あらすじ
「善に対して真剣になれず、美しき悪行に対してのみ真剣になれるような奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ」――対象の善悪を問わず美しいものへの惑溺に情熱を燃やし尽くした谷崎。大正期の谷崎に注目してきた編者種村氏が、表題作ほか7篇で再構成した珠玉のアンソロジー。いま新しく、谷崎文学の再発見を試みる。『病蓐の幻想』『ハッサン・カンの妖術』『小さな王国』『白昼鬼語』『美食倶楽部』『或る調書の一説』『友田と松永の話』『青塚氏の話』を収録。
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Posted by ブクログ
谷崎の二十代後半から三十代にあたる大正期の短編集である。探偵小説の名手でもあり、プロットの確かさと語り口の巧妙さに唸らされる佳作揃いである。またそれに加えて、これは編者の好みもあるのだろうが、江戸川乱歩にも通じるような露悪的、嗜虐的な志向性も強い。表題作に至っては食の官能性を究極まで描き抜いたその迫力にただただ圧倒されてしまう。ふと筒井康隆の『薬膳飯店』を思い出した。
Posted by ブクログ
耽美だ…
基本的に谷崎ってあんまり共感できる情動や美的感覚ではないけど、「或る調書の一節」はなんか良かった。語り手の男はクズだけど、誰かが自分のために泣いてくれることで自分が救われる気がすることってのはあるかもしれない。でもその為に相手を殴るっていうクズっぷりがすごい。凡庸じゃない、ひとかどのクズで良い。
「白昼鬼語」の終わり方も良かったし、「青塚氏の話」も狂乱爺がホラーすぎて良かった。
後書きの解説にもあったけど、美女に限らず登場人物は大体2面性を持ってるから、それが剥がれたり変化したりするのは面白い。
◯あらすじ
「善に対して真剣になれず、美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ」―対象の善悪を問わず美しいものへの惑溺に情熱を燃やし尽くした谷崎。大正期の谷崎文学に注目してきた編者種村氏が、表題作ほか7篇で再構成した珠玉のアンソロジー。いま新しく、谷崎文学の再発見。
病蓐の幻想
ハッサン・カンの妖術
小さな王国
白昼鬼語
美食倶楽部
或る調書の一節―対話
友田と松永の話
青塚氏の話
(筑摩書房HPより引用)
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目次
・病蓐の幻想
・ハッサン・カンの妖術
・小さな王国
・白昼鬼語
・美食倶楽部
・或る調書の一節―対話
・友田と松永の話
・青塚氏の話
それほど谷崎潤一郎作品を読んできたわけではないけれど、明らかにこれは今まで読んできた谷崎とは全然違う。
耽美というよりあからさまに変態寄りだったり、悪夢のような話だったり、なんだろうちょっと大衆的。
読みやすい文章も相まって、「これ、菊池寛じゃないよな」と表紙を確認すること数度。(切り口はまったく菊池寛ではありません)
おどろおどろしい作品もあるのだけれど、からりと乾いた文体がどうも日本っぽくない。
どちらかというとポーとかスティーヴンソン。
もしかしたらマーク・トウェインもお好きだったでしょうか。
”どうも日本人はくだらないセンチメンタリズムに囚われるんで、芝居でも活動でも湿っぽいものが多いんだけれど”(青塚氏の話)
意識的にドライに書いたのでしょうね。
もう少しウェットになって闇が増えると江戸川乱歩になる。
『美食倶楽部』を読みたくてこの本を借りたはずなんだけど、一番無理だったのが『美食倶楽部』でした。
全然おいしそうじゃないし、何なら気持ち悪い。
海原雄山に「こんなものが美食といえるか!この馬鹿者が!」と怒鳴りつけてほしい。
思わず笑っちゃったのが『或る調書の一節』。
人を殺してもろくに反省もしない男、奥さんが「心を入れ替えて真っ当になってくれ」と泣くたびに自分は救われるような気がする、という。
他に愛人がいるのだけど、奥さんに泣かれると、自分もつい泣いてしまう。
だけど、取調官に「では奥さんを愛しているのか」と聞かれると「愛していない」と、「泣いてくれるなんてかわいいひとではないか」と言われると「顔がかわいくないので、「かわいくありません」と、実に正直にお答えなさる。
これが真面目に行われている会話だと思うと、妙な可笑しみを感ぜざるを得ない。
『友田と松永の話』は、絶対スティーヴンソンだわ。
Posted by ブクログ
不気味で滑稽でもあるが艶めかしい。
「或る調書の一部」の掛け合いなんかは笑ってしまう。
しかし、善いことができるはずがないから、
気持ちの好い悪い事をするという一節にどうも心を惹かれる。
Posted by ブクログ
谷崎潤一郎のイメージというと、耽美、エログロナンセンスあたりが思い浮かびます。
私も若いころ「痴人の愛」「卍」「細雪」らを読んで、驚嘆した覚えがあります。いわゆるフェティシズムのはしりといえるかもしれませんが、明治生まれの人があそこまで極端な性癖を文章として露出できることに感激したものです。といっても内容は概ね忘れてしまいましたが。
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さて、本作「美食倶楽部」は、表題作を含め7作品を収録しています。
個人的に面白いと感じたのは「白昼鬼語」「美食倶楽部」「友田と松永の話」あたりです。
「白昼鬼語」は語り手の私が、神経症的な友人園村の「これから、殺人が起こる。一緒に見に行こう」という誘いから展開するツイスト満載のエンタメ小説。美しき殺人者と恋仲になりそして彼女に殺されたいという、これまた常軌を逸した園村の発言は谷崎作品ならでは。
「美食倶楽部」は、いわゆるグルマンの集まりである美食倶楽部のリーダーの、とある一日の一シーンを切り取ったもの。主人公、全国の美食を食い尽くし飽き飽きしているさなかに漂う芳香に気づきます。香しい匂いに誘われて辿り着いたのは「浙江会館」。メンバー限定のクラブの中からです。どうしてもそこで供される料理が食べたい、きっと本場の本物の中華なのだろう。主人公があの手この手でなだめすかしておすそ分けを勝ち取ろうとする苦心のありようといったら涙がでます笑。これもまたやっと時代が谷崎に追いついたかのような描写でした。ほら、ガチ中華っていうんですかね、人気らしいじゃないですか。
「友田と松永の話」、こちらは、奈良の旧家の奥さんから主人失踪につき相談がある話。主人公は心当たりがあり探りを入れる後に、大変な事実を最後に告白されます。
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それから少し感じたのは、もう大正時代の言葉は古語になりつつあるのかな、ということです。
普通の現代文だとすらすら頭の中に入ってくるのですが、候文だったり時代がかった言葉遣いが多く、口の中でぶつぶつ読みを確認しながら読んでいて、読書スピードが全然出ませんでした。挙句寝落ちも多発。
内容は面白いのですが、うちの子供たちなんかは素で楽しむことは出来なさそうです。きっと「読めない」とか言い出しますね。かといって谷崎を現代語訳する!?それもなあって思います。
10年後、20年後、そのころの若者たちにも谷崎をそのままで味わって欲しいなあと思いました。
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ということで久方ぶりの谷崎作品でした。
内容は実に現代的、言葉遣いが現代人にはやや難あり、といったところ。
日本の近代文学が好きな方、ぶっ飛んだキャラが好きな方、やや古風な言葉遣いに拒否反応がおきない方にはお勧めです。
移りゆく言葉遣いと時代に、一抹の寂しさを感じた初春の休日でありました。