北見葉胡のレビュー一覧
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安房直子の初期の作品が中心。
『鳥』耳のお医者さんが見た耳の中の海とカモメ。『てまり』たもとに入れた手毬を覗くと見える景色。『ふしぎな文房具屋』画用紙に描かれた絵に、虫メガネの眼鏡をかけて見える世界。『海の口笛』かけはぎ屋が青いドレスの小さな穴にみた海の中など、小さな穴を覗き込み、そこに別世界を描いて見せてくれる。
また『きつねの窓』のように指で囲った窓や『夕日の国』縄跳びの縄の中『北風のわすれたハンカチ』『ハンカチの上の花畑』のように切り取られた部分に魔法を鮮やかに広げて見せてくれる。そのことを安房直子さんは手品のような魔法といっている。
ハイファンタジーではなく、日常の中にひっそりある小さな魔法のお話しを久しぶりに読んだ気がする。それが懐かしくて、これほど心魅かれていたことを想い出した。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトル通り、ちょっと物悲しい短編集。
後ろにいくつかエッセイも載っているのが嬉しい。
同人活動をされていたそうで、1970、1980年の事なのか~。。。
全然色褪せない、素敵な作品ばかりなので、もっと最近の方かと思っていた。
お亡くなりになっているのか。。50歳!!若い!!
牧村 慶子さんイラストの『北風の忘れたハンカチ』、この一冊が子供の事とても好きだった。
80歳でまだご存命との事。
安房さんが学生時代受けていた講義の先生はムーミンを翻訳した山室静氏!!
知らなかった~!!
高校時代、ムーミンシリーズにハマって読んでいたけれど。。
『きつねの窓』が教科書掲載で有名だけれど、本人曰く
国語の教育が文学の教育と言葉の教育からなるものだとしたら、文学の教育として取り上げられて欲しいとの事。
少し前に教科書掲載にあたっては文字数制限や表現の変更等、編集者と作家の間の葛藤がツイッターで話題にあったが、
いずれにせよ、教科書で読むことによって他作品を知るきっかけなったりするのだから
双方、うまい方向に行けばな。。と思ってしまう。
(『あのころはフリードリヒがいた』 教科書はベンチの話だけだったけれど、これは絶対完読した方がいいと思う!!幼少期や戦争のラストとか。。
教科書に無ければ、特に海外の作品を知る機会はないので。。) -
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きつねの夕食会
最初、読んだ時は、オチは好きだけど、できはどうだろう?
というような感想でした。
けっこう、好きなオチではあるけど、電気屋さんがでてきたところあたりから、もう読めていたし…。
でも、子どもたちの前で声に出して読んでみて、ちょっと、印象がかわりました。
安房直子さんの作品って、どれぐらいの年齢の読者に向けて書かれているのかわからないところがあるのですが、この作品は、かなり明確に、「子ども」を意識して書かれているような気がしました。
子どもはねぇ、すごく楽しく聞いていました。
ねこじゃらしの野原 とうふ屋さんの話
小さい小さいところにも、丁寧な世界があるんだよというそんな感じの連作です。
オチといえるオチはないんだけれども、妙に、ふむふむとうなずいてしまうようなお話です。
山の童話 風のローラースケート
「ねこじゃらしの野原」は、人物を中心に広がっていく連作でしたが、この「山の童話 風のローラースケート」は、世界が広がっていく感じでつながる連作です。
安房直子の作品は、わりと1話完結のものしか読んだことがないので、これは、すごく興味深かったです。
森の優しさ、ふところの深さだけではなくて、森野怖さみたいなものもちゃんと書かれていて、それが、また森の風景を魅力的にしています。
特に「花びらづくし」は、出だしから、思いがけないラストまで、すごいドキドキしました。
陰と陽の両方が、しっかりと入っているファンタジーというのは、素晴らしいものです。 -
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これで、「安房直子コレクション」が終了です。
ちょっと、本読んで幸せな時間をもてました。
でも、わたしのお気に入りの話が入ってないんですよねぇ。
そのうち、この続きが出て、全集にならないかなぁ。
緑のステップ
これも、あとの「初雪のふる日」もなのですが、去っていく時間や季節に、一抹の悲しさと残酷さがあります。
その悲しさは、時間を止められない悲しさなのかもしれません。
