飯島周のレビュー一覧

  • 絶対製造工場

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    ロボットの名付け親

    カレル・チャペック『絶対製造工場』
    物質をエネルギーに変換する発明品「カルブラートル」は、物質に封じられた〈神=絶対〉も解放してしまう。〈絶対〉がもたらす啓示・宗教的恍惚や奇跡によって世界は混乱と争いの時代へ。約100年前の小説だけど、風刺されている世相は現代にも当てはまると思う。

    【読書案内】絶対製造工場/チャペック

    人類はついに『絶対=神』の製造に成功した。『絶対』は、人々に陶酔を、感動を、信心を与えながら急速に増殖していく。しかし、それは、世界全体を巻き混む混乱と破壊への序章であった。
    神とは、絶対とは、真理とは何かを問う傑作SF

    「「わたしは何も信じない」マレクはきびしく言った。「わたしは信じたくない。わたしは以前から無神論者だ。わたしは物質と進歩を信じ、他のものを一切信じなかった。わたしは科学的人間だ、ボンディ。そして科学は神を認めることができない」「業務上の立場からすれば」ボンディ氏は述べた。「そのことはどうでもよい。もし神自ら存在することを望むのなら、しぶしぶながら認めよう。われわれは神とたがいに無関係というわけにゆかない」「しかし科学の立場からすれば、ボンディ」技師はいかめしく叫んだ。「それは全く耐えられないことだ。神か、しからずんば科学か。わたしは神が存在しないとは主張しない。わたしはただ神は存在してはならない。あるいは少なくとも、神は人目をひくようなことがあってはならないと主張するだけだ。そしてわたしは科学がひきつづき一歩一歩、神を駆逐してゆくと信じている。あるいは少なくとも、科学は神が人目につくことを妨げている。そこでわたしはそのことが科学の最大の使命であると思っている」」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「「他方、神が」彼はこれまですでに書いてきたことに一切頓着せず、迅速に記した。「原始的礼拝形式以外には出現しないことを疑うことはできない。現代の背教によって、古代の宗教生活との結合は中断された。神はかつて未開人に対し行なったように、今やわれわれを回心させるために最初から始めなければならない。最初神は偶像であり、物神である。一集団、一種族の偶像である。神は自然を活性化し、魔術師を通じて作用する。われわれの目の前で、先史的形式から始まりより高度のものへと上昇してゆく、この宗教的な発展が繰り返されている。現在の宗教の波がいくつかの方向にわかれ、いずれも他の波を圧倒して優位を占めるべくつとめることもありうるだろう。その熱意と執拗さからして十字軍を凌ぎ、その大がかりなことからして第一次世界大戦よりもはげしい、宗教戦争の時代がやってくることが予想される。現代のような神のない時代において、神の王国は莫大な犠牲と教義上の混乱なくしては建立されることはあるまい。しかしそれにもかかわらずわたしは諸君にはっきりと宣言する。諸君は全身全霊をもって絶対子に帰依しなさい。神を信じなさい。どんな形態をとろうとも神は諸君に語りかけるであろう。神が地球上に、あるいはおそらく太陽系の他の惑星上に、永遠の神の国、絶対子帝国を建設するために、すでに近寄っていることを知りなさい。しかるべきときにわたしはもう一度繰り返すであろう。謙譲であれと!」」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「かつまた再形成するか、さらにいかに絶対子は彼らの眼前に、たしかに驚くべきだが、人間的にはきわめて自然な奇跡、熱狂、悟り、霊感そして信仰の世界を開示するかということである。なぜなら、よく聞いていただきたい。年代記作者は歴史記述ができないことを自ら告白しているからである。歴史家がおのれの歴史的学識、古文書学、抽象、総合統計学その他の歴史的発想の、いわば加圧機を用いて、何千、何万、何十万の、こまかい生き生きとした個々の出来事を『歴史的事実』『社会現象』『大衆的事件』『発展』『文化の潮流』あるいは一般に『歴史的真実』といわれる、恣意的につくられる濃厚物質に圧縮してしまうとき、年代記作者はひたすら個々の事例のみをみつめ、そればかりかこれに魅惑されてしまうのだ。