種村季弘のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
以前に読んだ種村の『不思議な石のはなし』とかパワーストーンの本にも出てきたので、時間をかけつつちまちまと読んでみました。
雑誌『イマーゴ』に連載されたエッセイをまとめた聖ヒルデガルトの評伝。長年の研究の成果ではないとご謙遜されているけど 、日本語での類書はあまり見当たらないし、依然、本書の存在価値は疑うべくもない。著者ご本人も神学よりは自然学と宇宙論に興味があり、とおっしゃっているように、ヒルデガルトの自然学的著作に触れた第11〜16章が面白い。メランコリー論と性愛論について書かれたくだりをとりわけ興味深く読みました。石に触れた第3章「ルチフェルと宝石」は勿論だがはずせない。
ヒルデガルトの生きた時代はバルバロッサの時代でもあるらしい。西欧中世って知れば知るほど面白いな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「チリの地震」
首都サンチャゴで、何千という人間が落命した1647年のあの大地震のまさにその瞬間、さる犯罪のために告訴された、その名もジェローニモ・ルグェーラという一人の若いスペイン人が、監禁されていた牢獄の柱の下に立っていましも自ら首をくびろうとしていた。(p11)
どよめきの中に投げ込まれたあの衝撃からこの方、人々は皆許し合っている、とでもいうかのようなのだ。人々の記憶はもうあの衝撃の瞬間までしか立ち戻れなかった。 (P22)
最初の大揺れの直後、市内は男たちの目の前で分娩する女どもであふれ返ったということであり、修道僧たちがそのなかを手に十字架を持って走り回って、世界の終りがきた、と叫び狂い、衛兵が副王の命により教会を明け渡すよう要求すると、チリの副王はもういない、と応じた事、その副王はあの恐怖の極地の瞬間に略奪行為をやめさせる為に絞首台をたてさせざるを得なかった事、火に包まれた家をようやく抜けて助かった男が、何もしていないのに立ち回りが早すぎるというので家主に捕まって、あまつさえち首をくくられ (P23)
人々の地上の戝がことごとく潰滅し自然が丸ごと滅亡してしまいかねなかったあの恐ろしい瞬間の只中にこそ、人間の精神そのものがあたかも美しい花のように花開いたかのようだった。あたかおあの共通の不幸がそこから逃れ出た人々全てを苦痛はどの人の心の中でもこよなく甘い喜びと混じり合い、エルヴィーレの思うに、ために幸福全体の総計は、それが一つの面から出てくれば、その分もう一つの面から取り除けられる、とは必ずしも申せないほどだったのである。 (P24)
生まれからすればついぞ仏人なんかじゃなくて、スイス人とこちらに判っているお方が、強盗まがいに襲いかかって殺して身ぐるみ剥ぎたくなる程の、どんな悪を私達に働いたというの? (P65)
植民者達に対してここでならした不平が、島のあの人がやってきた地方にも同じ様に通用するのかしら? (P65)
「話をしながら段々に考えを仕上げてゆくこと」
フランス人の言うには「食欲は食べているうちにわいてくる」のだそうだが、この経験命題をパロディ化して「考えは話をしているうちにわいてくる」といっても、事実であることに変わりはない。 (P206)
自分の求めているものとあらかじめ若干の関係のあるなにやら模糊とした観念を私は持っており、(略)これを携えて臆面もなく一歩を踏み出しさえすれば、はじまったからには結末もあるはずという必然性に導かれて、話の進むうちに、(略)情念がその錯綜した観念に完全に明白な刻印を与えてくれる (P207)
モリエールみずからの言うところによれば、モリエールは彼自身の判断を語る術を心得ているこの女中の判断を頼りにしていたという。 (P207)
