【感想・ネタバレ】安土往還記(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあっても、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作。(解説・饗庭孝男)

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Posted by ブクログ

西欧人が語る大殿(シニョーレ)織田信長は、きっとこのような人物だったのだろうと思わせる。
好奇心高く芸術家を敬い西洋の技術に深く関心を持ち、道理を求め「事が成る」ことをもって自身の道を貫くために非情となり、それは周囲の理解を得られず孤立していく。
宣教師らには人なつこく冗談に笑うほど心を許したと言うのも安土城下にその城郭と同じ青瓦のセミナリオを建立させた事からも本当だったのだろう。
宣教師ヴァリニャーノがヨーロッパに帰国する事になった際、見送る為に催した夜の祭典で、安土城が一斉の篝火で浮かび上がった情景は素晴らしく、黒装束で信長自らがたいまつを掲げ宣教師に言葉を送ったと言うのも、西洋の宣教師らに対する深い思いが伝わってくる。
信長の時代がもっと続いたらどうだったかななど思いを巡らせながら歴史が現在につながっている事を痛感するから史実は面白い。
豪華絢爛な安土城が現存していないのが本当に残念です。

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2021年11月06日

Posted by ブクログ

辻邦生の安土三部作のうちで最も有名であろう。鬱屈する事情を抱えたジェノバ出身のある船員の書簡の形で、信長の周囲の人物たちの思考と行動とが、一種突き放した観察の乾いた描写で書かれ、そのことによって、孤高のシニョーレ信長が鮮烈に浮かび上がる。そういうしかけの物語。

数十年にわたって再読三読している本(焦げ茶の単行本)だが、若いときには、その物語性、圧倒的に美しく知的な文章、ライトアップされた安土城に松明持つ馬を駆けさせる、といった耽美的ともいえる情景創造に驚き、正に耽溺しつつ読んでいたように思う。

今、再読して特に思うのは、「理に適うことを持って事を成す」という西欧的思考を1960年代後半に既に突き詰めていたことの特異性である。
一貫して執拗といえるほどに描かれるのは、信長における「「理に適うこと、事が成ること」が全てに優先される」という思考と姿勢と行動である。だからこそ日本社会において孤独であり、(イエズス会という政治的思惑があるのだが)宣教師達の思考と行動に触れ共鳴した。そして、そのことに深いところで気づいたのは、おそらく巡察司ヴァリニアーノとこの船員だけであったろう、ということが語られる。

実際には、周囲の人物の思考と行動が信長との緊迫した関係性とともに書き込まれており、その一つ一つが信長の像を浮かび上がらせていく。
  ・生の喜びに溢れる好人物なのに、信長の思考を理解できない故に滅ぼされた荒木
  ・信長の論理を理解できる故に、限界まで自己を追い込み耐えられず滅びた明智
  ・日本的村社会に溶け込むことで宣教活動を成功させたオルガンティノ
  ・透徹した戦略的視点を持ち信長が理の人だと理解して近づく「美貌の」ヴァリニアーノ
  ・武器特需の波に乗ろうとする境商人・・・

今でこそ、ロジカル・シンキング云々と取りざたされているが、1960年代の後半に、理に適うことを至上とする西欧の思考と、時々の現場感覚を優先する日本的感性とを、ここまで明確に書き分けていたことは稀有なことだったと思う。数十年「西欧の光」を追い続け、テクニック的には西欧的論理思考の方法を手に入れた我々は、もともと持っている感性の論理との間にどういう折り合いをつけているのだろうか・・・などと思う。

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2016年07月05日

Posted by ブクログ

1回目は中学の国語の先生に進められて読んだ。その時はこんな視点で信長を見れるのかという点に感心した。
最近、読み直して、「事が成る」ために下劣な温情に堕ちる事なく淡々と仕事をこなしていく信長像に感心した。
荒木村重謀反の際の信長の思考は、一番合点がいった。

