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争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあっても、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作。(解説・饗庭孝男)
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Posted by ブクログ
西欧人が語る大殿(シニョーレ)織田信長は、きっとこのような人物だったのだろうと思わせる。 好奇心高く芸術家を敬い西洋の技術に深く関心を持ち、道理を求め「事が成る」ことをもって自身の道を貫くために非情となり、それは周囲の理解を得られず孤立していく。 宣教師らには人なつこく冗談に笑うほど心を許したと言う...続きを読むのも安土城下にその城郭と同じ青瓦のセミナリオを建立させた事からも本当だったのだろう。 宣教師ヴァリニャーノがヨーロッパに帰国する事になった際、見送る為に催した夜の祭典で、安土城が一斉の篝火で浮かび上がった情景は素晴らしく、黒装束で信長自らがたいまつを掲げ宣教師に言葉を送ったと言うのも、西洋の宣教師らに対する深い思いが伝わってくる。 信長の時代がもっと続いたらどうだったかななど思いを巡らせながら歴史が現在につながっている事を痛感するから史実は面白い。 豪華絢爛な安土城が現存していないのが本当に残念です。
辻邦生の安土三部作のうちで最も有名であろう。鬱屈する事情を抱えたジェノバ出身のある船員の書簡の形で、信長の周囲の人物たちの思考と行動とが、一種突き放した観察の乾いた描写で書かれ、そのことによって、孤高のシニョーレ信長が鮮烈に浮かび上がる。そういうしかけの物語。 数十年にわたって再読三読している本(...続きを読む焦げ茶の単行本)だが、若いときには、その物語性、圧倒的に美しく知的な文章、ライトアップされた安土城に松明持つ馬を駆けさせる、といった耽美的ともいえる情景創造に驚き、正に耽溺しつつ読んでいたように思う。 今、再読して特に思うのは、「理に適うことを持って事を成す」という西欧的思考を1960年代後半に既に突き詰めていたことの特異性である。 一貫して執拗といえるほどに描かれるのは、信長における「「理に適うこと、事が成ること」が全てに優先される」という思考と姿勢と行動である。だからこそ日本社会において孤独であり、(イエズス会という政治的思惑があるのだが)宣教師達の思考と行動に触れ共鳴した。そして、そのことに深いところで気づいたのは、おそらく巡察司ヴァリニアーノとこの船員だけであったろう、ということが語られる。 実際には、周囲の人物の思考と行動が信長との緊迫した関係性とともに書き込まれており、その一つ一つが信長の像を浮かび上がらせていく。 ・生の喜びに溢れる好人物なのに、信長の思考を理解できない故に滅ぼされた荒木 ・信長の論理を理解できる故に、限界まで自己を追い込み耐えられず滅びた明智 ・日本的村社会に溶け込むことで宣教活動を成功させたオルガンティノ ・透徹した戦略的視点を持ち信長が理の人だと理解して近づく「美貌の」ヴァリニアーノ ・武器特需の波に乗ろうとする境商人・・・ 今でこそ、ロジカル・シンキング云々と取りざたされているが、1960年代の後半に、理に適うことを至上とする西欧の思考と、時々の現場感覚を優先する日本的感性とを、ここまで明確に書き分けていたことは稀有なことだったと思う。数十年「西欧の光」を追い続け、テクニック的には西欧的論理思考の方法を手に入れた我々は、もともと持っている感性の論理との間にどういう折り合いをつけているのだろうか・・・などと思う。
1回目は中学の国語の先生に進められて読んだ。その時はこんな視点で信長を見れるのかという点に感心した。 最近、読み直して、「事が成る」ために下劣な温情に堕ちる事なく淡々と仕事をこなしていく信長像に感心した。 荒木村重謀反の際の信長の思考は、一番合点がいった。