もぐらのほったふかい井戸
これは、物語の法則に則ったお話ですねぇ。
落ちるぞ、落ちるぞと思っていると、やっぱり落ちていきました。
実は、子どもって、ハッと驚くお話も好きなのですが、こういった、思った通りの動きにも、ドキドキするものなのです。
そして、欲望の果てにあるのは、孤独。
このラストが、納得のいく救いなのかどうかは、人によってそれぞれだと思います。
初雪のふる日
なんというか、ハーメルンの笛吹男の様に、魅惑的で残酷です。
自然の移り変わりというのは、そういうものかもしれません。
安房直子の童話は、現代物なんだけども、あんまり時代を感じさせなくて、フッとバスなんかがでてくると、ちょっと、ビックリします。
エプロンをかけためんどり
この残酷さはなんだろうと思います。
でも、この残酷さを、見ないふりをしながら生きているのが、日常なのかも。
しかし、飛ぶ雌鶏。すごいイメージだなぁと思います。
花豆の煮えるまで-小夜の物語
安房直子にはめずらしい続き物です。
続き物ということで、エピソードが、あんまりまとまりのない日常的な風景のような作品になっています。
そして、この味は、けっこういいなぁと。
他の安房直子作品に比べると、「日常」と「ファンタジー」で、ちょっと「日常」の方に傾いている感じの作品です。
なんていうのだろう、ファンタジー的な物語なんだけれども、解釈によっては、日常のなかのエピソードともとれるような感じです。
うさぎ座の夜
あれ?なんで?これ、宝温泉の小夜ちゃんの話でしょう。なんで、「花豆の煮えるまでに」のなかに入ってないの?
という疑問からはじまって……、
これ、ファンタジーよりすぎてる。確かに、同じシリーズには入れられないよなぁ。
でも、小夜ちゃんの話は、ファンタジーによっていないからいいのに……。
になって、
手袋がどこへいったかの話になったかに気づいたあたりから、メチャクチャ楽しくなって、顔がニコニコしてしまいました。 -
Posted by ブクログ
これは、わたしの知っている安房直子とは、ちょっと違った感じの物語集です。
喪失感とか、どうしようもないあこがれの気持ちとか、そういったところは、安房直子なのです。それらの感情や、そこに映し出される異界をガラスごしに眺めている印象があるのが、わたしの知っている安房直子の童話なのです。
でも、この本に書かれている作品では、実際に、その世界にアクセスしてしまう。しかも、帰ってこれなくなっちゃうのです。
そして、その話が、教訓めいていないだけに(多少は「欲張りすぎ」とかあるのですが)、よけいに淡々としていてこわいです。
鶴の家
死んだ人の数だけ、お皿の鶴が増えていきます。
これは、けっこう怖いです。
最終的には、ハッピーエンドなのですが、なんか、怖さは後に残ります。
というか、ハッピーエンドはあんまり後に残らなくて、怖さはあとにひいている感じです。
日暮れの海の物語
さて、カメから逃れることができたのですが、
「わたしはかめを裏切った……。」
と、心に思い続けながら生きていくのが幸せであったかどうか。
長い灰色のスカート
あっちにいってしまうのは、怖いとともになんか甘美な感じもします。
これは、この本に収められていく作品のほとんどに共通する雰囲気です。
神隠しにあいやすい子に対するあこがれが、自分のなかにあるようです。
木の葉の魚
ちょと、金子みすずの詩を思い出してしまいました。
こうやって、網にかかる大量の魚たちが、みんなこんな物語をもっているとしたら……。怖いですねぇ。
奥さまの耳飾り
「魔法というのは、悲しいものだ。」
どこかに、この考えがつねに潜んでいるのかもしれません。
そして、恋愛も、魔法のようなものなのでしょうか。
野の音
人さらいの話です。
そして、なぜか、さらわれたくなるような弱さ、ここではないところに生きたくなる弱さを人はもっているんだと感じさせられます。
青い糸
これも、誘われて、行って、帰ってこないお話です。
女の子が、男の人を連れて行きます。
男の方が、さそわれやすいのかもしれません。
火影の夢
これも、女の子が、男の人を連れていく話です。
幸せだった過去に戻ったのだから、もしかすると幸せかもしれない。
そう感じながらも、なんか、ゾッとするような印象も残るのは、なぜなんでしょう。
野の果ての国
悪夢のみせた幻でしょうか。
それとも、本当にあったことでしょうか。
それは、多分それは、それぞれの読者の判断ということになるのでしょう。
銀のくじゃく
夢なんか追いかけるから…。
でも、夢を追いかけずにはいられない。
それが、滅びにつながっていても。
そんなお話です。 -