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「しばしば年代記作者が(そしてきっと皆さんの多くも)――いかなる理由にせよ――夜の空と星の姿を眺め、その途方もない数とはかり知れない距離と拡がりに言葉を失い、これらのどの光の点も、実は巨大な燃焼しつつある世界あるいは全体が躍動する惑星系であり、おそらくこれらの光の点は十億もあろうと自分に言いきかせるとき、あるいは年代記作者が高い山に登り(わたしの場合はタトリ山〔スロバキアとポーランドの境にある二六六三メートルの山〕)広い地平線を見つめ、真下の草原、森林、山岳を見おろし、さらにすぐ鼻の先にある密林や草地をながめるとき、そしてこれらの風物がいずれもうっそうと生いしげり、はちきれそうな豊かな生命活動を繰りひろげている有様を見るとき、さらには年代記作者が、草の中に無数の花、甲虫、チョウを見出し、しかもこれらの生物が、眼前にはてしなくひろがる平原上で狂おしいほど豊かに増殖していることを脳裏に描くとき、さらにまたこの平原と同じように豊かではなやかに地球表面をおおっている、何百万という他の平原のことを考えてみるとき、しばしば創造について次のように考え、それをおのれに告白する事態が起ることであろう。「これらのすべてを、もしだれかがつくりあげるかあるいは創造したのであれば、われわれはそれこそおそるべき浪費であると告白せねばなるまい。もしだれかが創造主として活動しようと欲したのであれば、彼はこれほどとてつもなく多くを創造してはならなかったはずだ。豊饒は渾沌であり、渾沌は心神喪失あるいは泥酔状態である。そのとおりだ。人間の知性はこうした創造行為の過剰に直面してめんくらってしまう。これはまさに多すぎる。狂気に駆られた無制限だ。生誕以来無限に接してきた者は誰でもあれ、巨大なひろがりに慣れすぎて正しい尺度をもたない(なぜならあらゆる尺度は有限を前提しているからだ)。何の尺度も要するに持っていないのだ」」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「ある土地では、靴のびょうでできたキラキラ光る海が広がっているのに、数キロメートル離れたところでは一個の靴のびょうも手に入らない。経済的に無価値だというわけで業界から消滅したからだ。もしあなたが靴のびょうを靴の踵に打ちこむため、あるいはわざとこれを隣人のマットレスの中にかくすためにいくらさがしても無駄だ。ちょうどシュランやチャスラウに海がないように、靴のびょうなどどこにも見当らない。必要な商品をあとで別の場所で高く売るために、この土地で安く仕入れた昔風の商人はいったいどこにいるのだ?  おおなんたることか、お前たち商人は消滅した。なぜならお前たちは神の恩寵にめぐまれたからだ。お前たちは自分の利益を恥じ、自分の店を人類皆兄弟という考えに基づいて閉じてしまった。そしてお前たちはおのれの所有物をすべて他人に贈った。お前たちは、神の前ではすべておのれの兄弟である人々が必要としている商品を、分配するという商行為を通じておのれを富ませることを欲しない。価値のないところには市場もない。市場がないところには分配もない。分配がないところには商品もない。そしてまったく商品がないところでは需要が増え、価格が上り、利益がまし、商業がさかんになる。ところがお前たちは利益から目をそむけ、すべての支払いにどうにも我慢できないような反感を抱いた。お前たちは物質の世界を、消費、市場、それに販売の観点から見ることをやめた。ひたすら合掌してお前たちは、この世の美と豊饒を感嘆してみつめた。そしてその間に靴のびょうはなくなった。もはや一個の靴のびょうもなくなった。ただはるか遠方のどこかに靴のびょうが際限もなく広がっているのに。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「「わたしは新聞を読んでいる。新聞からだけでも……ある程度は実際に起きていることを頭の中でまとめあげること位はできるだろう。新聞記者はたしかにすべてをゆがめて報道している。しかし、……そもそも物を読むことができる人間ならば……言ってくれ、ボンディ、実際に新聞にあるように恐ろしいのか?」」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「午後五時(イギリス時間で)になって、はじめて各国の著名な外交官たちは昼食をとることになった。このときはじめてウォーダベイ記者は、重要な協定締結団の代表者たちの発言を自分の耳で聞く機会に恵まれた。食事のあとはスポーツと女優のことが話題になった。白髪をなびかせた詩人のような頭部、そして知性豊かな眼をしたサー・ウォーシットは、フランスのデュデュー首相とサケ釣りについて盛んに話した。またフランス首相の生き生きとした身のこなし、はっきりした話し方、それに「何ともいいようのない」といったいいまわしは、彼が根っから弁護士タイプの人間であることを示した。あらゆる酒類を拒否したヤナト男爵は、まるで口の中にいっぱい水をふくんでいるようにただ黙って傾聴し、ほほえみつづけた。ヴルム博士は書類を読みふけった。ブーフティン将軍はトリヴェリーノ侯爵と共に広間の中を歩きまわった。