あらすじ
斎藤カユは見知らぬ場所で目醒めた。姥捨ての風習に従い、雪深い『お山』から極楽浄土へ旅立つつもりだったのだが。そこはデンデラ。『村』に棄てられた五十人以上の女により、三十年の歳月をかけて秘かに作りあげられた共同体だった。やがて老婆たちは、猛り狂った巨大な雌羆との対決を迫られる――。生と死が絡み合い、螺旋を描く。あなたが未だ見たことのないアナザーワールド。(解説・法月綸太郎)
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Posted by ブクログ
老婆たちのフィクション性を飲み込めればハマれると思う。
私は大好き。
少年少女の物語と言われても違和感のない口調や立ち振る舞いは、村に生まれ村の外を知らず村のために働き、産み、育て、老い、捨てられた後のユートピア(デストピア)で、老婆が初めて自分の考え、アイデンティティを獲得しようともがくから青臭く見えるんだと思う。
しかし、
vs熊!
vs疫病!!
vs内乱!!!
老婆のアイデンティティ探しも楽じゃねえ!!!
70歳になっても熊に追われながら山の斜面を駆け下りられる体でいたいものです。
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戦う婆ちゃんの話。いつの間にか村を襲撃する展開が、熊と戦う話に変わり、主人公はその戦いの中で熊と自分は同類だということに気づく。ライトノベル的ぶっとんだ設定、キャラクターとしてのばあちゃん。好きな作品です。
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生涯忘れることが出来ない小説を読んでしまった。強烈な作品。
福寿草を踏み駆ける斎藤カユの姿は老婆ではなく、春の訪れに歓喜のあまり思わず疾走する少女のようだ。
映画も見てみたいが、壮大なプロデュースをするなら、AKB48を起用して今から撮影を始めて、50年後、デンデラの舞台を撮るっていうのはどうだろう。
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70歳で小娘扱いの婆シスターフッド熊バトル小説。好きです。これを映画化しよう……8割方、熊と闘っていよう。。
デンデラ創立者の、村への復讐に燃えるメイちゃん(唯一の年齢三桁)を筆頭にタフな婆様がたくさん。口調が丁寧語(ホノちゃん)・ほぼ現代語(マルちゃん)・男前(この2人以外)なので、百合目線が一切無い学園ものみたいに思えてきます。「私」「お前」「貴様」「貴女」だからな…でも婆らしく体力が無かったりするので混乱してくる。
やっぱりマサリちゃんとヒカリちゃん格好良いなぁ。映画版もこのふたりが好きでした。眼帯倍賞美津子さまウットリ。
ソウちゃんが檻の中のカユちゃんと話しに来るシーンとか、イツルちゃんとキュウちゃんが道で言い合ってた後の展開でホノちゃんへの「殺してやる!」とか、ちょいちょい良いシーン挟んできてグッときます。良いシーンか?
カユちゃん70年間ものを考えずに生きてきてて周りにびっくりされてて本人もびっくりしてたけど、これがあるのでちょっと達観してるのかなと思ったりしました。人とか獣とかそういう垣根すらなく思考していく…最期には人を超えていく。
本当に、これを映像化しましょう。2時間じゃ足りないしグロいし女優さんたちを熊と闘わせるの危ないから、アニメで良いからさ。これ羆っぽいので尚更大きくて危ない。
「やはり、私がいなければ駄目だったな」…ヒカリちゃん。。
登場人物たちをちゃん呼びしても全く違和感ない。
そうした怠慢をつづけていては下品な恥知らずになってしまうと斎藤カユは思っていました。生者が面白くないという理由だけで死者について考えるのは逃避だと、それでは下品な恥知らずと同じことをしていると思い至りまして、自分自身への失望を高めるのでした。
…等々、この調子の地の文も好きでした。
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書割の上を動く書割の登場人物たち。筆者も書割であることを隠すことなく、「これは書割です」と開き直っている節がある。その徹底ぶりは称賛に値するし、物語もまずまず面白い。人物造形は幾分物足りないが、書割を批判できるほど今の私たちは厚みある存在でもあるまい。
解説によれば、深沢七郎の『楢山節考』と吉村昭『羆嵐』にインスパイアを受けているらしい。佐藤友哉のツイッターで今村昌平監督の「楢山節考」を観たときの顛末が語られている。
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再読。
