浜矩子のレビュー一覧
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4/10のNHK調査で内閣支持53%。
どんな人にアンケートしているのか?
安倍政権になってそんなに国民の暮らしは良くなっているのか?
前の民主党政権が酷過ぎただけで、景気なんて誰が総理大臣になったってこのくらいにはなったと思う。リーマンショックの復調に東日本大震災需要で加速したんだと思う。
彼が何をした。集団的自衛権の恣意的解釈、安保法制の改悪、共謀罪の制定への動き、格差社会の拡大。そして自由にモノが言えない自民党の構築、首相に忖度する官僚。戦前のファシズムに一直線。
強い日本を取り戻す、なんて耳あたりの良い言葉だけで何にも良くなっていない。
トリクルダウンなんて大企業だけが潤って、一般庶民には何にもオコボレがない現実を評価するべきである。
こんなに酷いのに誰が支持しているんだ。日本人も馬鹿ばかりになってしまったのか。 -
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別冊NHK100分de名著 「幸せ」について考えよう (島田 雅彦;浜 矩子;西 研;鈴木 晶)
アダムスミス、フロイトなどの過去の識者は幸福をどうとらえたのか?を総合的に解説。
まず資本主義の開祖アダム・スミス。どちらかというと自由放任のイメージがあるが、金銀財宝の量に富の源泉を見出す重商主義を否定し労働によってこそ価値が生まれるという労働価値説を展開しました。重商主義ならぬ「重人主義」。
人々に、話す力と同じくらい黙っている力があれば、世の中はもっと幸せになるだろう。──スピノザ
「幸福」について、初めてちゃんとしたかたちで語った哲学者はアリストテレス(*)です。『ニコマコス倫理学』という本のなかでアリストテレスは、人間が求める最終の目的こそ幸福。
いざ「好きに生きていいよ」ということになると、今度は何のために生きているのかわからなくなってしまう人も出てきます。十九世紀の末にニーチェ(*)が「ニヒリズム」。
自己意識つまり人間には、 ①承認されたい ②自由に生きたい という二つの欲求
「人間は絶対に承認欲求から逃れられない存在である」
「自己意識」を持とうとするがゆえに、人間は自由を求めるようになったが、自由を手に入れると同時に、孤独に苦しむことになったとも述べています。これは新フロイト派の心理学者、エーリッヒ・フロムが書いた『自由からの逃走』
他者との関係性の中にしか人間の幸せはない」
問題の根本は、自分の「心情」(心に感じたもの)がそのまま、「みんなにとってよいこと」だと素朴に思い込んでいる点にあります。自分の感ずることがほんとうに普遍性をもつだろうか、と確かめるプロセスを彼は経ていません。彼の正義は心のなかで勝手に思い込んでいるロマンティックな正義にすぎませ
「いい仕事をしている」という「評価の承認」ではなく、駄目なところも含めて、ただ「あなただから好きなのだ」と言ってくれる。これは「存在の承認」 -
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経済政策とは、第一は崩れた均衡の回復、第二の目的が弱者救済。外交安全保障政策と表裏一体のアベノミクスとは対極をなす。潜在成長率がほぼ0パーセントの時代になっても成長しようとするところに無理がある。既に十分豊かな日本が無理やり成長を目指せばゆがみが生じてしまう。日銀が買っている国債は300兆円を超え、危機的な状況。財政も国債残高は1000兆円を超え危機的な状況。経済政策を本来の目的とは違った形で濫用すれば、政治の思惑に対する経済の力学の逆襲として、最終的にはとんでもないしっぺ返しを食らうことになると警鐘を鳴らす。国民福祉最優先の矩子節が縦横無尽に炸裂。小気味よさは相変わらずだ。
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昨年末(2015.12)に、浜女史により書かれた本で、EUの将来について、EUの成り立ちを解説した上で述べています。EUの存続が危ぶまれる声もあるなかで、なぜEUが結成されたかという背景やEU成立に至るまでの経緯を知っておくことは、今後のEUの成り行きを考える上で大事な視点であると思いました。
EUの構成国は今では28か国を超えて、当初は欧州の中で同じレベルの国々の共同体というイメージでしたが、今では異なってきています。EUを引っ張っていく国(ドイツやフランス)は国内の意見を纏めるのは大変だと思いますが、日本の中で、東京で得た税収を、地方自治体へ交付金として交付しても国内から反対意見が出てこない、というレベルまで意識改革する必要があるのでしょう。
