花塚恵のレビュー一覧
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ネタバレ自己啓発本だが、ごもっともで実践的。
モチベーションの源は何かを得ようとするゲインと苦痛や損失を回避しようとするペインだ。人生をよくするためにはゲインを重ねていくことだが、このゲインタスクは緊急性がない、放っておいてもよい。ペインタスクは期限がある。ゴミ出しはしなければならないし、食事もとらないといけない。
ペインタスクは誰かに委ねていかないとゲインタスクに取り組む機会がいつまでたっても得られない。
優先順位をつけるにあたり、締め切りがいつか、を基準にしてはいけない。締め切りがあるものは、結局いつかやらないといけない。一ヶ月後の締め切りのものを当面放っておいても、一ヶ月後には優先順位が極めて高い、ということになる。基準とすべきは締め切りや緊急度でなく、それをすることによって得られる効果だ。このタスクを実行すると、自分の人生にどのような効果がもたらされるか、だ。
先送りをして、締め切りギリギリまで延ばすことは時に意味がある。ただし、そのような状況下でなされることの質は低い。質を問われないタスクは先送りにしてもよい。メールのチェックや洗濯、ゴミ出しなど。Todoリストにはこういうことを入れる。
カレンダーにはゲインタスクを入れる。生活の中にゲインタスクを組み込む習慣を付けないといけない。 -
Posted by ブクログ
アカウンタビリティを持ち、「現実を見つめ」「当事者意識を持ち」「解決策を見出し」「行動に移す」行動を取り続けられる状態と、責任を押し付け合い、言い逃れをし、様子見で解決をのぞみ先送りする態度を取る状態、それらを分ける1本の細い線(ライン)。個人としても、組織としても、ライン下の行動から脱却して、ライン上に登ることの重要性を説くこの本は、今の私にはかなり耳の痛い提言をしてくれました。
仕事が辛い、人間関係が辛い、自分の置かれた環境に理不尽さを感じる、そして被害者意識をもって悶々としているだけの自分に気が付きました。
ライン上の態度を取り、環境を変えられるのは自分次第だということ。
いろいろ考えさせられました。
「自分に他に何ができる?」
の問いかけは、忘れないようにしたいと思いました。 -
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「自分が動く」ことに関しては、
入社2,3年目あたりに学んだことが盛り込まれていた印象。
上司によく教えてもらったり、気づかせてもらったなと
ちょっぴり懐かしくなった。
この頃に気づいていなかったら、今のような
プロデュースやプランニングの仕事に従事できていなかっただろうなぁ。
社外での活動を通じて、あるとき、会社に感謝する部分に気づけて、
気分的にスッキリした時があったのだけど、
まさにその時が「ライン上」に上れたときだったのだろうなと思った。
危機感を持つだけじゃなくて、これに気づけたのは本当によかった。
「主体的に動けるように促す」に関してはまだまだ要勉強!
本の中で登場したフレーズやシーンを思い浮かべつつ、
自分の言葉でアプローチできるように精進しなくっちゃ。
後半の部分で、自分が気づいて得たものを
周囲の人や、さらに組織に対しても当てはめてみたくなるはずである
という点が登場する。
この「良さを実感→誰かにもそれを伝えたくなる」が
今の潮流とフィット感が高い要素のように感じるなぁ。
(もともと関係性の中で生活する田舎では既にあったものなんだけど、
都会はネットによってオープン化が進み、今その波がだいぶ一般化してきた印象がするので)
ちなみに、有名なマズローの欲求段階説における、6段階目の
自己超越欲求(自分の中で完結しないシェアの欲求のようなもの)が、
まさにこの点にリンクするような気が・・・。
人がもともと持っているこの要素が引き出せる環境であったり
コミュニケーションであったりになるかどうか、が肝なんだろうな。
「主体的に動く」に一部内容がリンクする本として
理念浸透の物語を描いた「感じるマネジメント」があると思う。
だいぶテイストが違うけど、
自分のこととしてとらえる、という
主に、アカウンタビリティの2つ目のフェーズの試行錯誤が描かれている本。
ここがないと人は動かないので、
教育や業務の遂行、もちろんマーケティングで・・・
様々な場面で本当に大切な要素だなと、改めて感じた。
ちょっとこの部分、深堀してみたいかも。
本をくださったNさん、ありがとうございましたm(_ _)m -