荒唐無稽な内容で読む人をかなり選びそうなこの作品、自分は結構好き。デンデラの老婆たちの老いてなおギラギラ燃えたぎる凄まじい生命力やぶつかり合う各々の死生観に、自分の中に眠っていた生きる本能のような熱い何かが呼び起こされる。羆との生存競争だけでなく、デンデラの過去の秘密に迫っていくミステリー性も意外な醍醐味。
定めた大目標に向かって走り続ける70歳のカユの姿もさる事ながら「誇りとは自分で勝ち取るもの」そう言い切る100歳もカッコよくて仕方ない。
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童話調の地の文で、進む姥捨て山の共同体の話。
主人公は死を受け入れていたが、姥捨て山の老婆だけの隠れ里に拾われる。主人公は隠れ里に疑問を持ちながら、里の方針、熊の襲撃、病気の蔓延に翻弄されつつ、終わったはずの人生の目標を考え直す。最後には、死を受け入れ熊を倒すため、命を懸けて熊を村に誘導する。
童話調な感じや無茶な設定で、ファンタジー感が強い。
Posted by ブクログ
最初から最後まで面白かったな〜
ですます調で書かれてるのもよかったし、
登場人物全員が70歳オーバーなのを考えると
セリフ読みながら笑えた。
AKBぽくて笑えるし
終わり方もかなり好み。
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カユの生きてきた村では男も女も70になったらお山参りをし、極楽浄土へ行く。カユが待ち望んだお山参りの番がきた。雪山で極楽浄土へ召されるのを白装束一枚で寒さと飢えに耐えながらひたすら祈る。しかし、目が覚めると死んでおらず、デンデラにいた。
死にかけていたところをデンデラに拾われたのだ。
デンデラには過去にお山へ行ったはずの老婆ばかり50人。聞けば、30年間もこうやってお山参りで倒れた老婆を拾い続け、集落をなしていた。
カユは極楽浄土に行きたかった、つまりは死にたかった。しかし死ぬことを邪魔された。死にたい、極楽浄土へ行きたい、だがお山参りをし損なった以上極楽浄土への道は絶たれた。生きるしかない。村以上に貧しいデンデラで生きることは辛いことしかない、そうまでして生きるのに、生きたいのか、何をしたいのか、カユには本心が無い、大目標が無い。何もない。
それぞれの老婆の大目標、やがてカユも大目標を見つける。
とにかく面白かった。
Posted by ブクログ
姥捨て山に捨てられた老婆たちは、「デンデラ」という自分たちのコミュニティを山中につくり、そこで過酷な生活を送っている。ある者は自分たちを捨てた村への復讐に情熱を傾け、ある者はデンデラをより暮らしやすい場所にしようとしている。そんなデンデラに凶暴なヒグマが襲来する。完全なるディストピアと化したデンデラは崩壊の危機に直面する‥。
コミュニティというものの恐ろしさを実感した小説だった。口減らしのために村を追われた老婆たちが、疫病に侵された自分たちの仲間を殺してゆく。人間のやることは変わらない。
たとえ年をとったとしてもエゴは消えないし、執着もなくならない。でも、そのエゴや執着がとんでもないエネルギーになっている。ある意味、人間の可能性を感じる。
Posted by ブクログ
静かに穏やかに、凄まじい物語が語られる。
読み心地のいい話ではないのだが・・・。
よくもまあ、このような大目標を思いついたものだ。 羆を斃すための秘策を。
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面白かった。でも疲れた。
形を変えた、ユヤタン小説。今までみたいなわかりやすい「青春」は存在しないけど、老婆達の言動にユヤタン的青春が見え隠れしてる気がした。
それも、もはや「戦慄の19才」ではなくなってしまった人間が書く小説だと言われるとすごく納得する。自ら脱皮しようとしてる。
作中内のやり取りで、僕は急に「老い」が怖くなった。描写のうまさもあるのだろう。自分の若さってものの貴重さに我が身が震えた。
ユヤタン…というより、佐藤友哉先生だろうか。この人の書く小説は、いつも僕の心を深く貫いてくる。
この作家とは、一生付き合っていきたい。
Posted by ブクログ
≪あらすじ≫
斎藤カユは見知らぬ場所で目醒めた
姥捨ての風習に従い、雪深い『お山』から極楽浄土へ旅立つつもりだったのだが
そこはデンデラという『村』に棄てられた五十人以上の女により
三十年の歳月をかけて秘かに作りあげられた共同体だった
そんなある日、凶暴な熊にデンデラの住民が食い殺される
老婆達は熊との戦いに挑み、小熊をやっつけた
そして宴でその熊を食べまくった
すると住民に疫病が襲い掛かる
その原因は小熊を食べたことだとされたが
斎藤カユは、過去にも同じ疫病が村で発生したことを知る
しかもそのときは、感染拡大を防ぐために患者が皆殺しにされたらしい
度重なる熊の襲撃・・・更に発生する疫病・・・
そして斎藤カユは疫病の真相を看破し、熊との最終決戦に挑む!
