【感想・ネタバレ】「教養」とは何かのレビュー

あらすじ

自己の完成を願う、教養観を覆す画期的論考。哲学のすべてを修め、最後に靴直しの仕事につく――江戸時代や西洋中世の学問のあり方、公共性と「世間」の歴史的洞察から、集団の中で生きる教養の可能性を探る。(講談社現代新書)

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Posted by ブクログ

教養といういかにもな翻訳語を西欧の歴史的観点を踏まえて解説した本である。

筆者は結論として、教養のある人を、「世間」における立ち位置を把握し、その中で何ができるか知っている、あるいは知ろうとしている状態と定義している。

日本では明治以降に生まれたとされる、"個としての自分"に向き合うこと、そこから"どう生きるか"を考えるようになる。

そして時に排他的な集団にもなり得る"世間"で何ができるか?どうすれば良くなるか?を考え、知ることこそ教養であるとしている。

令和ではインターネットが当たり前となり、情報やコミュニティがほぼ民主化されている。

そんな今日において大小問わず開かれた"世間"は、多くの選択肢を与えてくれるからこそ、選択の自由に苦しめられないよう、自分自身で決断することもある種の教養ではないかと思いました。

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2020年12月29日

Posted by ブクログ

『「世間」とは何か』(1995年、講談社現代新書)の続編です。

本書では、西洋史における「教養」の形成過程が比較的ていねいにたどられ、そこでは個人の完成が目標とされていたことが明らかにされています。ここで著者は、「教養」とは「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」だと定義し、「世間」との対峙のありかたによって「教養」を理解しています。その一方で、フンボルトに代表される「リベラル・アーツ」の理念が国家による統制に絡めとられてしまう可能性があることを指摘します。ここには、日本の「大正教養主義」に代表される教養が、もっぱら「世間」と対峙することをそのうちに組み込んでいないことに対する著者の批判的な見方を読み取ることができるように思われます。

後半は『アイルランド・サガ』の物語が紹介され、そこに見られる「名誉」のとらえかたについての考察を通して、社会のなかで自己を位置づけつつも社会と対峙する、もうひとつのありかたが見られることが論じられます。そのうえで著者は、こうしたヨーロッパの伝統的な「世間」のありようと、日本における「世間」のありようを対照的に見ようとしています。

ここで著者は「人間関係の古層」といういいかたをしており、あるいは丸山眞男の議論が念頭にあったのかもしれません。そして丸山のばあいと同様、本書においても著者の問題意識の深さに感銘をおぼえる一方で、問題に対する明瞭な処方箋が示されていないことに苛立ちをおぼえる読者もいるかもしれません。しかしながら、手っ取り早い解決策を性急に求めるよりも、本書の提出している問題をみずから考え掘り下げることのほうがよほど重要ではないかと考えます。

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2019年09月21日

Posted by ブクログ

世間の延長にある、集団の「教養」。 その社会(というか世間)に最適化しながらそれぞれが「どう生きるべきか」を身につけていくという生き方。 この二、三世紀で忘れられたもの。 一方で、個人の自己実現のための「教養」ばかりに目が向けられている現代。 特に、西洋とは異なる公の概念(セミパブリック!!)を秘めている日本においては、文字や学問の延長線上にはない「教養」を再考しなければならない。 来たるAIの時代、「リベラルアーツが大事なのだよ」と、偉い人の言葉を拠り所に、無思考の人間性にすがりく私達に問いかける。

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2019年06月30日

Posted by ブクログ

学生時代に読んだ本の読み返し。

「教養がある」というと、一般的には「知識が豊富である」とか「ロジカルである」というイメージがある。マズローの欲求階層でいう「自己実現欲求」を充足させるための要素の1でもあると言えるだろう。

しかし筆者は「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」を「教養がある」と定義している。また「「世間」の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人」が「教養のある人」とし、「「世間」の中では個人一人の完成はあり得ない」と主張している。

つまり、自分だけで教養を完結させることはできない、ということだ。たしかに、ある人の教養の有無は他者が評価することであり、その意味では筆者の言う通りである。しかし一方で、他者が教養の有無を評価するためには、まずは自身が自らの努力で知識を身につけることが必要である。自分だけでは完結しないが、日々の勉学無しには決して教養は身に付かない。これが筆者の言いたかったことではないか。

