梯久美子のレビュー一覧
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自分の顔を食べさせる前代未聞のヒーロー、アンパンマンには作者の祈りと哲学が込められていた。家族との死別、胸がつぶれるほどのさびしさに耐えた幼少期、戦争の傷、下積みの苦しさと無名であることの悲しみ―。それでも生きることを肯定し、光にむかって歩き続けたやなせたかしの生涯を、評伝の名手が綴る感動作。【目次】序章 ふたつの別れ
1 父と母 2 伯父の家 3 青春の日々
4 軍隊へ 5 戦地 6 敗戦 7 弟の死
8 新しい出発 9 韋駄天おのぶ
10 ふたたび東京へ 11 転機
12 アンパンマン誕生 13 『詩とメルヘン』創刊
14 アニメになったアンパンマン
15 絶望のとなりに -
戦争ミュージアム 記憶の回路をつなぐ
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ネタバレ__いま生きている人だけの声を聞き、今日と明日のことのみを考えるとき、国も人も判断を誤ることがある。つねに過去をかえりみながら進むことが必要なのだ。
戦争の歴史というと、
広島の平和記念資料館と、沖縄のひめゆりの塔、が、修学旅行などで行ったこともあったりで身近でしたが、それ以上知る機会や知ろうという考えが及んでいませんでした。
それぞれの地で、それぞれの戦争の経験があることを改めて思い知らされました。
知らない歴史、というよりは、ちょっと知っている、聴いたことあるけれども、知ろうとしない事実。
像山地下壕は初耳でした。なんだか架空のお話みたいだと思いました。
あとは、初めの毒ガス資料館。
化学兵器の廃棄などへの予算が今も計上されているということは、現代の私たちにも無関係ではないお話。
核兵器関連は、長崎の資料館、戦後ではあるけれども水爆関連の第五福竜丸。
若者、子どもへの戦争の生々しい被害に心が痛む、周南市回天記念館、対馬丸記念館。
そのほか民間人と他国との関わり合いが印象的だった、稚内市樺太記念館。
戦後にも尾を引く戦争の悲惨さ、舞鶴引揚記念館。
すべてに一喜一憂していたら気持ちが持たない、ということもありますが、
自分たちの社会、未来をつくっていく責任を果たすためにも、過去の教訓は知らないふりはできないな、と。
負の遺産はもういらない。増やすべきでなない。
来年には終戦から80年となり、戦争体験者の高齢化と次世代にどう教訓を伝え続けていくか、という課題が多く取り上げられていますが、
たくさんの資料、思いは、収集され、編纂され続けている。
それを今に生きる一人一人が今の時代のなか、社会のなかで自分なりに受け取り続けていくしかないのだろうと思う。
その一つの実践として、著者の文章があるようにも思いました。ありがとうございます。 -
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私の趣味は博物館めぐりである。大抵は考古学博物館ではあるが、戦争・平和博物館も多くまわっている。わりとたくさんまわっていると思っていたけれども、此処に紹介された14の博物館のうち、行ったことのあるのはたった3博物館だった。ショックなのはそこではなくて、行ったことがあるのに、書いていることのほとんどを、私は初めて「気がついた」のである。
梯久美子(かけはしくみこ)さんは、私の尊敬する数少ないノンフィクション作家である。本書はミュージアムガイドではない。詳しいアクセスも入場料金も記載がない。ノンフィクションなのである。多くの遺物の中から、何を選びとって、どう記すか。それが作家の価値を決める。
長崎原爆資料館は、入ったはずなのに、おそらく時間がなくてあっという間に出たのだろう、100%覚えていなかった。
対馬丸記念館のことについては、昨年6月にガイドブックを取り上げてレビューした。遺された外間姉妹の2つのランドセルについて、私には全く記憶がなかった。別の疎開船にあった為に返ってきたランドセルを、母親は押し入れにしまい、33回忌が済むまで誰にも見せなかったという。沈没後も厳しい箝口令のために、親たちは長い間、子の生死を知ることも叶わず、霊を弔うこともできなかったという。「亡くなってなお、子供たちは国策の犠牲であり続けた」‥‥こういう視点は私にはなかった。
舞鶴引揚記念館は、2009年の夏に行った。紙が入手できない中、白樺の皮をはがし、空き缶で作ったペン先を使って書いた白樺日誌は一応見ていたが、いかに苦労して書いたか、どんなに奇跡的に持って帰れたか、については本書で初めて想いを馳せた。その他、初めて知った遺物多数。記念館裏手の丘にある展望台からは、復元された出迎えのための桟橋が見下ろすことができるとは初めて知った。
