島田雅彦のレビュー一覧
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私の最も好きな作家の文章論であり、ゆえに読む前の期待値が大きすぎたのかもしれない。タイトルは「文章作法」であり、前半はたしかに文章作法として読めたのだが、後半に移るにつれ、内容は人生論あるいは社会批評になってしまった感がある。
思い切って、本書を人生論、もしくは社会論評として読めば、内容はそれに見合った、著者ならではの洞察にあふれた書として読むことができる。だが、「文章作法」を読みたいという動機で本書を手にした私には、いささか拍子抜けの感があった。
島田雅彦氏の小説は、かなりの数を読んだと自負しており、その中にはすばらしい佳作が多くあった。だからこそ氏の書いた「文章作法」に期待した。少しでも島田氏の文章に近いものが書けるように、せめて、自分の文章力を上げる一助とすべく、本書を手にしたのである。その結果、読み始めるときの期待値と読後の満足度の差がいささか大きくなってしまった。
人生論として、社会批評として読めば、その内容は概ね首肯できる。下手な社会評論家のコラムやブログなどより、はるかに正鵠を得ている。期待値と満足度の差は、拘泥したまま読み進めてしまった自分の責任であるかもしれない。せめてサブタイトルででも、「人生論」的な内容を彷彿とさせてほしかった。その点が、個人的には、非常に悔やまれる。
ところで島田氏の文章自体は、非常に難解とも思える内容を扱っているにもかかわらずすっと読み進めることができる。さすがに文学教授も務める氏の面目躍如といったところである。時折、やや牽強付会に思える記述もあるにはあるが、概ね島田氏の考えには共感できる。そう考えてみると、タイトルも決して方法論に偏ることなく、あくまでも「文章を書くための心構え」としての「作法」であることを理解したうえで読めば、腑に落ちる内容は全篇にちりばめられているのであり、その意味でこれはもう社会的文学論であるのかもしれない。
巻末には島田氏が、新聞記事から法律の条文まで添削している。ここを読むと、無駄をそぎ落とすことで、かえって物事は明確に、かつ分かりやすく伝え得るのだということを痛感させられる。 -
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ネタバレ実は初めての島田雅彦。特に理由はないのだけれど、今までなぜか読む機会が訪れなかった。
最初はもやもやさせられるのだけれど、途中からはエンタメ的な流れになって、ページを繰る手が止まらないくらい。
でも話が盛り上がってくるにつれ、不安も覚えはじめる。期待される話の流れに対して、残ページ数が足らない気がするのだ。大団円の長ぜりふは、おそらく作者がいちばん言いたいことだと思うのだけれど、その後の展開がなく終わるので、読後感も結局は中途半端なまま。村上龍ならここから第2巻まで話をふくらませるだろうに、トム・クランシーなら1話4巻物で大河ドラマ化するだろうに、実に惜しい(笑)
余談ながら、解説を書いている某「政治ジャーナリスト」もいただけない。何が「私の四半世紀の政治経験に照らしても、微塵たりとも違和感はない。」だ。総理大臣と官房長官が同時に訪米するということ自体に、違和感ありまくりだろ。と、ツッコミ入れてこの稿終わります。 -
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深読み、というタイトルからは想像しなかったほど、面白くて読みやすい!
これを以って文学史とするには……だけど、どのような時代の流れ(や、当時の人々の気質)が、そうした作品を生み出し、受容する土壌となってきたかという所が分かりやすい。
色好みの文学として『源氏物語』から始まった時は、全容が掴めずにいたけれど。
漱石の神経衰弱には、「写生文」を書くことでセラピーと成り得たのではないか、というくだりは、なるほどと思わされた。
態度価値の話も面白くて、なぜ『こころ』の先生は、何もしないんだ!と。それを災害時の自粛モードに重ね合わせてみる。
まぁ、もっともっと自分への罰する感情は強いのだけど。
谷崎潤一郎については、書き方酷すぎる(笑)
79歳まで生きて「老人文学」を成したことは、他の文豪を考えると異例の功績だともある。
これについては、本当にそうで、最近読んだ丸谷才一の晩年の小説を思っても、やっぱりそこまでを生きてみたいと分からないことはあるのだと思う。
息子の嫁さんは苦労したんだろうな……。
太宰治には中二病印。
でも、「絶望」をポップに扱ってみせるとか、噛みしめると甘いものだ、という言い回しが、めっちゃ分かるわー。
受験生を絶望に陥れた「トカトントン」、早く読まなきゃと思わされた。
中上健次を読んだことはないのだけど、語り部通りの話から展開される、イスラム圏の口承情報伝達システムに、懐かしさを覚える。
