この絵本は、子どもが風鈴に思い描く素敵な感性と、世界に於ける人と自然との繋がりを見事に共鳴させており、時にファンタジーは子どもの想像力から生まれたのかもしれない、そんな素晴らしさを改めて実感させてくれます。
女の子「なみこ」は、毎年夏になると家の軒下にかけられる風鈴が大好きで、そこから響き渡る音には特別な思いを抱いていました。
「あの おとは かぜが うたを うたっているんでしょう?」
「あら、あれはガラスの ゆれる おとよ」
お母さんにそう言われても納得できない、なみこは、ある夕方、庭の向こうから「チリリリン……」という音が聞こえたので、そこに行ってみると、浴衣を着た可愛らしい猫が、風鈴を片手に提げてちょこんと立っており、その猫「こなつ」によると、その風鈴は兄さんが作ったもので、もしよかったら、うちの風鈴作りを見に来ませんかと誘いを受けて、なみこはどうしても聞きたいことを我慢しながらも、喜んでついて行くことに決めました。
北見葉胡さんの絵は初めて見たが、表紙の幻想的な絵から、日常的な扉絵へと変わる意外性のある始まり方が上手く、その見せ方も、扉絵とその次の見開きの絵を正反対の方向から見せながら、スイカを食べる前と食べた後で時間の経過もそれとなく知らせていて、更に部屋の小物たちを丁寧に描いている中(工房の猫型のかまども印象的)、風鈴とお似合いの夏の風物詩といえば、ぶたの蚊取り線香という押さえるべき点も押さえている中、植物のあまりに直立した感じにやや不思議な感覚を抱かせる、そんな懐かしくも幻想的な世界観に惹き付けられて、こなつについてお店に向かって歩くなみこの姿は、夕方のほのかに茜射す空景色もあって、どこかお祭りに行くような期待感に満ちている中、ついに風鈴を作った「なつねこ」と出会います。
この絵本を読んで、私が心を動かされたのは、風という自然の存在にとても親しみやすさを与えながらも、それがまるで子どもの人生を表しているように感じられたことです。
その擬人化したように描いた風の存在は、まるで子どもが遊びに出かけていって、やがて帰ってきては、たくさんの素敵な思い出話を聞かせてくれる、そんな姿と重なるものがありました。
そして、そんな思い出たちはキラキラとした輝きに満ち溢れた、かけがえのない大切なものであり、それが『かぜのうた』と結び付いたことにも肯ける、風鈴の涼やかで心地好い透き通った一つ一つの音のきらめきは、まるで子どもの純粋な美しい世界そのものを表しているようでもあり、風鈴の音にどこか懐かしい響きを感じさせるのは、今も昔も存在する風が、かつての私の思い出を運んで来てくれているからかもしれない、そんな共鳴できるものを感じさせてくれた、自然と共に生きる素晴らしさなのだと思います。
「あきねこ」「ふゆねこ」「はるねこ」と続いてきた、かんのゆうこさんの『四季ねこ』シリーズも、本書で完読となりました。
どの作品もそれぞれの季節と密着した、猫と子どものちょっと不思議な心温まる交流を知ることによって、子どもが猫に対して抱いている特別な思いを実感しながらも、猫が子どもに対して、そうした思いを抱いてくれていればいいなという願いを叶えてくれた印象に加え、こんな不思議な状況も猫だったらあり得るのかもという気持ちとなったことに、改めて猫の持つ神秘性を感じさせてくれました。