梯久美子のレビュー一覧

  • 原民喜 死と愛と孤独の肖像

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    読み進めれば読み進めるほど、切なく哀しくなる…。目の前の現実を見つめず、ただやり過ごすだけの自分が恥ずかしくなる…。

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    2018年12月06日
  • 原民喜 死と愛と孤独の肖像

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    原爆作家としてしか知らなかった原民喜であるが、この評伝で妻がこの人を支え生きながらえさせた実生活に触れ、新たな視点を受け取った。この人は緘黙症のまま生きることになったかもしれない人であり、鎮魂歌にあるように「愛は僕を持続させた」のだと思えた。

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    2018年08月30日
  • 原民喜 死と愛と孤独の肖像

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    原民喜と言えば、「夏の花」で「原爆文学」。そんな貧弱な文学史的知識しか持たず、国語の教科書にほんの少し抜粋されていた文章しか読んだことがなかった。この評伝を読んで初めて、ああ、こういう人だったのか、こんな孤独な魂の持ち主だったのかと、一人の人として目の前に現れてくる気がした。

    以前著者が小林多喜二について書いていたときも同様のことを思った。教科書の平板な一行だけの記述の背後で、失われていくその人の切実な人生を、梯さんは丁寧な取材でよみがえらせ、そっと目の前に差し出してくれる。圧巻の傑作「狂うひと」とはまた違い、静かな悲しみをたたえている一冊だ。

    原民喜が自死を選んでいて、しかもそれが鉄道自殺だったとは知らなかった。冒頭でその死の前後が描かれ、その後は、生い立ちからそこに至るまでの人生をたどっていく形になっている。原民喜という人は、本当に不器用で、世間になじめない人だったようだ。そういう自分を愛し庇護してくれる人や、やさしくあたたかいものを希求するが、それらははかなく手元から奪い取られてしまう。絶望と死に向かって刻々と引き寄せられながら、この世の地獄とも言える被爆体験が、かえって生に向かわせたという指摘には唸った。本当に「これを書かねば」という思いだけが、戦後の原をしばらく生きのびさせたのだろうと思う。

    いつもながら、著者の筆致は冷静で、いたずらに感傷を煽ることなく淡々としている。原の自死についても美化せず、しかし、どうしてもそこに向かって行くしかなかった孤独な心情をしのばせる描き方になっている。過度な感情移入を避けながら、なおかつ取材対象に寄りそって書くことは、そうたやすいことではないだろう。その姿勢に揺るぎない信頼感がある。

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    2018年08月21日
  • 昭和二十年夏、僕は兵士だった

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    「狂うひと」がとてもよかったので、梯久美子さんの未読の著作をさかのぼって読んでいこうと思い、まずこれを。

    兵士として敗戦の日を迎え、戦後の人生を生き抜き、それぞれの世界で一流となった方たちへの聞き書き。戦時中の体験はどの方も壮絶で、つくづく軍隊というものの恐ろしさを痛感させられる。それだけでも充分本として成立しただろうが、戦後をどう生きたかということにも多く筆が割かれていて、そこがとても良かった。

    当然ながら、置かれた状況は異なるし、戦後の歩みも違うわけだが、戦争で死んでいった人たちのことをずっと胸に抱いている点は共通している。生き残ったこと、自分が生きていることの意味を問い続けずにはいられない人生…。どれだけ多くの人がそうやって生きてきたのだろう。

    どの人の話もそれぞれに重いが、金子兜太宗匠の「アベ政治を許さない」の背景にはこういう体験があったのかと、心に強く残った。

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    2017年09月14日
  • 昭和二十年夏、僕は兵士だった

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    出版されたのが、7年前。私が読もうと思ったのは、文庫になってから。もっと早く読めばよかった。三國連太郎さん、水木しげるさんがご存命のうちに。だから、どうだってこともないんだけれど。