もちろん、ここで扱われなかった戦争ミュージアムも多い(広島平和祈念資料館さえない)。それは本書の瑕疵ではない。体験者や学芸員から聞き取りが出来れば真摯に聴くこと。一つの遺物から多くの物語を想像すること。戦争をもたらしたものへ怒り、犠牲になった人たちに寄り添うこと。そういう姿勢を培う本だと思う。 -
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ネタバレ著名な女性5名の「個人的な戦争体験」。
NHKのアナウンサーだったり、慰問団の女優だったり、緒方貞子さんだったりするので、市井の方とは少し違うこともあるが、当時の生の様子が垣間見えて興味深かった。ちょうど母と同年齢の方の話もあり、そんなふうだったのかな、ということが、少し想像できた。
戦時中、つづらに入れておいた遺体が盗まれたり、艦載機の機銃掃射で追われた際に米兵の笑う顔が見えたり、敗戦の日、働こう、と誓ったり、教科書に墨を塗りながら泣き出す先生の話や、戦時中は男性に代わって放送戦士と言われたのに、戦後、男たちが復帰してきたらアナウンサーの職場を追われたり、戦時ならではのエピソードがある一方で、今に通じる話も多い。女性ならではの視点や意見もある。
緒方貞子氏からの「自分のサイクルで生きながら長期戦で構えたほうが良い」との後進の人へのアドバイスも胸に響くが、やはり、吉武輝子氏のエピソードが一番衝撃的だった。米兵からの集団暴行という恐ろしい事件、しかし、そのことから、人間考察、民主主義についてまで深い考察をするところが圧巻だった。
「戦争とは兵士に、ある種の人格崩壊をもたらすのではないか。いつ生命を落とすかもしれない緊張に常にさらされている状況では、恐怖は憎しみに容易に転化する。恐怖ゆえの憎しみは暴力となり、弱いものへと向かう」
「私は女同士の嫌な関係を見てきたら、女が女にやさしくあることがどんなに大事なことなのかがよくわかる。そのためには、自分がまずのびのびと自由に生きていないと駄目なのね。自分が抑圧されている人は、他人のことを抑圧するし、攻撃する」
こういった考察から、吉武氏は以下のように言う。
「女が女にやさしくしなければ民主主義は成り立たない」
これは、現代にも通じていることではないか。
でも、未来(現在)は、その当時思っていたものとは大きく違っていることと思う。
道を間違えてしまったことの根元に、こういった当時を生きた方々の一つ一つの小さな営みの積み重ねがある気がする。 -
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サハリン、樺太、サガレンいろいろな呼び方がある。歴史的には、幕末の日・ロ雑居地状態から、1875年の樺太千島交換条約によりロシア領に、1905年のポーツマス条約により北緯50度以南は日本領に、そして太平洋戦争後、同50度以南は日ロ間に平和条約が結ばれていないため未帰属状態で現在に至っている。
偶然だが、本書を読む少し前に、林芙美子の紀行エッセイを読んだのだが、芙美子も戦前に樺太を訪れ、鉄道旅をしていた。本書第1部は、著者の鉄道旅プラス廃線探索なのだが、主要線はそのままなのだからある意味当然だが、主に芙美子の足跡を辿った旅となっている。
すごく面白いなあと思ったのは、芙美子は途中駅の白浦(ヴズモーリエ)でパンを買うのだが(しかも「美味しいパンだと聞いておりましたが、あまり美味しいパンだとは思いませんでした」と感想を書いている。)、著者がその後リサーチした結果、そのパンを売っていたのはロシア人ではなく、「樺太のポーランド人」だったということ。ロシアとポーランドの関係、辺境である樺太の複雑性が分かるエピソードだ。
第2部は、著者の2回目の樺太行きだが、今回は宮沢賢治の樺太への旅がメインテーマとなる。賢治の愛読者ではないので、賢治が鉄道好きであり、樺太へも旅をしていたということを全然知らなかった。
そして賢治の樺太旅行は、教え子の依頼という目的はあったようだが、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂の行方を追い求める旅だったと言われているとのこと。こうした研究に関する知識を持って、著者は賢治の足跡を追いながら、その作品を読んでいく。
「青森挽歌」、「津軽海峡」、「旭川」、「宗谷挽歌」そして「オホーツク挽歌」、「樺太鉄道」、「鈴谷平原」、「噴火湾(ノクターン)」と、賢治はその行程のさきざきで、詩を詠む。その詩を丁寧に、丹念に読み込むことで、著者は妹トシの死の衝撃に伴う宗教的な懊悩が、「青森挽歌」や「宗谷挽歌」では陰鬱に現れているが、サガレンに来て変化し、明るさが出てきたことと言う。この辺りの考察は、詩の読み込みとして説得力があり、なるほどと思わされる。
