藤栄道彦のレビュー一覧
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ネタバレこの(4)でも、来店している歴史上の人物たちが、これまた、クセ強め。
歴史の教科書に名前は太字で書かれているけど、英傑や異人たちと比べると、目立っている訳でもなく、微妙な立ち位置。
そんな彼らの生き様を貶したり、嘲笑ったりするのではなく、一つの選択や視野の狭さが、得られたモノを得られず、また、手離す結果になった、とシニカルに説いている。
何度も書いているが、この辺りの、ブラックユーモアのセンスは勉強にさせて貰っている。
来店している客のチョイスも良い塩梅だが、この(4)では、店側にも新キャラが登場している。
まず、別荘の管理を任されている根広さん。『真・女神転生』好きにはお馴染みのネビロスなのは間違いないだろう。これからも、ちょいちょい、出番があると嬉しい。
そして、ジュリーがねがいと同じ高校に通い出したので、新たなスタッフとして呼び出されたのが、『FGO』であれば、アサシンのクラスになるであろう、「殺しの天使」を異名を持つ、シャルロット・コルデー。
世のためにならぬ者を殺したがるってヤバい一面を持っているが、どうも、それは、短剣を持っている時だけのようで、基本的には、聡明で穏やかな性格の様子。ある意味、ギャップが萌える新キャラだ。
このコルデーが、ねがい達に、どのような影響を与え、逆に、どのように変化していくのか、は楽しみだ。
ねがいと葛西の仲も、トラブルを経る度に深まっていくので、この二人がどうなっていくのか、そこも関心が大きい。
この台詞を引用に選んだのは、一理あるな、と思えるものだったので。
人の幸せになりたい、不幸になりたくないって気持ちに優しく寄り添い、堕落させていく悪魔のトップクラスが言うからこその説得力だろう。
不運な人の境遇に胸を痛める、その優しさ自体は悪い事じゃない。
ただ、負い目から、自分が幸せになる事に抵抗を抱くのは、少し違う。
どんな生まれであろうと、基本的に、人は幸せになっていい。
生まれで、幸せ、不幸せは決まったりしない。
生まれてからの生き方で、人間は勝手に、幸せにも、不幸せにもなる。
自分の出来る事、やりたい事で、人間は自分だけの幸せを掴んでいるに過ぎない。
幸せになりたいなら、不幸せになりたくないなら、他人に必要以上に気を遣わず、ガムシャラに正しく生きていくしかないんだろう。
「ン~、フフフ、そりゃあ、もう、幸せになることに遠慮などいりまセン。生物とは皆、多かれ少なかれ、他者を犠牲にして生きているものデス。その中で、多少、貧乏クジを引くくらい、どうということないはずでショウ。幸せも不幸せも、人間にとっては余計なものに過ぎまセン。その程度の価値しかないのデス。幸せだから、不幸せだから、と負い目を感じる必要はありまセン。それより、自分にできることをやるほうが、ずっと有意義デス」(by明日太郎)
こちらも似たような感じの説得力を感じたので、紹介させて欲しい。
明日太郎の持論に対し、ミカエルが一定の理解は示しながらも、真っ向から、対極の意見をぶつけているのも、また興味深い。
天使、そのトップであろうとも、全ての人を救えるわけではないし、救おうとしてはいけない、と考えている。
歴史が大きく変わってしまえば、人と言う種そのものに致命的な影響が出かねないから、接触は最低限以下にしなければならない、と。
一方で、力はあるのに、人を救えない無力さも、ミカエルは痛感しており、どこか、人間臭さも滲み出ているのが良い。
「これ以上、歴史に干渉することをおやめなさい。今は微修正で済んでいますが、あなたたちのしてることは、危険な火遊びです」
「では、あなたが彼を『救って』みますカ?彼のために何かできることがあるト?
