沼野恭子のレビュー一覧
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古い作品だと侮っていたことが大間違いだった。この時代の、さらに日本人ではない国の人々が初恋と言う様々な作家が描くことを試みた永遠のテーマをどのように描いているのかということに興味を持って読み始めた。しかしそこに文化的、時代的違いによって分断されるような異なりはなく、自分も全く似たようなことを考えたり行っていたりしたと恥ずかしい記憶を思い起こさせるような記述が多くあった。相手を好きと思うことをただ「好きだと感じた」などと記述するのではなく、その気持ちをどのような行動に置き換え消費しているのかを細かく記していたことが、その共通点を生む大きな由来だと考える。少年の恥ずかしい、しかし楽しいそして苦しい大切な相手を思う気持ちと行動は、当時の自分を見ているかのようでとても応援したくなった。その分その後に起こる悲劇を見たときは、半分ほどあらすじを見ていた時点で分かっていたものの、胸を貫かれる思いであった。さらに注目すべき点は、残り数ページ辺りで描かれるこの作者の青春の定義である。ただロマンスを描くのではなく、青春とは一体何なのかを描くことによって、物語の少年、そして読者が追体験したあの出来事は過ぎ去った人生におけるもっとも素晴らしい、そしてもう戻ることのできない過去の事であると認識できだのであった。同時に、人生におけるもっとも愚鈍になりしかし素晴らしい全能感を味わい行動に移す気力や体力のある青春時代とはなんてかないものなのかと哀しくなった。
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ネタバレ初恋のお話。過去の物語を語っていく感じかな。主人公が、ジナイーダに一目惚れしていて、可愛いなって思ったなあ。彼女の一挙一動に思いを巡らせてた。彼女に弄ばれても許してしまう感じだよね。最後に心に残ったシーンはおばあちゃんが亡くなるシーン。ばあちゃんは貧乏な暮らしで、死ぬ前まで見窄らしい生活をしてて、主人公は、可哀想だと。死ぬのが救済だと思っていたけど、おばあちゃんが死ぬとき彼女は辛そうだったと。その時に恐ろしくなった。禁断の恋に悩まされていたウラジーミルの父とジナイーダは亡くなったからだ。そして自分もいつか死ぬと。彼は祈りを捧げずにはいられなかった。父に、ジナイーダに、そして自分自身に。
物語の終わりがこの締め方で私個人的には凄く良かった。 -
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ネタバレ主人公の別荘の隣に越してきた貧しい公爵夫人一家の娘のジナイーダに一目惚れし、失恋する物語。
ジナイーダの周りには常に男がおり、常連として軍人、伯爵、医者、詩人を侍らせ、夜毎にくだらないどんちゃん騒ぎをしていた。主人公もその常連に加わるのだが、次第にジナイーダが恋をしている人物がいることに気付く。その相手が自分の父であることをひょんなことから知り、理解できないながらも本当の恋や愛に触れたように思う。でも、それが元で父は身を滅ぼし、ジナイーダにもすれ違いから再会せずに相手の死を知る。知らぬ老婆を看取りながら物語は幕を閉じる。
個々の描写が素晴らしく、心情に沿った自然描写や瑞々しい初恋の機微を映す心理描写が好きだった。特に、自然描写では、「そういうときは、自室に引きこもるか、庭のつきあたりまで行って廃墟になっている温室によじのぼるかしました。石造りの高い温室の一部が壊れずに残っていたのです。道に面しているほうの壁に足をぶらさげてすわり、何時間もそのまま何も目に入らず、ただただぼんやりしていたものです。そばでは、埃をかぶったイラクサの上をモンシロチョウが数匹けだるそうに飛び、威勢のいいスズメが壊れかけた赤レンガにとまって、いらだたしげにチュンチュン鳴きながら尾をいっぱいに広げ、体をあっちに向けたりこっちに向けたりしています。相変わらず疑り深いカラスは、はるか高く、葉の落ちた白樺の梢にとまって、ときどきカアカア鳴きかわしています。白樺の枝はまばらで、そのあいだを太陽と風が静かにたわむれ、ときおり聞こえてくるドンスコイ修道院の鐘の音は穏やかでわびしげでした。じっとすわったきり、眺めるともなくぼんやり前を見て耳をすましていると、なんとも言いようのない気持ちがこみあげてきました。悲しみも、喜びも、未来への予感も、希望も、生に対する恐怖も、すべて含んでいるような気持ちです。(中略)この複雑な気持ちをたった一言であらわそうとしたかもしれません──「ジナイーダ」という一言で。」というシーンが好きだった。心理描写では「『ジュリアス・シーザーは武芸に秀でていた』という箇所をつづけざまに十回も読んだのにまったく理解できない」というシーンが好きだった。
シンプルな筋立てでありながら、人物の関係性や立場が細かい構造のシンメトリーや皮肉めいていたものになっていることを、解説を読んで知り舌を巻いた。この物語が時代を超えて残っていることにも納得感があった。
あまり欠点らしいものはなかったが、私にはそこまで刺さる物語ではなかったため、4.4。 -
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1996年に発表。20ヶ国語に翻訳され、日本語訳版は2004年。ソ連崩壊後の新生ウクライナの首都キエフで、ペンギンと暮らす売れない小説家のヴィクトルは、新聞の死亡記事を書く仕事を持ちかけられる。それは存命の人物の追悼記事を目録にするという不穏な仕事だったが、生活のために二つ返事で引き受けてしまう。初めはうまくいっているように思えたが、思いもよらぬ事態が次々と巻き起こり思わぬ結末を迎える。
