ロボットの名付け親
カレル・チャペック『絶対製造工場』
物質をエネルギーに変換する発明品「カルブラートル」は、物質に封じられた〈神=絶対〉も解放してしまう。〈絶対〉がもたらす啓示・宗教的恍惚や奇跡によって世界は混乱と争いの時代へ。約100年前の小説だけど、風刺されている世相は現代にも当てはまると思う。
【読書案内】絶対製造工場/チャペック
人類はついに『絶対=神』の製造に成功した。『絶対』は、人々に陶酔を、感動を、信心を与えながら急速に増殖していく。しかし、それは、世界全体を巻き混む混乱と破壊への序章であった。
神とは、絶対とは、真理とは何かを問う傑作SF
「「わたしは何も信じない」マレクはきびしく言った。「わたしは信じたくない。わたしは以前から無神論者だ。わたしは物質と進歩を信じ、他のものを一切信じなかった。わたしは科学的人間だ、ボンディ。そして科学は神を認めることができない」「業務上の立場からすれば」ボンディ氏は述べた。「そのことはどうでもよい。もし神自ら存在することを望むのなら、しぶしぶながら認めよう。われわれは神とたがいに無関係というわけにゆかない」「しかし科学の立場からすれば、ボンディ」技師はいかめしく叫んだ。「それは全く耐えられないことだ。神か、しからずんば科学か。わたしは神が存在しないとは主張しない。わたしはただ神は存在してはならない。あるいは少なくとも、神は人目をひくようなことがあってはならないと主張するだけだ。そしてわたしは科学がひきつづき一歩一歩、神を駆逐してゆくと信じている。あるいは少なくとも、科学は神が人目につくことを妨げている。そこでわたしはそのことが科学の最大の使命であると思っている」」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「「他方、神が」彼はこれまですでに書いてきたことに一切頓着せず、迅速に記した。「原始的礼拝形式以外には出現しないことを疑うことはできない。現代の背教によって、古代の宗教生活との結合は中断された。神はかつて未開人に対し行なったように、今やわれわれを回心させるために最初から始めなければならない。最初神は偶像であり、物神である。一集団、一種族の偶像である。神は自然を活性化し、魔術師を通じて作用する。われわれの目の前で、先史的形式から始まりより高度のものへと上昇してゆく、この宗教的な発展が繰り返されている。現在の宗教の波がいくつかの方向にわかれ、いずれも他の波を圧倒して優位を占めるべくつとめることもありうるだろう。その熱意と執拗さからして十字軍を凌ぎ、その大がかりなことからして第一次世界大戦よりもはげしい、宗教戦争の時代がやってくることが予想される。現代のような神のない時代において、神の王国は莫大な犠牲と教義上の混乱なくしては建立されることはあるまい。しかしそれにもかかわらずわたしは諸君にはっきりと宣言する。諸君は全身全霊をもって絶対子に帰依しなさい。神を信じなさい。どんな形態をとろうとも神は諸君に語りかけるであろう。神が地球上に、あるいはおそらく太陽系の他の惑星上に、永遠の神の国、絶対子帝国を建設するために、すでに近寄っていることを知りなさい。しかるべきときにわたしはもう一度繰り返すであろう。謙譲であれと!」」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「かつまた再形成するか、さらにいかに絶対子は彼らの眼前に、たしかに驚くべきだが、人間的にはきわめて自然な奇跡、熱狂、悟り、霊感そして信仰の世界を開示するかということである。なぜなら、よく聞いていただきたい。年代記作者は歴史記述ができないことを自ら告白しているからである。歴史家がおのれの歴史的学識、古文書学、抽象、総合統計学その他の歴史的発想の、いわば加圧機を用いて、何千、何万、何十万の、こまかい生き生きとした個々の出来事を『歴史的事実』『社会現象』『大衆的事件』『発展』『文化の潮流』あるいは一般に『歴史的真実』といわれる、恣意的につくられる濃厚物質に圧縮してしまうとき、年代記作者はひたすら個々の事例のみをみつめ、そればかりかこれに魅惑されてしまうのだ。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「しばしば年代記作者が(そしてきっと皆さんの多くも)――いかなる理由にせよ――夜の空と星の姿を眺め、その途方もない数とはかり知れない距離と拡がりに言葉を失い、これらのどの光の点も、実は巨大な燃焼しつつある世界あるいは全体が躍動する惑星系であり、おそらくこれらの光の点は十億もあろうと自分に言いきかせるとき、あるいは年代記作者が高い山に登り(わたしの場合はタトリ山〔スロバキアとポーランドの境にある二六六三メートルの山〕)広い地平線を見つめ、真下の草原、森林、山岳を見おろし、さらにすぐ鼻の先にある密林や草地をながめるとき、そしてこれらの風物がいずれもうっそうと生いしげり、はちきれそうな豊かな生命活動を繰りひろげている有様を見るとき、さらには年代記作者が、草の中に無数の花、甲虫、チョウを見出し、しかもこれらの生物が、眼前にはてしなくひろがる平原上で狂おしいほど豊かに増殖していることを脳裏に描くとき、さらにまたこの平原と同じように豊かではなやかに地球表面をおおっている、何百万という他の平原のことを考えてみるとき、しばしば創造について次のように考え、それをおのれに告白する事態が起ることであろう。