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「「わが国では」と慎重にホレーシオ・バムは言って、玉突きのキューで体を支えた。「彼はスポーツにも関心を寄せています。実際にすばらしいスポーツマンです。彼はありとあらゆる種目のプレイを愛好しています。彼はスポーツでとてつもない記録をあげています。そればかりか、彼はシャンペンの中にも入りこんでいます。彼は社会主義者のせいか、湿ったもの、楽しいものと仲が良いのですが、水をアルコール飲料に変えてしまうのです。最近ホワイト・ハウスの宴会で全員が――ああ何ということでしょう。――おそろしく酔っぱらってしまいました。つまりですね。全員ただ水を飲んだだけなのですが、彼はこれを彼らの胃の中で酒にかえてしまったのです」「それは奇妙ですな」サー・ウォーシットは言った。「わが国では、彼はむしろ保守主義者のような様子をみせています。彼は全能の聖職者のように振舞います。会合、行列、街頭での説教などの場合、わが国では彼が自由主義者とは対立しているとわたしは思っています」」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「た。「共産主義者のようですが、自発的に貧窮の生活をせよ、野のユリのようになれと聴衆に説教しました。その男のあごひげは、なんとベルトまで垂れ下っていました。まったく恐ろしいことです。いったい今何人くらいひげ男がうろつきまわっていることでしょう。だれもまるで使徒のようです」」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「ここで再び、年代記作者は、自分が大規模な事物の記述に関する十分な感覚を備えていないことを容赦してもらいたいと思っている。本来、年代記作者は、戦争がライン川からユーフラテス川まで展開し、朝鮮半島からデンマークへ、ルガノからハパランダへとつぎつぎに広がっていった有様を記述すべきであったろう。だが、それはできない。年代記作者は代りに白衣姿のベドウィン族がジュネーブに着き、二メートルもある槍の尖端に敵の首をつきさして疾走した様子を熱心に述べるであろう。あるいはフランス軍兵士のチベットでの恋愛沙汰、サハラにおけるロシア人コサック騎兵の行進、フィンランド湾岸におけるマケドニアのコミダトン〔一九世紀および二十世紀において、反トルコの旗印をかかげた革命委員会によって指導されたブルガリアの解放運動のメンバー〕とセネガルの狙撃兵の、騎士道を思わせる大時代的な争いについて記すであろう。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「チャペックは、人造人間をチェコ語で強制労働、夫役を意味する robotaつまりロボットと命名した。この戯曲では人間がロボットを大量生産し、産業発展に役立てようとするが、いつの間にか人間に似た感情をもつようになったロボットは人間の支配を脱却しようと団結して革命を起こし、ついに人間を全滅させてしまう。  この風刺劇は、戦前日本にも紹介され往年の築地小劇場などで上演され好評を博したが、なんとしても一九二〇年の初期にチャペックがロボットの大量生産や、その労働者との争いを予測した能力は抜群であり、戦後も一九八九年の千野栄一氏による翻訳(岩波文庫)のほか多くの翻訳書が出ている。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「とりわけ本書『絶対子工場』(一九二二)は現在もっとも緊急な問題の一つである原子力の利用、とくに原発の構想とその恐るべき災害を予想した点で、今やチャペックのもっともすぐれた作品の一つ、代表的作品とみなされるに至った。  ところで、チャペックの原発が生み出す災害は放射能汚染というより霊気汚染である。原子核の分裂によってエネルギーとともに神の霊気も放出され、それが人間の精神にも狂信の激化、凶暴性の促進など様々な影響を与え、ついに第一次大戦を上まわる大戦争をひき起こすことになる。最後にはこの地球上から原子炉が一基もなくなり、大戦争を生きのびた人々は、のんびりした戦前の平和な日常生活に戻る。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「これとは逆にソ連、東欧圏ではこの作品に批判的な声も高い。ひとつにはチャペックが中道的な世界観をもつ個人主義者であり、大がかりな資本主義にもマルキシズムにも疑念を抱いていたことがこの小説の中にも明瞭に示されているからであろう。さらに、この未来小説の中で、ロシアが「ソビエト」ではなく依然として帝国として描かれていることも、東側の人々には不満であり奇異に思われることであろう。しかし、この小説の面白さには彼等も敬服しているもようである。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