    金子兜太さんも、大塚初重さんも、池田武邦さんもお元気でいらっしゃるのが素晴らしい。

    それはそうなのだが、兵士として戦った方が、本当に少なくなってきた。
    そして今の日本の進む方向。

    生きた方の話を聞く、それが無理なら、書籍や映像になったものからしっかり知る。
    そこからリアルに想像する。
    それしかないような気がする。

    国のために戦うことがとてもカッコいいと思ってやまない人たちは、こんな本も読まないんだろうな。
    どうしたらいいんだ。

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    2016年08月30日
  • カラー版 廃線紀行―もうひとつの鉄道旅

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    筆者が歩いた廃線となった路線について、写真・地図などと併せて書かれている本。私が乗ったことがあるのは清水港線だけで、日本はまだまだ広く、行ったことないところばかりだということを再認識した。
    近いところで、日中線の熱塩駅は行ってみたい。

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    2015年10月18日
  • 昭和二十年夏、僕は兵士だった

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    なかなか気乗りしなくて、一年かけて少しずつ読み進めた。
    戦争について考えるつもりで読んだけれど、そんな大層なことは出来なかった。でも、最後まで読んで良かったと本当に思う。

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    2015年10月17日
  • カラー版 廃線紀行―もうひとつの鉄道旅

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     なんか居心地の良さを感じる鉄道の旅。
     鉄って感じではなく、旅の本。
     廃線じゃない鉄道本も、読みたい。

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    2015年08月20日
  • カラー版 廃線紀行―もうひとつの鉄道旅

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    〈目次〉
    第1章 北海道・東北
    第2章 関東
    第3章 中部
    第4章 近畿
    第5章 中国・四国
    第6章 九州

    〈内容〉
    大変オーソドックスな内容。ひとつひとつのボリュームはさほどなく、読みやすい。けど、必要な情報は入っている。知っているところの多い私は、記事の中に書かれているところは写真をつけて欲しかったです。

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    2015年08月06日
  • 昭和二十年夏、僕は兵士だった

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    これまた、興味深かったです。

    戦争を題材にしたフィクションはたくさん読んだけど、実際に体験した人の話はあまり読んだことなかったかも。

    私の印象では、南方に送られると過酷なイメージ。

    水木しげるさんは、ラバウルで腕を失う経験をしたのに、なんか飄々としてて、きっと思い出したくもないこともたくさんあるだろうに、こんな風に語れるなんてすごい。
    「総員玉砕せよ!」を読もうと思いました。

    とても驚いたのが三國連太郎さん。
    完全に釣りバカのスーさんのイメージだったので、こんな波乱万丈な人生を送ったのかと本当に驚きました。

    今年は戦後70年。
    だんだんと、戦争をハッキリ覚えてる人が亡くなってしまうのは、しょうがないことなんだけど、やっぱり残念。
    その話を読んだり聞いたりした私たちが、「戦争反対」と言い続けていかないとな、と思いました。

    いやむしろ、私なんかよりもっと若い世代に読んで欲しい。
    私は、小学校で「はだしのゲン」を見させられたり「ひろしまのピカ」を読まされたりして、「もうわかったよ~、戦争怖いよー」って植えつけられてきた。
    今の子たちは学校でそういうのってない。
    せいぜい、テレビで「火垂るの墓」をやったのを録画して、見るだけじゃないのかな。
    だからこそ、知って欲しい。

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    2015年06月19日
  • 昭和二十年夏、女たちの戦争

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    こういう本を読みたかったんだ、と思いました。

    戦争を題材にした本はたくさんあるけど、確かにそのほとんどが女は脇役。
    夫や息子を戦争に取られ、戦死してしまって悲しむ役どころが多かった。
    確かにそういう女性は当時たくさんいたのだろうけど、普通の若い女子は当時どんなことをして、何を考えていたのかにも興味がありました。

    本の構成の良さもあると思いますが、一気読みでした。

    みなさん、戦争からもう何十年も経っているからなのでしょうが、「お隣の○○さんが死んで……」みたいなことを淡々と(文字だけだとそう思ってしまう)語っておられるので、それがもう戦争というものの異常さを物語っているなあと思いました。
    私、今までの人生振り返って、そんな風に語れる話ないもの。

