小山田浩子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
小山田浩子さんの短編集「庭」を再読した。はじめて読んだ小山田さんの作品はこの短編集に収録されている「名犬」という短編だった。そのときは話に聞いていた彼女の“文体”が気になっていて手に取ったから、作風やあらすじも全く知らない状態で読みはじめた。
語り手がその場で見たものや聞いたもの、嗅いだ香り、触れた手触り。状況、会話、行動。そこにあった思いや感情。それらが的確でソリッドな短い文章で表され途切れることなく連なっていく。改行が殆ど入らないその文章は頁いっぱいに拡がり、そこに書き出される世界が、文字が詰まっていることで少し黒っぽく感じる頁と一緒に迫ってくるような気がした。世界を出来るだけ削ぎ落とさずに小説に収めるとこういった文体になるのかもしれない。違うかもしれない。しかし、たしかに特別な“文体”だ、そう思った。状況が質感があるように浮かんでくる、感情が重く伝わってくる。“リアリティ”を作り出す“文体”。同時にこの少し異様にも感じてきた文字が溢れそうな頁自体の迫力、魅力にも圧倒される。フィジカルな本というフォーマットで小説というアートに触れるとき、そこに印刷された文字、文章の意味は勿論中心で重要だけれど、それらが印刷されることで出現する、してしまう文字、文章、文体が作り出すデザイン、ビジュアルも同じように重要なのだ、とそんなことも考えはじめる。考えはじめると、彼女の文体とそれが作り出す頁は、それ自体でも素晴らしいアートなのだ、と思いたくなる。それも同じように楽しむのが読書だ。
さて、「名犬」の話。
先走ってずっこけてしまう手前勝手なパートナーの不機嫌さ、気を遣われつつも、言葉にはしないけれどたしかにある子供を期待されているプレッシャーを感じる義実家、義父母。彼、彼女らとその場で過ごす居心地の悪さや気まずさ。ところどころで現れる妊娠出産のイメージ、そこに注目してしまう自意識、不甲斐なさのような不安。あの文体に覆い被される様に読み進めていくと、小説を読んでいるというよりそれらを体験しているように“リアリティ”が染み込んできた。わたしはそれらのシュチュエーションを体験したことは無いけれど、それでもそこでの自分の立ち振る舞いや気まずさを“思い出して“しまうような気がしてきて少し震える。ああ、こういう小説でしたか、たしかにこの文体で書かれる、この文体だからより書ける小説ですね、と震えながら腑に落ちてくるものがあった。
中盤、夫婦が田舎、義実家から一時間の“秘境”の温泉施設に訪れたあたりから、その居心地の悪さや気まずさのなかに違和感が湧き上がりはじめる。露天風呂で盗み聞いた聞き/読み慣れない方言や感嘆符で交わされるおばあさん2人の会話、ここでも妊娠出産の話か、とうんざりしはじめたところで聞こえるはずのない義母の声で聞こえてくる、読むことになるある言葉。あれ、そういう話……と思いながらも、これはプレッシャーやストレスが聴かせた幻聴か、聞き間違い勘違いか、とわたしも、多分語り手もやり過ごしながら物語と読書は進んでいく。
しかし、おばあさんたちの会話から予期せず仔犬を貰い受けることになる終盤、子供の代わりの犬、みたいなのは良くない勘ぐりですよね、と思いながらもこれはある程度良いところに落ち着くのでは、と予想しながら読んだ最後のセンテンス、そこでもう一度避妊手術を控えた犬から聞こえてくる、読むことになる、あの言葉に震えた。その一言で、文字、文章で厚く覆われた”リアリティ“のベールの端が捲られた。不意に見せられたベールの向こう側に驚いた。少し怖かった。わたしの世界の端も少しだけ捲れた気がした。世界にはわたしが想定、想像していなかったような物事があるのかもしれない。小説フィクションがもつ”リアリティ”にそう思わされていた。さっき話した職場のあの人や、今電車で隣に座っているこの人にも、わたしが知らないだけでこんな体験があるのかもしれない、そんな想像もはじまる。”