ン~フフフ、できるわけありまセンよねぇ?無理なのデス。幸福も不幸も、人間が勝手に自分の中だけで生み出す幻デス。ある幸福は他社の不幸を呼び、ある不幸は他人の幸福となりマス。公平・平等を口にしている者が手出しできる話ではありまセン」
「ですから、人は『立ち向かう力』、『変えようとする姿勢』のほうが大切なのです。力の及ぶところでのみ働けばいい。己の力の及ばぬところまで動かそうとするから歪むのです」(by明日太郎、ミカエル)
この台詞もまた、印象的だ。
神の忠実な使い、として存在しながらも、誰よりも、自分と神の無力さを痛感し、そして、人がいつまでも自分達に縋る現状に歯がゆさを感じている。
もうちょい、肩の力を抜いて生きられたら楽だろうにな。
「『もみの木』の童話は、今、そこにあるもので満足するように説いた説話ですが・・・人がもし、ただ、そこにいる、それだけで満足できるようになったら・・・神は不要になるでしょう」(byミカエル) -
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ネタバレこの(3)も、実に刺激的で、ブラックユーモアのセンスが光っていた。
あくまで、私個人の感覚だけど、ブラックユーモアってのは、使い方が難しい。匙加減を間違えてしまうと、シンプルに相手を傷付けたり、不快にさせてしまうだけだからな。
何度も読み返すと、ただ、ブラックな笑いを取ろうとしているだけでなく、深い意味があるのでは、と思わせるだけの何かが、この『最後のレストラン【ダンテ】』にはあるな、と勝手に思っている。
登場する料理こそ、食欲を強烈に生じさせるものじゃないにしろ、歴史上の偉人が登場する系統の作品の中では、かなり上位に入れるんじゃなかろうか。
この(3)でも、学校の勉強で、その名前は教科書で読んだけど、いざ、何をしたか、どんな人物だったのか、説明すると、微妙に困ってしまうレベルの傑物たちが登場している。
張飛に、沖田総司、岩倉具視、平清盛、平徳子、とチョイスが、この(3)でも絶妙だった。確かに、ギリ有名な存在だけど、影は濃くない。かと言って、存在しなかったら、確実に歴史の流れに大きな変化が生じていた可能性もあるって偉人なんだよな、誰も彼も。
どの回も印象的だったが、個人的に印象が強かったのは、やはり、沖田総司の回である。
当然と言えば当然だが、【ダンテ】を訪れた沖田総司は、『終末のワルキューレ』や『青のミブロ』とは違った人物像の沖田総司だったが、決して、的外れって訳じゃなく、確かに、そんな悩みを抱えていたかも知れない、と思わされた。
人より優れた才能はある。その才能を活かせる時代に生まれ、場所にも身を置いている。だからと言って、その才能を持っている事を、本人が得と感じ、存分に使えるか、は話が違ってくるのは、今も昔も同じだな。才能が無い者も悩みは尽きないが、才能が有ったら有ったで辛い事もあるんだろう。
また、この(3)では、明日太郎の正体を知らぬまま(笑)、淡い恋心を持っちゃった女性キャラが登場したり、ねがいちゃんと飾西君の関係に、微妙な変化が生じたり、と今後がますます、楽しみになった。
この台詞を引用に選んだのは、確かになぁ、と素直に頷けるものだったので。
確かに、器は大きい方が良いが、器を大きくしただけで満足して、そこに何も入れないままって人は増えているか。
そういうタイプは、どの業界にもいるもんだが、アンタは、そりゃ、マズいだろ、と感じるのは、政界と教育界か。
国を発展させる事が仕事の政治家と、未来ある子供を育てるのが役目の教師が、器が大きいだけの空っぽってタイプの人間だったら、呆れるのを通り越して、怖さすらあるくらいだ。
器を大きくする、そこに自分に必要な「何か」を理解した状態で入れていき、ちょうど良い所まで満たす、そして、その満たした器を人に見せられる状態にするのは難行だ。
少なくとも、私は下手に器を大きくせず、今の器に入れるモノを吟味して、コツコツと整えていくのが、身の丈に合ってそうだな。
その難しい事が出来ている人間は誰かって考えた時、私がパッと思いつくのは、それこそ、北野武さん、明石家さんまさん、所ジョージさん、あと、ヒロミさん、木村拓哉さんかな。
政治家だと・・・ダメだ、思いつかんわ。
「益徳様にも辛いだけでない何かが、備わることでショウ」
「言うのぅ」
「ただ・・・」
「ただ?」
「イエ、器というものは、中に何を入れるかが大事でシテ、器だけ大きくしても、あまり意味はありまセン。『入れること』を忘れないようにしてくだサイ」(by飯谷明日太郎、張飛)