    近藤さんが「戦争はじわじわ来る」と語っているのを読んで、怖くなりました。
    今の日本がその「じわじわ、じわじわ」に当たらないとは言えない気がして。

    あと私は、家で仕事や編み物なんかをするときに、録画してある「渡る世間は鬼ばかり」を観ながらやることが多いので、赤木春恵さんの話が聞けたことが嬉しかった。
    嫌な姑役がうまいこの女性も、そんな大変な経験をしてこられたのかと思うと、見る目が変わります。

    みなさん、当時のことをすごくハッキリ覚えているけど、それはあまりに強烈だったからだと思う。
    戦争を体験した方、そして被災した方と比べるのはおこがましいけど、私も東日本大震災が起こった日のことは、今でもハッキリ覚えていて、聞かれれば昨日のことのように話すことができる。
    戦争って、そういう日が何日も何日も続くってことなんだ。

    三浦しをんさんの解説もよかった。

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    2015年06月14日
  • 昭和二十年夏、僕は兵士だった

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    昭和を生き切った元兵士たちの語り。一つ愕然としたのは、死線を奇跡のように潜り抜け、学ぶ自由を謳歌すべく終戦直後の大学に入学した若い元軍人たちを、戦争へ行かずに済んだ下の世代の学生たちが虐め抜いたという話。徴兵忌避できただろうとか、敵兵に味方できただろうとか、色々な例を具に挙げながら個々人を袋叩きにしていた東大や一橋大のエリート学生たちの話。終戦のたった一年後なのに、戦争を生み出した社会のことが過去の遺物、他人事になっていた事実。70年後を生きる私たちは、どうだろう。

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    2013年02月18日
  • 昭和二十年夏、僕は兵士だった

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    俳人・金子兜太氏
    考古学者・大塚初重氏
    俳優・三國連太郎氏
    漫画家・水木しげる氏
    建築家・池田武邦氏

    兵隊として戦地に赴いていた五人に著者がインタビューをするといった形で、
    作品が構成されている。
    将校として、もしくは招集された一般兵としての立場や
    戦地が違うがそれぞれが体験した本物の戦争の話だと思いました。

    金子氏はトラック島に大尉として配属された。
    見捨てられたトラック島での生活、捕虜になったときの話が
    淡々と語られる。
    淡々とした語り口はよけいに戦争のむなしさをもの語っていた。

    大塚氏は、東京大空襲の後、下士官として寿山丸に乗り込むが
    魚雷により、船は沈没する。
    この時は、済州島に流れ着く。
    海を漂白している間の話など胸の詰まる話が多いのだが
    特にジンときたのが
    氏がもし生きて、日本に帰ることができたなら
    もう一度、歴史勉強しなおそうと。

    大塚氏のことば
    日本は神国であるとか、神風が吹くとか、そういうことではなくて
    もっと科学的な目で見た歴史を学びたいと思いました。そして、
    子供たちに間違いのない正しい歴史を教える教師になりたい。

    この言葉に、この時代、この戦争では、国のために死ぬということが前提の教育。
    その教育になんの疑問もなかった時代があったのだと、痛感させられた。

    三國氏は徴兵逃れの末、憲兵につかまり中国戦線に駆り出されることになる。
    生き抜いて、帰国するまでの話が語られている。

    この本の中で、特に淡々としているのに、
    涙が出てきてしまった章があった。
    それが
    水木氏の章だ。
    言わずと知れた、ゲゲゲの鬼太郎の作者であるが
    氏が配属されたのが激戦区のラバウルである。
    自分のいた分隊が氏一人をのこして全滅した話だとか
    仲間の死だとか、とにかく”死”の話が中心である。

    水木氏が居た隊の大隊長についての記述が

    彼の頭には自分の大義と美学をまっとうすることしかなく
    部下のことが全く見えないまま、敵にではなく自分の死に向かって突撃していった。
    そんな軍人が数百人の人間の生命を預かっていたという事実への何ともいえないやりきれなさ

