カレル・チャペックのレビュー一覧
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ネタバレロボットの語源となった話。
AIに人類が滅ぼされるという内容は、今やSFではよくある話ではあるが、カレル・チャペックはその発想に至った最初の人物なのではないだろうか。
これが大昔に書かれたとは思えない内容だった。
まず読み終わった感想として、ヘレンが余計なことをしたから…と考えてしまった。
読者は大体同様に思うのではないだろうか。
ロボットに人間的な仕組みを組み込むように企てたこと、設計図を独断で燃やしてしまったこと、色々引っかかるところはある。
そもそもヘレンが工場に来た時から開発陣はヘレンの虜になってしまった。
開発陣はヘレンのわがままを聞くようになった。
度々ヘレンの影響力が大きすぎるように感じてしまうことから、ヘレンは何か特別な存在なのではと考えさせられる。
最終章では人間の終わり、ロボットの終わりが示唆されているが、解説にあったように誰が悪いわけでもなく、誰もが自分の思う正しいことをしたに過ぎない。
人類が発展したことによるひとつの終わり方を見ることができて非常に興味深かった。
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この作品によって、ロボットと言う名称が世に広まったのは有名な話。
ただし、ロボットと言う名称を唱えたのは、作者のチャペックの兄のヨゼフである。これも既に有名な話か。
ただ、この作品のロボットは、私達がイメージする機械や鋼鉄で出来ている機械人形と言うより、人造人間(アンドロイド)的なイメージ。生きた物質を発見して、人間の臓器を大量に作り出して、人型に組み上げると言う、非常にグロテスクなものだ。
ヴィリエ・ド・リラダンは「未来のイブ」でアンドロイドと言う名称を作ったが、こちらの造られたイブの方が機械人間的のなのが面白い。
内容は、既に古典的とも言える。ロボット(奴隷)の人間としての権利を与えるべきか否か。
そして、人間(主人)から独立して生きて行く事が、より厳しい人生を歩む事になるかもしれない皮肉だ。
この作品のラストは未来を暗示するようで、今でも本当に恐い作品だと思う。 -
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チェコの作家、カレルチャペックによる
園芸愛好家の一年のエッセイ。
園芸愛好家が毎月、庭のことについて
どんな事を考え、行動しているかが書かれていた。
園芸の事だから、牧歌的内容かと思いきや,
結構刺激的だった。
園芸家だからという訳ではなく、
感性、文章がとても刺激的で面白かった。
一つの事に夢中になっている人から
出てくる感性っていえのは、
やっぱり面白いなと思った。
私も庭を素敵にしたいと思ったけど、
この本で、本気の園芸愛を知り
私には無理だろうなぁと諦めの気持ちになった。
庭での作業は、
初めたら無心になったり,自然との対話で
生活や人との会話では出てこないような
考えが出てきたりするので、
作家と園芸愛好家の生活は
精神的にも時間的にも相性抜群な気がした。
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ロボットの語源だと知識としては知っていた作品。巻末の作者の言葉にある通り、いわゆる機械のロボットとは少し違う人造人間的なロボットを作り出して破滅に追いやられる人間。希望のようなそうでもないような結末。1920年に書かれたのが不思議な内容。そしてこの初版2000部のチェコ語の作品があっという間に世界を席巻して1924年には日本でも上演され、1933年にはオックスフォード英語辞典にロボットいう言葉が収録されて、ロボットという言葉と概念(少しこの作品とは異なる形で)世界に定着するというのもなかなかすごいスピード感だ。
そんな世界文学になったこの作品の作者として「世界文学はどうやってできるか」という文章をチャペックが書いていることが、阿部賢一氏の解説で紹介されている。以下引用。
彼のエッセイに「世界文学はどうやってできるか」(1936)がある。小国チェコの作家は世界文学になることができるか、あるいは世界文学となる作品とはどういうものかを論じた文章である。そこで、チャペックは世界文学を4つに分類している。1つは、一時的に流行する作家たち、2つ目は、あまりにも新規であるため、時間が経ってからでないと評価されない作家たち、3つ目は、歴史的なアクチュアリティを持っている作家達である。チャペックが1番注目するのは4つ目のグループである。そこで、ディケンズ、ゴーゴリらの名前を挙げ、彼らが世界文学であるとしたら、それは彼らが世界文学を意識して執筆したからではなく、民族に寄り添った作品を書こうとしたからだと指摘した上で次のように続ける。
私たちが彼らの作品で1番好きなのは、移し変えられないもの、つまり、土地や経験という意味で、彼らだけが持っているものだ。より英国的、よりロシア的、より北欧的になればなるほど、作品は深みを帯び、世界的であることの見解も明確になる。
つまり、世界文学となるのは人口の多寡には関係ない。小さな民族の小さな人々や小さな運命であっても、それを地理的に限定されない人々、そしてその運命であると意識することが肝要だと、チャペックは説く。別の言葉で表現すれば、ささやかな出来事であっても、それをどれだけ深く捉えるかということだろう。