Posted by ブクログ
ハンカチの上の花畑
タイトルから、「知ってる話だ」と思って読んだら、全然、展開が違っていました。
よく思い出してみると、きっとわたしが思っていたのは、「北風が忘れたハンカチ」だったのだと思います。
ちょっと、こわい話ですよねぇ。
でも、あんまり、「欲をかいてはいけません…」とか、「嘘をついてはいけません…」とか、教訓めいた感じではありません。
奥さんが、小人たちにプレゼントするとなんかも、自分の欲ではなくて、すごく自然な感じです。
でも、自然の流れとして、そうなってしまうんだなぁ。そういう風にできているんだなぁ。と何となく思ってしまうお話です。
素敵なマイホームにあこがれる気持ちなんかは、きっと、作者自身も思っていたんだろうなぁと…しみじみしてしまいます。
ライラック通りの帽子屋
これは、好きなタイプの話ですねぇ。
そして、のキレイに行って帰ってきます。
若い頃のお父さんとお母さんのエピソードが、なんとも、素敵です。
その気持ちを忘れずにいられるといいのですが……。
丘の上の小さな家
なにかを手に入れるためには、なにかを手放さなければならない。
たとえばこの物語の中では、手放さなければならなかったものは、「時間」。
でも、どちらの選択がよかったかは、わかりません。
そして、わたしたちは、今の選択を生きていくしかない。
それならばやっぱり、今の選択に肯定的でありたいけれど……。
最後は、オチになってないと思います。
でも、ちょっとわたしは泣いてしまいました。
また、安房直子の作品の中で、好きなのが増えた。
三日月村の黒猫
今回の本は、「異界」がテーマの話を集めてあるわけですが、職人さんのというテーマも、けっこう大きい気がします。
童話自体が、職人さんを主人公にすることが多いということもあると思うのですが、人にできないことをやれる職人さんは、どこかに秘密をもっているような気がするのかもしれません。
これも、「丘の上の小さな家」と同じように、異界にいって技術を習得して、習ってくるお話です。
そして、そのために、選択する。
実は、最後のオチは、この物語にとって必要ないのかもしれない。そう思うぐらい読んでいる間、不思議な時間がもてるお話でした。 -
Posted by ブクログ
1巻目の感想を載せたのが、9月ですねぇ。
で、その直後から2巻目を読み始めたはずですが、今までかかったのは、途中で思いっきり修羅場をはさんでしまったせいですね。
1話ごとの感想も、読んだ直後には書けなくて、かなり後になってから、書いたものになってしまいました。
それでも、1話ごとに感想を書いていくのが楽しいのは、やっぱり安房直子さんの作品が好きだからなんでしょうね。
魔法をかけられた舌
こういう単純な不思議さが好きです。
こんな魔法なら、わたしたちの周りにけっこうあるのではないかと思えてきます。
空にうかんだエレベーター
ライナスの毛布のように、ギュッとウサギを抱きしめる女の子。
ウサギと女の子の間に、どんな物語があったかは、けっして誰にも気づかれない。
ひぐれのお客
すごいさり気ない話です。
ほとんど、ストーリーなんてない。
でも、
「色っていうのは、ふしぎなものだな。」
というのは、安房直子さんの色に対する感じ方の深さをきっと表していて、やっぱり、読んでいる方も、しあわせな気分になるのでした。
ふしぎな文房具屋
大好きなネコと別れなければならないのは、いつだって耐えられないぐらいにさみしいものです。
でも、人はネコと暮らすことをやめられない。
そして、想い出を蓄積させていく。
なんでも吸いとる吸いとり紙も、「想い出」までは吸いとらないのでした。
猫の結婚式
ますむら・ひろしさんの画集かなにかに、
「家出したネコは、時々、手紙を書いて欲しい…」
みたいな文章があったのを思い出しました。
突然、家からいなくなったネコが、こんな風にしあわせであってくれたら、わたしたちは、どんなに安心することだろう。
そういう優しいお話です。
うさぎ屋のひみつ
なんか、奥さんも、うさぎ屋も、ちょっとモラルが壊れていて、オイオイと笑ってしまいました。
そして、安房直子は、自分の物語のなかに、いろいろな願いは入れても、「教訓」みたいなものは入れたくなかったのだなぁという気が少ししました。
青い花
人は、忙しさ、そして、収入が入ってくることを「しあわせ」だと思いがちだけど…。
もちろん、それがしあわせの1つの形であることは、否定できないです。
でも、別の形もあるのかも。
わたしは、ホッとするような生き方ができるといいなぁ。
遠い野ばらの村
なんていう優しい話だろうと思います。