    先ほどの大塚氏の話とシンクロして、何とも言えない気持ちになった。
    玉砕命令がでてしまえば、死ぬ以外の選択枝は無かった。

    以前、零戦について調べたいたことがあったときに
    ある、掲示板にたどり着いたことがあった。
    たぶん、中高生くらいの子たちの集まりだと思うのだが、
    零戦の特攻につて、
    「なんで、あんな効率の悪い戦い方をしたんだ」と、ちょっとバカにしたような文章が目にとまった。
    それを見ながら、
    そうではない、もう、資金も弾も燃料も、戦えるだけの飛行機もなくして
    誰も止めるものがいないから、最後の最後の方法が特攻しかなかった。
    もし、資金や弾や飛行機が充分であれば、”効率”の良い戦い方をしたでしょう、
    そんな想像力もなくしているのかと、愕然としたことがあった。

    池田氏は、軽巡洋艦 矢矧 に乗員
    この本を読むまで、この「矢矧」という船を知らなかった。
    「矢矧」は秘密裏に作られた巡洋艦でその最後も闇に葬られた船であったらしい。
    さらに、その秘密保持のため、矢矧の乗員は靖国にもまつられていないとのことだ。

    戦いも終盤に入り、大和を中心とした海上特攻に
    この「矢矧」と「冬月」「凉月」「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「霞」「初霜」
    の計10艦

    この作戦では、無事、大和が沖縄についたとしても
    陸上に乗り上げて砲台として使用する予定だったという。
    どちらにしても、大和には”戦艦”としての未来はなかったのだな~と、
    しみじみ思った。

    一緒に出撃していた、「磯風」の乗組員の話があった。
    「矢矧」が自立航行不能となり、「磯風」への移乗を試みた際に
    「磯風」もまた、至近弾を受けて航行不能となる。
    その時の話が

    正直、あの戦いは、大和の主砲が働いてくれさえしたら、あんなに惨めなことにならなかったと思います。
    ~中略~
    視界が効かず、敵機の姿も、ごく近くに下降してくるまで見えない。
    それに味方の飛行機は一機も飛んでいないのですから。

    この言葉に、この時の戦況がありありとうかがえる。
    戦争を戦っていた人たちは、
    日本は負けるという気持ちがあったのだとおもう。
    しかし、
    先日、義父と話をしていたら、
    義父が「まさか、日本が負けるとは思いもしなかった。
    ずっと、勝っていると言われて、その通りだと思ってたんだ」
    と、言っていた。

    そこでまた、
    大塚氏の話を思いだのだ。

    戦争を知らない自分が、戦争について学ぼうとする場合は、
    正しい歴史と、証言を聞くしかないです。

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    2012年08月18日
  • やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

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    2026 07/29
    子ども心に『てのひらを太陽に』の歌が印象的で、ものすごく簡単な言葉でとても大切なことを言っていると漠然と感じていた。わかりやすい言葉、覚えやすいメロディ。幼稚園で覚えて元気良く歌っていた。唯一「血しお」って何だろう?て思ってた。何かわかんないけど、自分の体の中に流れてて「生きている」為には必要なんだなって感じていた。
    子どもの頃に、言葉にはできなくても感じることを教えてくれたのはとても貴重な体験だと思う。
    『アンパンマンのマーチ』は今も無意識に口ずさんでいる。気がついたら歌ってる。そして、ある日気付いた。「何この歌詞。すごい!」って。これは“生きとし生けるもの”の本質の歌だって。
    詩集「おとうとものがたり」や本書を読んでやなせさんの戦争体験や弟さんのことを知って、シンプルに生きものへの讃歌だと思っていたこの歌詞はもっと深いものだと知った。


    本書は、もともと生まれ持った性質もあるのだろうけれど、生い立ちや戦争体験などを経て構築されたやなせさんという人間の穏やかな優しさを感じる内容だった。

    自己犠牲の権化のようなアンパンマンは、やなせさんの「生きていく」テーマだったのかもしれない。
    「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」
    「ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、おなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」
    人間は、自分も辛いけれど相手を思いやることができるんだと、やなせさんは信じている。

    やなせさんのモットーの「一寸先は光」は、どんなに深い闇でも、目をこらせば光はあるという考えだそうです。
    とても素敵な考えだし、ハッとしました。
    心に刻みました。

