新城カズマのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
まず述べておきたいのは、この本は「物語工学論」としては良いのだが、「キャラクターの作り方」としては非常に微妙だということだ。
社会論的、文化論的、神話論的見地からキャラクターを類型化する内容は非常に興味深いし、多く出典を引く様式は好ましい。例はやや古臭い物が多いが(新しくともエヴァ程度で、前世紀の物ばかりだ)、祖型を探る以上はこれも仕方のないところだろう。
しかし、既存のキャラを分析するならともかく、魅力的なキャラを想像するためのハウツー本としてはあまり期待できない。祖型を意識してキャラを考えることも、フローチャートに当てはめることも、決して無駄ではない。しかし、本書の中で言う表現を借りれば、「実用的」かについて疑問を覚えるのだ。
全体的に、抽象的な論じ方がされている点もハウツー本としてはマイナスではなかろうか。工学論という、大学の講義みたいなタイトルには沿っているから、副題が邪魔している印象である。
創作術としては巻末の賀東招二氏との対談の方が面白い。ただ、こちらも少々グチっぽいところが玉に瑕である。その辺も加味して星三つ半相当と判断した。 -
Posted by ブクログ
“どうして?
簡単な話だ。仮に悠有を追いかけたとしよう。運良く(この大群衆の中から)見つけて、つかまえたとしよう。そうなると、やることは決まってる。ぼくはいうんだ。ちょっと口を尖らせながら。かってにいなくなるなよ、と愚痴ってから。なんで急にいなくなってんだよ、と問いつめて。確かめて。
そしたら、何がおきる?
ぼくは理解してる。自分がその答えを知らないってことを。想像もできないってことを。そいつはナイト的不確実性だ。ぼくの遥かなる霧笛、喉にたまってしまった無数の違和感。スヌーピーあんちゃんの警告だ。
ようするに、ぼくは確かめたくなかったんだ。
悠有が何を見つけたのか。何を思い出したのか。確定したくなかったんだ。
ぼくをおいてけぼりにしてまで、片づけなくちゃいけない急用ってのが何なのか。
そうとも、ぼくは知りたくなかった。知らされたくなかった。自分がおいていかれる側の人間だってことを。それくらいなら、辺里駅の一番ホームから落っこちて列車に轢かれるほうがよっぽどましだ。
ああ神様、ぼくはそのていどの人間なんだ。”[P.81]
そして彼女は走っていってしまった。
おいていかれた者を思うと辛いけど。
後にも会ってるようでそこが救い。
涼の部屋の所は思わずぞっとした。
“——もしもこの時、ぼくらが(何の理由もなく)隣にある涼の寝室へずかずかと入っていってたら、事態はもうちょっと少ない被害で決着してたかもしれない。
(中略)
百年前、あのヴァン=デル=コールハス/コールハース氏といっしょに駆け落ちしたということになってる令嬢の写真。最後のやつは、いちばんぼくらを驚かしたことだろう。なぜって彼女の顔は、悠有のおばさんにかなり似てたんだから。
その写真を見て、ある可能性に思い至った時、涼はメモをとろうとしたはずだ。始めはぴったりと動きを止め、愛用のシステム手帳までの最短距離を見定めてから。ものすごい勢いで手帳をつかみ、開く。ページをめくる。
そして、すぐまた手帳を閉じる。
たった今まで自分が何をしてたのか思い出せない、そして思い出せないということすら忘れてる、そんな顔で。
それがどんな病気の症状なのか、専門医だったら解ったはずだ。たとえば知里先生か、彼の同僚だったら。でも彼らはここにはいない。それどころかやつの両親だって立入禁止になってるんだ、この部屋は。ぼくらも部屋の中を見ていない。肝心な人はいつだって、ここ以外のどこかにいる。涼の寝室。本棚の横、白いはずの壁には大小いくつものコルクボードが架かってる。まるで、失われてゆく表層意識を塞き止める堤防のように。メモの上のメモ。重なりあう記憶。本日の予定、鍵の置いてある場所、電子レンジの使いかた、靴の履きかた。友人たちの名前と住所。数時間ごとに、これを見て再確認する。もしもぼくらが寝室へ入り、それを見てたとしたら、ずいぶんとその後の出来事は変わってたはずだ。すべてを避けられたわけではなかったにしても。——