ネットワークが今みたいに電気信号ではなく、生身の人のコミュニティに依拠されていたこと。
いや。今でもそこでは濃密なホットラインが生きて、人と人を結びつけていて欲しい。
島田雅彦流に切り取られた日本文学史のキーワードは「多様性」。
自分が読んできた作品を、そういう視点でまとめてみることは、面白い試みだった。
『日本風景論』は読もうっと。 -
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直木賞芥川賞選考委員でもある作家島田雅彦氏、彼の独自の思想と観点による日本文学史概論。
全十章は時代順に構成され、古典『源氏物語』に見る色好みの伝統から、西鶴と近松に見る江戸文学、漱石・一葉・谷崎から迫る近代文学の深奥、太宰と安吾らの作品から感じる戦後日本の精神と文学、そして文学の未来「AI小説」までと内容は多岐に亘る。
多様な視点と膨大な知識の上に成り立つ歴史観、そして作家の感性から日本文学史を捉え直し、日本文学に通底する日本人のDNAと文学そのものの存在意義を確信に満ちた光で照らし出す新しい文学論。
私にとって日本文学は茫洋たる大海と同じである。文学史の概要を言葉の上で理解することは海の広さと形を地図で確認することと同じように難しくはないが、その実態を体感的に理解するにはその広さと深さの前にただただ立ち尽くすしかなかった。
本書はそんな大海にいくつかの島を用意し、先導者として航路を示してくれる。本書で紹介され論じられている『源氏物語』、井原西鶴、近松門左衛門、夏目漱石、樋口一葉、谷崎潤一郎、『日本風景論』、『代表的日本人』、『武士道』、『茶の本』、太宰治、坂口安吾、これらの書と文学者の著書をまずひとつの目指すべき島として日本文学「海」の航海を改めて始めてみようと思う。本書にはそれぞれの島の案内図と見所が記されているのだから。
また本書は、文学作品とはそれぞれの作家の単なる創作物ではなく、そこには日本人の価値観やその時の社会情勢、経済や歴史や精神との深い結びつきがあることを教えてくれる。文学の最奥部を見つめ、文学からしか抽出できない「人とは何か」「私達とは何か」というテーマに対する答えを導き出そうとする著者の姿勢を感じ取ることができる。
筆者の言葉では、文学とは
「権力による洗脳を免れる予防薬であり、そして、求愛の道具」であり、
「好奇心を鍛え、逆境を生き抜く力を与え」てくれるものであり、
「路傍に咲く一輪の花のように、悪人の心には情を、絶望する者には希望をもたらす」
ものだという。
日本文学の価値を再発見できる一冊である。 -
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別冊NHK100分de名著 「幸せ」について考えよう (島田 雅彦;浜 矩子;西 研;鈴木 晶)
アダムスミス、フロイトなどの過去の識者は幸福をどうとらえたのか?を総合的に解説。
まず資本主義の開祖アダム・スミス。どちらかというと自由放任のイメージがあるが、金銀財宝の量に富の源泉を見出す重商主義を否定し労働によってこそ価値が生まれるという労働価値説を展開しました。重商主義ならぬ「重人主義」。
人々に、話す力と同じくらい黙っている力があれば、世の中はもっと幸せになるだろう。──スピノザ
「幸福」について、初めてちゃんとしたかたちで語った哲学者はアリストテレス(*)です。『ニコマコス倫理学』という本のなかでアリストテレスは、人間が求める最終の目的こそ幸福。
いざ「好きに生きていいよ」ということになると、今度は何のために生きているのかわからなくなってしまう人も出てきます。十九世紀の末にニーチェ(*)が「ニヒリズム」。
自己意識つまり人間には、 ①承認されたい ②自由に生きたい という二つの欲求
「人間は絶対に承認欲求から逃れられない存在である」
「自己意識」を持とうとするがゆえに、人間は自由を求めるようになったが、自由を手に入れると同時に、孤独に苦しむことになったとも述べています。これは新フロイト派の心理学者、エーリッヒ・フロムが書いた『自由からの逃走』
他者との関係性の中にしか人間の幸せはない」
問題の根本は、自分の「心情」(心に感じたもの)がそのまま、「みんなにとってよいこと」だと素朴に思い込んでいる点にあります。自分の感ずることがほんとうに普遍性をもつだろうか、と確かめるプロセスを彼は経ていません。彼の正義は心のなかで勝手に思い込んでいるロマンティックな正義にすぎませ
「いい仕事をしている」という「評価の承認」ではなく、駄目なところも含めて、ただ「あなただから好きなのだ」と言ってくれる。これは「存在の承認」 -
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島田雅彦というと、私が現役の高校生だったころから、国語便覧に載っている偉いセンセイである。