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    2026年08月04日
  • やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

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    ネタバレ

    「アンパンマン」の作者・やなせたかしの生涯を、実際に彼を側で見てきた著者が綴る。

    きれいな評伝だが、薄っぺらいものではない。実際に従軍し、生還したやなせ氏の生き様を丁寧に追っている。実際に成功するまでは長かったが、それまでの生き方が繋がっていることがわかる。

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    2026年04月09日
  • やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

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    改めてやなせ先生の生涯を知ると、朝ドラになるべくしてなったんだな、とまざまざと実感させられる。「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」を地で行く先生の人柄はもちろんのこと、その人柄によって紡がれる様々な縁が超素敵で。

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    2026年02月27日
  • やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

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    やなせたかしさんの考え方は耳にしたことがあり共感を持っていたが、この本を読んで、よりやなせさんに好感を抱いた。自分自身の心の中の葛藤などが書かれていた。詩もやさしく、その心を見事に表現していた。戦争体験者としての話などもっと聞いてみたいと思った。他の本も読んでみたい。

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    2025年11月30日
  • やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

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    ネタバレ



    ・喬の故郷、香美市(かみし)香北町朴ノ木(ほおのぎ)。旧在所村。ざいしょは近くの御在所山から来てる。壇ノ浦の戦いで敗れた平教盛(のりもり)が安徳天皇を匿って隠れ住んだ伝説があり、喬はこの話を気に入っていた。祖先も戦いから嫌で逃げ出して臆病で暮らしていた気がしたり、大きな山の一本の木のイメージが好き。

    ・喬は未熟児で生まれた。その後、父の仕事の関係で東京都北区滝野川で暮らす。弟が生まれるが父親が中国で病死。父親の葬儀は中国と東京と香美市で行われ、新聞にも大きく載った。その後は喬と母親(登喜子)と父方祖母(鑯)と暮らす。

    ・小学校2年生で母親は再婚し、喬は伯父に預けられる。養子の弟と居候の兄という微妙な感じ。小学校を主席で卒業し、中学(今の県立高知追手前高校)に。電車の中で女学生に惚れて恋文を書くと、その父親から次やったら学校に通報すると言われ初恋が終わる。おねしょもたびたびしていた。この時代に新聞や雑誌に漫画を応募してメダルや賞金を貰う。医者を勧められるも無理で高知大学も不合格、絵の勉強をしたいと言う。

    ・千葉大学工学部(当時は東京高等工芸学校、田町駅目の前)のデザイン科に。一日一回銀座を歩いて吸収しろ、デザインで食う必要はないと教えられる。卒業後、製薬会社(田辺元三郎商店:今の田辺三菱製薬)の宣伝部で働く。

    ・徴兵されて最初は殴られまくるが慣れる。学歴が良いので幹部候補生試験を受けるも、前日居眠りをしていて乙種合格で軍曹に。甲種だと満州で死人ばかり出たから運が良かった。暗号手になる。中国ではマラリアで二週間高熱になったりしながら台湾の対岸から上海まで行軍。上海作戦を待ちながら食料を節約して餓死しかけて空腹が1番しんどいと知る。帰国待ちの最中に兵隊同士で歌を作ったりした。歌の持つ力を実感。一方弟の千尋は海軍に入りソナー士をしていたがフィリピン沖で米国潜水艦に撃沈され戦死。

    ・戦後1番心を苦しめたのは「正義」が反転したこと。弟や同士は正義のために散ったはずなのに。結局正義の戦争なんてのはない。ひっくり返らない正義が本当の正義。お腹が空いている人に食べ物を分け合うような。

    ・高知新聞入社。27歳。月間高知という雑誌の編集をする。小松暢と出会う、高知新聞戦後女性記者第一号。池田暢として出生し、初婚が小松で相手は終戦直後に病死。父親は商社の木材部。付き合い出すが東京に先に出られ半年遅れで上京して製薬会社時代の人づてでデザイン会社に入る。