    「本書、『絶対子工場』についてもこのことが言えるのではなかろうか。西欧では最近本書がチャペックの代表作とみなされていることは、人名辞典の紹介記事などからも明らかであるが、たとえば、ハンス・ヨアヒム・アルペルス他編のレクラム版『 SF作家案内』(一九八二)は、この小説のすばらしい着想、逆説、おどけた奇妙な事柄に満たされた天才的作品と称賛したあと「形而上学的なるものと、日常的なるものが、この多少無形式な小説の中でグロテスクかつ逆説的に併存している。この有様はチャペックの影響を否定できないポーランドの SF作家レムの後期のいくつかの作品と似ている」と書いている。」

    —『絶対子工場』カレル・チャペック著

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    2025年11月28日
  • 園芸家の一年

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    わかるわー!と頷きまくり
    身に覚えありまくり。
    自分も、ふと気づくと庭に出て
    いつの季節も何かしらやってる。
    私の教科書みたいな一冊。

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    2025年07月28日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    1924年の5月23日~7月27日(ちょうど100年前!)、チャペックはイギリスを訪れた。本書は、その時にチェコの新聞に連載した紀行エッセイ。ロンドンからウェールズ、スコットランドまで、ほぼ全土をめぐっている。その風土や文化についてはもちろんのこと、ユーモアにあふれた人間描写がたまらなくいい。イギリス贔屓だったこともあって、懐かしいよきイギリスが活写されている。
    アイルランドへも行きたかったのに、あんなとこには行くもんじゃないとみなから止められ、行かずじまい。そのことも縷々綴っている。
    風景や人物を描いたマンガチックな絵が70以上。描いているのはチャペック本人。印象的なのはバーナード・ショーの似顔絵。2つあって、たえず動いてしゃべりまくっているショー、人をからかって遊んでいるようなショー。その解説もまた洒落ている。

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    2025年05月06日
  • 園芸家の一年

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    素晴らしい本だった。
    庭いじりはやったことない私にも園芸の楽しさや苦労(その苦労も愛がある)が伝わってくる。ささやかな事をこんなにもユーモラスに表現できるなんてすごい。庭が欲しくなってきた。

    翻訳も兄のイラストも込で1つの作品になっていて、改めて文書や小説家の凄さを知った1冊だった。

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    2022年11月06日
  • 園芸家の一年

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    何かの本を読んだときに、その著者が、自分の『愛読書』として紹介していたので、読んでみたのですが、ユーモアが随所にちりばめられていて、かなり面白かったです。