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被害者意識や他責を廃し、自分こそが問題解決の当事者として、最後まで主体的に関わっていくこと。そのために、景気や規制、ライバル企業の動向など、自分では変えることのできないことを言い訳にせず、現状を正直に認め、何ができるかを考え、リスクがあっても実行すること。
こうした原則は、だれでもわかってはいるものの、自分の話になると、いつの間にか環境のせいにしてしまいがちだ。何でも自由にできる環境はありえない。何らかの制限がある中で、工夫をしながら成果に向かって進んでいく。そのとき、達成までの道のりが、あまりにも遠く、不可能に見えると、人は歩くのをあきらめて、道の悪さを嘆くことになる。だが、止まって不平を言っていても、目標は近くならない。自分の足で歩いていくしかないのだ。
頑張っているつもりでも、気づかないうちに、立ち止まって不満を言うことにエネルギーを使っているだけになってしまっていないだろうか。
この本の良いところは、たとえ優秀な人材でも、こうした被害者意識(ラインの下と位置づける)に落ち込んでしまうことはあるものなのだと、認めてくれているところだ。落ち込んでいることに早く気づければ、主体性を持った自分(ラインの上と位置づける)をとりもどすことができると教えてくれる。そのための考え方の仕掛けとして、オズの魔法使いの登場人物をわかりやすいメタファーとして用いるわけだ。主体性を取り戻すプロセスを5つの段階に表示しているのも、日常で使いやすい。
「人のせいにするな」と小言を言うより、ラインの上にとどまることで生まれる成果や達成感をイメージにして伝え、プロセスを明示してセルフチェックできるようにサポートする方が、効果的である。 -
Posted by ブクログ
・人は少し知識を得るだけで、知った気になり自分を過信する。人は過信しやすい。それは実際にやってみたり、自分の知っていることを書き出してみる、説明を求めるだけで自分の無知に気づく。
・確証バイアス 2-4-6のクイズ→2つの法則を見つけるやり方をすると簡単になる。
確証バイアスが人の可能性の狭め、社会の可能性をも狭めることがある。
原因と結果は似ているものだと思ってしまう。
・ネガティビティ・バイアス 得ることよりも失うことを恐れる。失う恐怖に襲われて初めてその問題に目を向ける。
・賢い人ほどバイアスにかかりやすい場合がある。自分の信条を裏付ける情報のみにその能力を使ってしまうことがある。
・人は自分を卑下するべきではない、自分を過信するのもフェアではない。より良い世界、よりフェアな世界にするために、バイアスにとらわれない思考をする必要がある。 -
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ネタバレ他者の評価はコントロールできない。コントロール不能なことは気にしない。結果は運。
うまくやろうとするのではなく、好きなことを情熱をもってやる。
わかってくれる人がいなくても、自分らしく誠実な行動をとれること自体が報酬。自分で自分をほめてやる。
怒りは習慣として強化される。
人は意図せず過ちを犯すため、敵対者含め全ての人に共感的に接する。
自分や他者に対する「こうあるべき」を手放す。
幸運とはよい感情やよい行動のことを言うため、自分で自分に幸運を与えることができる。充実感、自由、幸福感は自分の中にある。
気晴らしの時間がないほど忙しくしてはいけない。
バランスよく、中庸で、今ここを生きること。 -
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ストイックの語源が、ストア哲学であることを恥ずかしながらこの本で初めて知りました。
幸せを外に求めるのではなく、自分の内面に求めること、内面から得られる幸せの根源は尽きることがないこと、そのとおりだと思います。
このような考えが、紀元前に発生した哲学で唱えられていたことに驚かされますが、世の中、やはり変わらず世俗的な成功がもてはやされていますよね。
ストイックな人ばかりになると、資本主義は発達しなさそうですから、分かっていてもなかなか徹底できないのがストイシズムなのかなと思いました。
本書では、傷つくこと言われたときも、自分の反応の責任は自分で負い(不当な扱いを受けたと思うことをやめる)、相手を理解し、友になることを推奨しています。
他人から頻繁に精神的攻撃を受けていた数年前の自分が、このとき本書を読んでいたら、毎日腹立たしさとストレスを抱えていた心が多少和らいだだろうか、と本書を読みながらつらつら考えていました。
その人の発言を思い出すと、今も怒りの気持ちが湧きあがりますが、本書が述べるとおり、今ならば怒りの感情も自分の責任であると想起することはできそうです。ただ、その渦中にいるときは、そんな相手を理解して、親切にするなど到底無理だと思い、この点に関しては本書の言葉は心に響きませんでした。
