阿部謹也のレビュー一覧
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ネタバレ事件を追うということで、当然事件のことだけでなく背景として当時の社会などを事細かく書いている。そのため地名など固有名詞が多くでてくるのでドイツに馴染みがありそれら名詞からマップなどをイメージできる人でないと理解が難しい。地図なども記載されているがすべてではないのでそこから想像するのも慣れてる人でないと中々に困難である。
結局犯人は誰なのかはわからない。資料が不足しているため答えはでないが、少なくとも実際にあった事件であるといってよい、といったところだろうか。植民説なども紹介されるが無理があるそう。この事件のことだけでなく、この事件に関わる研究史の本である。 -
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ネタバレこの本では、日本とヨーロッパの近代化の過程における個人と社会の関係について比較分析しています。日本には個人という概念がなく、世間という集団の中で生きる人々が多いという主張をしています。ヨーロッパでは、キリスト教や贈与慣行の変化によって、個人が敬意をもって遇される公共性が生まれたというのです。この本はとても興味深いですが、難しい言葉や考え方もたくさん出てきますね。私はこの本を読む前に、ウェブ検索をして、雪舟やミシェル・フーコーという人物について調べました。雪舟は室町時代の水墨画家で、中国に渡って山水画を学びました。彼は自画像というジャンルを日本に初めて持ち込んだ人物です。ミシェル・フーコーはフラ
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カロリング朝から現代にいたるまでのドイツの歴史を解説している本です。
中世ヨーロッパ史の研究者であり、日本史研究の網野善彦とともにわが国における社会史的な観点からの研究を牽引したことで知られています。本書は、ドイツの歴史の全体像をえがき出すことをねらいとしており、文化史について触れられているところがありますが、社会史との結びつきについての言及があるところに、本書の特色が見られるように感じます。
また、本書のサブタイトルになっている「ドイツ的とは何か」という問いかけについては、最終章で現代のドイツが直面している難民問題に言及しながら、考察のいとぐちが示されています。著者は、いわゆる賤民と呼ば -
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ゲルマン社会における活力のある亡者が、いかに哀れな亡者に変わっていったか。
学術文庫なので内容はやや難解ですが、簡潔な文章と整然とした論理、多数の具体的なエピソードにより、比較的分かりやすいと思いました。
エッダ、サガに出てくる死者は、死してなお領地を得ようとしたりと生者を脅かします。たくましくて読んでいて怖かったです。
支配者はキリスト教による国家安定を図ったが、民衆はまだゲルマン古来の信仰も持っていた。
本書では、司祭のハンドブックとして中世に普及した「贖罪規定書」の内容を事細かに紹介してくれています。贖罪規定書では、異教の信仰は禁止事項として挙がっています。禁止事項を見ると、ゲルマン古 -
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世間ってなんだろう。
その実態はかなり狭く、社会と等値できるものではない。
ヨーロッパの場合には、中世以来諸学の根底に共通の哲学と神学がある。わか国はそういう基盤がないのに明治以降共通の世界観を基にして生まれた西欧流の学問形式が用いられている。形だけの模倣は、一般の人々の意識から程遠いものだったそうである。
兼行、親鸞、西鶴、漱石、荷風、光晴をたどって世間を読む。
ちょうど、それからをよんだとこだったのでタイムリー。解説みたいなものだから本文を知ってた方がわかりやすいと感じた。個人が日本の社会と世間の中でいかに生きていくかという問いに答えようとした1つの試みだったそうである。
門の宗助 -
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学問研究の場も含めて、日本社会のありようを大きく規定している「世間」という思考と行動の枠組みについて考察している本です。
本書では、兼好法師や親鸞、井原西鶴などのテクストを通じて、日本社会における「世間」という枠組みがどのようにして形成され、またこれらの人びとが「世間」に対してどのように向きあってきたのかということを論じています。そのうえで、夏目漱石や永井荷風、井上光晴といった近代以降の作家たちを例にとりあげ、西洋近代の文明と学問を導入した日本に生きる彼らが、なおも人びとの考え方を規定しつづけてきた「世間」ととヨーロッパ文化との矛盾のはざまで格闘してきたことが明らかにされています。
本書を -
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読んでいたつもりで読んでなかった。ほとんどは前著「「世間」とは何か」を補完する内容で再放送の感は否めない。前著未読の方は、そちらを先に読まれることをお勧めする。
「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状態」
「教養があるということは、最終的にはこのような「世間」の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいう」
組織におけるポジショニングだけでなく、世間、社会の中で自身がどういう位置にあるか。差別的な物言いではなく、