    園芸好きの方なら、自分にも思い当たるフシがあることに気付き、大笑い間違いなしでしょう。
    園芸に興味がなくても、天候や植物に1年中振り回される園芸家にクスッとなるでしょう。

    植物の名前もたくさん出てきますが、そこは全然知らない植物名が出てきても何の問題もありません。かなり楽しめる1冊でした。

    雪の降ることもあり、寒い12月~2月くらいまでは、何かすることがあるの?と思いますが、園芸家にはやることが沢山あるんですね。園芸家には休みはないのです。読めば分かります(笑)。

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    2022年06月10日
  • いろいろな人たち チャペック・エッセイ集

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    猫丸さんのお薦め本です。ありがとうございます。

    カレル・チャペックは1890年生まれのチェコの作家。
    プラハのカレル大学で学んだ後、ベルリンとパリに留学。
    帰国後の1916年(26歳)から創作開始。
    1921年に新聞社入社。
    生涯ジャーナリストとして活動。
    この作品はエッセイ集で
    Ⅰ男と女と日常生活
    Ⅱ文化と社会
    Ⅲ政治的動物

    ⅠとⅡは大変面白く読みましたが、Ⅲは私には少々難しかったです。

    Ⅰの男と女と日常生活は軽妙洒脱な男女の違いの妙などユーモアの溢れるエッセイが多く、例えば「毛皮なしのシラミ」では
    「それは豊かな人たちが貧しくなるようにということではなく、豊かな人たちが他人の貧しさのために苦しむように、ということだ。わたしは、人々がまったくお金を持つ必要がない、と猛烈に宣言したいのではなく、ほかの人たちを雨ざらしのトロッコの上に置き去りにしなくてもよいように十分なお金を持つべきだ、と言いたいのだ」と述べられています。

    又、Ⅱの文化と社会では「適時適書」が愉快でした。読書好きの方なら実に楽しい文章です。長いので引用はしませんが。
    日本の関東大震災(1923年)についても触れられています。「物乞いの前での気恥ずかしさ」から引用を少し。
    「非常に素朴な、一般には貧しい人たちだけが、それでも当然なことといして考慮せずにほどこしをすることができる。しかしそうでないわれわれはもはやほどこしによって救われることはない。むしろ困惑させられる。ほどこしをするとしたら、急いでおずおずと、ほとんど臆病者のようにするのである」
    「不幸の中で」で手榴弾について述べている文章も印象的でした。

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    2021年04月04日
  • いろいろな人たち チャペック・エッセイ集

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    同じ誕生日の作家ということでたまたま手に取った本。100年近く昔のエッセイなのに、すごく面白い!チャペックの時代から現代まで世の中は全く変わっていないかのようだ。文体の読み易さやユーモアのセンスが個人的にどストライクで、他の作品も読んでみたくなった。

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    2021年02月20日
  • いろいろな人たち チャペック・エッセイ集

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    日常のささいなできごとを見守るチャペックは、からかいまじりのユーモアを発揮する。鼻かぜや、女について、男について、家にまつわるあれこれ、買い物について・・・。上機嫌の底にあるのは、それほど偉くも立派でもない、人間に対する愛情だろう。その愛情が政治に向かうと、人間らしい生き方を求めての、熱い呼びかけとなる。チャペックは偏ったものの見方を嫌う。人間をひとつの鋳型に押し込めるのではなく、多様性を認めたうえで、人としての共通項に目を向ける。チャペックは、肯定の人だ。否定を重ねて唯一のものを求めたりはしない。雑然として、非効率かもしれないが、豊かだ。

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    2013年04月11日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    チェペックが行く、豊かな旅の記録・イギリス編。

