて思い知るだろう。小さな人間には、けっして大きなことなどできるはずがないということを。すべてを犠牲にして国家のメカニズムを完成させても、それは結局なんの役にも立つまい。そういう国家は、マシーンが円滑に動くようにするために、一人一人の人間の活力を消し去ろうとするが、それは国家の活力そのものも失わせてしまうのである。

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2025年08月09日

Posted by ブクログ

この本を読んで、私は、驚かされた。
何故なら、今の日本社会が悩まされている事に対して、200年前のイギリスのミルが同じ事で、頭を抱えていたからである。

そして、彼の思想は、現代日本社会においても、通用する内容であり、彼の先進性が伺える。人間というのは、いつの時代でも、普遍的な者であると思わされた。

人間は、自由である。他者に危害を加えない限りは、抑圧してはならないという考え方は、これからの人間関係において意識をしておきたい。

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

学生時代に勉強のために読んだ本
新訳で再読

少数派の思想の中に真実の一部が含まれているかもしれない
規制するのではなく意見を戦わせることで真理はより一層の真理に近づく

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2024年11月02日

Posted by ブクログ

「正当な理由なしに他人に害を与える行為は、いかなる種類のものであろうとも、周囲の人々の不快感によって、さらには周囲の人々の積極的な干渉によって、抑制されることが許される。
もっと重大な場合には、その抑制は絶対に必要である」(P137)

現在、リアリティ番組「テラスハウス」に出演していた木村花さんの死の原因がSNSによる誹謗中傷であるとして世間を騒がせている。
自民党の三原じゅん子議員が座長として、自民党政務調査会にインターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策PTが立ち上がり、法整備が検討されているが、詳細は発表されておらず、三原議員がTwitterで明らかに偏向的な発言に賛同するような考えを示しており、早速先行きが懸念されている。

他国の例では、イギリスでは日本と同じくリアリティ番組出演者の自殺が相次ぎ、法律制定についての署名活動が起こり、ドイツ、フランスではSNS事業者に対して脅迫や攻撃的な内容を含む投稿は24時間以内の削除を義務付ける法律が制定されている。
削除の基準は民間の事業者にゆだねられており、今後議論の余地がある状況である。

意見、批判、誹謗中傷の定義は難しい。
個人的には、人格・容姿など生来持って生まれたもの、後天的に自分と切り離せないことを死や侮辱的な言葉を用いて過度に否定することは誹謗中傷といえると考える。
意見・批判は、言葉や行動に対して事実や経緯とともに語られており、第3者がその意見、批判に対して、ある程度納得できるものである。
どちらにも、感情は含まれると思うがあくまでも常識的な範囲で事実に基づいて発せられたものであるか、第3者がその意見、批判に至った経緯を把握した時に、納得できるものであるかそうでないかという違いが意見・批判と誹謗中傷にはあると思う。

ミルは「議論における中傷」について、表現の自由の限界としてこう語っている。
「真理と正義のためには、支配的な意見の側にこそ、相手を中傷非難する表現を控えさせることが重要なのである」(P133)
先の自民党議員にはインターネットよりまず現実での国会ヤジをどうにかすることも考慮して頂きたいところである。

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2020年05月30日

Posted by ブクログ

訳が素晴らしく読みやすかった。
簡単な言葉で書かれているが立ち止まり考えてしまう本だった。
今読んでも全然古くなく現代でも当てはまることばかりで驚いた。

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2016年04月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

だいぶ昔の本なのと、時代背景が
禁酒法があった時代のときなので、
相当自由が狭められている、
というのを理解して読まないとつらいかも。

それと一部分に
矛盾するのでは?
という部分も見受けられます。

ですが、この本は昔の本ですが、
批判している部分は、
今でこそいかして欲しいものだと思います。
特にネットという時代があって
誰しもが情報を発信できる時代ならば。