童話のなかの無垢な動物たちは、さびしい心に感応するのかなぁ。
そして、優しい嘘は、つき続けることが出来ればきっと、最後には本当になるのでしょう。
秘密の発電所
日本的な風景と、発電所という組み合わせ。
こういう組み合わせの不思議が、安房直子さんの作品にはありますね。
そして、最後に、お手玉でおわるという。
いい風景だ。
オリオン写真館
読んでる最中は、いいかげんなオリオンにすごく軽いものを感じていたのですが、読み終わって、実は、これって、すごくリアルな話なのではないかと思ったりもしました。
なんだか、こういう生き方をした写真家って、本当にいそうだと思いませんか?
そして、その写真家は、星のなかに人を、人のなかの星を見つけたんです。
そんな気がする。
海の館のひらめ
テーマが、前面に出ている安房直子さんにしてはめずらしい作品。
その分、実は、ちょっとドラえもんのような安易さがあると思ったりもします。
まあ、のび太くんは、努力しない人なので、この主人公とはちょっと違うか。
でも、エッセイを読むと、安房直子さんは、この作品をかかなければならなかったんだなぁということがよくわかる気がします。
ふしぎなシャベル
夢オチ?とも思えるような、不思議な感じの話なのですが、1つ1つのイメージに、意味をつけていくことも可能のような気がします。
たとえば、スコップでほっていくと、おもちゃがいっぱい出てくるシーン。実は、ほっているのは地面ではなくって、記憶ではなかいと思ってしまいます。
そして、1番すごいと思ったのは、シャベルをおいて帰っちゃうところですねぇ。
その欲のなさが、実は、安房直子作品の透明さにつながっています。
海の口笛
人さらいの話だ(笑)
いや、ちょっと違うか?
こういう、どこかアヤシイお話は、やっぱり好きです。
「そこ」にしか、本当に幸福はなかったのか?
それは本当に幸福なのか?
という疑問は、どうしても残ってしまうのですが。
それでも、わたし自身も、そんなふうに連れて行って欲しいと思う気持ちもあるのでしょう。
ただ、その時の現実の生きづらさというのは、心のトゲとして残しておかなければならないと思います。
南の島の魔法の話
「あんたの味方は、もう妖精だけだよ。」
そういう恋もあるのだなぁと。恋は、盲目といいますから。
でも、その時、不思議と孤独感はないんだろうなぁ。
「しかたないさ。結婚していっしょに暮らすとなったら、どっちかがどっちかの大きさになるしかないさ。」
わたしのピアリピアリは、見つかったかな。
だれにも見えないベランダ
行って帰ってこない話。
実は、こういうお話にも、すごく惹かれます。
帰ってこない限り、彼らの物語は終わってないのですから。
エッセイ
母親の思いの話は、すごく共感しました。
やっぱり、わたしに子どもがいても、同じように育てるのだと思います。 -
Posted by ブクログ
「ゲイルズバークの春を愛す」で、結構、味をしめたので、読んですぐの感想を書いています。
といっても、大好きな安房直子の作品集ですから、それがなくても、しっかりと1つずつ書いているかもしれません。
安房直子の作品を意識したのは、中1のときに廊下に飾られていた中3の人の描いた絵でした。
多分、その頃、中3の最後には、ポスターカラーで、「課題なし」の絵が描けたんだと思います。
「課題なし」。なにを描いたって自由なんです。
もー、アイドルの顔から、マンガのキャラクターまで、メタクタの無法地帯です(笑)
特に、わたしたちが中1の時の3年生というのは、もう、本当にワルい人たちばっかりですから、すごい出来(笑)さすがに、ヌードはなかったけれど、けっこう、きわどい水着とかは、あった記憶があります。
まあ、放課後の3年生の廊下を歩いて、
「いいなー。俺らも、好き勝手に絵を描きたいよな~」
なんて言いながら、絵を見て回っていたわけです。
その中に、1つ。
忘れられない絵がありました。
それは、縦長のキャンパスに描かれた作品でした。
青紫色の霧のような不思議なひしがたの窓。
その窓のむこう側には、花束を抱えた1人の髪の長い女の子。顔は、大きな麦わら帽子の影になって見えません。
扉の横には、詩のような言葉。
桔梗の花で 指を染めて
その指で 窓をつくると……
絵の題名は、「きつねの窓」でした。
そのとき、なにか記憶の底から、
「このお話、知ってる…」
と訴えかけるものがあったのです。
それから、毎日、3年生がいなくなるのを見計らって(1年生が3年生の教室のある廊下を歩くなんて、怖くて出来ないような中学校でした)、その絵を眺めに行っていました。
どこで、「きつねの窓」なんて話をしったのか?