    これはチャペックの温かみあふれるまなざしと、ウィットに富んだユーモアが素晴らしい旅行記。
    豊かな人間愛・郷土愛から、チャペックの人柄が透けて見える。

    内容的には、歴史とかその土地の風土とかよりむしろ、著者が見たこと、感じたことに重きが置かれているかんじ。
    でも、それだけで十分面白い!
    結構前に書かれた本なのだが、全く古臭さを感じない。チャペックが頭の柔らかい人だったんだな、とよくわかる。
    著者の自筆イラストも多数。

    このシリーズは他にもチェコスロバキア編(チャペックはチェコスロバキア出身)、スペイン編、北欧編とある。
    私は今のところ、イギリス編のほかにスペイン編も読んだのだが、やはりそちらも素晴らしかった。今後の楽しみに、あと二冊は取っておくつもり。

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    2011年07月03日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    カレル・チャペックのイギリス見聞録。挿絵も本人によるもの(なんと、絵も描けるのだ!)。ハイドパークの演説家に感心し、お巡りさんの大きさに驚き、変化のない街路に退屈する。心に響いたものを、その場所や事柄の知名度に関わりなく綴る文章は、ごく私的でだからこそ普遍的な、チャペックならではのものである。そして著者の目を通すことで、自分の知っているイギリスという国(もっとも、行ったことはない)が、とても新鮮に見えてくる。

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    2009年10月04日
  • いろいろな人たち チャペック・エッセイ集

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    作家であり、ジャーナリストでもあるチャペック。その真骨頂−エッセイ。
    是非是非、ご一読を。
    ※ネタバレの恐れのため、以下自粛※

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    2009年10月04日
  • スペイン旅行記 ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    チェコ人である作家、カレル・チャペックのスペイン旅。
    1929年のドイツ→ベルギー→フランス→スペインに入る列車旅である。
    カレル・チャペックは本書でスペイン絵画と巨匠、スペインの風景、料理、建築、庭、フラメンコ、闘牛、ペロタ(犬の皮を張ったボールを追う球技)について、ユーモラスなイラストと共に言及している。
    今ではおよそ考えられないぐらいの、のどかで美しいスペイン。
    カレル・チャペックはスペインにおいてスペインらしきものを貪欲に欲する。貪欲に見、貪欲に触れようとする。
    「諸民族が、それぞれに属するものをそのままに、それぞれが異なる髪と言葉を、それぞれの習慣と文化を、そのまま持つようにしておこう」
    「相違のそれぞれは、愛する価値があるからで、それは人生を何倍もゆたかにする」
    「わたしたちを分かつすべてのものに、わたしたちを結びつけさせよ!」カレル・チャペックの言葉に、まさにそう!と思う。
    他との違いを味わい、知見を広め、堪能することが「旅行」の本質なのだろうなあ。

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    2026年07月05日
  • 園芸家の一年

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    庭はいつになっても完成しない点で、人間の社会および人間の営みの全てに似ている、らしい。確かに外部世界や天変地異との付き合いを強いられながら、絶えず過ぎ去って行くものを見送り新たなものを導入し続けているね。
    読みながら私にも庭があったら、と思ったけど、あってもピーマン畑にしてしまうだろう。そして毎日毎日飽きもせずピーマンばかり食べて暮らすだろう。カレルの言う通り、野菜と庭づくりは似て異なるもの。野菜は園芸家よりも敵が多い。それはそう。鳥も虫もみんな敵だわ

