全体的に、記述に対するアカデミックさが足りず、資料や具体的な政府の動きなどの記述が不足している。
このテーマを書くのであれば、筆者は研究者でもあるのであるし、一時資料を使った政治的/社会的なバックグランドや具体的な政策の流れの説明をもっとしてほしかった。
彼女の主張は、自分の経験や、数少ない資料分析
...続きを読むや、彼女自身の感覚をもとにして成り立っている。
ストーリーとしては非常に興味深いし、多くの部分で的を得ている部分もあると思うのだが、本にするのであれば、もう少し資料/データをきちんと提示しないと、説得力のあるものにならない。
表紙が政治的に偏ったもののように見えるのも残念である。
基本的な主張としては、
ハングルが戦後の民族主義/愛国主義と結びついたことへの批判と、「世界で最も科学的なハングル」神話への警鐘。
そして、言語学的にハングルは表音文字であり、
1、同音異義語を完全に表現できない→社会的な意思の伝達に大きな障害をもたらす
2、抽象的な概念語(元々は漢字でかかれていた言葉)を表現してもわからないことがおおい→できるだけ簡単な言葉で言い換えようとする→知的に荒廃する
という2点から、漢字廃止の弊害を主張している。
「近代言語学の基本的なテーゼ:言語は人間の思考に何の影響も与えるものではない」に対して、
(本文中では、そのような大学生からの反論が紹介されていた)
筆者は真っ向から反対してはいるのだが、その主張は「表音文字は音声で弁別できるもの以上の情報を表すことができない」と述べるにとどまり(p.74)、言葉が人間の思考を規定するという反証を提示できていないのは残念である。
また最後に筆者は、訓読みがないと、漢字を復活しても、結局表音文字であるハングルとの対応で記憶していくしかないので、
日本人のように、漢字を自分たちの「固有文化の手触りを持って」確実に自分のものにすることが難しいのではないか、固有語(漢字をもとにしていない純正の韓国語)と漢字語が互いに独立して使われている限り、二つは常に対立し排除し合い、共存することができないだろう、と述べ(p.85)、だから韓国も、訓読みシステムが必要である、と結論づけている。
ちなみに全体の3/5を締める後半の韓国の言い回し、韓国のことざわ、という2つの章は、タイトルである漢字廃止で韓国に何が起きたか、と全く関係がない。
日韓の比較言語論のようなものであり、韓国語を少し知っていたり、住んだことのある人間には少し物足りなく、全く知らない人にとっては興味深いかもしれないが、きっと一通り読んで何となくわかったような気になり、言葉を特に覚えることなく終わってしまうだろう。
せめて語学書としても使えるように、韓国語併記をしてほしかった。
漢字廃止に対する筆者の強伊反発や、固有語の限界などを主張するのならば、この2章分に出てくる韓国語表現もすべて日本語訳で説明するのではなく、固有語、漢字語、ハングルなどを組み合わせた形でプレゼンすればもっと面白いものになるのにと思う。