そして、自分を持つことって
こういう本を読むと、大事だなと感じました。

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2014年05月29日

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(AI壁打ちまとめ)
ミル『自由論』の論理展開の総整理
ミルの議論は、究極的には**「個性」の発展を通じた社会全体の幸福(功利)の最大化を目指すものであり、そのために「自由」**が不可欠であると論じられます。
1. 核心原則:他者危害の原則(Harm Principle)
出発点は、社会が個人に干渉できる唯一の正当な根拠を定めることです。
* 定義: 個人の行動が他者に危害(harm)を加えるのを防ぐ目的を持つ場合にのみ、社会(国家や世論)は干渉することが許される。
* 結論: この原則の裏返しとして、他者に迷惑をかけない限り、人は完全に自由であるべきである。
2. 自由の固有の領域(私的領域)
他者危害の原則によって守られる、個人の絶対的な自由が認められる領域です。ミルはこれを3種類に分類しました。
* ① 内面における良心の自由
* 具体的な内容と役割:思想、感情、意見を持つ自由。人間の能力の源泉。
* 他者危害の原則との関係:完全に「自己にのみ関わる」ため、絶対的に不可侵。
* ② 人生設計の自由
* 具体的な内容と役割:自分の性格、嗜好に基づき、生き方や生活計画を自由に選択・実行する自由。
* 他者危害の原則との関係:行動は他者に影響を与えるが、他者が自由かつ自発的に同意し、関与しているなら保護される。
* ③ 団結の自由
* 具体的な内容と役割:他者に危害を与えない限り、個人同士が自由に集まり、結社を組む自由(家族、友人関係など)。
* 他者危害の原則との関係:他者危害を防ぐという条件のもとで、原則的に保護される。
3. 個性の重要性(自由を擁護する究極的根拠)
「なぜ自由が必要なのか?」という問いへの答えが「個性」です。ミルにとって、個性は自由の究極的な功利(幸福)的価値です。
* 個性の定義: 習慣や世論に流されず、自ら判断し、自ら選択し、自らの能力を最大限に発達させるプロセス。
* 役割:
* 個人の幸福:個性がなければ、人間は理性的な能力を発揮できず、真の幸福を得られない。
* 社会の進歩:個性的な少数意見こそが、社会の誤りを正し、新しい真実や生き方を発見する原動力となる。個性を圧殺することは、社会の停滞を意味する。
4. 現代的課題:境界線の曖昧さと「危害」の性質
ミルの原則を現代の複雑な社会に適用する際の主要な論点です。
* 家庭内での自由の衝突
* 適用される原則と論点:原則として、①信仰は自由だが、②行為は他者危害の原則と責任が伴う。
* 結論:妻の負担(危害)を伴う夫の信仰活動は、夫の絶対的な自由とは言えない。夫の自由は、妻の自由と権利を防衛するために調整・制限されるべきである。
* SNSと自由
* 適用される原則と論点:原則として、言論の自由(①)は最大化されたが、他者危害の原則が試されている。
* 結論:ネット上の誹謗中傷は、精神的・名誉的な**「危害」として扱われるべき。SNSは「世論の専制」**を加速させ、個性を萎縮させる脅威となっている。
この論理展開を通じて、ミルは**「個性」という進歩の源泉を守るために、「他者危害の原則」**という強力な防壁を設けたと言えます。

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2025年09月29日

Posted by ブクログ

19世紀イギリスを代表する哲学者・経済学者ミルの代表作。ミルといえば、功利主義の穏健派という印象。この『自由論』では、個人の才能を十分に発揮させるべく、言論や経済などの自由主義が主張されているが、功利主義については一切触れていない。とくに印象に残ったところが、「思想と言論の自由」の項目。世間で認められている意見こそが真理だと盲目的になった時点で、人は排他的になり、成長が止まり、その意見の意味自体にも無関心になる。だからこそ対立した意見との議論が必要だというところは、身につまされる思いであった。

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2021年09月09日

Posted by ブクログ

20数年ぶりに再読。新訳のおかげで当時よりはるかに読みやすい。今読むと教科書的な説教臭さが若干鼻につくが、やはり自分の軸の一つとして揺るがせに出来ない一冊だ。

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2016年01月02日

Posted by ブクログ

「自分の意見をもつ自由、その意見を率直に表明する自由、それは人間にとって絶対に必要なものである」19世紀の哲学者。個人の絶対的な自由の保障こそが、国家の活力につながる、として、思想の自由や自由さによって生み出される幸福、社会がどんな場合に自由を抑制してもいいかを考察している。平均的な人間ばかりを集めた大衆世論の専制を述べた第三章がよかった。

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2013年06月30日

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