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2012年08月19日

Posted by ブクログ

『一番カッコイイ戦国時代小説』の座、私の中で、何十年も揺るがないままです。
あの時代で、自分も呼吸しているかのような臨場感は「嵯峨野名月記」のほうが、より強かったですが、こちらのほうが登場人物への感情移入がしやすいぶん、数々の場面の印象が鮮烈に残っています。

安土城で信長が、バリニャーノを歓待するために行った『演出』のシーン、何度も読み返しては脳内で映像化して(貧弱な想像力ながら)酔いしれたものでありました…。
思い出しつつ、また再読したくなりました☆何年かおきに読み返すのですが、読むたびに、また違う輝きに出会えるような小説です。

大河ドラマの「信長 King of Zipangu」は、この小説を『原作』にしたくて、でも許諾が得られなくて脚本家さん原作ということにしたのでは…と長年思い続けているのですが…。
今も真相が気になるところです☆

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2012年04月13日

Posted by ブクログ

辻邦生さんは大好きな作家さん。
その辻さんが織田信長??と読む前は思ったものの、読んでみて納得。
織田信長がとても知性的でストイックな武将に描かれています。
明智光秀との関係も、とても深い人間同士のつながりのようなものが感じられて感動。本能寺の変に至ってしまった二人の葛藤に、せつなさを感じます。
史小説、というより、やっぱり文学作品だなあ、と思います。

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2011年10月15日

Posted by ブクログ

読んだのはたぶん30年以上前だが、辻邦生の中では1,2を争うおもしろさだった。背教者ユリアヌスの次に読んだのかもしれない。こんなに面白い小説を書く人がいるのかとうれしくなってしまった一冊だ。

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2011年05月29日

Posted by ブクログ

辻邦生は1957年から61年までフランスに留学していたらしい。

あの国内激動の時代に留守していたんだ。

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2011年03月01日

Posted by ブクログ

本店しかないヴィレッジヴァンガードに『唯一の信長本』とかなりの高さの平積み。以降、しばらくその本のセレクトに足を運ぶ。台風でさらされた土壁の資料よりも後世に送るもの。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

1968年、辻邦夫43歳の作品。

辻邦生を、最初に知ったのは『背教者ユリアヌス』だった。
その後、彼の作品を新潮文庫で取り揃えて読んだ。

本書で語られるのは、稀代の英雄、織田信長。
語り手は、西洋人(南蛮人)の船員。
それは、ルイス•フロイスの『日本史』の視点を踏襲するということだ。
違いは、フロイスの筆が信長の心中を読むのが苦手(西洋人の制約)があるのに対して、辻の筆は西洋人の視点を借りながらもフロイスの制約を取り除いて、縦横に信長の心中にまで届いていることにある。
辻はルイス•フロイスの『日本史』を読みながら、じれったさを感じたのではないか。
何故、信長の心中がわからないのか、と。
更に、フロイスにはイエズス会というキリスト教的バイアスが掛かっている。
語り手を宣教師ではなく船員としたことは、キリスト教的イデオロギーを払拭するための有効な作為だ。

同時代の、そして後代の日本人も掴みきれなかった信長の姿。
誰も信長を理解し得ていない。
権力志向なのか、そうではないのか。
短気で暴虐な王だったのか、そうではないのか。
辻は、信長の中に一貫した思想を読み取る。
信長が目指したのは「道理」なのだ、と。
信長は、道理があれば事はなると信じて行動するのだ。
そこから誰もがついて行くことのできないストイックな行動原理が導き出されることになる。
道理を追求するためには、宗教(仏教)をも根絶やしにすることを厭わない。
理念のために生き、死ぬこと。
そんなことが出来ると思わない人間には信長を理解することは出来ない。
だから、ほとんどの人間には信長は理解出来ない。

ところが、ジェノヴァ出身の船員にとって、シニョーレ(信長)の道理追求は十分に理解出来た。
何故なら、半世紀前のイタリアには、イタリア統一という今まで誰も発想したこともなかった事業を推し進めた、冷酷な「シニョーレ」が出現していたからだ。
もう一人の「しにょーれ」とは、ローマ法王の息子、チェザーレ•ボルジアだ。
チェーザレを理解したイタリア人船員にとって、信長は理解するのは容易だった。
信長は日本のチェーザレ•ボルジアだ、と悟ったからだ。