同じ世界“を見ていたと思っていた人たちが見ている世界は、実は少し違う世界なのかもしれない、そんなことまで思いはじめる。世界が少しズレはじめた気がした。小説、数十頁の短編ひとつで世界が少しだけズレるような、見方が変わるようなことがある。わたしはそんな小説が読みたい、そんな読書という体験がしたいのかもしれない、と気がつく。この短編は不意打ちのような驚きも(後に深沢七郎の「みちのくの人形たち」でも同じような体験をすることになる)あったけれど、たしかに読みたかった、世界の見方を変えてくれる素晴らしい短編小説だと思った。犬の描写もかわいかった。そこも素晴らしい。
ああ、そうだ、文庫版の最後の一頁の一行と二文字、その後は空白という“デザイン”もとてもカッコ良いと思ったのだった。
思いの外長くなってしまったけれど、もうひとつ文体の話。
「動物園の迷子」という別の一編にある、その場の喧騒や会話に過去の記憶の言葉、内外で起こっていることが、ここでは句読点すら使わずに途切れることなく書き連ねられている部分に驚いた。驚いたけれど、世界というのはそうやって過去と現在が混じり合った状態で捉えているものなのだ、とも思った。それは小説、文章にしてしまうと読み難いし分かり難くもあるのだけど、その”難い“部分も含めて人も世界もそういうものだとも思うし、小説の文章の魅力というのは、そういう“難い”部分にあるのだ、とわたしは思っているのだった。しかし、これが書けてしまうのは凄いことだな、とも思う。凄まじい小説力である。
物語自体はいくつかのエピソードや時間が入れ替わり溶け合い、よく“わからない”まま“心が温まる”気もしてくるラストに着地する。もしかしたら妥当な解釈や読み解きが出来るのかもしれないし、そうすることで読み心地も変わるのかもしれないけれど、その“わからなさ”もまた小説の魅力だと思っているわたしは、わからなさをあたたかさと一緒に暫くの間は抱きしめておきたいと思ったのだった。こちらもまた凄い一編である。
その他の短編たちもとても良かった。それらは心構えをして読んだし、既にベールが捲れていると感じたりするものもあって、ちょっとある種の実話怪談を読むのにも近い感じで読んでいた。
少し怖いけれど、特別な体験が出来た確実に素晴らしい短編集。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ2021年4月単行本。
2023年11月文庫化。
「広島カープ三部作」というプチ特集あり。
以下駄文つらつら。
十代の頃、大西巨人のようなロジカルな男性と較べると、女性作家って感性でしか書いていないから読むのが辛い、と思っていたし、標榜していた。
三十前後で文芸誌を漁っていたころは、女性作家ってこんなに妊娠出産生理を題材にすることが多いんだなやっぱり感性的なんだな脳じゃなく身体の一部が優位なんだなと思い、むしろ女性作家ならではの着眼点だよねーとか、わかったつもりになっていた。
四十を越えた今、己の不明を恥じる、とか、その考えを反省している、とか、過去の自分を蔑めるようになった、とか、切り離したいわけではない。
単に頭が悪く差別的だったと相対化できるようになった上で、でも基本はあの形のままのおじさんに成り果ててしまっていると思う。
が、当時読んだ女性作家が、今読んでいる女性作家が、いや大昔から女性作家たちが仕掛けてきた、遅効性の爆弾の、爆炎や爆風を浴び続けている現状は、わかるようになった。
たとえば本書でも男性社員に囲まれた飲み会で居心地悪い場面があるが(「けば」)、男性陣の企まざる品性の低さをハッキリ描写するその視線に、筆致に、「ライブ・ア・ライブ」でいえば「あの世で俺にわび続けろオルステッドーッ!!」に匹敵するレベルの、怒りが込められている。
十年前の自分だったら、おお剣呑剣呑、とか冷やかして白を切ったかもしれないが、今は小説爆弾を、読んで喰らってぐったりして、スッキリできない。