「これらのすべてを、もしだれかがつくりあげるかあるいは創造したのであれば、われわれはそれこそおそるべき浪費であると告白せねばなるまい。もしだれかが創造主として活動しようと欲したのであれば、彼はこれほどとてつもなく多くを創造してはならなかったはずだ。豊饒は渾沌であり、渾沌は心神喪失あるいは泥酔状態である。そのとおりだ。人間の知性はこうした創造行為の過剰に直面してめんくらってしまう。これはまさに多すぎる。狂気に駆られた無制限だ。生誕以来無限に接してきた者は誰でもあれ、巨大なひろがりに慣れすぎて正しい尺度をもたない(なぜならあらゆる尺度は有限を前提しているからだ)。何の尺度も要するに持っていないのだ」」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「ある土地では、靴のびょうでできたキラキラ光る海が広がっているのに、数キロメートル離れたところでは一個の靴のびょうも手に入らない。経済的に無価値だというわけで業界から消滅したからだ。もしあなたが靴のびょうを靴の踵に打ちこむため、あるいはわざとこれを隣人のマットレスの中にかくすためにいくらさがしても無駄だ。ちょうどシュランやチャスラウに海がないように、靴のびょうなどどこにも見当らない。必要な商品をあとで別の場所で高く売るために、この土地で安く仕入れた昔風の商人はいったいどこにいるのだ? おおなんたることか、お前たち商人は消滅した。なぜならお前たちは神の恩寵にめぐまれたからだ。お前たちは自分の利益を恥じ、自分の店を人類皆兄弟という考えに基づいて閉じてしまった。そしてお前たちはおのれの所有物をすべて他人に贈った。お前たちは、神の前ではすべておのれの兄弟である人々が必要としている商品を、分配するという商行為を通じておのれを富ませることを欲しない。価値のないところには市場もない。市場がないところには分配もない。分配がないところには商品もない。そしてまったく商品がないところでは需要が増え、価格が上り、利益がまし、商業がさかんになる。ところがお前たちは利益から目をそむけ、すべての支払いにどうにも我慢できないような反感を抱いた。お前たちは物質の世界を、消費、市場、それに販売の観点から見ることをやめた。ひたすら合掌してお前たちは、この世の美と豊饒を感嘆してみつめた。そしてその間に靴のびょうはなくなった。もはや一個の靴のびょうもなくなった。ただはるか遠方のどこかに靴のびょうが際限もなく広がっているのに。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「「わたしは新聞を読んでいる。新聞からだけでも……ある程度は実際に起きていることを頭の中でまとめあげること位はできるだろう。新聞記者はたしかにすべてをゆがめて報道している。しかし、……そもそも物を読むことができる人間ならば……言ってくれ、ボンディ、実際に新聞にあるように恐ろしいのか?」」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「午後五時(イギリス時間で)になって、はじめて各国の著名な外交官たちは昼食をとることになった。このときはじめてウォーダベイ記者は、重要な協定締結団の代表者たちの発言を自分の耳で聞く機会に恵まれた。食事のあとはスポーツと女優のことが話題になった。白髪をなびかせた詩人のような頭部、そして知性豊かな眼をしたサー・ウォーシットは、フランスのデュデュー首相とサケ釣りについて盛んに話した。またフランス首相の生き生きとした身のこなし、はっきりした話し方、それに「何ともいいようのない」といったいいまわしは、彼が根っから弁護士タイプの人間であることを示した。あらゆる酒類を拒否したヤナト男爵は、まるで口の中にいっぱい水をふくんでいるようにただ黙って傾聴し、ほほえみつづけた。ヴルム博士は書類を読みふけった。ブーフティン将軍はトリヴェリーノ侯爵と共に広間の中を歩きまわった。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「「わが国では」と慎重にホレーシオ・バムは言って、玉突きのキューで体を支えた。「彼はスポーツにも関心を寄せています。実際にすばらしいスポーツマンです。彼はありとあらゆる種目のプレイを愛好しています。彼はスポーツでとてつもない記録をあげています。そればかりか、彼はシャンペンの中にも入りこんでいます。彼は社会主義者のせいか、湿ったもの、楽しいものと仲が良いのですが、水をアルコール飲料に変えてしまうのです。最近ホワイト・ハウスの宴会で全員が――ああ何ということでしょう。