このように手放しですべての考えに賛成できるわけではありませんが、ストイシズムの考え方を知らないよりは知っている方が、人生が豊かになることは確かです。
ストイシズムの入門として一読に値する本だと思います。 -
Posted by ブクログ
イカダの比喩には、科学の別の重要な側面も見て取れる。科学的に理解されていることを構成する要素の一つひとつは、イカダの丸太一本一本と同じで、すべての要素(丸太)がつながって支え合うことで初めて強くなる。科学の一部分を信用できるのは、その部分を共に支える一部分がほかにたくさんあるからだ。
そういう意味では、いくつものさまざまなエビデンスを通じてひとつのエビデンスを複眼的に見ることで、信頼を構築していると言える。それが科学というイカダの機能の仕方だ。
このように、複数のエビデンスを使ってひとつの事象の信頼性を高めることを「トライアンギュレーショ (Triangulation)」と呼ぶ。このトライアンギュレーションという行為は、「そこにある現実」をしっかりと捕捉して、人々が共有する現実の姿を構築し続けるうえで重要な役割を担う。
その重要性は、机を拳で叩いたとき(または、机の角につま先をぶつけたとき!)のように、インタラクティブな接触を直接得られない状況であっても変わらない。
では、スキーを履いたあなたが膝と上体を固定したまま、体重移動や足の曲げ伸ばしをいっさい行わずに斜面を滑り降りようとしている場面を想像してみてほしい。大惨事を招くのは必至だ。スキーで滑りながら直立姿勢を保つには、足にかける体重を絶えず移動させながら姿勢の安定を保つ必要がある。このような安定の保ち方を動的安定性と呼ぶ。
現実について知っていることにもとづいて決断を下さないといけないときもこれと同じで、自分が持つ知識はすべて事実であるとの思いに固執してはいけない。そうではなく、これについては強く信頼し、あれについては多少の疑いを残すというようにして、新たな事実が判明するたびに信頼の比重を変えるようにするといい。そうすれば、必要に応じて決断の内容を更新していくことができる。
これは非常に重要な割にめったに口にされない科学の要領のひとつで、理解が不確かな状態という「スキーの斜面」をうまく切り抜ける柔軟性が思考にもたらされる。そのように考えることを「蓋然的思考」と呼ぶ。
蓋然的な姿勢は、人間による不完全な理解と、私たちが実際に共有する「そこにある現実」の関係を映し出すものだ。しょせん、因果関係(やヒルの判定基準の評価)を立証するためのランダム化比較試験を行ったところで、所定の因果関係がこの世界を正確に記述するものである可能性を定量的に見積もった数字が明らかになるだけにすぎない。だが、そういう蓋然的知識の「丸太」をたくさん手にすれば、それらをつなげて現実の科学的な理解という「イカダ」ができる。丸太が互いに支え合うイカダのなかでも、とりわけ結びつきが強い部分は個々の丸太に対する信頼も強くなる。
反対に、あまり自信が持てない丸太が集まっている部分があれば、その部分に相当する現実の理解について、どこか間違っているのではないかという疑念が生まれるかもしれない。
まず、「ノイズや不確実性が測定値に影響を及ぼすケースは2種類ある」と覚えてほしい。ひとつは、測定値にランダムなばらつきが見受けられる(例:メジャーを押さえる手が小刻みに震える)ケースで、そういうときはそれらの平均を算出すればいい。一方、そういうばらつきとは別に、系統的に一方向に測定値が追いやられるケースもある(例:洗濯して縮んだメジャーを使えば、何度測っても実際の数値より大きな値になる)。自らの確信度を定量化し、誤った印象を与えるランダムな値が生じる確率を認識できるようになりたいと思うなら、厄介などちらのケースにも対処できるようになる必要がある。
トライアンギュレーションという重要な科学的思考のひとつを掘り下げて、統計的不確かさや系統的不確かさの原因となりうるものを確かめたところで、全体の話に戻そう。
不確かさを生み出すものを模索する必要があるのは、意思決定に不確かさの影響が及ぶのをうまく抑えるためである。私たちが共有する現実を観測しやすくする目的で測定が実施され、その結果にもとづいて決断を下そうとすれば、どうしても不確かさの影響が及ぶ。
このパート2では、そういう「現実にもとづく」意思決定は、現実を蓋然的に理解する力に左右されるということを見てきた。パート1では、問題の解決や世界を変えるために必要な「因果のレバー」を見つけ出すテクニックについて紹介した。そういうテクニックを使うときにも、因果のレバーに対する確信度が必要になるので、そこでもやはり、確信度の低下につながる統計的なノイズや系統的なノイズを特定する必要があるということを忘れないでもらいたい。
