辻邦生のレビュー一覧
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序盤から破滅を予感させる物語でしたが、むしろその破滅の予感があったからこそ、美しさを感じ続けることができたように思います。
引用の、無駄と思える美しさをかみしめたのなら、無駄を排すという考え方は賛成できるが、ただ頭ごなし、非寛容に排斥するというのはよくない、というのには共感しました。
最終巻、栄華を極めたフィオレンツァが破滅していく様、その時の人々の様子は、どこか今の日本を彷彿とさせます。
なんとなく心に立ち込め、世の中全体を覆っているひっ迫感、不安感。それを感じているとどうしても極端な、わかりやすいことを言って人々を導いてくれる「英雄」を求めて熱狂してしまう。どこかに敵を求めて、潔癖な感 -
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西行の歌の弟子藤原秋実が記す形を取った西行の物語。序の帖に始まり二十一帖に至るまで、西行を時代の流れの中心におき、彼の秀歌と併せて語ってゆく。//前半は物語の筋が読めず少し退屈感を覚えた。中ほどから、平安末期の乱れた世の激変を活き活きと描き面白くなる。皇族・女性・僧侶・源平の武士達が、史実にフィクションを織り交ぜて西行と係ってゆく。西行の人生観も深みを示す。//西行は十五帖で、「我を捨て、この世の花とひとつに溶ける」と説き、二十帖で「歌こそが真言、森羅万象の中に御仏の微笑を現前するもの」と現す。この生き方の基本は終生変わらない。しかし西行は浮世を捨てたわけではない。我を捨ててこの世の花に染み込
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初めてのレビュー。記憶に新しい去年を振り返って、2012年は辻邦生を知ったのが大きな収穫。
「西行花伝」を読んで、それよりずっと以前に書かれた「背教者ユリアヌス」も知った。
平安末期から武士社会に移る時代に「もののあはれ」の美意識を求めた西行と、キリスト教が台頭し始めた時代、純粋さゆえ裏表を使い分けるキリスト教を受け入れられず古代ギリシャ・ローマに美を求めたユリアヌス。勝ち負けで片付けるなら、どちらも時代を生きる中で易くない道を選択したようにみえる。
「西行花伝」の最終章近くで、平家を倒し後白河院から権勢を奪い勝ち進む鎌倉殿の幻影を夕刻の大磯で西行の夢に現れさせている。その時の西行のつぶやきが -
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『一番カッコイイ戦国時代小説』の座、私の中で、何十年も揺るがないままです。
あの時代で、自分も呼吸しているかのような臨場感は「嵯峨野名月記」のほうが、より強かったですが、こちらのほうが登場人物への感情移入がしやすいぶん、数々の場面の印象が鮮烈に残っています。
安土城で信長が、バリニャーノを歓待するために行った『演出』のシーン、何度も読み返しては脳内で映像化して(貧弱な想像力ながら)酔いしれたものでありました…。
思い出しつつ、また再読したくなりました☆何年かおきに読み返すのですが、読むたびに、また違う輝きに出会えるような小説です。
大河ドラマの「信長 King of Zipangu」は、こ -
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1968年、辻邦夫43歳の作品。
辻邦生を、最初に知ったのは『背教者ユリアヌス』だった。
その後、彼の作品を新潮文庫で取り揃えて読んだ。
本書で語られるのは、稀代の英雄、織田信長。
語り手は、西洋人(南蛮人)の船員。
それは、ルイス•フロイスの『日本史』の視点を踏襲するということだ。
違いは、フロイスの筆が信長の心中を読むのが苦手(西洋人の制約)があるのに対して、辻の筆は西洋人の視点を借りながらもフロイスの制約を取り除いて、縦横に信長の心中にまで届いていることにある。
辻はルイス•フロイスの『日本史』を読みながら、じれったさを感じたのではないか。
何故、信長の心中がわからないのか、と。
更 -
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歴史小説という枠を超え、見事に描かれる人間・信長像。
信長の信任が厚かったオルガンティノ神父と共に来日したイタリア人の友人の「私」が語り手です。この「私」 は小銃の名手であり、銃を用いた用兵や造船の知識を持ち、信長に鉄砲の三段構えを教えたり、本願寺との戦いに用いられた鉄甲船の造船にかかわったりするという設定です。
もっとも、様々な事件は単なる背景で、あくまで信長の人格・精神を炙り出しが主眼です。信長を「事の道理に適わなければ、決して事は成らぬ」と考え「事が成る」事に全ての力を集中する人物であると規定。それゆえに西洋の論理的な理(建築学・天文学)を追い求め、理に反していると思えば自らの恣意など簡 -
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時は、戦国末期から江戸時代初期。
場所は京。
そこに、性格も生まれも異なる三人の男たちがロマンを求めて結集する。
書の本阿弥光悦、絵の俵屋宗達、出版の角倉与一だ。
天才二人に対して、角倉与一には、ビジネスマンと営業マンの血が流れていて、親近感を覚えさせる。
ある境地を求める三人の波乱に満ちた人生を通して、作者辻邦生の理想を目指す。
辻によるこの理想追求の姿勢は、「西行花伝」で更にレベルアップすることで、一つの達成を見たと言える。
その意味では、本書は「西行花伝」に向けての大きなステップだと言えるだろう。
すべてを一人称で語る本書のスタイルは「西行花伝」でも踏襲される。
但し、それは複数の一人 -
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著者初の長編という、ういういしい作品。
物語性があり、文章も精緻を究め、なおかつ淡麗。芸術の芸術たるところを高めて語っている。
構成がちょっとややこしい…(夏目漱石の『こころ』を思いだします)
まず、語り手のあるエンジニアが登場。支倉冬子という若き女性と知り合い、つかのまの交流ののち、突然冬子が北の海でヨットに乗ったまま行方不明になってしまった、ところから始まります。彼がエンジニア魂を発揮し、冬子の軌跡を辿って彼女の日記や手記、最後に届いた手紙を見ていく構成です。
北の海と言ってもそれは日本ではなく、スカンジナビア半島に近いバルト海らしい。語り手としりあった場所もその周辺と思われる仏独 -
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♪時の過行くままに♪ 歌詞ではないけれど
時の魔術師、辻邦生作品、しっとり読みました。
1962年から雑誌に発表、近代文学賞を受けて、読み継がれた古い文学作品。
20世紀初頭、大戦と大戦のはざまにパリに留学した画学生が、ロシア人亡命者の娘、同じ画学生「マーシャ」の人生に惹かれ、才能があるのに寡作だったマーシャの残された日記や手紙で生きた証を辿っていく。
デラシネの行き交うパリ、芸術を成す人は極小、浮かんで消えていく芸術家。
しかし、その人の辿ってきた道と心模様の奥深さは、成すとなさざるとにかかわらず、その過程こそ真髄なのだと。
いってみれば「いま、ここ」が大事なんだ、という思いは仏教の教