それは一般的なフェミニズムという概念をお勉強でわかったということではなく、小山田浩子という作家が書いた小説の強烈な味だからこそ、だし、小山田浩子の感じる生きづらさが、たとえば女性として扱われることという一例であって、本書で描かれた居心地の悪さは、男性読者にも別の形で覚えがあるものなので、男女という線引きではなく人間一般とか日本人とかに訴求するものだということ。
本書は全体的にホラーだとも言えるが、非業の死の怨念とか、目の前にいる殺人鬼の暴力性とかではなく、人が共同体(家族でも職場でも何でも)に投げ込まれて、もみくちゃにされた挙句壁にこびりついた肉片が怨念化して、読み手になすりつけられている……みたいな。
「園の花」の余韻に身震い。
また多少後味よさげな三部作の中の、たとえば「異郷」で、語り手が気づいていない広島の風土に面白みを最初は感じるが、でもやっぱり人が集団になって発する不気味さがじわっと滲んできて、やっぱり不快。
完全に連想しただけだが、人間ってこんな生きものでもあるのだなとハッとさせられた古井由吉「先導獣の話」や、吉田知子「お供え」やに連ねたい短編集。 -
Posted by ブクログ
ネタバレたとえばマタハラと言ってしまえば簡単に済むが、
(「工場」においては非正規労働の過酷さと済ましてしまう読みもあり得たように)
生理的な居心地悪さを提出する、その手つきゆえに、ホラーであり幻想小説である読後感が生まれる。
人が人としてあるだけで、人が人と関わるそれだけで、必然的に歪みが生じる。
あとは気づくか気づかないかだけで、多くの人は意図的にか無意識には見過ごしている。
それを作者は見る。
カメラでぐいーーっとズームしていくように。(デヴィッド・リンチ「ブルー・ベルベット」の冒頭)
目地も肌理もすべて書き尽くす。
気持ち悪いくらい接写する。
■うらぎゅう★
■彼岸花★
■延長
■動物園の迷子★
■うかつ
■叔母を訪ねる
■どじょう★
■庭声―谷崎潤一郎「鶴唳」によせて
■名犬★
■広い庭★
■予報
■世話
■蟹★
■緑菓子
■家グモ -
Posted by ブクログ
ネタバレ表紙やタイトルの印象からカフカや安部公房のような小説なんじゃないかと勝手に想像していた。その予想は部分的に合っているところもあれば違っているところもあった。どちらかといえば不条理よりも現実の方がまさっている。
「穴」は、夫である宗明の転勤にともなって、夫の実家敷地内の別棟に住むことになったあさひが体験する不思議な出来事を軸に話が展開する。引きこもりの義兄らしき人物や、認知症の進んでいる高齢の義祖父、世話焼きでなんでもテキパキとこなす姑などと、どう関係を築いていったらいいのか戸惑うあさひ。そして謎の黒い獣の存在。その動物を追って河原の穴に落ちる。それほど深くはないのに、なかなか這い上がれず、たまたま通りかかった近所の世羅さんに助けてもらう。
それまでは同じ県内の都会で仕事も持っていたあさひだが、この田舎に引越すのをきっかけに辞めた。話のラスト、義祖父が亡くなったあと、あさひはコンビニでバイトを始める。この作品は、主婦デビューするあさひの出発の物語かも知れない。都会とは違う論理で動く地方の生活。そういう「現実」に少しずつはまってゆく感覚の描写が、この小説の読みどころであろうか。
併録されている「いたちなく」「ゆきの宿」はどちらも斉木さんという夫の大学時代の友人とその妻洋子さんとの夫婦同士の交友が描かれ、よりいっそう「現実」にそくした内容になっている。 -
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ネタバレ広大な工場は街であり自然でもある
牛山兄妹は、なぜかそれぞれ別にこの工場に非正規社員として勤めるようになる。妹はひたすらシュレッダー作業、兄は内容がよく分からない書類の校正、「この仕事はなんのため?」という疑問のなか黙々と働く、いっぽう大学でコケの研究をしていたのに屋上緑化担当としてかなり良い待遇で雇われる青年もいて広大な敷地では自然が独自に進化している。