『一番カッコイイ戦国時代小説』の座、私の中で、何十年も揺るがないままです。 あの時代で、自分も呼吸しているかのような臨場感は「嵯峨野名月記」のほうが、より強かったですが、こちらのほうが登場人物への感情移入がしやすいぶん、数々の場面の印象が鮮烈に残っています。 安土城で信長が、バリニャーノを歓待する...続きを読むために行った『演出』のシーン、何度も読み返しては脳内で映像化して(貧弱な想像力ながら)酔いしれたものでありました…。 思い出しつつ、また再読したくなりました☆何年かおきに読み返すのですが、読むたびに、また違う輝きに出会えるような小説です。 大河ドラマの「信長 King of Zipangu」は、この小説を『原作』にしたくて、でも許諾が得られなくて脚本家さん原作ということにしたのでは…と長年思い続けているのですが…。 今も真相が気になるところです☆
辻邦生さんは大好きな作家さん。 その辻さんが織田信長??と読む前は思ったものの、読んでみて納得。 織田信長がとても知性的でストイックな武将に描かれています。 明智光秀との関係も、とても深い人間同士のつながりのようなものが感じられて感動。本能寺の変に至ってしまった二人の葛藤に、せつなさを感じます。 歴...続きを読む史小説、というより、やっぱり文学作品だなあ、と思います。
読んだのはたぶん30年以上前だが、辻邦生の中では1,2を争うおもしろさだった。背教者ユリアヌスの次に読んだのかもしれない。こんなに面白い小説を書く人がいるのかとうれしくなってしまった一冊だ。
辻邦生は1957年から61年までフランスに留学していたらしい。 あの国内激動の時代に留守していたんだ。
本店しかないヴィレッジヴァンガードに『唯一の信長本』とかなりの高さの平積み。以降、しばらくその本のセレクトに足を運ぶ。台風でさらされた土壁の資料よりも後世に送るもの。
1968年、辻邦夫43歳の作品。 辻邦生を、最初に知ったのは『背教者ユリアヌス』だった。 その後、彼の作品を新潮文庫で取り揃えて読んだ。 本書で語られるのは、稀代の英雄、織田信長。 語り手は、西洋人(南蛮人)の船員。 それは、ルイス•フロイスの『日本史』の視点を踏襲するということだ。 違いは、フ...続きを読むロイスの筆が信長の心中を読むのが苦手(西洋人の制約)があるのに対して、辻の筆は西洋人の視点を借りながらもフロイスの制約を取り除いて、縦横に信長の心中にまで届いていることにある。 辻はルイス•フロイスの『日本史』を読みながら、じれったさを感じたのではないか。 何故、信長の心中がわからないのか、と。 更に、フロイスにはイエズス会というキリスト教的バイアスが掛かっている。 語り手を宣教師ではなく船員としたことは、キリスト教的イデオロギーを払拭するための有効な作為だ。 同時代の、そして後代の日本人も掴みきれなかった信長の姿。 誰も信長を理解し得ていない。 権力志向なのか、そうではないのか。 短気で暴虐な王だったのか、そうではないのか。 辻は、信長の中に一貫した思想を読み取る。 信長が目指したのは「道理」なのだ、と。 信長は、道理があれば事はなると信じて行動するのだ。 そこから誰もがついて行くことのできないストイックな行動原理が導き出されることになる。 道理を追求するためには、宗教(仏教)をも根絶やしにすることを厭わない。 理念のために生き、死ぬこと。 そんなことが出来ると思わない人間には信長を理解することは出来ない。 だから、ほとんどの人間には信長は理解出来ない。 ところが、ジェノヴァ出身の船員にとって、シニョーレ(信長)の道理追求は十分に理解出来た。 何故なら、半世紀前のイタリアには、イタリア統一という今まで誰も発想したこともなかった事業を推し進めた、冷酷な「シニョーレ」が出現していたからだ。 もう一人の「しにょーれ」とは、ローマ法王の息子、チェザーレ•ボルジアだ。 チェーザレを理解したイタリア人船員にとって、信長は理解するのは容易だった。 信長は日本のチェーザレ•ボルジアだ、と悟ったからだ。 チェザーレが出現するまで、「イタリア半島統一」などということを考えた者はいない。 考えた者はいたかもしれない。 しかし、それを実際にやり遂げようとした者はいない。 信長が出現するまで、「日本統一」を構想した者はいない。 夢想した者はいたかもしれない。 しかし、それを現実的•具体的にやり遂げようとしたのは信長だけだ。 いかに武田信玄が強大な軍隊を有していても、彼は甲斐の国を少しでも拡大させるこしか発想できなかった。 信長以外の全ての大名はそうだった。 その中で、信長ひとり、尾張の拡大など最初から歯牙にもかけず、天下統一のみを目指した。 