    ・住処は大倉山駅に暢の友達の家があり、友達の3歳の息子の部屋に暢と嵩で同棲。デザイン会社から三越の宣伝部へ。包装紙のmitsukoshiの字を書く。中目黒のボロアパート(6畳1間。風呂トイレ無し。共用トイレは傘必須。階段は抜けてる)に引っ越す。チビチビ漫画を投稿してたら三越の給料の3倍ぐらいが漫画で稼いでおり、独立を考える。四谷の荒木町に四二坪に家を建てる。34歳。

    ・独立するがヒット作が出ず、大御所の穴埋めで生きる。メイ犬BONを書く。手塚治虫が登場しトキワ荘が出てきて漫画は長編時代。乗れない嵩。手のひらを太陽に、42歳。マンガ学校というテレビ番組で子供向けの企画を学び若手落語家の立川談志と出会う。永六輔に舞台美術を、宮城まり子とはミュージカル台本や衣装デザインを、羽仁進とはテレビ番組のシナリオを…と各方面の天才に直接指導されモノを作る。手塚治虫からアニメ千夜一夜物語の美術監督を拝命。何も知らないのでこれも教えてもらいながら。お礼に手塚治虫のポケットマネーでやさしいライオン(犬に育てられたライオンがサーカス入り、母犬の声を聞いて飛び出して射殺される)を作る。このやさしいライオンは絵本でも売れたので、もう一冊何か書いて欲しいと言われて、やっと登場のアンパンマン。1973年、54歳。

    ・アンパンマン前史。1960年代にラジオで大量に書いた話の中に、「アンパンから生まれたアンパンマン」(姿なきアンパンマン)という話があった。1960年代後半に書き下ろし童話の依頼でアンパンマンが主人公の物語を書くも編集者からボツに。(まぼろしのアンパンマン)1969年山梨シルクセンターの月刊誌に書いたアンパンマンと題した一編。(でぶ人間でアンパンを配るが高射砲で撃ち落とされる)

    ・仮面ライダーなどもいた中でアンパンマン。本当の正義はかっこよくない。捨身、献身の心が必要。本当に戦う相手は怪人ではなく、物価高・公害・飢え。1976年、ミュージカル化。

    ・1965年。陶器を作って楽しかったので陶器展をやる。山梨シルクセンターの社長がお菓子のパッケージデザインを依頼される。その縁で「詩とメルヘン」を赤字覚悟で創刊。期待を裏切り月刊誌になる。1973年。これまでの色んな仕事の集大成が雑誌になってる気がした。

    ・アンパンマンは子供に認められた。絵本が流行る。バイキンマンはドキンちゃんを好きで、ドキンちゃんは食パンマンが好き。ドキンちゃんは風と共に去りぬのスカーレット、食パンマンをアシュレーでデザインした。ドキンちゃんは母登喜子や妻暢に似てる。日テレの武井英彦の執念でアニメ化。1988年10月3日、アンパンマンアニメ放送開始。69歳。

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    2025年09月08日
  • やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

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    やなせたかし さんの 最期の言葉 

     神さま 仏さま
      ありがとう ありがとう
     お父さん お母さん
      ありがとう ありがとう
     オブちゃん ちひろ
      ありがとう ありがとう
     みなさん 
      ありがとう ありがとう

       こしおさん こしおさん
         ありがとう ありがとう ありがとう
       こしおさん こしおさん
         ありがとう ありがとう ありがとう

    やなせたかしさん 暢さん亡き後の生活を 支えられた 越尾正子さん
    テレビで 野菜スープを中心に 食生活を支えられた様子を拝見していたので

    やなせさん 亡くなる前日のことば に
    さすが やなせさん 感動しました

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    2025年09月04日
  • 戦争ミュージアム 記憶の回路をつなぐ

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    貴重な本ではあるが、各ミュージアムの説明が簡潔過ぎる気がします。また、私もそれほど知ってるわけではないですが、広島平和記念資料館がなく、まあそれでも、あとがきで言い訳めいたものが書かれてありましたので、まあ良しとしても、丸木位里と俊さんの原爆の図があって、何故?沖縄戦の図はないのか、疑問を抱きました。なんか物足りなさが残る読後感でした。

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    2024年10月06日