引用ここまで。
満員の路面電車での不快感からこの作品を書いたチャペックの、出来事や経験を掘り下げて想像力を織り混ぜながら普遍的な問いかけを続けていく姿勢が人間に似ているけど違う何かに対して感じるであろう違和感と起こりうる出来事を作品に落とし込み、それが世界に受け入れられる。セッティングはチェコに土着のものではなくても、深く捉えた感覚が共有されたということなのだろう。 -
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「ロボット」という言葉を小説で最初に著した著者。序盤の病気の発生源からして、まるで現代の状況を予言していたかのようで驚かされます。
内容は、パンデミックと戦争の両方とも解決しようとする、平和を希求して妥協を知らない医師の孤独な闘い。はたして彼は、国家を動かすことができるのかというお話し。最後の終わり方が、何かを暗示しているようで、考えさせられます。
この戯曲が書かれたのが1937年。第一次世界大戦、スペイン風邪、世界恐慌などを経験。スペイン内戦が起きて、まさにナチスが台頭し始めた頃のこと。このような混沌とした世の中で、二度と戦争を起こして欲しくないと平和を願って書かれたと思います。しかし、そんな彼も翌年には、ミュンヘン会談で故郷がナチスに割譲されて、人類は二度目の大戦に突入していきます…著者の心情を思うと、なんだかやりきれない気持ちになります。 -
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ほぼ100年前の旅行記。
筆者のカレル・チャペックはチェコ・プラハ出身の、ジャーナリスト・エッセイスト・小説家・劇作家。1924年の5月から7月にかけてイギリス国内を旅する。この間に書いた紀行文がプラハの新聞に連載され好評を博した。それを書籍化したものが本書。
「あいさつ」と題された、筆者による前書きがある。その中に心を惹かれた文章があったので、少し長くなるが引用したい。イギリスで見た光景を思い浮かべて、筆者が考えたこと、感じたことである。私には、筆者が「旅とは何か」についてを語ってくれているように感じた。
【引用】
わたしが思い浮かべるのは、ただ、ケントにある一軒の赤い小さな家である。なんの変哲もない家だった。わたしがその家を見たのは、列車がフォークストンからロンドンへ走っていたときで、ほとんど一秒かそこらである。
実際にはその家は、一面に茂っていた木のために、ちゃんと見えもしなかった。庭では、老紳士が生け垣を植木ばさみで刈っていて、緑の茂みの反対側では、平坦な道を少女が自転車で走っていた。ただそれだけだった。その少女がきちんとした格好に見えたかどうかも、わからない。その黒服の老紳士が、あるいはその土地の神父だったか、休息中の実業家だったか、それは問題ではない。
その家には、イギリスの赤い家がみなそうであるように、高い煙突と白い窓があったが、それ以上は語れない。それでも、わたしがイギリスのことをひとり考えるときにはすぐに、ケントにあるそのありふれた家が、園芸用のはさみを手にもった老紳士が、そして熱心にひたすら自転車のペダルを踏む少女の姿が、はっきりと見える。
そしてわたしはちょっぴりさびしくなりはじめる。わたしは、かの地で、他のさまざまなもの、たとえば、城と公園と波止場とを、イングランド銀行とウェストミンスター寺院を、そして歴史的な記念碑的なものを、あちこちで見た。しかしそれは、わたしにとってイギリスのすべてではない。
イギリスのすべて、それはただ、あの老紳士と自転車の少女のいた、緑の庭園の中のあの素朴な家なのだ。なぜなのか、それはわからない。わたしはただ、そうなのだと話しているだけである。
【引用終わり】
どこかに旅行に、観光に出かける。
どこでも良いが、筆者に敬意を表してプラハに行ったとしよう。旧市街を見物して、カレル橋を渡り、プラハ城に向かう。素晴らしくきれいな街並みに強い印象を受けるが、あなたがプラハについて思い出すのは、道に迷った際にホテルへの道順を教えてくれた地元の若い人だったり、ホテル周辺の小道にいた迷い犬だったりするかもしれない。そして、道を教えてくれる若い人は、あるいは、小道を歩く迷い犬は、今日もプラハにいるはずだ。そう思うと、家でじっとしているのがいたたまれなくなる。
私は、上記のカレル・チャペックの文章を読んで、そんなことを感じた。 -
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チェコのジャーナリスト、小説家であるカレル・チャペックがイギリスに滞在した際のイギリスに関するエッセイ。
カレル・チャペックについては、全然知らなかったのだけれど、「ロボット」という新語を世に広めた人らしい。へぇ。
カレル・チャペックの旅行記としては、他に、イタリア、オランダ、スペインなどがあるけれど、この「イギリスだより」は特に好評を得て、人気もあるとのこと。へぇ。
で、内容だけど、まぁこれが独特の表現で、ユーモアあり、奇抜な言い回しあり、でわかりにくいところも多々あるのだけれど、なんか楽しい。こういう文章をウィットに富むというのだろうか。イギリスやイギリス人に対して、ズバっと毒をはいたりした直後にめっちゃ褒めたりする(笑)