チェザーレが出現するまで、「イタリア半島統一」などということを考えた者はいない。
考えた者はいたかもしれない。
しかし、それを実際にやり遂げようとした者はいない。

信長が出現するまで、「日本統一」を構想した者はいない。
夢想した者はいたかもしれない。
しかし、それを現実的•具体的にやり遂げようとしたのは信長だけだ。
いかに武田信玄が強大な軍隊を有していても、彼は甲斐の国を少しでも拡大させるこしか発想できなかった。
信長以外の全ての大名はそうだった。
その中で、信長ひとり、尾張の拡大など最初から歯牙にもかけず、天下統一のみを目指した。

船員の言う通り、イタリアと日本の「シニョーレ」のみが、国家統一と言う「道理」を目指したのだ。

辻邦生を、最初に知ったのは『背教者ユリアヌス』だった。
その後、彼の作品を新潮文庫で取り揃えて読んだ。

本書で語られるのは、稀代の英雄、織田信長。
語り手は、西洋人(南蛮人)の船員。
それは、ルイス•フロイスの『日本史』の視点を踏襲するということだ。
違いは、フロイスの筆が信長の心中を読むのが苦手(西洋人の制約)があるのに対して、辻の筆は西洋人の視点を借りながらもフロイスの制約を取り除いて、縦横に信長の心中にまで届いていることにある。
辻はルイス•フロイスの『日本史』を読みながら、じれったさを感じたのではないか。
何故、信長の心中がわからないのか、と。
更に、フロイスにはイエズス会というキリスト教的バイアスが掛かっている。
語り手を宣教師ではなく船員としたことは、キリスト教的イデオロギーを払拭するための有効な作為だ。

同時代の、そして後代の日本人も掴みきれなかった信長の姿。
誰も信長を理解し得ていない。
権力志向なのか、そうではないのか。
短気で暴虐な王だったのか、そうではないのか。
辻は、信長の中に一貫した思想を読み取る。
信長が目指したのは「道理」なのだ、と。
信長は、道理があれば事はなると信じて行動するのだ。
そこから誰もがついて行くことのできないストイックな行動原理が導き出されることになる。
道理を追求するためには、宗教(仏教)をも根絶やしにすることを厭わない。
理念のために生き、死ぬこと。
そんなことが出来ると思わない人間には信長を理解することは出来ない。
だから、ほとんどの人間には信長は理解出来ない。

ところが、ジェノヴァ出身の船員にとって、シニョーレ(信長)の道理追求は十分に理解出来た。
何故なら、半世紀前のイタリアには、イタリア統一という今まで誰も発想したこともなかった事業を推し進めた、冷酷な「シニョーレ」が出現していたからだ。
もう一人の「しにょーれ」とは、ローマ法王の息子、チェザーレ•ボルジアだ。
チェーザレを理解したイタリア人船員にとって、信長は理解するのは容易だった。
信長は日本のチェーザレ•ボルジアだ、と悟ったからだ。

チェザーレが出現するまで、「イタリア半島統一」などということを考えた者はいない。
考えた者はいたかもしれない。
しかし、それを実際にやり遂げようとした者はいない。

信長が出現するまで、「日本統一」を構想した者はいない。
夢想した者はいたかもしれない。
しかし、それを現実的•具体的にやり遂げようとしたのは信長だけだ。
いかに武田信玄が強大な軍隊を有していても、彼は甲斐の国を少しでも拡大させるこしか発想できなかった。
信長以外の全ての大名はそうだった。
その中で、信長ひとり、尾張の拡大など最初から歯牙にもかけず、天下統一のみを目指した。

