フィードバックを「文化」と捉えると様々な解釈が可能となる。阿吽の呼吸が大切な日本で本当に根付くのか。
本書を読んで改めて「フィードバックとは何だろうか?」と考えてしまった。
日本語では「ほめ殺し」「ダメ出し」という言葉はあっても、それは「フィードバック」とは意味が異なる。
似た言葉では「アドバイス」
...続きを読むがあるのだが、どうもこれも意味が違うし、そもそも日本語ではないし。
考えてみると意外にも奥が深いのが「フィードバック」なのだ。
人間とは不思議なもので、自分自身の本当の姿を自分で認識することが一番難しい。
自分は自分のことを良く分かっているつもりでも、他人から見ると違うように解釈されていたりする。
だからこそ、それら他人の目を通して、本当の自分自身を知ることが大事だということになる。
その事を気付かせるのが、まさに「フィードバック」という技術なのだと言える。
ここで敢えて「技術」と書いたが、まさに「フィードバックはテクニックなのだ」と考えると分かりやすい。
テクニックなのだから、習得すれば「フィードバック」を出来るようになるのである。
これについては、思い当たることがある。
自分が他人と会話している時に、どうしても嚙み合わない人がいる。
「俺の話、聞いてる?」と問う以前に、ちゃんと聞いてくれていて、お互いに会話しているのに、噛み合ってない場合だ。
これを「相手の会話スキルが低いだけでは?」で済ませてはいけない。
本当の原因は、「お互いの会話の目指すところがズレている」ということに、気が付くかどうかなのだ。
そして、自分側にも原因の一端があることに気が付くかどうかなのだ。
この「目指すところ」が実は様々な要素があって、一つには「論点」がある。
これは一番分かりやすい。ところが、会話のズレとは「論点」だけに留まらない点が難しいのである。
お互いに論じているだけが会話ではない。
論理や主張がなくても、ただの雑談だったり、日常会話だったり。
その中でも特にフィードバックに該当するものが「対話」という概念だろう。
フィードバックのやり取りをする際に、お互いを「対話」のモードに合わせておかないと、質の高いフィードバックを獲得することは出来ない。
そういう目指すところのズレを修正し、お互い「対話モード」に合わせるためにも、本書では「人間関係をシステムに見立てる」と説いている。
これも、自分にとっては新しい考え方だった。
人間関係をシステムに見立てて俯瞰して見ると、フィードバックする側と、される側の役割が朧気ながら見えてくる。
この役割を理解して会話をすれば、上手くいくということなのだ。
「相手はこういうモードで来ているな」に対して、自分が「こういうモードで接する」となれば、それは有意義な会話となり、より質の高いフィードバックになるのだろう。
同じ言葉でフィードバックをしたとしても、そのシチュエーションや、こちらと相手との関係性や、その場面での雰囲気などでも受け取る意味合いが変わってくる。
だから「システム」なのである。
人間関係をシステムに見立てて俯瞰して見るから、そこに気が付くのだ。
人は、ついつい自分が喋っていると、相手の様子を構うことなく喋り続けてしまう。
本当は、相手に伝わらなければ意味がないのにも関わらずだ。
何なら、相手がその言葉を受け取ってくれていても、腹落ちしていない場合だってある。
その状況も意味がないのである。
だからこそ、例え自分が喋っていても、相手の反応を伺いながら喋り方も変えていく柔軟性が、最も相手に伝わり理解させる方法論なのである。
これが「システム」という意味なのだ。
あるA点からB点まで、どうやって情報を届けるのか?
複雑な電子回路だって、どこかで途切れたら、情報はB点に届かないのである。
言葉だって同じだと思えば、「システム」という意味が理解できるのではないだろうか。
本書では、フィードバックについては「感謝」「指導」「評価」でそれぞれ分けて考える、と説いている。
これも「対話モード」でいれば、自ずとどうやって相手に合わせるかが見えてくるだろう。
フィードバックは本当に難しい。だからこそ、テクニックを正しく学ぶことが重要なのである。
(2023/4/4)