こちらの台詞も印象的だったので、紹介を。
実際、明日太郎の豊富な経験から言う理屈も、ねがいのピュアがゆえの理想論も間違っちゃいないし、どちらにも「確かに」と頷ける。
明日太郎が、ねがいの考え方に、虚を突かれ、否定しないトコも印象的だった。
命の価値、これは自分にも、他人にも、正しく判断できない事の一つだろう。
人より次元が上の存在であれば、それを知っているだろうが、説明されても、受け取る側の人間が同じステージにいないのだから、やはり、正しくは伝わらないだろう。
生きるべき人間もいるし、生きているべきじゃない人間もいる。
それは誰にも決められないけど、確かに、その線引きは存在してしまっている。
その線を誰が決めているのか、これも誰にも判らない。
だから、人間、自分の命も他人の命も大切にして、自分の価値を下げない生き方をしたいもんだ。
貰うだけ、奪うだけ、欲しがるだけ、の人間は、結局、何も無いのと同じなんだから。
「自分の『生』を肯定する気持ちが無くなれば、他人の命もどうでもよくなりマス。道徳など、社会がよく動くための都合に過ぎまセン。生きる希望のない人間には、どんな倫理も、道徳も無意味になるのデス。殺して生きる喜びを感じられるのなら、それでいいのではないデスか?」
「う~ん、でも、自分の命が無価値でも、他人の命の値打ちはわかる、という場合もあると思いますよ。だから、人は命を投げ出して、他人を救うこともあるわけですしね」
「・・・・・・なるほド」(by飯谷明日太郎、ねがい) -
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ネタバレほんと、この『最後のレストラン【ダンテ】』、面白い。
当然と言えば当然だけど、前シリーズとは違った面白さっつーか、読み手に異なる衝撃を与えてくる。
これから読み始めても、十分に楽しめるだろうけど、やはり、先のシリーズを読んでからの方が、より深さを感じ取れる、一ファンとしては思うので、お勧めしたい。
先のシリーズよりもブラックユーモアさが際立っているけど、その塩梅が絶妙で、読み手に不快感は一切、与えず、むしろ、人生で得られる幸せとは何か、どのくらいのものか、などを色々と考えせてくれる。
差異はあるにしろ、この(2)に登場、いや、来店しているお客様もまた、歴史に名を残しているが、やはり、クセが強い。
傍目から見れば、地位や富を得て、幸福を掴んだように見えても、当人からすれば、その幸せは心から望んだモノじゃなく、満足できる死も迎えられなかった。
けれど、極端な言いかたをすれば、そんな最期を迎える羽目になったのは、当人の選択の結果でしかない。
自分が、本当に望んでいた幸福に気付けず、目の前にぶら下がった「幸せ」に飛びついてしまったから、その時から徐々にズレていき、心が満たされる事のない人生になってしまった、と気付かされる。
印象はそれぞれだろうが、少なくとも、自分は間違えた、と最後に思い知る人生は、幸福なんかありはしないんじゃないか?
一方で、現在を生きているねがいは、明日太郎たちが人じゃない、と薄々は気付きつつも、豪胆な性格なのか、アルバイトを続けながら、様々な経験の中で、自分の心と向き合い、確実に成長している様子。
この台詞の数々を引用に選んだのは、猛毒ながらも、だからこそ、異様な説得力が宿っている、と感じたものなので。
大悪魔の眼から見た、人間ってのは、こんなものなんだろうな、と思える。
また、明日太郎は、自覚があるのかないのか、定かではないけど、やはり、姿を模した相手、彼に思考が似通ってきているな。
けど、やはり、大悪魔としての矜持は失っていないので、奈落に向かう者を、わざわざ、呼び止めて助けたりはしないんだろう。
「ン~、フフフ、同じように見えても、形や焼き加減、ひとつひとつ違いマス。微妙な違いを持つものを排除していった時、皿にたこ焼きは、いくつ、残りマスかねぇ?フフフ」
「本当にそうでショウか?本当にあなたはご満足されてマスか?人間の欲望に際限というものはありまセン。食べても食べても空腹になるように、寝ても寝ても眠くなるように、ひとつ満たされても、また別の飢えが訪れマス。それは普通の、ごく自然なことなのデス。あなたは巨万の富を手に入れ、15万点という膨大な作品を残し、何人もの若い女性と浮名を流されました。だからこそ、わかるハズですよ。自分が何をしても満たされないことに。満たされない渇望が、あなたを創作に向かわせ、創作したものが、また、あなたを飢えさせるのデス」