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    2025年04月01日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    ほぼ100年前の旅行記。
    筆者のカレル・チャペックはチェコ・プラハ出身の、ジャーナリスト・エッセイスト・小説家・劇作家。1924年の5月から7月にかけてイギリス国内を旅する。この間に書いた紀行文がプラハの新聞に連載され好評を博した。それを書籍化したものが本書。
    「あいさつ」と題された、筆者による前書きがある。その中に心を惹かれた文章があったので、少し長くなるが引用したい。イギリスで見た光景を思い浮かべて、筆者が考えたこと、感じたことである。私には、筆者が「旅とは何か」についてを語ってくれているように感じた。
    【引用】
    わたしが思い浮かべるのは、ただ、ケントにある一軒の赤い小さな家である。なんの変哲もない家だった。わたしがその家を見たのは、列車がフォークストンからロンドンへ走っていたときで、ほとんど一秒かそこらである。
    実際にはその家は、一面に茂っていた木のために、ちゃんと見えもしなかった。庭では、老紳士が生け垣を植木ばさみで刈っていて、緑の茂みの反対側では、平坦な道を少女が自転車で走っていた。ただそれだけだった。その少女がきちんとした格好に見えたかどうかも、わからない。その黒服の老紳士が、あるいはその土地の神父だったか、休息中の実業家だったか、それは問題ではない。
    その家には、イギリスの赤い家がみなそうであるように、高い煙突と白い窓があったが、それ以上は語れない。それでも、わたしがイギリスのことをひとり考えるときにはすぐに、ケントにあるそのありふれた家が、園芸用のはさみを手にもった老紳士が、そして熱心にひたすら自転車のペダルを踏む少女の姿が、はっきりと見える。
    そしてわたしはちょっぴりさびしくなりはじめる。わたしは、かの地で、他のさまざまなもの、たとえば、城と公園と波止場とを、イングランド銀行とウェストミンスター寺院を、そして歴史的な記念碑的なものを、あちこちで見た。しかしそれは、わたしにとってイギリスのすべてではない。
    イギリスのすべて、それはただ、あの老紳士と自転車の少女のいた、緑の庭園の中のあの素朴な家なのだ。なぜなのか、それはわからない。わたしはただ、そうなのだと話しているだけである。
    【引用終わり】

    どこかに旅行に、観光に出かける。
    どこでも良いが、筆者に敬意を表してプラハに行ったとしよう。旧市街を見物して、カレル橋を渡り、プラハ城に向かう。素晴らしくきれいな街並みに強い印象を受けるが、あなたがプラハについて思い出すのは、道に迷った際にホテルへの道順を教えてくれた地元の若い人だったり、ホテル周辺の小道にいた迷い犬だったりするかもしれない。そして、道を教えてくれる若い人は、あるいは、小道を歩く迷い犬は、今日もプラハにいるはずだ。そう思うと、家でじっとしているのがいたたまれなくなる。
    私は、上記のカレル・チャペックの文章を読んで、そんなことを感じた。

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    2023年08月15日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    チェコのジャーナリスト、小説家であるカレル・チャペックがイギリスに滞在した際のイギリスに関するエッセイ。

    カレル・チャペックについては、全然知らなかったのだけれど、「ロボット」という新語を世に広めた人らしい。へぇ。
    カレル・チャペックの旅行記としては、他に、イタリア、オランダ、スペインなどがあるけれど、この「イギリスだより」は特に好評を得て、人気もあるとのこと。へぇ。

    で、内容だけど、まぁこれが独特の表現で、ユーモアあり、奇抜な言い回しあり、でわかりにくいところも多々あるのだけれど、なんか楽しい。こういう文章をウィットに富むというのだろうか。イギリスやイギリス人に対して、ズバっと毒をはいたりした直後にめっちゃ褒めたりする(笑)

    特に楽しかったところは、チェコという小国から出てきた彼が大都市ロンドンの交通機関やお巡りさんに驚いたりするところと、マダムタッソーろう人形館を訪れるところ。思わずプハっと吹き出しました。

    結局彼は、イギリスびいきで、祖国チェコが大好きってことが、よくわかった。
    本書の最後に収録されているイギリス国民へのラジオ原稿は、ナチス台頭による民主主義の危機と当時のチェコスロバキアへのファシズムの侵略を憂えたチャペックの、イギリス国民へ連帯を呼びかけたもの、とあとがきで知った。
    今のチェコ、イギリスをチャペックが見たら、どう表現するのか、すごく興味がある。