寺田順三さんの可愛い装画が目に止まり、見ればウクライナ出身の小説家とのことで気になり購入。内省的で淡々とした独特の文体は、可愛い表紙とのギャップに戸惑ったがすぐに慣れた。ページをめくるごとに物語の魅力に引き込まれ、不条理な展開にもかかわらず読んだ後まで心地よい余韻が残る。ペンギンとの奇妙な生活はペーソスとユーモアの間で揺れ動き、掴みどころのない魅力のある物語になっていた。
時代の不穏な空気のなかで、奇妙な生活が淡々と進んでいく。どこか寂しそうなペンギンを心配するヴィクトルだが、彼もまた常に満たされない孤独を感じている。孤独がテーマとなっていることは確かで、Wikipediaによるとクルコフは7歳の時に飼っていたハムスターの孤独をテーマに詩を書いていたらしい。まだ読んでいないが動物が登場する作品も多く、街で飼われる動物に孤独な自分を重ね合わせていたのではないか。
登場人物も孤独な人が多い。動物園から売られたペンギンのミーシャ。〈ペンギンじゃないミーシャ〉の娘のソーニャ、ミーシャの元飼育員のピドパールィ、子守りのニーナも街を好きになれずに自分の居場所を探しているようだ。ヴィクトルの日常には孤独と死が常に溶け込んでいて、それを紛らわすように人が集まってくる。彼らの何気ない普通の暮らしがとても愛おしく思えてくるのは、誰しもが持っている「孤独感」を引き出されるからだろう。
突然の結末に驚いたが、これ以上はないのではないだろうか。作者はどこか孤独を愉しんでいるようだった。 -
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ネタバレ売れない短編小説家のヴィクトルは、動物園が餌代を払えないためにお払い箱となった皇帝ペンギンのミーシャを引き取ってキエフで暮らしている。新聞の追悼記事「十字架」の執筆記者となり、まだ生きている人物たちのもしもの時に備えて詩的な追悼記事を書き溜めていくが、彼が追悼記事を書いた人物たちは計画的に「処理」されていくようだ。彼自身もよく分からないままに命を狙われ、無自覚のうちに危機をやり過ごし、しかしある日別の男がヴィクトルの「十字架」を執筆していることを知る。そこに記されていたのは、政治的陰謀に加担し、多くの人物の死に関与しながら、最終的に自殺したヴィクトルの一生だった。
心臓病があり憂鬱症のペンギンミーシャについて、ペンギン学者は、本来南極で生きる体の構造になっているペンギンが、全く環境の違うキエフで生きるなら病気になって当然だと言う。解説にもあったが、1996年のキエフは、ソ連から離れたばかりのウクライナが混乱していた時期で、マフィアや犯罪グループが横行していたから、そんな社会不安もあるんだろう。が、ほのぼのしてるように見えて展開がホラー。鍵変えても誰かが夜中に家に侵入してきているようだとか、突然友人が4歳の娘ソーニャを預けにきてサンタさんとしてピストルと多額の現金を置いていくとか、知らない男が自分の愛人に近づいて自分のことを根掘り葉掘り聞いているとか、全体的にじわじわ怖い。あと謎にペンギンを葬儀に連れて行きたがる謎の男リョーシャも怖い。その葬儀は、ヴィクトルが十字架に書いた人たちのものだったと最後にわかるのも怖い。ペンギンがインフルエンザになって、心臓移植が必要で、4歳の子供の心臓でなければいけない、って言われたあたりで、ソーニャの心臓が移植される線かと思ったら違ってよかった。南極にミーシャを送り返す手筈を整えていたヴィクトルが、最後に一人で南極大陸委員会の人に会って「私がペンギンです」って言う結末が思いも寄らなくて、喜劇的で好きだ。ヴィクトルを殺すためにミーシャの病院で待ち構えていた人たちは拍子抜けしただろう。
ミーシャがかわいくて、私もペンギン飼いたい。うちの皇帝ペンギンの等身大のぬいぐるみにミーシャって名前つけようか。 -
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ロシア語で書かれた小説にしては読みやすかった。名前の呼び方が変わらなかったからだと思う。そこはロシアとウクライナの違いだな。
不思議ミステリーという感じだったが、印象に残っていることは、物語全体を覆っている寂しさや孤独感です。ストーリーが進むにつれて色んな人と交流して楽しんでいる主人公は、ふとした瞬間に孤独感?一人の感覚?を感じている。これは私も分かる気がするもので、人といる時は楽しかったりするんだけど、家に帰るとその楽しさが、家に帰った瞬間と連続していない感じがした。それは家の中に誰がいようと1人でいようと同じ。
また主人公にとってはペンギンだけが癒しの存在で、気にかける存在であり、そのおかげで、主人公がなんだか完成された世界にいる人という感じがした。そういう世界を作れた主人公が、ちょっと羨ましい感じがするかも。 -
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ネタバレ閉館した動物園から引き取ってきたペンギンのミーシャと二人で暮らすモノ書きのヴィクトル。著名人が亡くなった際に新聞に掲載する通称「十字架」を書く仕事を引き受けるが、出先の宿では銃声で目を覚ましたり、引き受けた子供の親からピストルを受け取ったり、常に陰鬱な緊張感が続くロシア文学らしいウクライナ文学。
ソ連崩壊後のウクライナの世相をよく表していると解説にもあったが、まさにそのとおりだと思う。ミーシャは動物園という囲いの中から出ても、自分の属していない土地に居るより他なかった。ウクライナもまた、ソ連崩壊後、世界の中で自分たちの居場所を見失っていた。
ヨーロッパ(特に冬の寒さが厳しい地域)の文学では孤独な人間が不条理を押し付けられ、苦悶のうちに死ぬ。みたいな物語がちらほらあるように思うけど、これは厳しい冬がそういった無力感みたいなものを人間に与える面があるのでは、とも思う。