船員の言う通り、イタリアと日本の「シニョーレ」のみが、国家統一と言う「道理」を目指したのだ。 辻邦生を、最初に知ったのは『背教者ユリアヌス』だった。 その後、彼の作品を新潮文庫で取り揃えて読んだ。 本書で語られるのは、稀代の英雄、織田信長。 語り手は、西洋人(南蛮人)の船員。 それは、ルイス•フロイスの『日本史』の視点を踏襲するということだ。 違いは、フロイスの筆が信長の心中を読むのが苦手(西洋人の制約)があるのに対して、辻の筆は西洋人の視点を借りながらもフロイスの制約を取り除いて、縦横に信長の心中にまで届いていることにある。 辻はルイス•フロイスの『日本史』を読みながら、じれったさを感じたのではないか。 何故、信長の心中がわからないのか、と。 更に、フロイスにはイエズス会というキリスト教的バイアスが掛かっている。 語り手を宣教師ではなく船員としたことは、キリスト教的イデオロギーを払拭するための有効な作為だ。 同時代の、そして後代の日本人も掴みきれなかった信長の姿。 誰も信長を理解し得ていない。 権力志向なのか、そうではないのか。 短気で暴虐な王だったのか、そうではないのか。 辻は、信長の中に一貫した思想を読み取る。 信長が目指したのは「道理」なのだ、と。 信長は、道理があれば事はなると信じて行動するのだ。 そこから誰もがついて行くことのできないストイックな行動原理が導き出されることになる。 道理を追求するためには、宗教(仏教)をも根絶やしにすることを厭わない。 理念のために生き、死ぬこと。 そんなことが出来ると思わない人間には信長を理解することは出来ない。 だから、ほとんどの人間には信長は理解出来ない。 ところが、ジェノヴァ出身の船員にとって、シニョーレ(信長)の道理追求は十分に理解出来た。 何故なら、半世紀前のイタリアには、イタリア統一という今まで誰も発想したこともなかった事業を推し進めた、冷酷な「シニョーレ」が出現していたからだ。 もう一人の「しにょーれ」とは、ローマ法王の息子、チェザーレ•ボルジアだ。 チェーザレを理解したイタリア人船員にとって、信長は理解するのは容易だった。 信長は日本のチェーザレ•ボルジアだ、と悟ったからだ。 チェザーレが出現するまで、「イタリア半島統一」などということを考えた者はいない。 考えた者はいたかもしれない。 しかし、それを実際にやり遂げようとした者はいない。 信長が出現するまで、「日本統一」を構想した者はいない。 夢想した者はいたかもしれない。 しかし、それを現実的•具体的にやり遂げようとしたのは信長だけだ。 いかに武田信玄が強大な軍隊を有していても、彼は甲斐の国を少しでも拡大させるこしか発想できなかった。 信長以外の全ての大名はそうだった。 その中で、信長ひとり、尾張の拡大など最初から歯牙にもかけず、天下統一のみを目指した。 船員の言う通り、イタリアと日本の「シニョーレ」のみが、国家統一と言う「道理」を目指したのだ。
歴史小説という枠を超え、見事に描かれる人間・信長像。 信長の信任が厚かったオルガンティノ神父と共に来日したイタリア人の友人の「私」が語り手です。この「私」 は小銃の名手であり、銃を用いた用兵や造船の知識を持ち、信長に鉄砲の三段構えを教えたり、本願寺との戦いに用いられた鉄甲船の造船にかかわったりすると...続きを読むいう設定です。 もっとも、様々な事件は単なる背景で、あくまで信長の人格・精神を炙り出しが主眼です。信長を「事の道理に適わなければ、決して事は成らぬ」と考え「事が成る」事に全ての力を集中する人物であると規定。それゆえに西洋の論理的な理(建築学・天文学)を追い求め、理に反していると思えば自らの恣意など簡単に放り捨て、戦においては(残虐さからでなく)理を通すために徹底的なせん滅を目指す。一方で遠く海を超えて日本まで来て滅私の活動をする神父たちには心を許し、多大な庇護を与える人物だと定義します。そして様々な事件・事象を通しその検証をしている作品です。 緊張感のある重厚で美しい文体でぎっちりと書き上げられた名作です。 家に有った文庫本。多分再読です。奥付を見ると昭和47年4月発行、昭和48年3月二刷となっています。小口はまっ茶に焼け、フォントは小さく掠れ、行間は狭く。高校生の頃の私が背伸びしながら読んだ本の様です。
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