7月23日、国王が諸身分代表に討議を命じていた国王最後の君主制議会終了の後、諸身分代表がまだ席を去らずにいた議会にとって返して彼らに王命を承ったかと尋ねに来た式部官を、ミラボーはあの「電撃」で片づけたのだ。 (P208)
ミラボーの答えるには、「我々、王のご命令を承りました」-思うにミラボーは、このおとなしやかな発端では締め括りの言葉にした銃剣のことは念頭になかった。「さよう、閣下」とミラボーは繰り返した、「承りましたとも」-御覧のようにミラボーは、自分が何を言いたいのかサッパリ判っていない。ミラボーは続けた、「ここで王名をめかされるいかなる権利がおありかな?我々は国民の代表なのだ」-これこそミラボーの必要とした言葉だったのである。「国民こそが命令を与えるのであり、国民は如何なる命令も受けはしない」ミラボーは、いまや魂が武装蜂起の構えで待機している反抗を表現する言葉を、ようやく見出すのだ。「それゆえ、どうか国王陛下に申し上げて頂きたい、我々に議席を去らせる者があるとすれば、それは銃剣の暴力を措いて他にはございません」 (P209)
相互作用によってそれ自体に内在する電気―度が再強化されるのであるが、それと同様にわが弁論家の勇気は的を壊滅させながら大胆極まりない精神抑揚へと移行していく。 (P209)
この種の話し方こそが真の声高らかな思考である。表象の列と表象の記号の列とがならび会って同時進行してゆき、その両者にも情念が呼応する。 (P212)
ある表象が支離滅裂に表現されたからといって、そこからただちに、当の表象が支離滅裂に思考されもしたという帰結は出てこない。 (P212)
思考から表現への精神の移行という突然の業務交替が、考えたことを口に出すのに必要でもあれば、考えたことを固定するのにもなくてはならない精神の刺激を、再びすっかり解除してしまったのだ。 (P213)
実は、解っていない、のではなくて、それが私たちのある種の解っている状態なのである。むしろ凡庸そのものの精神、昨日暗記したばかりで明日は綺麗さっぱり忘れてしまう人間の方が、こういう場合には打てば響くように回答しかねない (P214) -
Posted by ブクログ
【チリの地震】
処刑という絶望の中、起こった大地震。そして、地震は離れ離れになっていた男と女と二人の子どもを再会させる。一瞬、希望が彼らを包む。まるで、それはユートピア。
しかし、たくさんの人々の「犠牲」の上に成り立つ再会と幸せなど長続きすることはない。
一組の男女を生かすのも、許すのも、裁くのも、殺すのも、それらは決して神が行うのではない。すべては、人間が行うことなのだ。
この作品が、3.11後に再び出版された意味とは一体何なのだろうか。わたしたちは、400年以上前のチリで起こった地震をテーマにした作品から何を感じ取るべきなのだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ谷崎潤一郎のイメージというと、耽美、エログロナンセンスあたりが思い浮かびます。
私も若いころ「痴人の愛」「卍」「細雪」らを読んで、驚嘆した覚えがあります。いわゆるフェティシズムのはしりといえるかもしれませんが、明治生まれの人があそこまで極端な性癖を文章として露出できることに感激したものです。といっても内容は概ね忘れてしまいましたが。
・・・
さて、本作「美食倶楽部」は、表題作を含め7作品を収録しています。
個人的に面白いと感じたのは「白昼鬼語」「美食倶楽部」「友田と松永の話」あたりです。
「白昼鬼語」は語り手の私が、神経症的な友人園村の「これから、殺人が起こる。一緒に見に行こう」という誘いから展開するツイスト満載のエンタメ小説。美しき殺人者と恋仲になりそして彼女に殺されたいという、これまた常軌を逸した園村の発言は谷崎作品ならでは。