    機会があったら他の国の旅行記も読んでみようと思う。

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    2023年04月25日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    100年前のチェコ人作家カレルチャペックのイギリス旅行記。
    軽妙な語り口でイギリスを自分の国と比較しながら語る。
    時に称揚し時に皮肉ってみたり、どこか牧歌的な雰囲気が漂っていてのんびりと読むことが出来る。

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    2023年04月24日
  • 園芸家の一年

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    園芸を始めてまだ1年だが、すでにこのような思考になってきている。雨が恋しい、土の改良のことばかり考える、植物の名前にうるさくなる。。100年くらい昔の園芸家も今のそれと変わりないんだな。ユーモアに溢れる本書だが、解説を見るに、とても大変な時代に書かれたものであり、挿絵を描いている著者の兄も悲惨な最後を遂げたとのこと。このユーモアがその時の体制への批判。園芸家の人間くさい感覚や喜び、振る舞いが、それを許さない全体主義的な時代背景への抵抗なのかと思うと、今純粋に園芸を楽しめている私は、とっても幸せだ。

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    2022年02月07日
  • 園芸家の一年

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    年年歳歳花も同じからずっていう本。

    園芸を趣味とする人の日々と業の深さをおもしろおかしく綴った軽いエッセイなんだけど、いとうせいこうさんの解説を読み、書かれた時代や社会背景を知ると、受け取り手としてのこちら側の本の味わい方が良い意味で大きく変わる。



    『真正の、最善のものは、わたしたちの前方、未来にある。これからの一年、また一年は、成長と美を加えていく。神様のおかげで、ありがたいことに、わたしたちはまたもう一年、未来に進むのだ!』

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    2022年01月08日
  • イギリスだより ――カレル・チャペック旅行記コレクション

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    チェコ語で書かれた原典など読むことはできないが、本書の訳文の多彩な文体を見ていると、翻訳大変そうだなあ、と想像できる。

    飄々とした味わい、ちょっぴりの皮肉。
    ペンクラブの招きでのロンドン行きだったそうで、当時のイギリス文人の錚々たる顔ぶれの戯画もある。
    何でも、チャペックをそれまで高く評価していたチェスタートンは、本書p.206の戯画でかなり不愉快になったとか。

    約100年前のイギリス。
    ロンドンの様子は変わったに違いないけれど。
    郊外や地方の町はどれくらい変わったのだろう。
    そして、イングランドの人々が「私たちが行かない所」と言ったアイルランドは。
    チャペックがアイルランドに執心したことにも、どんな思いだったのだろうと考えてしまう。

    チャペックは大英帝国の文化的な支配力にも意識的だった。
    イギリス人はどこへ行ってもイギリスを引きずっている。
    世界各国に小さなイギリスを作ってしまうと。
    外国で自分の文化から抜け出せないというなら、きっと私自身もそうだろう。
    国の力が強ければ、単なる個人の嗜癖も、政治的な意味を帯びかねない。
    難しい問題だ。

    チャペックはイギリス人の島国根性も指摘する。
    そして、無口で非社交的なくせに、時々ユーモアを発動する、とも。
    逆に思う。
    チェコの人はそんなにみんなおしゃべりなのか?
    しかし、チャペックは、そういうチェコ人をとてもあいしているようだ。

    チャペックには他の旅行記もあることを知った。
    よし、じゃあ次はチェコ国内の旅行記を読んでみよう。
    手に入ったら、だけど。

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    2021年07月04日
  • 園芸家の一年

    Posted by ブクログ

    24時間365日、頭にあるのは庭のことばかり、気になって気になって来客中も旅行中もうわのそら、自慢の草木の名前を尋ねられれば聞かれてないことまで早口で語り倒し、間違えられようものなら大激怒…。弟カレルのユーモラスな筆致と兄ヨゼフの可愛らしい挿絵で活写されるアマチュア園芸家たちの生態があまりにも「オタク」そのもので腹がよじれるほど笑ったが、この牧歌的なエッセイがどのような時勢を背景に書かれたかを知って愕然とした。

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    2021年02月09日