石原慎太郎のレビュー一覧
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角栄の手記のような文体だが、あくまで石原慎太郎が書き下ろした題材ベースの小説だそうな。自分が子供の頃、角栄の名はとにかくロッキード事件にからめて頻繁にニュースに登場していた。政治のことなどもちろん皆目わからなかったが、鋭い眼光が放つオーラに並々ならぬ大物感を子供心に感じたものだ。
オーラのみでなく実際に大物であったことは小説の中身からもよく伝わってきた。男ならこういう仕事をしろと檄を飛ばされているようだった。ロッキード事件については未だになんとなくしか知らないが、有罪判決至らしめたのは本当に米国の陰謀なのだろうかと思わされた。あと、どうせ小説なのだから(という言い方はよくないが)、愛人についてももう少し触れてほしかった。 -
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石原慎太郞(1932~2022年)は、一橋大法学部卒、作家・政治家。大学在学中にデビュー作『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、「太陽族」が生まれる契機となったほか、弟の石原裕次郎は同作品の映画化によりデビューした。1968年から政界に転じ、参議院議員(1期)、衆議院議員(通算9期)、その間、環境庁長官、運輸大臣、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任。また、1999~2012年には東京都知事(当選4回)を務めた。2022年2月1日逝去(89歳)。
本書は、「日本堕落論 このままでは日本は沈む」(「文藝春秋」2010年12月号)と「仮想と虚妄の時代 援助交際と純愛」(同2005年5月号)に大幅加筆・改稿し、2011年7月に出版されたものである。
私は、本書の出版直後に入手し通読していたが、先日石原氏が死去したことから、今般書棚から引っ張り出し、(通読したときに線を引いた箇所を)飛ばし読みしてみた。
まず、石原氏は、2011年3月の東日本大震災直後に「天罰」と発言して批判を浴び、本書の序章でもそれについて触れ、「・・・一部の人々の誤解と顰蹙を買いましたが、その折りの発言は、ことの大きさにたじろぎ国家としてこれをどう受け止めるかを思ってのことでしたが。」、「直接の被害を受けた方々にとっては胸にも刺さる言葉と感じてお詫びしましたが、しかしなおあの言葉が表象するように・・・」と書いているのだが、何と弁解しようと、「天罰」という言葉を使う必然性は全くなく、到底受け入れることはできない。(根本的に反省していないことは、本書の副題に「天罰」という言葉を使っているのを見てもわかる)
本書の内容については、石原氏が語っているのは、第1章で日本及び日本人の真の自立の必要性(そのための、憲法の修正や核兵器の保有)、第2章で人間の真の関わりの重要性(IT技術の進歩等による人間関係の希薄化への危惧)であるが、私は、基本的には国際協調主義、多様性重視のスタンス(いわゆる「リベラル」)ながら、それでも、現実論として国益をどう守るか、また、テクノロジーの進歩(AIや生命工学等)と人間性の維持をいかにして両立させるのかなどには強い関心を持っており、そうした観点からは、同意できる部分もある。
どんな本にしても、(自然科学などを扱ったものでもなければ)著者の主張を自分の中で咀嚼すればよい(する必要がある)のだが、そのようなスタンスで向き合うなら、本書も一読する意味のある一冊と言えるだろう。
(2011年8月了) -
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1.著者;石原氏は、元政治家・作家・エッセイスト等、多数の肩書を持つマルチ人間です。「太陽の季節」で文学界新人賞と芥川賞を受賞し、文壇デビュー。「太陽の季節」が映画化された際には、“太陽族”という流行語が生まれました。その後、「化石の森」で芸術選奨文部大臣賞受賞、「生還」で平林たい子賞受賞、実弟の石原裕次郎を描いた「弟」は120万部を売上げ、毎日出版文化賞特別賞受賞。政治家時代は、環境庁長官、運輸大臣、東京都知事を歴任。いつまでも若さを失わず、文学・スポーツ・政治とエネルギッシュに活動しました。
2.本書;「老い」をテーマにしたエッセー。月刊誌「プレジデント」に“肉体の哲学”という題名で連載。「序章;老いには、目を据えて立ち向かえ」~「第二十一章;死は忌まわしく、恐ろしい。されども」の22章構成。石原氏が69歳の時に、“老い方への教え”として書きました。「自分が老いる事への自分なりの正確な理解や準備や対処が有効に出来れば、老いていく事の中での予期した以上の充実や満足もある」と言っています。
3.個別感想(心に残った記述を3点に絞り込み、私の感想と共に記述);