≪感想≫
純文学を装いながらのミステリー小説。著者は今後この路線で行くのかな~
巻末の法月綸太郎氏の解説がとても解りやすく、読書後の補完にもなって良かった
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姥捨て山のその後という話。「地獄絵図」という言葉だけでは足りないような、凄まじい世界。 しぶとく生きる、呆気なく死ぬ、その両方がいる。熊が強い。
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クマもの好きとしては気になってた本ですが、なんとなく佐藤友哉さんの本て、とっつきにくそうで敬遠してました。
読んでみたらこれはとても読みやすかったです。
姥捨山に羆をプラスさせるなんてなかなか。
出てくるのはみんな老婆ばかりなのですが、私の脳内ではどうしても若い女性に変換されてました。
「羆嵐」を事前に読んでおいた方がおもしろさがより際立つと思います。
Posted by ブクログ
パニックホラーかと思いきや、純文学?!
この極限状態でも、老婆達のやり取りは知的で哲学的。
禅問答のような会話が舞台シナリオのよう。
熊の描写は吉村昭氏や熊谷達也氏のほうがリアルかも。
生きるとは 死ぬとは?を 人生の先輩に問いたくなったらどうぞ!その代わり 熊もいます。
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姥捨て山に捨てられたがデンデラに救われ、死にたかった本心や生きる目的に悩み続ける主人公が良い。デンデラという素材が素晴らしい。このネタで様々な物語が作れると感じた。
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70歳以上、50名の老婆。
斎藤カユ。三ツ屋メイ。羆の襲撃。赤背。二本足。疫病。
ラストシーンが美しくて笑った。
映画化と聞いた時は盛り上がったが、ビジュアルをみて見る気をなくした思い出が。
Posted by ブクログ
映画になったようなのだが、脚本は原作より出来は良いのだろうか。原作に忠実ならば観る価値は低い。なぜ、老人が熊と戦わなければいけないのか。必然性がないわけではないが、話がつまらない。婆さんよりは女子高生が熊と戦い壮絶に絶命する方が圧倒的に面白い。必然性はないけれど、同じ時間を割くなら面白い小説を読みたい。
Posted by ブクログ
姥捨山に捨てられた老人たちのその後の闘いを描いたものです。サバイバル的内容がメインかと思いきや,映画『リメインズ 美しき勇者たち』を彷彿とさせるような人食い熊や雪との闘いが大半を占めました。一度生を諦めた老人たちが如何に生きることにこだわるようになっていったのかという心理描写が巧みです。
最後は,カユは熊を村に誘うことに成功したのでしょうか。想像をかき立てられます。
Posted by ブクログ
姥捨て山をモチーフにし、リアルなようでいてある種ファンタジー。
ですます調の柔らかな文体だけど、硬質な文章。
思想、ロジック、肉体的に現実離れした老婆達。
解説を読んで納得。確かにラノベ的。
そう思って読めば違和感も無く。
自分たちを捨てたムラ社会から隔絶した理想郷を作ろうとする穏健派と、
その村に対して復讐の執念を燃やす襲撃派の対立的構造から、
物語が進むにつれて赤背との対決に焦点が絞られて行く―
この赤背との対決シーンは手に汗握る展開で引き込まれた。
赤背との邂逅によって大目標を見出したカユの行動…
ラストシーンは映画的で、ハッピーエンドではないものの読後感はすっきり。
Posted by ブクログ
◎もともとは、『デンデラ』が映画化になり、その撮影が地元で行われていたのがきっかけで、原作に手を出してみる。
でも、それ以前に、私の地元には、古くから姥捨て山というものが存在していたということを、祖母から聞いていたのもきっかけで、すぐに読みたい!と思い、書店へ。
◎女という生き物は、今も昔もこういう風に見られているんだな、とか、時代は違えども、共感するもの、死に対するそれぞれの考えや、価値観がなんともおもしろい。
Posted by ブクログ
異性の老人をかくのってむずかしいんだろうなーという印象。
でも、じじ萌えの女性作家ならそうでもないかもしれない。けど男性読者からしたらねーよっておもうかも。どうなの。
よみながら、どうしても登場人物が老女におもえなくて地味にストレスたまった。
解説でそのへんが言及されてたけど、ええーみたいなかんじ。そんな大層なものかなあ…たんにかけないだけなんj(ry
あと「です・ます」調が抗ってもラノベくさい…
ラストシーンはすきだった。ぽこぽこ自己犠牲な人がでてくるんだけど、そういうのにむねあつ…ってなる日本人です。
ユヤタンのかく男女はすきだよ!