実際に自分が行くことはないと思うが、本書を読んでサハリン(樺太)への関心が高まった。本文でも取り上げられているがチェーホフの『サハリン島』も読んでみたい。
なお、豆知識。北海道とサハリンの面積はほぼ同じくらい(北海道が7万7千9百㎡、サハリンが7万6千4百㎡)。現在は天然ガスや石油の採掘で潤っているらしい。 -
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所謂「銃後」であった女性たちの証言。
取材された当時(もう亡くなられた方ばかりになってしまったが)、それぞれの分野で名を成した方ばかりであるためか、裕福な家庭に生まれた方ばかりのためか、予想より悲惨ではないな、と緒方貞子さんまでは思っていた。
が、最後の吉武輝子さんでガツンときた。
多分、この本を読んだ人はみんなそうなんじゃないか。
想像を絶するほどの経験。奪われたのは肉体ではなく「幸せになろうとする意志」だった、と。この壮絶な体験が吉武さんの人生にどれだけ大きな影響を及ぼしたかと思う。
著者がつらい経験をプラスに転化できたように見えると吉武さんに言ったあとの言葉も忘れ難い。
戦争中に行った教育を悔いる女性教師の姿も。
緒方貞子さんは裕福なだけでなく非常に知的な家庭で育ち、その教養、賢さ、行動力を難民支援などに使った。これを名家のお嬢様で恵まれていたからとやっかむ人もいるが、本来こうあるべきでは。
吉武さんのように生きる気力を失うほどの経験をせず、社会的弱者支援に能力を使う。
これこそ理想的な生き方であるように感じた。
吉武さんの最後の言葉を実践したのが緒方貞子さんであるように思える。
こんな経験は誰もしないほうがいい。
しかし、今も同じ経験をしている女性がいることを忘れずにいたい。 -
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作品を読んだことのある人、作品を読んではいないが名前や代表作は知っている人の中、唯一知らなかったのが近松秋江。ちょっと前の日本の私小説作家というと葛西善蔵とか貧困を赤裸々に描く人が多い印象だったが、この人は妻や恋人に対し、ストーカー行為を繰り返し、それを小説として書いたというんだからたまげた。
現代だったらちょっとあり得ない。女性のプライバシーや人権に全く配慮してないし。(この時代の男は大抵そうだっただろうけど。)愛というより、妄執。田山花袋なんかもそうだけど、気持ち悪い。しかし、男子たるもの、という考えが当たり前だった時代に、妻に逃げられて追いかけ回して愛想つかされてというのを書いて、「滑稽だが、ただ嘲笑して済ませることのできない切実さがある」(p42)というのだから読んでみたくなる。
全体的には、男たちは本当に勝手で、八木重吉なんか、(昔はそのピュアな詩が好きだったが)あきれた。家庭教師した少女に夢中になって、相手が困惑するほどの熱烈なラブレターを送り続け、学校もやめさせて結婚したのに、今度はキリスト教に夢中になって(夢中になると他のものは何も見えなくなる人であったようで)「つまよ、ひとりの児よ、このようにくれ、またあしたをむかへる これだけが いのちの あぢわひなのか」なんて、勝手極まりない。無理やり結婚したくせに!
吉野せいの夫、三野混沌もそう。猛烈にアタックして結婚したくせに、結婚したら自分は文学をするからって農作業も子育ても丸投げ。しかも、彼女には文才があったのに、そのことは歯牙にもかけない。封印。俺の文学は大事だが妻の才能はどうでもいい。混沌を亡くしてすでに70歳を過ぎてから、やっと書くことができたのが名作『洟をたらした神』。しかし、それで彼女の命も尽きた。もし彼女がもっと若いときから書いていたら。
ま、自分の作品は忘れられてるのに、妻の作品は今も読まれていることを知って、混沌は泉下で地団駄踏んでるだろうよ。
性愛を詠んで「情痴俳人」「娼婦俳人」と呼ばれた鈴木しづ子、恋も知らぬまま19で結婚させられ三人の子を産み、不貞の夫と別れて恋の歌った歌人中城ふみ子も「やすやすと堕ちる」女と言われる。
才能があり、当時の状況からしたらすごい度胸もあった彼女たちに対する(男)社会の扱いはひどいもので、胸が痛む。
作家や詩人、歌人、俳人たちの恋愛をテーマにした本書は、一昔前の才能ある女性の生きづらさが胸に刺さる。
寺田寅彦の妻たち、特に三人目の志んなんか(当時は悪妻と言われていた)、現代に生きていたら、のびのびとその能力を活かせたのではないかと思う。
いろいろ考えさせられる、興味の尽きない本だった。