堀潤のレビュー一覧
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<目次>
第1章 能登半島地震でも起きた「偽SOS」
第2章 関東大震災のデマ、福島第一原発事故をめぐる検証
第3章 オープンジャーナリズムの時代の災害とメディア
第4章 デジタル時代の災害から学ぶべきこと
第5章 生成AIによる認知戦の時代~あなたの無意識が兵器になる
<内容>
なかなか重い内容だ。私も授業で関東大震災の時のデマの話、日中戦争の被害をめぐる戦後中国の偽写真の話などをするのだが、関東大震災のデマや熊本地震の際のフェイク画像など、正確な情報を載せてくれている。最終章の「認知戦」は怖い話だが、ウクライナ・ロシア戦争のロシア、中国、北朝鮮はすでに仕掛けている。著者が言っているように、フェイクニュース(デマ)を信じることはもってのほかだが、我々が「無意識」や「無関心」を続けることも、フェイクニュースの拡散や「真実化」へとつながってしまう。しっかりと真実をつかむことが大事だし、あらかじめ学習することが大事なのだ。 -
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伝える人、伝えられる人になりたい。
ずっとそう思っている。実際に様々な形でブログも立ち上げてきた。でも、自信が持てなかったり、うまく形にできなかったりして続かない。そういう思いで悶々としているから、自然と本著に手が伸びた。
伝えるって、思いを形にする第一歩なんだって、改めて考えさせられた。伝えなきゃ、伝わらない。当たり前だけど、難しい。
やりたいこともできたけど、その実現がままならない中、今できることは、やっぱり伝えることなんだ。
動画や画像は自分の伝えたいことや自分の生活のスタイルには馴染まない。
文章だ。文章で伝えよう。
決意を新たにした。 -
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情報を発信することの大切さを理解しながら、
なかなか行動に移せずに悩んでいたときに出会った本。
SNSをはじめとするツールを用いることで、
個人でも容易に発信することが可能となった世の中で、
どのように発信すれば相手に共感してもらえるのか?
興味を示してもらえるのか?について学べたと思う。
「主語を小さく」というキーワードが
幾度となく出現したが、確かに大きい主語だと
誰のことを指しているのかが分からず、
誰にも理解してもらえなくなる。
自分事、特定地域の話と主語が小さくなればなるほど、
関係する人は少なくなるものの、
逆に共感をしてもらえる人は多くなる。
仕事柄、どうしても汎化した情報を上げて
しまいがちだが、今ドキ汎化した情報なんて
そこかしこに転がっている。
ググれば大体のことは分かってしまう。
だからこそ、実体験や経験といったものが
より価値の高い情報として捉えられるのだろう。
プロジェクトマネジメントのフレームだって、
本やサイトを見れば大体のことは理解出来るが、
実践したところで上手くはいかないことが多い。
それよりも、基礎知識として理解したうえで、
プロジェクトの特性に合わせて工夫したことや
一喜一憂したことを話したほうが面白いし、
冷静に考えてみると自分も聞いてて面白い。
情報発信のときは「主語を小さく」を念頭に置いて、
発信していきたい。
【勉強になったこと】
・情報発信のときは「主語は小さく」すること。
主語を小さくすることで、より具体的に表現する
ことが必要となるので、より情報とも向き合うことに
つながる。
・情報発信をする=情報と向き合うということ。
発信するためにはインプットが必要で、
インプットとなる情報が正しいのか?
自分はそれを受けてどう感じるのか?
を考える機会を自ら作り上げることになり、
結果的に受信する際のセンスも磨かれる。
・情報発信のときは、「事実8割、意見2割」が
ちょうどいい。
・理想のインタビューは「一問掘り下げ式」
・「何かを見つけるのが得意」は大切な能力 -
Posted by ブクログ
元NHKキャスターの著者が、自身が制作した日米の原発事故を追ったドキュメンタリー映画を書籍化したもの。
この映画が、著者がNHKを去るきっかけとなったというのも、この事故の象徴的な側面かもしれない。
放射能や原発について、専門的なこと、化学的データの意味などは私にはわからない。だが、チェルノブイリやスリーマイル島も含め、原発事故関連の話を見聞きすればするほど、原子力など、人間の能力を超えた恐るべきシステムであるとしか思えない。
国家の機能停止さえ危ぶまれるほどの危機が予測できるというのに、なぜ原発でなければならないのか?
人間のすることに絶対などありえないのに、なぜ安全だと言って譲らないのか?
ひとたび何かが起きてしまったら、結局は誰かが人柱にならなければ決して収束できないというのに、しかも数十年という月日が間違いなくかかるというのに、なぜこの方法に固執するのか。
人々の犠牲が前提のシステムが、なぜ許されてしまうのか。
よもや、今後は二度と原発の事故は起こらないと、本気で考えているわけではあるまい。
事故の収束のために原発に入った作業員の言葉が重い。
「自分らはあと40年も50年も生きられないので、そうすると今日とか、明日生まれてくる誰かが行かないとどうにもならないんじゃないか(中略)今日生まれてくる誰かが放射能浴びに行かなくちゃ収束しない。」
「1ワットの電気も生み出さない原子炉のために、誰かが犠牲にならなければならない」