多分、小学校時代の教科書だと思います。
ただし、わたしの教科書ではなくて、おそらく兄貴がもっていた教科書に載っていたようです。
子どもの頃にすり込まれた好みと、大人になってから出来上がった好みとがあると思うのですが、安房直子は、こうやって、子どもの頃にすり込まれた好みです。
心にトゲとしてひっかかっていた、「きつねの窓」、「夕日の国」、「小さい優しい右手」、「北風の忘れたハンカチ」といった話が、実は同じ作者の作品だと知ったのは、なんと大学の時に、児童文学の講義をうけたときでした。
好みの話っていうのは、確かにあるのですが、ここまでひっかかっていた話全部が、同じ作者だとは思ってもいませんでした。
しかも、話自体は、よく覚えているのに、いつ読んだのか?どうやって読んだのか?だれかに話して聞かされたのか?ということは、まったく覚えていないんですね。
大学になって、安房直子の名前を知って、作品を読みあさりました。
でも、そのころには、そろそろ絶版になり始めていたりして、なかなか、読めない作品も多かったです。
ずっと、安房直子の全集が出ないかなぁと思っていたのですが、偶然、復刊ドットコムで、この安房直子コレクションが、出ていることをしりました。
けっこう、経済的に苦しいときでしたが、購入を決めるのは、速かったです。
日本のなかで1番好きな作家。
わたしにとって、安房直子は、そんな作家さんです。
さんしょっ子
「さんしょっ子」は、ストーリーだけ追って読むと、実は、ちょっとかみ合っていない話だと思います。
でも、安房直子のなかで、大好きな人に読んで欲しいなぁとわたしがオススメするのは、この文句なしに「さんしょっ子」です。
すずなの心の中に秘められた想い。三太郎のすずなへの想い。そして、さんしょっ子の三太郎への想い。
秘められた悲しみは、透明な朝の空気のように綺麗です。
思わず、すべての文章を声に出して朗読してしまいたくなります。
ひとりでさびし ふたりでまいりましょう
見わぁたすかぎり よめ菜にたんぽ
妹のすきな むらさきすみれ
菜の花さいた やさしいちょうちょ
九つ米屋 十までまねく
本当に、欲しいと想っているものは、手に入らないもの。
子どもの頃にわたしに刺さった、安房直子作品のトゲは、多分、この作品の頃から、その物語の底に流れ続けているのだと思います。
きつねの窓
最初にも書いたように、「きつねの窓」は、安房直子という作家の印象を強烈にわたしにすり込んだ作品でした。
あとで、大学の課題として自分たちで紙芝居をつくったりした記憶もあります。
あの紙芝居は、結局、わたしの元に返ってこなかったなぁ……。
むかしは、このラストを読んで、過去ばっかりを見つめる「きつねの窓」が消えてしまったことは、主人公にとっては、しあわせなことだったんじゃないかなぁ……とか、思っていました。
でも、今の年になると、自分がこんな窓を持っていたら、やっぱり手放すことは出来ないのだろうなぁと思ったりもします。
空色のゆりいす
目の見えない女の子と「色」のお話。
これは、この本で始めて読みました。と思ったら、講談社文庫の「ハンカチの上の花畑」に載っていますか?