——でも、そうはならない。
涼の寝室は手つかずのままだった。その壁のメモを、ぼくらが見ることはなかった。ぼくと響子はずっとモニタの中の粗い画像を見つめてた。”[P.179] -
Posted by ブクログ
“「当然じゃん」ぼくはできるだけコージンを刺激しないよう、慎重に返事をする。代わりに雨の中を走れと命じられるくらいなら、追従者になったほうがましだ。「場所は問題じゃないって。さもなきゃ、これまでにも同じことが起きてたはずだし」
「違うな」
「なんで」
「その理屈だと、おまえの幼なじみは、これまでにも何度か消えたり跳んだりしてることになるぜ」
「…………」
たしかにコージンのいうとおりだった。『跳んだ』場所に原因がないのだとしたら、悠有本人に原因があることになる。それでも問題は単にそちらへ横滑りしただけだ。つまり真の問題はこうだ……なぜ今年の夏が初めてなのか?
「あのさ、もしかしてさ」
「うわ」
ずぶ濡れの涼が近づいてきたので、ぼくらはそろって後じさる。気まずい沈黙のあとで、ぼくはようやく思い出し、預かってた涼の傘を渡してやる。
「で、なんだって?」
「だから、もしかしてさ」涼の口調は真面目だった。今から思うと、やつだけが、もうこの頃から事態を真面目に考えていたのかもしれない。「ほんとはこれまでにも、悠有って何度か『跳んで』たんじゃないのかな。ぼくらが気づいてなかっただけでさ」
ふたたび、気まずい沈黙。
「まさか」ぼくの反論には、まったく論理性がない。「まさかそんな」”[P.96]
この時ここをこうしていれば、この先の何々は変わったかもしれないのにと主人公が多々思うものだから、彼等がこの先どんな出来事にあってしまうのかと気になって気になって。
後半である2巻で色々なことがぶわっと起きそう。
“二人の患者の神経系におきていたのは、まさにそれだった。数週間おきに、ありえたかもしれない過去と現在(そして時には未来)が脳細胞の網の中に現れる。どこにも矛盾のない、完璧な半生。ふつうに通学もできるし、掃除も料理もベッドの支度もできる。ただ一つだけ問題があるとすれば……まわりの世界すべてが自分の記憶と食い違っているということだけ。
鉱一さんは四番目の患者で、だから医療機関の対応も最初の二人に比べれば適切だった。自殺未遂も無し、精神病院への片道切符も無かったんだから。それでもやっぱり、事が解決したわけじゃない……全身の筋力は弱まり、カルシウムは減っていく。軽い頭痛とわずかな目眩。消化器系のゆっくりとした衰弱。睡眠時間の増大傾向。免疫力の低下。それからもちろん、約十七日周期でうつり変わっていく彼の『現実』。
知里先生も周期にあわせて新しい地名や人名を学んでゆく。変化がおきるたびに同じ説明が繰り返される——ええ、たしかにここは君の住む火星基地(もしくはガリレオ衛生の田園都市、十九世紀最後の年に建てられた古い軌道エレベータ、関門海峡を越えてつながる万里の長城の一角)ですよ、ですが貴方は原因不明の難病に罹ってしばらくのあいだ治療と静養が必要なのです。ですからこの部屋から出ないように。ご心配なく、貴方のただ一人の肉親である妹さんには、きちんとこちらから説明してありますから——。先生の忍耐力は、ほとんど無限に続く。まるでトリブルのように、どこまでも。彼は鉱一さんの『世界』のほんの一部を共有する。新しい家具や生活用品を一緒に作りさえする。十七日毎の『世界』を分かっていなくても、静かに参加することはできる。”[P.165]