その昔、安達祐実が主演していた、非常に貧乏なむすめが、なぜか毎回毎回ひどい目に遭うドラマが流行ったのだけど、それはそれは、もうどうしてこの子にばかり不幸が!?ってくらい不幸な目に遭うのだ。
だけど、そんな彼女は、乞食に小さな親切をしてもらっただけで、いつもは強く生きているのに、ただそれだけで、つんと泣いたりして(だった気がする)、あまりに不幸だと、こういう小さな幸せが本当に大きな心の支えになるのだなあ、と子供心に感心したりした。
なんてことを思い出させる漫画だった。
私のように(失礼)、何の苦もなく挫折もなく生きている人間には、到底理解しえない「世の中への漠然とした憤りと不信感」をもった人々の物語。
「ありうる」シチュエーションで、「ありうる」展開が、どこか心をざわつかせる。
もしかしたら、私の築いてきたどだいだって、きっとガラスのように脆く、泡のようにはかなく、夢のようにとらえどころのないものだとしたら、どこかで私は、この登場人物の何者にかなっていたのかもしれない。
さて、果たしてどちらが幸せか。
ナンセンスすぎる疑問だけど、先祖様の永遠の命題。
そこで、冒頭の安達祐実ネタに戻るんだけど、
やっぱり幸せって、自分が幸せって思えることが幸せなんじゃないかな。
暴力夫から離れようとしないバカ女や、
引き込もって爆弾をしかける夢をみる大学生や、
ウリをしてヴィトンの鞄を買う高校生や、
午前中からせんべいをかじりながら胡座をかいてテレビを観るおばさんも、
みんなみんな、今の自分を変えない時点で、それを満足していると言うし、
ある意味幸せなんだろうな。
年を追うごとに、人が変わっていくことの尊さをひしひしと感じる。
いやあ、ここまで来たらその性格なおらないって。
まじー!?