「ピカソ様は、ミダス王の逸話はご存知デスか?」
「ミダス王?」
「ディオニュソスにより、触れるもの全てを黄金に変える力を授かった人物デス。彼は最初、喜びマシたが・・・口に入れようとした食べ物や飲み物まで、黄金に変わってしまうのデス。彼は、その時、気づきマシた、この力は祝福ではなく、呪いなのだ、というコトに」
(紙に唾を吐いても芸術になる。ミダス王が、触れるもの全てを黄金に変えるように。違う、自分は変えてしまったのだ。金“かね”に。絵画も彫刻も版画も陶芸も、皆、金に変えてしまったのだ。自分が創作物にしてしまった、人間の苦悩、悲しみ、喜び、愛、その中に、かけがえのないものがあったのではないか。90年間、創作を続けてきて、初めて味わう、全身を満たす感覚、絶望) -
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ネタバレ一風変わったグルメ漫画の代表格として、そのタイトルが挙がるであろう、『最後のレストラン』
この『最後のレストラン』は(23)で、「そう来たか」とファンを唸らせ、ぐぅの音も出ないハッピーエンド―少なくとも、私はそう感じているし、他のファンがこれは違うと感じている可能性もある―で完結を迎えた。
しかし、人は食べなければ生きていけないからこそ、レストランには新たな客は訪れ続けるものだ。
この『最後のレストラン【ダンテ】』は、『最後のレストラン』の良さを継承しつつ、先シリーズとは違った小粋なブラックさも醸しており、今後も買い続けよう、と強く思わせてくれる内容になっていた。
まぁ、そうでなければ、感想を書いて、ファンを増やそうとは、私も画策はしない。風変りって意味合いでは負けちゃいない『フェルマーの料理番』もアニメ化が決定したので、その勢いに乗っかって、『最後のレストラン』のドラマがリメイク、もしくは、こちらもアニメ化してくれないかな、と期待をしている。
前シリーズの『最後のレストラン』は、クセは強い、まぁ、ハッキリ言ってしまうと、クズ寄りではあるにしろ、人もとい料理人として強い芯を持っている園場凌が、人生の最期を迎えようとしている偉人や英傑を、確かな実力と枠に嵌らない機転で作り出した料理で救い、自分の人生に於ける答えを出す手助けをしていた。
対するコチラの主人公と言うか、イタリア料理店「ダンテ」の料理人・飯屋明日太郎は見た目こそ、園場にどことなく似ているが、本性は人間ではない。恐らく、大悪魔の一角である「アスタロト」だろう。まぁ、何かの因果で園場の外見に寄せたのかは分からんが、それが原因で物の考え方が、悪魔のそれをベースとしつつ、捻くれてはいるが性根は腐っていない人間っぽくなっている。
そんな明日太郎が作る料理を食すのが、歴史上の人物ではあるが、知名度が微妙、けど、この人たちがいなかったら、英傑の存在感が霞む、と言える役割を担っているってのがミソ。
そんな彼らが料理を食べて救われたのか、これもまた、微妙ってのも、この作品を面白い、と感じるポイント。「ダンテ」を訪れるまでの人生が幸せだったのかとなると悩ましいが、明日太郎の料理を食べた事で、自分で気付かない内に大切なモノを食事代として払い、あんな最期を迎える事になってしまった・・・でも、明日太郎は、契約を重んじる悪魔らしく、客に対して、ちゃんと、対価について告げており、その客は自分で決断している。であれば、ある意味、自業自得で片づけてしまえる流れだ。
悪魔だけど(悪魔だからこそ?)、憎めないキャラである明日太郎と、店長である金星流枝葉(きっと、彼女はアスタロトよりも強大にして高名なルシファーだろう)が営む「ダンテ」で、アルバイトとして働く事になった人間・ねがいが、店を訪れる、英傑の影に潜む、もしくは、土台になった者らと関わる事で、何を得て、何を学び、何を変えていくのか、楽しみでしかない。ヒロインを、顔や体に酷い火傷があり、そこにコンプレックスを抱えている(抱えていた)女子高校生にするってのが、これまた、作品に良い味を出していて、藤栄先生らしさも感じたのは私だけじゃあるまい。
この台詞を引用に選んだのは、毒塗れではあるにしろ、あながち、的外れじゃないどころか、的のど真ん中を綺麗にブチ貫いているな、と頷いてしまったものなので。
人間には「変わる」部分と「変わらない」部分がある。
変化と不変、どっちが良い、悪いって話じゃなく、変わるも人間、変わらないも人間。