――おそろしく酔っぱらってしまいました。つまりですね。全員ただ水を飲んだだけなのですが、彼はこれを彼らの胃の中で酒にかえてしまったのです」「それは奇妙ですな」サー・ウォーシットは言った。「わが国では、彼はむしろ保守主義者のような様子をみせています。彼は全能の聖職者のように振舞います。会合、行列、街頭での説教などの場合、わが国では彼が自由主義者とは対立しているとわたしは思っています」」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「た。「共産主義者のようですが、自発的に貧窮の生活をせよ、野のユリのようになれと聴衆に説教しました。その男のあごひげは、なんとベルトまで垂れ下っていました。まったく恐ろしいことです。いったい今何人くらいひげ男がうろつきまわっていることでしょう。だれもまるで使徒のようです」」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「ここで再び、年代記作者は、自分が大規模な事物の記述に関する十分な感覚を備えていないことを容赦してもらいたいと思っている。本来、年代記作者は、戦争がライン川からユーフラテス川まで展開し、朝鮮半島からデンマークへ、ルガノからハパランダへとつぎつぎに広がっていった有様を記述すべきであったろう。だが、それはできない。年代記作者は代りに白衣姿のベドウィン族がジュネーブに着き、二メートルもある槍の尖端に敵の首をつきさして疾走した様子を熱心に述べるであろう。あるいはフランス軍兵士のチベットでの恋愛沙汰、サハラにおけるロシア人コサック騎兵の行進、フィンランド湾岸におけるマケドニアのコミダトン〔一九世紀および二十世紀において、反トルコの旗印をかかげた革命委員会によって指導されたブルガリアの解放運動のメンバー〕とセネガルの狙撃兵の、騎士道を思わせる大時代的な争いについて記すであろう。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「チャペックは、人造人間をチェコ語で強制労働、夫役を意味する robotaつまりロボットと命名した。この戯曲では人間がロボットを大量生産し、産業発展に役立てようとするが、いつの間にか人間に似た感情をもつようになったロボットは人間の支配を脱却しようと団結して革命を起こし、ついに人間を全滅させてしまう。 この風刺劇は、戦前日本にも紹介され往年の築地小劇場などで上演され好評を博したが、なんとしても一九二〇年の初期にチャペックがロボットの大量生産や、その労働者との争いを予測した能力は抜群であり、戦後も一九八九年の千野栄一氏による翻訳(岩波文庫)のほか多くの翻訳書が出ている。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「とりわけ本書『絶対子工場』(一九二二)は現在もっとも緊急な問題の一つである原子力の利用、とくに原発の構想とその恐るべき災害を予想した点で、今やチャペックのもっともすぐれた作品の一つ、代表的作品とみなされるに至った。 ところで、チャペックの原発が生み出す災害は放射能汚染というより霊気汚染である。原子核の分裂によってエネルギーとともに神の霊気も放出され、それが人間の精神にも狂信の激化、凶暴性の促進など様々な影響を与え、ついに第一次大戦を上まわる大戦争をひき起こすことになる。最後にはこの地球上から原子炉が一基もなくなり、大戦争を生きのびた人々は、のんびりした戦前の平和な日常生活に戻る。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「これとは逆にソ連、東欧圏ではこの作品に批判的な声も高い。ひとつにはチャペックが中道的な世界観をもつ個人主義者であり、大がかりな資本主義にもマルキシズムにも疑念を抱いていたことがこの小説の中にも明瞭に示されているからであろう。さらに、この未来小説の中で、ロシアが「ソビエト」ではなく依然として帝国として描かれていることも、東側の人々には不満であり奇異に思われることであろう。しかし、この小説の面白さには彼等も敬服しているもようである。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著
「本書、『絶対子工場』についてもこのことが言えるのではなかろうか。西欧では最近本書がチャペックの代表作とみなされていることは、人名辞典の紹介記事などからも明らかであるが、たとえば、ハンス・ヨアヒム・アルペルス他編のレクラム版『 SF作家案内』(一九八二)は、この小説のすばらしい着想、逆説、おどけた奇妙な事柄に満たされた天才的作品と称賛したあと「形而上学的なるものと、日常的なるものが、この多少無形式な小説の中でグロテスクかつ逆説的に併存している。この有様はチャペックの影響を否定できないポーランドの SF作家レムの後期のいくつかの作品と似ている」と書いている。」
—『絶対子工場』カレル・チャペック著