そのためには、経済だけではなく、政治や外交まで一本化する必要があります、長い道のりになるのか、思わぬ結果となるかは、これからの動向が注目されますね。
以下は気になったポイントです。
・欧州統合の歩みは、「欧州の地を二度と戦争で焦土化しない」という平和への希求に端を発している(p17)
・欧州評議会とEUは名前は似ているが、両者は全くの別物。47か国(8億人の人口)の欧州評議会は、EU(26か国、5億人)よりも規模が大きい(p20)
・1950年に発表された「シューマンプラン」は、アルザス・ロレーヌ地方に広がる、石炭・鉄鋼産業(軍事力の基礎産業)を共同管理下に置くというもの(p22)
・本来の狙いは安全保障上の一体化であり政治統合であった、それが挫折したので、より容易に合意を得られそうな経済にテーマを切り替えた(p27)
・EMSに参加することになった各国(当初6+3)が守るべき中心相場として、欧州通貨単位(ECU)が創設された。各国通貨の価値を加重平均して作られた(p52)
・単一市場の形成とは、ヒト・モノ・カネ、そしてサービスについて、国境を超えた移動に関する制限を取り除くことを意味している、これを称して「4つの自由」という(p63)
・1991年12月には、通貨統合の段取りと政治統合に向かって進むという国々の意思を織り込んだ、マーストリヒト条約が成立、各国で批准されたのが、1993年(p73)
・ユーロ導入に同意した各国のECU相場が、1998年12月31日の時点で固定、1991年1月にユーロ圏がお目見えすることになった。11か国(p74)
・西ドイツと東ドイツのマルクは、1対1の交換比率で一本化されたが、実に無謀な通貨統合であった。東ドイツの労働生産性は、せいぜい西ドイツの3分の1であったので(p80)
・統一ドイツマルクの導入は、旧東ドイツの人による爆買いブームを引き起こしたが、そうそうに東側における失業増と所得の落ち込みに取って代わられた。3分の1の生産性の労働者に、同一の給料は支払えないので(p83)
・1980年代後半にぐっと細身になっていたERMのまとまり(鰯泳)は、東西ドイツ統一とともに太くなった。これにより群からはじき出されたのが、イタリア・リアと、イギリス・ポンド、であった(p86)
・イギリスの悲劇により、1993年8月にはついにERMそのものが事実上の崩壊に至った。統合欧州としての通貨的一体性を保持・強化するという機能が全く失われたという意味。ERM各国通貨の対中心レート許容変動幅を、上下5%から、30%へと広げてしまった(p87)
・EUが公表している購買力平価基準ベースで、EU全加盟国の一人当たりGDPを比較すると、1位:ルクセンブルク(263)、2位:アイルランド(132)、オランダ(130)に対して、最下位ブルガリアは、45である(p99)
・EUが東方に向かっての最大の拡大要因は、恐怖であった。ベルリンの壁の崩壊をきっかけとして、かつては鉄のカーテンの向こう側だった世界が、突如として陸続きとなった(p102)
・ギリシアの、パパンドレウ家はギリシア政界における名門中の名門、182代首相を務める父親も祖父も首相であった、父首相時代には、大臣経験あり、かつての二大政党の党首でもあった(p115)
・ギリシアのサービス化比率は高いが、ポイントは、観光と海運に特化している、これれは他力本願的(p117)
・ERMは1979-1998年まで存在したが、この間はギリシアはERMメンバーではなかった(p120)
・イギリスは自らが呼びかけたEFTAをいちはやく脱退し、1961年から当時のEEC入りに注力、イギリスが見捨てたEFTAはいまだに、4か国(アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェー、スイス)で継続(p131)
・イギリスの海賊文化は、宮廷文化のフランス的心情と、相いれない(p139)
・ある地域が単一通貨圏として安定的に存続するには、1)経済実態の完全収斂、2)中央所得再配分装置の存在、のうち、どちらかが成り立っていれば良い(p149)
・EUから出ていく可能性があるのは、1)ギリシア、2)イギリス、3)新加盟国、4)ドイツ、がある(p179)
・現ドイツ首相のメルケル氏の力の源泉は、1)女性である、2)科学者である、3)東ドイツ育ちである(p201)
・VW社の取締役会や監査役会の面々は、排ガス検査の実態などについてあまり知らなくても不思議はない。取材に対して、「技術的な話は我々の管掌外である」とコメントしている(p207)
2016年3月20日作成 -
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内容は
序章 そろそろ「その後」を考えよう
第1章 アベノミクスがもたらしたもの
議題その1:浦島太郎の狂ったシナリオ
第2章 日本経済は今どうなっているのか?
