佐藤友哉のレビュー一覧
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「走る」をテーマに14人の作家が競作。
日々のランニングのモチベーションが上がるような疾走感あふれる作品が収録してあるのかと思いつつ手に取りましたが、そこは実力派の先生方。凡人の思い通りにはいきません。思わず膝を打ち、唸ってしまうような「走る」小説が並び、裏切られました(喜)
14本どれもが個性的で、未知の作家さんとの出会いも。もちろん、苦手な話もありましたが、それも出会いです。
お気に入りは「パン、買ってこい」(中田永一)、「桜の並木の満開の下」(遠藤徹)、「誰にだって言いぶんはある」(桜井鈴茂)
人生の半分は現実ではないと彼は思う。
なぜならば精神が摂取するものの半分以上が、現実ではないからだ。(「リスタート」恒川光太郎) -
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8篇の物語が収められている。
今回の物語に特徴的なのは、「小説とは何か」という疑問だ。
「青と赤の物語」では、物語が禁止された世界を描いている。
物語があるから悪いことをする人がいる、そんな考えを持ったエライヒトたちが物語を禁じてしまったのだ。
全く因果関係はないのに、AだからBと決めつけてしまったのだ。
物語は、文学は、何の役にも立たない。
本当にそうだろうか。
物語は時に残酷なものも、悲しいものも、苦しいものもあり、そんな世界を目にするのは時には恐ろしい。
けれども、そんな世界があるから救われる人もいる。
物語に書いてあることは、どんな物語にせよ、誰かから、読者に、あなたに、向けたメッセージだからだ。
困難な世界に立ち向かったり、悲しみと対峙したり、失敗し、絶望することもあるかもしれないが、それだけが物語の価値ではないのだ。
「ゴールデンアスク」は物語を作る側、つまり作家の姿が描かれている。
よく、登場人物たちが勝手に動きだす、なんて言うけれどきっとこんな感じに違いない。
作家が言う言葉にイラつきながらもいちいち納得させられる。
本を読め、というのは大人が安心したいだけ、なんて。
「あかがね色の本」も同じく作家の側からの物語。
言葉とは難しいもの。
人との関係も難しいもの。
だからこそ、言葉を発し、相手に伝えること、そしてその言葉を信じることは尊い。
あかがね色の本。
きっとこの本はこうしてたくさんの人たちに影響を与えた。
今までも、きっとこれからも。
世界を共有する、それは、人と人とがつながること。
その結晶の一つがが、あかがね色の本だったのだ。 -
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タイトルの通り、小説にまつわるアンソロジー。
ラノベっぽい軽さのものが多くて中高生向けかな。
それでも小説の存在意義を説くような話が読めてなんだか嬉しかったです。
本を読んで驚いたり、感動したり、幸せな気持ちになったり、そういう純粋に読書を楽しんでいた頃の初々しさを思い出しました。
「青と赤の物語」 加藤千恵
「あかがね色の本」 千早 茜
「新刊小説の滅亡」 藤谷 治
この3つが好きです。
私の人生、何度小説に救われてきたんだろう。
探さなくてもいつだって必要なときは必ず寄り添ってくれてた。
その経験はその本とともに、何年経っても何が変容しても移ろわなくて、私にとって本当にかけがえのないものです。 -
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きょうだい達の物語
サリンジャーの同名小説をモチーフにした作品らしい。
サリンジャー版は読んだことがないので、詳しくはよくわからないが。
鏡家のきょうだい達が語り、あるいは語られる。
『憂い男』
物語の中で語られる『憂い男』の物語に引き込まれる。
醜い顔となって、孤独に生きる憂い男。
そのうちに仲間を得るが、どこかに憂いをもったままのその男。
中学3年生の秋雄さんが教えてくれた話に心を躍らせる。
不思議な憂い男。
自分がその子孫だと信じてやまない子どもたち。
子供らしい思い込み。
そうしていられる時はじきに過ぎ行く。
『小川のほとりで』
家出をした佐奈。
小川のほとり、寒い中でうずくまっている佐奈。
家での理由。
本当の理由は餅。テレビ。父親。
「普通」が悪気なく垂れ流されていることへの嫌悪。
諦観。憤怒。悲哀
渇望。
この二作品はそれなりに面白いが、他の物語は読みにくくてなかなか頁を繰る手が進まない。
同時に読み始めた本を何冊も終わらせ、やっと読み終えた。
叙情的というわけでもない、おそらく、誰に対しても感情移入ができず、振り回された感じが読みにくいと感じた理由であろう。
好きな人は好きなのかもしれないが、嫌いな食べ物をぶらぶらと箸の先でもてあそぶように読んでいた。
サリンジャー版は読まないかもしれない。 -
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野間宏にJ・D・サリンジャーに武田泰淳に椎名麟三、そして太宰治。「戦後文学」というものを書いて世に送り出した先駆者君(太宰治以外正直許容無知)。なかでもサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は世界で六千五百万部を売上げた前代未聞の驚異的ヒットを飛ばした作品であった。以上本文より云々。
太平洋戦争より、9.11、さらに3.11への伏線は同時に人類における「世界の終わり」を危惧し高揚感と無念さを煽ったが、それでも、やっぱり、世界は終わらなかった。
後半のくだりで、石原元都知事の言葉の饒舌さを説いていたが、たしかに言われてみれば巧妙だ。語弊があるかもしれないが前置きとして本人の本質云々を抜きにして、単的にそこだけを跋扈したという意味で。批判されようがなんだろうがなんだかんだ君臨していてそういうことが言葉の饒舌さを物語っている。そしてそれに比較されるうわべだけの政治家の下手なパフォーマンスも合間って認めよう。忌み嫌われようが憎まれようが、疎まれようがなんだろうが詭弁で饒舌なやつほど生き延びるんだ。それがその人にとって倫理観や道徳観に触れるか触れないかはまた別の話。
人間はいつかは死ぬ。俺だけは、私だけは、もしかしたら、もしかしたら?死なないんじゃないか?とかそんな根拠のない淡い願いはここではっきり断言しておこう。絶対に叶うことはない。絶対に。何年か先のことかはわからないがヒトが人である以上絶対に死ぬんだ!
情報の海で埋没する数奇な運命。自分の存在価値を1000年後の後世へと伝達する大事業。なんとも壮大なロマンス。人間生きても百年そこそこ。時間は限られている。やることできることも限られてる。こんな他人様のレビューを描いてる暇はなんざ毛頭ない!ないないないない全然なーーーいっ!生きろ生きろ生きろ生きろそしてざまーみろ。それにしたって「青春汁」て単語が無性に童貞臭ぷんすかぷんすかする。んで、結局のところ何が言いたかったんだろう?
知らん!!!