あれ、読んでるはずですね。
でも、新鮮な気持ちで読めました。
目の見えない子と「色」のお話は、「マスク」というライオン症の男の子の話にもあって、あれも大好きでした。
女の子が、ばら色のいすにこしかけるところ。「赤」を感じるところ。
それから、だんだんうすれていくゆりいすにすわって、ため息をつくところ。
思わず、涙が出てしまいました。
実は、その2つの場面をここに書き写そうと思ったのですが、もう1回読み返してみて、もったいなすぎるので、やめることにしました。
ここで、その短い言葉だけを読むよりも、やっぱり、物語全体を味わって欲しいと思います。
「赤」を感じるところは、生き生きとはねるような描写です。
これも、もったいなすぎるので、ここには引用しませんね。
そして、ため息をつくところは…。
けっこう切ないシーンなんです。
でもそれは、幸福な記憶というものは、どんなに薄れてしまっても人の心に残るのだというメッセージも含んでいる気がします。
そして、最後の1行まで大好きでした。
鳥
これは、わたしにとっては、あんまり印象に残らない小品という感じですね。
でも、「耳のなかにある秘密」とか、「耳のなかをのぞくと海岸が見えて」というのは、けっこう好きです。
夕日の国
この話も、作者知らないまま、いつ読んだかもわからないまま、ずっと気になっていた話です。
「きつねの窓」を探す過程で、このお話にもたどり着いて、
「同じ作者だったんだ!!」
とびっくりした覚えがあります。
まあ、ある程度、好みに一貫性があるということでしょうね。
咲子は、ルビではちゃんと「さきこ」って書いてあるのですが、自分のなかでは勝手になぜか、「さっこ」と変換されています。
このモジャモジャ頭の女の子は、けっこうわたしのタイプの女の子の原型かもしけない……。と書いて、神坂知子のシルクロードシリーズの金目のツヴィとか、大島弓子の「たそがれは逢魔の時間」の邪夢とかのことを思い出して、自分が思っている以上に本当にそうだと気づきました……。
これが、もしかしたら、原点かも(笑)
でも、今回、イラストを書いている北見葉胡さんの絵の女の子よりは、ちょっとバタくさいイメージがあります。
でも、北見葉胡さんのイラストも、ちょっと大人ぶったところがでていて好きです。
これは、子ども心になんというか、女の子の魅力を感じさせてくれた物語です。
印象に残る物語で、感動タイプとトラウマタイプがあるとしたら、これは、完全にトラウマタイプ。
最後も、けっこう「どうしようもない現実」を子どもの前に見せてくれます。
だって、作者自身がそう信じているのなら、あの描写はしないだろう~。
でも、たとえ「夕日の国」が、女の子のついた嘘であっても、その世界があって、その世界が本当に見えたことは、主人公の男の子にも、読者にも残るわけです。
作り話をしてしまう人に惹かれるのは、実は、その人のなかに「孤独感」を感じるからかもしれません。
だれも知らない時間
太鼓の練習の時間をもらうことと、壺のなかの女の子のことは覚えていたのですが、結末をなんにも覚えいませんでした。
というか、安房直子さんの作品は、パーンと印象に残るシーンが、1枚の絵みたいにあって、それ以外の部分は、けっこう残っていないこともありますね。
この話のでは、それは、壺のなかの女の子の姿です。
ときに、このカメは、すごく怖くも見えるし、すごく優しくも見えます。
「時間」そのものなのかもしれません。
雪窓
なんとなく、話としては通っていない気がします。
全部を見通してお話を作っていく人と、書きながらお話を生み出していく人とがいるのですが、多分、安房直子さんは、後者なのだと思います。
だから、ときに自分でも思っていない方に物語が転がっていく。
でも、転がっていく先をとてみ信じているのだなぁとも感じます。
雪窓の屋台のなかの手袋をした女の子。
歌うようなセリフ。
多分、何年かたてば、ストーリーは全部忘れて、そんなシーンだけが残るのです。
どうも、わたしは、フレームのなかの女の子のイメージに弱いようです。
そして、安房直子さんは、初期の作品では、小さなものの中に世界を写し取るということに、情熱があるみたいです。
てまり
これも、「小さなものの中の世界」の話だ。
そして、夢がつながっている話。