「美食倶楽部」は、いわゆるグルマンの集まりである美食倶楽部のリーダーの、とある一日の一シーンを切り取ったもの。主人公、全国の美食を食い尽くし飽き飽きしているさなかに漂う芳香に気づきます。香しい匂いに誘われて辿り着いたのは「浙江会館」。メンバー限定のクラブの中からです。どうしてもそこで供される料理が食べたい、きっと本場の本物の中華なのだろう。主人公があの手この手でなだめすかしておすそ分けを勝ち取ろうとする苦心のありようといったら涙がでます笑。これもまたやっと時代が谷崎に追いついたかのような描写でした。ほら、ガチ中華っていうんですかね、人気らしいじゃないですか。
「友田と松永の話」、こちらは、奈良の旧家の奥さんから主人失踪につき相談がある話。主人公は心当たりがあり探りを入れる後に、大変な事実を最後に告白されます。
・・・
それから少し感じたのは、もう大正時代の言葉は古語になりつつあるのかな、ということです。
普通の現代文だとすらすら頭の中に入ってくるのですが、候文だったり時代がかった言葉遣いが多く、口の中でぶつぶつ読みを確認しながら読んでいて、読書スピードが全然出ませんでした。挙句寝落ちも多発。
内容は面白いのですが、うちの子供たちなんかは素で楽しむことは出来なさそうです。きっと「読めない」とか言い出しますね。かといって谷崎を現代語訳する!?それもなあって思います。
10年後、20年後、そのころの若者たちにも谷崎をそのままで味わって欲しいなあと思いました。
・・・
ということで久方ぶりの谷崎作品でした。
内容は実に現代的、言葉遣いが現代人にはやや難あり、といったところ。
日本の近代文学が好きな方、ぶっ飛んだキャラが好きな方、やや古風な言葉遣いに拒否反応がおきない方にはお勧めです。
移りゆく言葉遣いと時代に、一抹の寂しさを感じた初春の休日でありました。 -
Posted by ブクログ
過ぎし時代の迷信あれこれ……と共に、
クスッと笑える、ちょっとおかしなこぼれ話を蒐集した、
雑誌連載エッセイを纏めた本。
迷信とは「原因と結果が科学的因果関係で一筋につながっていない」(p.226)
ものの由、とか。
■杉浦日向子『百物語』其ノ五「狸の僧の話」の元ネタも登場。
松浦静山『甲子夜話』だった。
■トイレが鬼門に当たっていては困ると頑なに信ずる人に一言、
昔の和式はいざ知らず、今時は洋式なんだから、
座ったら鬼門に背を向ける格好になるんだし――には笑った。
■エイプリル・フールの本来の趣旨について。
嘘によって他者に「無駄足を踏ませる」のが胆(きも)だった、
とは知らなんだ。
viva 無駄知識(笑)! -
Posted by ブクログ
起承転結のしっかりした、王道の短編集といった印象。
「チリの地震」
天災が人間の心の中に、ある種逆説的に平穏さをもたらす場面の描写が凄く上手。★★★
「聖ドミンゴ島の婚約」
分かりやすい悲劇。起承転結がハッキリしていて短編のお手本といった観あり。ベタだけど普通に面白い。★★★★
「ロカルノの女乞食」
いや、流石にそこまではいかないんじゃないか。と思ってしまう幽霊の影響力の強さ。★★★
「拾い子」
シンプルな構成ながらも、怒り心頭のピアキの迫力はなかなかのもの。★★★
「聖ツェツィーリアあるいは音楽の魔力」
これは奇蹟と言えばいいのか何なのか。神の配剤は少なくとも俺の理解を超えている。★★★
「決闘」
これも王道と言いたくなるような起承転結のハッキリした構成が読みやすい。正義は勝つ。★★★★
「話をしながらだんだんに考えを仕上げていくこと」
これは小説ではなくエッセーの類かな。タイトル通りのことが書いてある。まずは話題にして口に出してみると、もやもやしてた考えがしっかりした輪郭をとる、というのは仕事の上でもよく使う手段。★★★
「マリオネット芝居について」
エッセーのような小説のような。認識力が自然の動きを阻害するという論旨は結構面白かった。★★★