変える、変わるべきなのに、変えない、変えられない、これもまた、人間の業だ。
生贄の首を刎ね、新たな生贄を用意して、問題を解決する、もしくは、先延ばしにする、これもまた、人間が歴史の中で繰り返してきたやり口なんだろう。
昔も今も、スケールの大小はあれ、そのやり方を続けている人間は、悪魔からしたら滑稽を通り越して、意味の分からない、何か怖い存在かもな。
だからこそ、明日太郎は、客に「変われる」料理を作り、対価として「人生」を払わせているんだろうけど。
「ねがいさんは王の役割ってなんだと思いマスか?」
「え?う~ん・・・」
「人類学から見マスとね、生贄デスよ」
「生贄?」
「はい、国の健全性に責任を持つ者とシテ、危機や災厄が訪れた時に生贄に捧げたのデス。ですカラ、その時までは、うんと贅沢をさせる。そして、殺すことで、神をなだめ、調和を取り戻せると信じたのデス」
「怖いですね。でも、今は生贄なんて無いから良かった」
「ン~フフフ、そうでショウか?」
「?」
「本当にそうでスかねえ?問題が起こった時、トップさえ代えれば解決すると考える人は本当にいませンカねぇ?」
「・・・・・・あ・・・」(by飯屋明日太郎、小井ねがい)
これもまた、確かに、と頷いてしまう、良い台詞。
悪魔視点だからこその、地にしっかりと足が付いているアドバイスだ。
知識はそれなりにあれど、実地経験がまるで足りておらず、何よりも、プロに必要なモノを持っていない少年に対し、こうやって、忠告をしてやるあたり、悪い奴じゃないのかな、悪魔のわりに。
実際、人間は臆病さを失っちまうと、ロクな事をしない。
かの有名なスナイパーも言っているもんな、大事なのは兎のような臆病さだって。
「岡くん、これをお渡ししマス。小生の名刺デス。エクソシストは危険な仕事デス。目指すのはいいデスが、実際の悪魔祓いは、ちゃんと勉強をしてからにすべきデス。もし、万が一、危ないことがあったら、その名刺を見せなサイ。怖い、と思うことは大切なことなのデス。人間が、ここまで繫栄したのは、臆病だからなのデスから」(by飯屋明日太郎)
もう一つ、この『最後のレストラン【ダンテ】』で、特に印象的な台詞を紹介。
これまでの悪魔生の中で、多くの人間と関わって来て、様々な面を見てきた明日太郎だからこそ、愛に対する考え方も、どこか、人間臭くもあるんでしょう。まぁ、アスタロトは、えげつない悪臭を放っているそうですが。
まぁ、そこはさておき、愛ってものは、人間だろうが、悪魔だろうが、天使であっても、その本質の全容は理解できないモノなんだろうけど、この考え方自体は「確かに」と納得できるもの。
「あなたが『愛』というものを、まるで理解していないためデス」
「はあ!?」
「愛には上澄みと沈殿物がありマス。豪華な料理に仕立て上げられる豚肉、その陰で捨てられる臓物。あなたは、その『豪華な部分』しか理解できないのデス」(by飯屋明日太郎、ジュリー・ドービニー)
「美しいものを愛することは誰にでもできるでショウ。しかし、人間に限らず、物事万事、美しい面だけではありまセン。あなたは、愛の表層しか見ていまセン。肉だけ食べて豚料理を語るのと同じ」(by飯屋明日太郎) -
購入済み
キュリー夫人
夫人2回に夫も娘もノーベル賞って凄すぎてもうわからない(笑)。
放射能で健康を害しながら研究を続け・・・、壮絶すぎる。
この巻は伝記などで有名な客達揃い踏みなうえ、ホテル進出もあり
現世(?)のほうも面白い。 -
Posted by ブクログ
ゆたぼんスタディ号までネタにしてあってニヤリ。
園場は今巻、デリバリーの用意をすると安土桃山〜江戸初期辺りにタイムスリップしてしまう仕様。
いつもはお客さんの方からタイムスリップしてヘブンズドアの店へ訪れるので異色。
キッチンカーと一緒に飛ばされたときは、食材も調理法も楽そうだったが、宅配バイクだけで飛ばされたときも難なく一皿を出していたので、かまどとかでの調理もできるのだろう。
出した一皿にダメ出しをされて、説教を受け、それこそが引き出されたものであると分かったときのニンマリ感。
死神呼ばわりされてるのもまたおかしみを誘う。
古田重然(織部)が通しで割と出てくるが、今巻のトリを務める。
現代世界での新しい仕事の提案を受けるかの選択も絡め、園場も成長しているようで、織田信長を饗したときとは一味違う一皿で切腹を迎える古田を見送る。
随所で織田信長の追憶がなされたことで、確か初期の巻だったと思うが、織田信長を饗した回を見返したくなった。