読まねばならぬ・・・はずなのだが、なぜか食指が動かず、今まできてしまった。
初島田である。
銀行員藤原道長が、支店長の悪を暴き、せめて差し違えることができれば、と、これまでの生活から「離脱」する。
娘の彰子、妻の香子(紫式部の本名ともいわれる)、そして彼の逃亡生活を助ける熟女源倫子、といった名前を見ていくと、何か現代の貴種流離譚なのかと思ってしまうが、そう読むと、波乱万丈なシーンさえ安心して読めることになるが、一方で特権意識に満ちた、かなり胸糞悪い話になってしまう。
これは却下。
意外とグルメ小説とも読めてしまうが、やはり東京という年を神話化していく小説なのかな、と思ってもみる。
東京西部の多摩川、多摩丘陵辺りは、私にも少しなじみのある土地だけに、ちょっと懐かしい気分さえした。 -
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島田氏は結婚を勧める根拠として7つの理由を挙げているが、その中に離婚できる、というのがある。統計的には3割を超える確率で結婚は破綻していることをふまえ、結婚は決して永久就職ではなくなってきている現実を静かに指摘する。離婚を奨励しているわけではないが、いつまでもつか分からないというのが心構えでいるのが相当ということ。うまくいくときはうまくいくし、いかないときはどのように努力してもうまくいかない。そう達観するのが身のため。墓場まで一緒にいなければならないと考えるから苦しくなる。結婚をくびきとして考える必要はない。いやになったらいつでも別れればいい。そういう感覚でおれば結婚の敷居もグンと低くなる。
また、結婚できない理由を経済のせいにするのは全くの見当違い。いい例が沖縄。県民所得、失業率は全国で最下位だが、婚姻数、出生率においては全国で最も高い。結婚が多く子供もたくさん生まれている。昨今は女性が結婚相手に求める条件が三高から三低(低姿勢、低依存、低リスク)や三平(心の平穏、平均的な年収、平均的な容姿)に変貌してきてもいる。バブル期のように高望みしなくなってきている現実がある。表層的にも内実的にも結婚には、お金が重要なファクターでなくなってきている。女性が非正規労働者の男性を結婚相手としてみない傾向があるが、正社員であっても、いつリストラされるか分からない時代。結婚に対する認識は大きく変える必要がありそうだ。終章には結婚生活の楽しみ方も紹介されており、結婚への期待感を大いに高めてくれる一冊。 -
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無限カノン三部作の最後。
前二作の二人称の語りとは違い、カヲルの一人称で語られる。
命がけの恋を失った後、なんだかんだで妻子を得たがその後、商売道具である歌声を失いどん底へ。偶然にも旧友と再会し、なぜかエトロフ島に住むことになる。そこで現実離れした人々と出会い交流を深めていく中で自身も悟りの境地に至り、それまでの苦しみから解放される、失ったはずの恋によって。
正直な感想としては、この三作目は必要だったのか?と言うか、こういうカタチでしか決着できなかったのか?と思ってしまう。
恋を失った後が端折られ、妻との出会いや生活も端折られているため、歌声を失った後、何故妻子の元へ戻れなかったのかが理解できない。
エトロフ島でも若い女性に恋をし、一方で不二子のことも引きずっている。妻子が蔑ろにされている感じがちょっと受け入れ難い。 -
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美貌というのは一時の権力だという。
もし自分がもっと美人だったら、あれもうまくいくかも、これもうまくいくかも、そう思ってしまうが、実はそうとも限らないようだ。
本書の主人公、白草千春は、その美しさから自分の運命が翻弄されてしまう。
かわいそうなほどに。
義理の父との約束はおぞましいし、「壇のおじさま」は高校生の千春に後継出産を依頼する。
気持ち悪い、そんな感情が先立つ。
「壇のおじさま」は彼女を大切にしていた。
同じように、あの彼も、この彼も、彼女を愛おしい、大切だ、そう思っていたのかもしれない。
たとえそれが一瞬であって
千春は死んで、やっと自らから解放されたのだろうか。
彼女の人生を語る上で欠かせないのが親友の由里の存在だ。
千春の分身ともいえる由里は、彼女に生きる希望や世渡りの仕方を教えた。
彼女がいたから千春は大きな仕事をなしえたのかもしれない。
千春の子供、幸一と会えた時は心に響くものもあったが、一方で「ドン引き」の箇所もあった。
いくら大好きな息子でもそれは、ない......。
「好色一代女トゥデイ」はあえてこのダサさなのだろうか。
このセンスはもしかしたら女性の逞しさとそれが当たり前でありがちなものということ、男性の包容力と愚かさを象徴しているのかもしれない。
垢抜けないのが、男女の色恋というものだから。