ここまで例としてあげたフェルミ推定では、次の3つの有用なテクニックを活用した。
・自分に数字の見当がつきそうな項目を見つける: 自分にとってあまり馴染みのない項目や、数字の見当がつかない項目にとらわれず、数字を推定しやすい項目を見つける(アメリカの車の台数を算出した例では、車の台数より人口のほうが見当がつけやすかったので、推定した人口にもとづいて車の台数を算出した)。
・概算を出す:推定とは概算という意味であり、ある程度近い数字を出せばいいことがほとんどだと認識する。推定した数字が、正解の数字の3分の1以上、3倍以下の範囲に収まれば問題ない。仮に正解を 100とするなら、3から300のあいだの数字を推定すれば十分だ。これは推定の根拠とする自分で見当をつけた数字についても同じで、それ以上の精度は必要ない。
・具体的な数字を決められないときは、上限と下限を最初に設ける。
ここから始まるパート4では、個々人の思考が間違った方向に向かうパターンをいくつか取り上げ、その驚くべき実態を見ていく。
その前に、本書で語ってきたことを簡単におさらいしよう。パート1からパート3では、科学の飛躍を助けた幅広い思考ツールを紹介した。その目的は少なくとも3つある。
ひとつは、日々の生活のなかで判断を下したり計画を立てたりするときに、誰もがそういうツールを使えるようになること(絶対に使うべきだ!)。紹介したツール一式は、さまざまな方法で錯覚に陥ることを防ぐとともに、世界の複雑さを受け入れる強さを与えてくれる。
もうひとつは、紹介した思考ツールを身近に感じることで、決断のカギとなる情報を与えてくれる科学者や医師などの言葉が理解しやすくなる(必要に応じて確かめるようにもなる)こと。
そして最後のひとつは、新たに判明した事実の要点を教えてくれる専門家を見つけたいと思ったときに、 候補となる人の思考ツールに対する理解に目を向けて、それを信頼性の判断基準にしてもらうことだ。ここまで読み進めるなかで、この3つの活用の仕方を理解してもらえていたらいいのだが。
頭のなかで習慣にすること
・よりよい道具をつくる
・事実と価値を分ける
・ものごとを蓋然的にとらえ、正否の二択で考えない
・パターンに見えるランダムノイズに惑わされない
・ノイズとバイアスを区別する
・直感での判断に警戒する
・確証バイアスを回避する
集団のなかで習慣にすること
・確信度を提示する
・解決策になりうるものを疑うとともに、科学に根づいた「為せば成る」の精神で解決を目指す
・互いに正直であり続ける
・リスクを許容できる水準について合意を得る(偽陽性と偽陰性)
・話し合いの効果を高める進行方法を採用する
・新たな自分の騙し方、さらには、それを回避するために頭のなかや集団のなかで習慣にすることが見つかるたびに、この表を更新する
科学的に成功を収めた時代 (20世紀に入る前)
・器具の使用
・実験法の確立
・再現
・コンピューターの使用
・科学コミュニティとピアレビューを行う学術誌
・一重盲検法と二重盲検法
・科学的懷疑主義(主張にはたしかな証拠が必要)
・科学的楽観主義(「為せば成る」と思い続ければ、実在するものを発見し、 問題を解決できる)
・科学的現実主義
失望と反発の時代 (過渡期の苦しみ)
・科学者が「閉じこもる」制度の確立
・専門家の同質化:
人種、民族性、性別
階級
活動拠点
政治的見解
・経済的利益の相反
・専門家の過信と大言
・「できるからつくる」 と、テクノロジーがもたらすリスクの登場:
核兵器
気候変動
バイオハザード
オピオイド
AI、ナノテクノロジーなど
戦闘行為の自動化
情報拡散するソーシャルメディア
証券取引の自動化
3M思考への刷新を行う時代
・「事実に照らして考える」から「蓋然的に考える」へ
・「還元主義がすべて」から、創発現象をはじめとする多元的で微妙に異なる意見を尊重する姿勢へ
・「神業での解決」(大きな飛躍による進歩)から「逐次的な解決」(慎重に段階を踏む進歩)と「実験する社会」へ
・「テクノクラシーによる意思決定」 (専門家やリーダーが決定する) から「討論による意思決定」(集団で相談し、合意を求める)へ
・ゼロサムゲームのトレードオフか 5、もっと野心的に「為せば成る」の精神で、パイを大きくしてウィンウィンとなる解決策の模索
・分野の垣根を超えたチームワーク
・集団で活用する新たなツール:オープンサイエンス(事前登録、データの共有)、ブラインド解析、マルチラボ調査、市民科学者によるファクトチェック、討論型世論調査、シナリオ・プランニング、予測市場、超予測、対話や議論のためのオンライン・プラットフォーム