船員の言う通り、イタリアと日本の「シニョーレ」のみが、国家統一と言う「道理」を目指したのだ。

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2025年07月19日

Posted by ブクログ

歴史小説という枠を超え、見事に描かれる人間・信長像。
信長の信任が厚かったオルガンティノ神父と共に来日したイタリア人の友人の「私」が語り手です。この「私」 は小銃の名手であり、銃を用いた用兵や造船の知識を持ち、信長に鉄砲の三段構えを教えたり、本願寺との戦いに用いられた鉄甲船の造船にかかわったりするという設定です。
もっとも、様々な事件は単なる背景で、あくまで信長の人格・精神を炙り出しが主眼です。信長を「事の道理に適わなければ、決して事は成らぬ」と考え「事が成る」事に全ての力を集中する人物であると規定。それゆえに西洋の論理的な理(建築学・天文学)を追い求め、理に反していると思えば自らの恣意など簡単に放り捨て、戦においては(残虐さからでなく)理を通すために徹底的なせん滅を目指す。一方で遠く海を超えて日本まで来て滅私の活動をする神父たちには心を許し、多大な庇護を与える人物だと定義します。そして様々な事件・事象を通しその検証をしている作品です。
緊張感のある重厚で美しい文体でぎっちりと書き上げられた名作です。

家に有った文庫本。多分再読です。奥付を見ると昭和47年4月発行、昭和48年3月二刷となっています。小口はまっ茶に焼け、フォントは小さく掠れ、行間は狭く。高校生の頃の私が背伸びしながら読んだ本の様です。

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2024年07月22日

Posted by ブクログ

信長を題材としているが、その主旋律は「宿命とそれに対する処し方」。主人公は、人殺しの過去を肯定するために、あらゆる宿命に打ち勝とうとする。信長、そしてヴァリニャーノは、事を成すことに生命をかけその宿命としての孤独に震える。そのなかで信長はキリシタンに全幅の共感を覚える。孤独さこそが唯一の友の条件だという、逆説的だが腑に落ちる説を展開している。こうしたテーマはもちろん、抑制のうちに洩れる美しい描写もすばらしかった。特に、信長とヴァリニャーノとの別れのシーン。光と闇が交錯し、「また会いたい」(が、もう逢えないだろう)という悲しみが浮かび上がってくる。
いささか冗長な部分もあったが、じっくり読むに堪える小説だった。

それにしても、昔の「別れ」の重み。二度と会えないことがほとんどであり、一期一会という言葉がいまのように軽薄に使われることはなかっただろう。だから、昔の人は別れでよく泣く。それが今生の別れだから。さようなら(ば、私はいかねばならぬ)という言葉は、出会いと別れの鮮烈な無常をじつによく表している。
See you、再見という言葉にも、明るさより悲しさがあふれている。いまは、会おうと思えばいつでも会えるがゆえに、結局あやふやな別れを迎える。別れを自覚的に生きることは大切なことなのだ。そうでないと、その人と交わることができなくなるからだ。

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2022年01月30日

Posted by ブクログ

イエズス会の宣教師たちとともに、戦国時代の日本にやってきた船員の視点から、織田信長のすがたをえがいた作品です。

遠いキリスト教文化圏からやってきた主人公のまなざしで、日本文化の異質性が叙述されるなかで、信長の「意志」(ヴォロンタ)の普遍性がきわだたされています。それは、海を越えて日本にやってきた主人公たちの行動を支える原理でもあり、この普遍的な「意志」によって文化的なへだたりを越えた共振が成立しています。

彼のような強い「意志」をもたない仏教徒たちに対する残虐な行為に対する非難をくぐり抜けて、傑出した行動力と合理的な知性に裏打ちされた英雄の精神が印象的でした。

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2021年08月02日

Posted by ブクログ

本の中に入って、登場人物と空気を共有している感覚になる

作者が伝えたかったのは 織田信長とキリシタンとの共鳴点としてのメッセージ「孤独になっても、道理に適うべく意志を貫く」と思う

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2019年04月04日

Posted by ブクログ

かなり異色な小説。1人のキリシタン宣教師から見た信長像を追っているんですね。

この設定によって、まるでその場にいて信長に接しているような気になってきます。絶妙な距離感なんですよね。信長がどのような人物なのか、宣教師は掴みかねていて、一緒に探っていく作業のようでもあります。

実際、著者は歴史史料から信長像をたどっているそうで、そのあたりも史実を重視しています。

信長像も新鮮でした! 宣教師に分からないことを素直に質問していて、当時の日本人には理解できない考えをしていたことも分かります。

同時代にいるかのような不思議な感覚を味わえます。おすすめです!