議題2:鏡の中の「ほんとの日本」
第3章 アベノミクスがその先に見ているもの
議題3:妄念の中の虚像の日本
第4章 日本経済がアベノミクスの向こう側に
目指すもの
議題その4:「向こう側」とは、どんな場所で
どうやって行くのか
あとがき 〜終章にかえて〜
私は思うに、政権が変わろうが、アメリカの意向に押された日本の官僚が、様々な政策を進めていると思っている。
新自由主義に洗脳されてしまっている経済官僚のトリクル・ダウン。
安倍首相を丸め込むくらい、霞が関の官僚はお茶の子さいさいなのだろう(笑)。 -
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タイトルと著者を見ると、日米の通貨戦争の問題点をチクチクとやって、円高万歳、という内容かと思いきや、最終的な着地点はともかく、全体的には通貨の歴史の本だった。
和同開珎なんて久しぶりに聞いた言葉だ。藩札やら軍票やらといった勝手なカネや、お上が考える以上にしたたかに立ちまわる庶民たち。
やがて円が生まれ、外国との交易が本格化し、行ったり来たりの相克関係を経ながら、円は大人になっていく…かと思ったが、円はピーターパンシンドローム、一ドル360円だったころの、子どものままでいたい! という現在。
通貨を通じたお上の成熟(あるいは未成熟)具合を味わえる本。いろんな竹馬を履いて高くなりすぎると、落ちた時に大怪我だぜ…。
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Posted by ブクログ
ビットコイン騒動のおかげで’通貨’に興味を持ち本書を手にしたが、基軸通貨を巡る近現代史が詳しく興味深かった。確かに今後基軸通貨という概念は、従来のそれとは異なってくるのかも知れない。ある覇権国が軍事的、経済的パワーを背景として、世界中から信用を勝ち取り、実質的にその通貨を世界の共通通貨にしてしまう。こんな世界はもう終わりを迎えるのだろう。ビットコインのような仮想通貨も信用が低すぎて通用性がなく、基軸通貨にはなりえそうもない。
なりそうもないといえば、1ドル50円も一向に起こらないね。著者は未だにこの主張を続けているのだろうか?経済の世界での未来予測は信用を一気になくすから恐ろしい。 -
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浜女史による日本の通貨である「円」について書かれた本です。その中で、金本位制だった時代に、1円=0.5ドル=0.75グラムのゴールド(p23)という記述があり、これが日本の通貨の原点だと私は認識しました。
金の価値から換算すると、円の価値はだいぶ下がったというような考察がこの本によってできたのは収穫でした。
以下は気になったポイントです。
・円という通貨がはじめて登場したのは1871年だが、当時の日本は金欠状態であり、金貨との交換性をもたない不換紙幣であった(p14)
・1967年という、ドルを軸とする固定為替相場制度が続いていた時代(1ドル=360円)に、イギリスが守るべきポンドの声低相場は、1ポンド=2.80ドルであった、日本円との関係では、1ポンド=1008円から切り下げにより、864円となった(p28、32)
・ポンドの対外的な価値が下がると、輸入物価の上昇と国内需給のタイト化の両方向から、国内経済はインフレ化することで、ポケット内の1ポンドの購買力は最終的には低下する(p31)
・和同開珎を出したときの当時の朝廷は、銅銭1文=もみ米6升に相当、5文=布一常と交換できるという関係を定めて、和同開珎の流通促進に努めた(p58)
・日本の通貨第一号である、和同開珎のお披露目が708年、皇朝十二銭のラスト通貨(乾元大宝)の登場が958年、およそ20年に1度のペースで新通貨が登場していた、そのたびにその価値は旧銭の10倍に設定された、そして通貨発行益を政府は得た(p59、60)
・欧州においてユーロ切り替え時において、隠し資産が明るみに出て追徴税をとられるので、それを避けるために不動産取引・家の改造などが増えた(p63)
・皇朝12銭の発行が途絶えたのち、生活必需品(米、絹、布など)が事実上の通貨の役割を果たしていたが、そこで一計を案じたのが平清盛で、中国から貨幣(鎌倉時代は宋銭、室町時代は明銭)を輸入した(p68)
・東の金遣い、西の銀遣いと言われるが、この原因は、産地の問題に過ぎない(p79)
・1835年に発行された「天保通宝」に至っては、かつての「寛永通宝」の5%程度の金しか配合されていなかった、タコがほとんど入っていないたこ焼き(p88)
・銀の含有量から見れば、洋銀1ドル=1分銀1枚が妥当であったが、外国との取引に慣れていない日本は、洋銀1ドル=3分銀という関係が成立してしまった(p95)
・日本の金流出をとめたのは、金貨そのものの品位の劣化改定、これが「万延の改鋳」、1860年に金の含有量を従来の3分の1に落とした貨幣(万延小判、万延2分金)を発行したことによる(p99)
・円の発育過程を追跡するに当たっては、金本位制・紙幣・銀行・戦争、がキーワードになる(p108)
・西南戦争の戦費調達のために政府紙幣の濫発が始まった、そのため、お米の値段が西南戦争前の2倍になった、ただし政府紙幣建ての値段の話(p123)
・日銀のもとで、従来の国立銀行紙幣、政府紙幣はすべて回収整理されて、1899年にはいずれも通用停止となった(p127)
・1897年に新たな貨幣法が制定され、従来の1円=1.5グラムの純金から、1円=0.75グラムの純金へと改定された、このときの日本銀行兌換券は、金貨との交換を保証していた。このときのレートが、100円=49.8ドルであり、1917年の金本位を停止するまで続いた(p129)
・金再禁輸後は、1931年末において、100円=34.2ドルまで円安となった。1932年末には、20ドルとなり、円の価値が半減した(p149)
・国家総動員法に基づいて、価格等統制令が施行されて、ほとんど全ての物資の価格が、1939年9月18日現在の水準で凍結された(p155)
2014年3月30日作成