なお、本書で紹介されている「吉茂遺訓」の「掛け軸の文句を少し覚えたくらいで気位が高くなり、家族はもちろん、他人まで見下し、人の道を踏みはずしてしまう人間になることがある」という話には胸を突かれた。大学教員としてある程度の年数は経っているが、まだまだ「掛け軸の文句を少し覚えた」程度に過ぎないことを肝に銘じておくべきだろう。

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2018年06月10日

Posted by ブクログ

教養を扱った本を読むのは久しぶり。

しかし予想に反し、教養についての記述は全体の半分ほど。
多くは日本が持つ特殊な「世間」という社会構造について。

西洋の「近代的個人」や中世アイスランドの「世間」によく似た特徴などを紹介している。
結局、教養って何だったんだろ。

しかし、色々なことが載ってて面白かった。
難易度は、内田樹の難しい本くらい。
なんとか読める程度。

有名な本らしいし、そこまで重くないので、とりあえず読んでみることオススメ。
1日あれば読める。

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2011年07月19日

Posted by ブクログ

『「世間」とは何か』の続編。
日本人が教養を大事にする世代を広範囲に持っていたから、経済発展することができたのか。
そうすると将来の日本は危うい。

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2009年10月04日

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教養人とは世間の中で、制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人。世間の中で自分の役割をもたねばならない。教養とは個人単位で、自己の完成を目指すものではない。p.180

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2024年05月08日

Posted by ブクログ

「世間」という集団の中で、いかに生きるべきかについて論考した本。

教養とは、社会における自分の立ち位置を知ること。教養ある人とは、自分の生き方を通して周囲の人々に変化を働きかけていくことができる人。

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2020年08月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

かなり理解することが難しかったという印象でした。個人の教養ではなく、世間の教養が高まったときよい社会が訪れるということが印象的でした。ただ勉強して知識を身につけるだけが教養ではないし、ほんとうの教養とは何か、教養学部に通う者として考えられました。僕は教養とは、想像力や心の引き出しが多い人や、いろんな困難を乗り越える勇気がある人かなと思います。自分はまだまだ教養が足りないので、とにかくいろんなチャレンジをしたり、本を読んだり、議論して、教養を高めたいなと思います。

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2020年07月02日

Posted by ブクログ

読んでいたつもりで読んでなかった。ほとんどは前著「「世間」とは何か」を補完する内容で再放送の感は否めない。前著未読の方は、そちらを先に読まれることをお勧めする。
「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状態」
「教養があるということは、最終的にはこのような「世間」の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいう」
組織におけるポジショニングだけでなく、世間、社会の中で自身がどういう位置にあるか。差別的な物言いではなく、自覚なんだろう。

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2019年09月14日

Posted by ブクログ

むかーし買って、教養話のではなく世間の話をし続けることについていけなくなり挫折。なんとなく気分で第3章のアイスランドサガから読んだら、まぁ面白いではないか。
新書っていつも後半疲れちゃうんだけどもこの読み方いいのかも。

けっきょく世間の話に尽きて、教養ある人って世間を認識して自分の立場相手の立場をわかって上手にやりくりする人できる人だよってことなんだ。なるほど。
このタイトルである必要はないな。
ないけどおもしろき本であると思います。

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2017年06月15日

Posted by ブクログ

教養人は集団の中でしか存在しない。
それは、アイスランドサガから読み取れる。

???
アイスランドサガの話を随分繰り返すなぁと思っていたら、この結論のためだったのか。
だから、自分はこの辺りから話についていけなくなったんだ…

いつかまた再挑戦。

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2016年07月02日

Posted by ブクログ

教養がある人とは、単に多くの知識を持っている人のことではない。それでは、コンピューターと変わらない。

社会における自分の立場を理解し、社会に対して自分が何をできるのかを理解している、もしくはそれを知ろうと学ぶ姿勢を持っている人が、真に教養のある人といえる。

教養は個人で身につくものではない。世間(個人と対比される形で本書のなかでは使用されている)を通して、教養のある人間は形成されてくる。

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2011年08月17日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
哲学のすべてを修めた後、靴直しや陶工として働く―西欧中世の知恵のあり方や公共性と「世間」の歴史的洞察から、誰もが身につけうる教養の可能性をさぐる。

[ 目次 ]
序章 建前と本音
第1章 公共性としての「世間」
第2章 「世間」の中でいかに生きるか
第3章 個人のいない社会
終章 「世間」と教養

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年11月21日

Posted by ブクログ

教養とは本来、いかに生きるべきかという問いに対して個人が答えようとするところで始まったものであった。なるほど。

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2009年10月07日

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