(1)『第一章;人はなぜ走るのか』より、「健全な精神とは何もそれ程高尚なものではありはしない。要するに気力の問題です。端的に言って、年齢にかかわらずいかにも年寄り年寄りしている人は話してみると気力を失った人間でしかない。逆に気力の溢れた人はその年にかかわらずいかにも気力に満ちた人間なのがわかる」
●感想⇒“気力”を辞書で調べると、「活動に堪え得る精神力」とあります。私は、人生の節目毎に“気力”の意味合いが異なると考えます。中国では人生を四つに時期に分けて考えたそうです。「青春、朱夏、白秋、玄冬」です。四つの段階毎に、過ごし方があります。「青春~朱夏」では目標達成に向けて、頑張る時。「白秋~玄冬」は振返りと懐かしむ時期です。五木寛之氏の言葉を借りれば、「人生の後半期は自分で登ってきた山を降りていく時期なので、景色を楽しんで下山する」となります。若者の中には、老人に対し、「あの人は昔話ばかりする」と、批判する人もいます。多少は大目に見てあげて欲しいです。老人も自慢話にならない気配りは言わずもがなです。いずれにせよ、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言います。気力も問題も体の健康は大前提です。
(2)『第三章;色即是空』より、「迷いや悩みを断ち切り乗り越えるために何が必要かと言えば、何よりもまず変化という事を受け入れる事なのです」「釈迦が、“世の中に溢れている苦しみは、すべて執着が原因で生まれてくるのだ。それを知らずに執着を繰返す者は愚かで、くり返し苦しみに近づいていくだけだ。だから苦しみの原因を知った者は心して、苦しみがまた生まれてくるような執着を持ってはならない”」、と教えている。
●感想⇒私は、“執着(=一つの事に心がとらわれてそこから離れる事ができなくなる状態)”は良くないと思います。思考の柔軟性に欠けるからです。私は、“こだわり(=物事に妥協する事なくとことん追求する)”は必要だと思います。こだわりには、「・・・するために」という目的があるからです。例えば“人間的に成長する為に学問や読書をする”、“気持ちよく暮らしたいから整理整頓・掃除する”などです。こだわりのない人生なんてつまらないと思う反面、行き過ぎると“執着”に発展するので気を付けたいものです。金銭に執着し、懇親会に欠席という人がいました。それにはその人なりの理由があると思ますが、人と交流し、懇親を深めるという機会を逸する代償がなければよいのですが。
(3)『第七章;脳幹の大きな意味』より、「人間が他人との関わりの中で自分でしっかりと捉えながら生きていく、自分を失わずに生きていく為に必要な事は、耐える、耐えられるという事に違いない。堪え性の無い人間は結局どんな戦いどんな競争にも負けてしまう」
●感想⇒時と場合によっては、忍耐は必要です。“耐える精神”を身に付けるには、幼少からの育てられ方が影響すると思います。現代は物に溢れています。子供が欲しがれば、買い与えられます。友達が持っているからと言われれば、与えてしまうでしょう。それでは、我慢が出来ない人になります。我慢できない人は、我がままになりがちです。そういう人は家庭では良くても社会では落第です。会社のような組織ではチームワークで仕事をするので、協調性が必要です。自己中心的な人は問題です。堪え性は大人になってからでは克服困難です。“家庭の躾”と“学校の知識”の役割がポイントです。そうは言っても、何でも我慢させるのは酷な面もあるので、何かを与える時はある種のルールを決めるとよいと思います。例えば、スマホであれば、家族や友人への電話・メール連絡中心に使ってよいとか。
4.まとめ;石原氏はあとがきで、「自分がどの程度老いたかということは、決して他人との比較の中での事ではなしに、結局、自分自身の内側の問題だ」と言います。確かに、気の持ちようなのでしょう。内面を充実させる読書や経験等は若い頃から意識すると良いですね。最後に、読後感は、エネルギッシュで切れ者という感じの石原氏にしては、常識的な事が多く書かれており、やや期待外れの面がありました。本書は老人だけでなく、その予備軍はもとより、老いとは程遠い若人も読みます。氏の経験から、そういう人たちに、なるほどと発奮させる言葉があると良かったと思いました。(以上) -
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女とは肉体の歓び以外のものではない。友とは取引の相手でしかない……。
退屈で窮屈な既成の価値や倫理にのびやかに反逆し、若き戦後世代の肉体と性を真正面から描いた「太陽の季節」。最年少で芥川賞を受賞したデビュー作は戦後社会に新鮮な衝撃を与えた。人生の真相を虚無の底に見つめた「灰色の教室」、死に隣接する限界状況を捉えた「処刑の部屋」他、挑戦し挑発する全5編。
【目次】
太陽の季節
灰色の教室
処刑の部屋
ヨットと少年
黒い水
5編収録。表題の太陽の季節より『ヨットと少年』『黒い水』が良かったと思いました。この本の影響は、なんと髪型にも影響を与えていた!?ようです。当時、石原慎太郎カットなるものが流行ったとのこと。サイドはスポーツ刈りで頭頂部は長め。ちなみにその前は震災カット(今でいうツーブロック)が流行っていたみたいです。