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2018年01月11日

Posted by ブクログ

ひょんなことから日本へ来たジェノア出身の男が語る信長とその時代。

描写が抜群に上手く、悲惨な長島の戦いや京における馬のイベント、安土城における送別の儀など自分が目にしたような気にさせてくれる。

信長を肯定的に描いているが、一面として非常に面白く感じた。

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2017年10月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 理にかなう事を成し遂げる為に、自分自身をもまた理通りに思考し、孤独が刻み込まれているかのような織田信長。この様な視点はやはりヨーロッパ的なのだろう。翻訳本のような導入も、これを色濃くしている。
 日本人の情に流されていくあいまいさからでは、理解しがたい信長だが、自分が良しと思える基準、掟を生を捧げて貫き通した大殿として描いている。とても哲学的と思える。
 現実にかえって、自分の中での理、と考えるとやはり定まらない。それだけに宗教の力が怖い。自分の道理とその宗教が一致してしまえば、生をも捧げることにもなりかねない人々の誕生、と派生して考えてしまった。
 

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2014年10月14日

Posted by ブクログ

ジェノバの宣教師の目を通した信長の生き方を捉えた本。「事を成す為、理に適うのか」のみをひたすらに自他に厳しく極みに達しようと強い意志を持っていた故、時に非情と人には映り、益々孤独になって行った信長。そこに私益の為にという感情は一切ない。果たして自分はどうなのか。って考えさせられた。

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2012年05月28日

Posted by ブクログ

宣教師に同行した船員の手記の形で描かれるのが新鮮です。
まさに見てきたかのような描写で、臨場感溢れます。

克己的な信長の人物像がくっきりと立体的に浮かんできます。
とても読み応えがありました。

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2012年03月19日

Posted by ブクログ

確かに流れるような美しい文体だと思う。信長と渡来したヨーロッパ人のお互いに響きあう交流も本当かもしれない。そうした展開はこの小説を読むべき点だと思う。私にはその後の主人公たちの姿を詳細に書き上げてほしいなと思った。かなわぬことであるが、そこが残念なところだった。

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2024年10月25日

Posted by ブクログ

この本は、イタリアジェノバ出身の船員の目を通して、信長という時代の変革者の人物像と安土という時代の様相をとても知的な文体で描いている。
私はこれまで延暦寺焼き討ちなどに見る徹底的に非情なやり口に信長のことがどうしても好きにはなれなかったが、本書で描かれる「事がなる」ために自己を抑制し「理に適う」方法を徹底的に追求するという人物像に、近代的な人間の先駆者としての孤独と時代の変革者としての強い覚悟を感じて見る目が変わった。
彼がキリスト教の布教に寛容で、西洋の文化にとても強い好奇心を抱いたのは、布教のために命を賭けて海を渡る宣教師等の使命感と、その「事を成し遂げる」ための「理に適う」行動に自分と同じものを感じ強く共感したからなのかも知れない。
それに比べたら、比叡山などの既成の神社仏閣は既得権益にどっぷり浸かってあまりにも腐敗していたのだろう。
帰国するヴァリニャーノ神父のために信長が催した夏の祭典で描かれる安土城の松明の情景は秀逸。

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2019年04月15日

Posted by ブクログ

ジェノバ出身のある航海士が語り手となり、彼が一時期親交を持った大殿(シニョーレ=信長)について書き記すという体裁をとった小説ですが、まずその設定がとても斬新に思えました。読み進めていくとあたかも目の前に当時の出来事が展開しているかのように語り手の視点を追体験することができるくらい豊かな描写力をもって書かれています。非情・残忍なイメージが一般的に定着している信長を「理に適うものを追求することに命を懸ける」戦略家として捉え、くっきりとその人物像を浮かび上がらせることに成功しています。歴史小説として読み応えにある作品だと思います。

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2011年12月06日

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