「よく分かってないけど淡々と黙々と」というところがJTCっぽいのかな。(フラッシュバックのような)奇妙な時系列、ずっと不穏な雰囲気、作中の言葉遣いもたまに思考にフックがかかる感じがあって面白かったです。
しかし「大便のようなタイトルの(中略)薄い冊子」(P39)という表現、大便のようなタイトルってなんでしょうね?(笑)(個人的にタイトルは別に普通じゃん、と感じるタイトル。)
「ディスカス忌」
「いこぼれのむし」
3篇収録で他の2篇も「なんか変な習慣があるけど正されずに日々が過ぎている」といった内容でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ工場、、いったい何を作っている所なのか、一人で15年も緑化計画?シュレッダー係?謎の文書の校閲?生物たちは何なのか、訳がわからず頭がおかしくなりそうな所が結構あったり、妙にリアルでクスッと笑える所もあったり、広い工場なのになんか息苦しい感じがあったり、かなり奇妙で不思議な作品でした。
ラストはえ?!となったけど、工場ウがみんな工場の方を見ているのってそういうことなん?と、その光景がちょっと怖くなりました。
教授が梅干し6個食べてるいるところ、適当過ぎる後藤さん、牛山兄が添削のとき眠すぎてどうしようもないところ、ズリパンおじさんは未遂で終わるからそこまで問題視されてないところ、橋を渡りきるのに1時間半近くもかかるところ、牛山兄がなぜか小学生のレポートの校閲をし、そこに突っ込みながら読む割に添削せずに戻すところ等が印象的でした。
工場ウというネーミングも好きです。
個人的には以前読んでいた穴の方読みやすくて好きですがこちらもジワジワ面白かったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレすごく現実的なところもあるけど、なんかちょっと変、いややっぱすごく変?その絶妙な加減がすごく好きです。
あさひも何かよくわからないけど、そういうこともあるのか?と思いながら、慣れない田舎生活で感覚がおかしくなってるのか?その感じが大げさになっていなくて面白かったです。
穴に落ちた時、きれいにすっぽりしかも微妙な深さ?!で、何だこれ、、と私も呆然としました、、出れそうでなかなか出れない、、
助けてくれた御婦人も何となく奇妙で。
謎の黒い獣もいなさそうで、いそうな微妙な姿形。
義兄はずっと変わった人だけど身なりは小綺麗でちぐはぐで、義祖父がいったいいつまで水撒きをしてるのかすごく気になったけどあさひはずっと最後まで見ているわけでもなく。
田舎の風景も、真夏の昼間の誰もいない道や人の気配を感じない家、草むらの生物や何を踏んだのかわからない感覚はちょっと怖い感じがしました。
他の作品も読みたくなりました。
後の2編の短編も良かったです。
仲悪くはなくて、むしろ良い方だけどお互い大事な部分を理解し合うみたいなのはあまりないのがリアルな感じがしました。 -
Posted by ブクログ
「この工場何かがおかしい」という帯の煽り文に誘われて書店で購入。
表題作「工場」はどこか異様な巨大すぎる「工場」と、そこで働くやはりどこか変な人々を描き、現代に対する皮肉・批判的な視点がある。
とにかく文にあふれる皮肉や過剰さ、違和感が面白く、ストーリーの引きやキャラ萌えが無くとも、文字を読むこと自体が楽しい場合があると気づかせてくれた小説であった。
この本を買って以来、同じような出会いを求めて書店を彷徨うようになったが、いまだに小説ではこれ以上のものには出会えていない。
表題作以外では、「ディスカス忌」はユーモア控えめでさみしげ、「いこぼれのむし」は文章ににじむ悪意に胃もたれ気味だった。
全体通して読んだあとに振り返ると、「工場」も、主人公の兄の恋人が嫌な感じだとかは余計のような気もしてくるが、そういうリアルな嫌さと、非現実的なスケールのどこかファンタジーらしい工場の描写がミスマッチに地続きであるところにポイントがあるのかもしれない?