特に楽しかったところは、チェコという小国から出てきた彼が大都市ロンドンの交通機関やお巡りさんに驚いたりするところと、マダムタッソーろう人形館を訪れるところ。思わずプハっと吹き出しました。
結局彼は、イギリスびいきで、祖国チェコが大好きってことが、よくわかった。
本書の最後に収録されているイギリス国民へのラジオ原稿は、ナチス台頭による民主主義の危機と当時のチェコスロバキアへのファシズムの侵略を憂えたチャペックの、イギリス国民へ連帯を呼びかけたもの、とあとがきで知った。
今のチェコ、イギリスをチャペックが見たら、どう表現するのか、すごく興味がある。
機会があったら他の国の旅行記も読んでみようと思う。 -
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新型コロナ、そしてロシアの侵攻で世界が揺れ続ける中、こんな作品があったのか、と少し恐ろしくもなる作品でした。
突然白い斑点が体中に現れ、死に至る疫病の流行する世界。そして舞台となる国家は戦争を推し進める総統によって支配されている。
この二点が現実と合致してしまうことに恐ろしさとやりきれなさを思います。
戯曲ということで最低限の登場人物の動作以外は、会話のみで話は進んで行きます。その分、想像力が必要とされるかもしれないけれど、セリフだけのため非常に早く読めました。
それでいて内容は濃い。示唆的な部分、寓意的な部分と色々あって、考えさせられる部分もあり、登場人物の葛藤もセリフだけのためか、表情や言葉に表れない心理などを想像させられました。
白い病が50歳以上の人間にだけ発病することで生まれる世代間の対立。
権力者や富のあるものと貧困にあえぐ人たちという、階級間の対立。
本来なら権力者や富のある人が病の治療薬の恩恵を真っ先に受けられそうなのに、それがこの作品に登場する医師の信念によって、階級や富による有利不利が全く逆転してしまう。
そこから持つもの、持たざるものの差や責任みたいなものも考えさせられる。
白い病の場合は発症する者、しない者という点で世代間対立が生まれたけど、現実を見ても、政治への影響力や資産の面で世代間対立というものが鮮明になっていて、そういうところすらも予見していたのかと思ってしまう。
さらに治療薬や戦争による武器産業をめぐって、自分の富や名誉を高めようとする人間が出てくるなど、物語で描かれる人間の欲望はどこまでも現実と地続きに描かれています。
様々な面から著者のカレル・チャペックの視点の鋭さを思わされます。
権力者や金持ちに治療薬を処方する条件として、医師は今すぐ戦争をやめるよう、総統に条件を出します。一方でその条件を呑もうとしない総統。さらに激化する民衆の戦争への熱狂。その行き着く先は……
疫病と戦争。大きな要素を自然に物語世界に取り込み、人間の欲望や悪、愚かさを痛烈に描ききった名作だったと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ面白かった。
1937年に発表された作品だけど、そのまま現代に通ずるのはなんとも悲しい。
初めは枢密顧問官や軍事会社の社長、元帥など、支配者に対する批判の色が強い作品なのかと思ったが、読んでいくと彼らはかなり理性的で、主張も(ある程度)一貫しているように感じた。
むしろ第二幕で登場する「父」が代表するように、メディアを通して情報を得て、自身に都合よく意見をころころ変える群衆こそ、平和の敵であり、批判の対象なのだと思う。
狂乱状態の群衆が指導者の手に負えなくなるのは、様々な国家や宗教で実証済みだし、最終的にはその群衆たちが、己を破滅へと導いてしまうのも示唆的でよかった。 -
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ネタバレチェコの作家カレルチャペックによる戯曲。
軍国主義の国に致死性の伝染病「白い病」が流行する。対症療法しか為す術がなく多くの人が命を落とす中、ガレーン博士という町医者が特効薬を見つける。しかし、彼は貧しい人しか治療せず、お金持ちや権力を持つ人は、戦争を止めると約束しなければ治療しないと宣言する。
「人が亡くなるのを放っておくのですか?」と問われた博士は、「では、人々が殺し合いをするのを、あなたは放っておくのか?」と切り返す。「これは医師としての務めなのです、戦争を防ぐことが!」
この本は、『「その他の外国文学」の翻訳者たち』で紹介されていたのをきっかけに読んだ。チェコの作者の本を読んだのはおそらく初めて。
巻末にある、訳者の阿部賢一氏による解説が良かった。読んでいる間はあまりチェコの文学ということを意識することはなかったが(物語の舞台自体は架空の国ということになっている)、解説には作者のことや時代背景についての紹介があり、作品が生まれた背景を知ることができた。
本作は既訳があるとのことだが、新型コロナウイルスのパンデミックが始まったことをきっかけに新訳を出そうということで、2020年に阿部氏が翻訳を開始し5月には訳し終わっていたらしい。すさまじいスピード感…。2022年の今よむと、感染症と戦争というテーマがより現実にリンクして感じられる。
作中に出てくる家族の父親が、「中世でもあるまいし、病気でこんなにたくさん人が死ぬなんてありえない」みたいなことを言っていたのが印象的だった。コロナ前は現代でも多くの人がそう思っていたよね。。。