種村季弘のレビュー一覧
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まさに《奇想》なのであります。この文庫を読み始めたのが、たまたま碑文谷にひさびさに行く道すがら。目黒からバスで碑文谷に行き、用件を済まし帰りは学芸大学から。時間の都合があったので圓融寺には寄れませんでしたが、その偶然に不思議な気持ちが起こりました。そもそも「蓮華往生」という素材も相当に驚愕なので、第一章からテンション爆上がり。それだけには留まらず、なんと最終章を読み終わったのは汐留界隈で空き時間を潰すために入ったカフェで。シンクロに気づいた時は、それだけでこの文庫、自分にとって特別な一冊になってしまいました。たまたまでしかないのですが、こちらもなにかしら東京を徘徊しているのだな、と。しかしこの
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種村季弘の晩年のエッセイ集。
東京の街を種村季弘が自分の過去の思い出を回想しつつ蘊蓄を語るという、もともとは雑誌「サライ」の連載をまとめたもの。雑誌掲載時は1回、原稿用紙3枚の分量だったとのことだが、そりゃネタ的に収まりきる訳ないだろうということで書籍化にあたり大幅に増量されてる。
読んでると「この人、ドイツ文学者でなく国文学者だったっけ?」と勘違いしそうになるような蘊蓄が山盛りで楽しいが、やはり地方在住者にとって東京(それも戦前から戦後にかけて)の土地勘がまったくないのが悲しい。例えば「柴又帝釈天と新宿」という章。なんで柴又と新宿(しんじゅく)?そんなに近かった?となるが、読んでいくと「新宿 -
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十年ほど前に、旧版の文庫をガイド代わりに、本書のなかで著者が歩いているコースを歩き回った。全部で三十箇所だから、一年以上かかったと思う。東京とひとくちにいっても、とてもとても広い。普段の生活圏からすぐそこの慣れ親しんだつもりの場所も、はじめて訪れたところも、著者の目を通して歩いてみると、新鮮だったり驚きがあったり、しみじみ楽しかった。それ以来公休日はあちこちを散歩するのが楽しみのひとつになっていたが、新型コロナウイルスの登場以降はその楽しみを放棄することになり、今にいたる。このたび出た新装版は、森まゆみが三十箇所の現在の姿について書いた文章が併録されている。カバーがボロボロになった旧版は本棚に
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諏訪哲史さんによる、種村季弘入門として編まれたコレクション。ほぼどれも読んだことのある文章ではあったけれど、諏訪さんが並べた順番で読んでいくと、生前の種村さんがどのように生きて、どのように学問と芸術を吸収して自身の世界を構築していったか、追体験する感じを味わえた。種村流読書論であり人生論である『落魄の読書人生』も面白いけれど、はやくに失うことになる母から幼少期寝しなに語られた昔話を回想しつつ、やがて母を操る父の影に気づき母に裏切りを感じることによって書物の扉を開いていく『文字以前の世界』にはハッとさせられた。本を手に取ることは、親への反逆でもある。
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耽美だ…
基本的に谷崎ってあんまり共感できる情動や美的感覚ではないけど、「或る調書の一節」はなんか良かった。語り手の男はクズだけど、誰かが自分のために泣いてくれることで自分が救われる気がすることってのはあるかもしれない。でもその為に相手を殴るっていうクズっぷりがすごい。凡庸じゃない、ひとかどのクズで良い。
「白昼鬼語」の終わり方も良かったし、「青塚氏の話」も狂乱爺がホラーすぎて良かった。
後書きの解説にもあったけど、美女に限らず登場人物は大体2面性を持ってるから、それが剥がれたり変化したりするのは面白い。
◯あらすじ
「善に対して真剣になれず、美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態 -
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ネタバレ目次
・病蓐の幻想
・ハッサン・カンの妖術
・小さな王国
・白昼鬼語
・美食倶楽部
・或る調書の一節―対話
・友田と松永の話
・青塚氏の話
それほど谷崎潤一郎作品を読んできたわけではないけれど、明らかにこれは今まで読んできた谷崎とは全然違う。
耽美というよりあからさまに変態寄りだったり、悪夢のような話だったり、なんだろうちょっと大衆的。
読みやすい文章も相まって、「これ、菊池寛じゃないよな」と表紙を確認すること数度。(切り口はまったく菊池寛ではありません)
おどろおどろしい作品もあるのだけれど、からりと乾いた文体がどうも日本っぽくない。
どちらかというとポーとかスティーヴンソン。
もしかし -
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魔術的リアリズム、新即物主義。日本ではそれ自体がマイナーな派閥ではある。しかしそんなマイナーな派閥の中でも筆頭格として名を挙げたベックマン、カーノルト、ディクス、グロス、ショルツらではなく、本国でもマイナーな気味(らしい?)な画家たちにスポットライトを当てている。
シュリンプフやグロスベルク、ヴァッカーをはじめとした日本では中々お目にかかれない彼らの貴重な日本語資料。有難い。
しかし少し触れられたディクスの箇所に誤りがありました。彼は左派ではありません。作品についての解釈が寛容であり、左派の友人たちも多かっただけで、本人は政治的な立場を明確にすることは避けていました。こちらは1988年に神奈川 -
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現代まで言い伝えられている迷信を、古今東西の戯曲や故事を参照しながら由来と意味を調べるだけでなく突っ込んでいく、博物エッセイ。
超常現象や魔法に関わる博物エッセイというと、やはり澁澤龍彦の右に出るものはいないと思うのだが、あちらがたおやかでスルリスルリと進むのに対し、こちらはかなりパワフルに話が進む。なお、パワフルな文章だが、シブタツには負けない丁寧で読みやすい文章であるため、負けず劣らず面白く読めるはずだ。
前半部分は故事、古い戯曲からスタートするという手前、迷信としてはぼんやりしたものが多いものの、媚薬を境に具体的な話が多くなって、ことさら面白い。
「一富士二鷹三茄子」が徳川家康由来 -
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以前に読んだ種村の『不思議な石のはなし』とかパワーストーンの本にも出てきたので、時間をかけつつちまちまと読んでみました。
雑誌『イマーゴ』に連載されたエッセイをまとめた聖ヒルデガルトの評伝。長年の研究の成果ではないとご謙遜されているけど 、日本語での類書はあまり見当たらないし、依然、本書の存在価値は疑うべくもない。著者ご本人も神学よりは自然学と宇宙論に興味があり、とおっしゃっているように、ヒルデガルトの自然学的著作に触れた第11〜16章が面白い。メランコリー論と性愛論について書かれたくだりをとりわけ興味深く読みました。石に触れた第3章「ルチフェルと宝石」は勿論だがはずせない。
ヒルデガル