今読んだところなのに、最後の印象が残っていなくて、今、どんなだったっけと読み返しました。
ファンタジーであるのに、どこか現実と通じている。
現実と通じているからこそ、ファンタジーの部分が、ものすごく切ないです。
赤いばらの橋
小学校の時、部屋に兄貴のお古の子ども向けの世界文学全集みたいなのが並んでいました。
それから、従姉の家からもらってきた本も。
ただし、本は、新しい方が魅力がある。
ということで、自分の選んだ本は、けっこう読んでいたのですが、この手のお古の本には、全然、興味がなくて、普段は並んでいるだけでした。
子どもの頃、朝、不思議と休みの日曜日には、早く目が覚めました。6時ぐらい。
親は、休みの日は、ゆっくりと寝ていたので、起きてくるのは8時ぐらい。
で、その2時間というのは、なんというか、不思議な「秘密の時間」だったわけです。
外に散歩にいったりもしていた記憶もあるのですが、そんなときは、普段あんまり読まない本棚のお古な本を引っ張り出して、読んだものです。
今にして思うと、「小さい魔女」や、「巣立つ日まで」とか、ルナールの「にんじん」など、おもしろい話は、自分の選んだ本よりも、こっちの方にたくさんあったような気がします。
そのなかの1冊。従姉の家からもらった本の中に、「北風のわすれたハンカチ」というのがありました。
このころはまだ、作者を意識して読むということはしていなくて、これが、安房直子さんの作品であることを知ったのは、やっぱり大人になってからでした。
この「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていた1編です。
たしか、3編のお話が入っていたのですが、これが1番印象の薄い話です。
もう1つの「小さいやさしい右手」の印象が強すぎるということもあるのですが。
でも、この話も、「小さいやさしい右手」も、なんか、なんでお母さんがあんなにいじわるなのかが、よくわからないんですねぇ。
無条件な悪意?
昔話なら、ままははであったとか、いろいろ意地悪な理由がつけられているのですが、いっさい説明なしで、抑圧するものとしての母親が描かれています。
このあたりは、けっこう子ども心に怖かったようです。
小さいやさしい右手
これも、「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていました。
子どもの頃の印象は、怖い話(笑)
よく切れるカマで、右手を落としてしまうシーンが、やっぱり、強烈に焼き付いています。
だから、ラストはほっこりと暖かい「北風のわすれたハンカチ」の作者とは、違う人なのだと思っていたようです。
今読み返してみても、やっぱり、怖いです。
でも、怖いのは、魔物ではなくて、人間なのかもしれません。
「ぼくには、とってもできないな。」
そう言う魔物の心は、自分の心とやっぱり重なります。
だれにとっても、多分、そうであるように。
そして、このお話は、大人に向かってではなく、子どもに向かってこそ語られるべきお話なのだと、そう感じました。
子どものなかに、小さなトゲを残します。
そして、いつか、そのトゲのことを思い出し、深く考えるときがあるのです。
北風のわすれたハンカチ
素敵な青い馬に乗ったお客さんがたちが、メチャクチャ迷惑な人たちなので、ビックリした思い出があります。
「これは、ひどい……」
と子ども心に思ったものです。
そのころ読んでいたファンタジーは、けっこうほのぼの系が多かったのでしょう。
だから、女の子のお客さんが来たときには、とってもホッとしたものです。
ハンカチをテーブルに載せて、魔法がかかるかどうか、試してみたと思います。
もちろん、北風のわすれたハンカチではなかったので、ホットケーキは、出てこなかったのですが。
あと、きっと、このお話を読んだ後、
「ホットケーキが食べたい」
なんて、言っていたんだろうなと思います。
大人になった今は、クマの孤独がとても心にしみて理解できます。
多分、わたしは、こういうヤツです。
ここまで、穏やかではないのが残念ですが。
エッセイ
エッセイを読む機会は、本当にすくないので、こんな風にいっぱい集まっているのは、とってもうれしいです。
そして、エッセイの言葉が、ファンタジーを作ってるときの言葉と、本当に同じだということを知るととても安心します。