阿部謹也のレビュー一覧
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ネタバレ”ソーシャル”、”世間”、”空気”などのワードを漁っていたところ、この教科書にも掲載されているような阿部さんの「世間」とは何かに行き着いた。
本書は古典的な書籍から「世間」に関する記述を引用し、その時代時代に応じての「世間」とは何かを客観的に捉えようとした大変興味深い内容だった。
個人的な興味としては歴史的な内容(古典系)は少し省き、明治以降(特に漱石)を中心に読んでみた。
前の鴻上さんの書籍でも指摘がされていたのだが、
社会=Societyには前提として個人=Individualがあるという点があったのだが、日本の場合、組織・社会という単位がメインなので、なかなか社会の定義が難しいという点は興味深かった。
複雑系の社会とはいえ、構成要因は昔も今も変わらず、私たち人間であるために、こういった書籍は時系列を経てもなお色あせることなく、その時代に応じて新たな側面で切り開けることもある。
社会と世間では社会学の分野ではあるが、この境界については様々な分野、またアニメなどでもテーマとして取り上げられることがあるので、一読する価値はあるのではないだろうか。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
ヨーロッパ連合が結成され、国境線が事実上の意味を失いつつある現在、その進捗はドイツにどのような変化をもたらすのだろうか。
ドイツの誕生から今日にいたる歴史に、「ドイツ的」とは何かを思索する。
[ 目次 ]
ドイツ史の始まり
叙任権闘争の時代
個人の誕生
神聖ローマ帝国
中世末期の苦悩
宗教改革の波
一五・一六世紀の文化と社会
領邦国家の時代
三十年戦争の結末
ゲーテの時代〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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[ 内容 ]
哲学のすべてを修めた後、靴直しや陶工として働く―西欧中世の知恵のあり方や公共性と「世間」の歴史的洞察から、誰もが身につけうる教養の可能性をさぐる。
[ 目次 ]
序章 建前と本音
第1章 公共性としての「世間」
第2章 「世間」の中でいかに生きるか
第3章 個人のいない社会
終章 「世間」と教養
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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[ 内容 ]
古来から、日本人の生き方を支配してきた「世間」という枠組。
兼好、西鶴、漱石らが描こうとしたその本質とは。
西洋の「社会」と「個人」を追究してきた歴史家の視点から問い直す。
[ 目次 ]
第1章 「世間」はどのように捉えられてきたのか
第2章 隠者兼好の「世間」
第3章 真宗教団における「世間」―親鸞とその弟子達
第4章 「色」と「金」の世の中―西鶴への視座
第5章 なぜ漱石は読み継がれてきたのか―明治以降の「世間」と「個人」
第6章 荷風と光晴のヨーロッパ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
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<本の紹介>
古来から、日本人の生き方を支配してきた「世間」という枠組。兼好、西鶴、漱石らが描こうとしたその本質とは。西洋の「社会」と「個人」を追究してきた歴史家の視点から問い直す。
「世間」とか「社会」とかって言葉の違いをあんまり意識したことはなかった。
でも、話し言葉では「渡る世間に」とか「世間は狭いね」とか、「世間」を使うことが多いように感じる。
逆に、「社会」って言葉は文字として見ることが多い気が。教科書とか、新聞とか。
おもしろいなーと思いました。
自分を日本人の代表だとは思わないけど、日本に生まれてずっと日本に住んできて、やっぱ見える範囲は大きい社会じゃない。もっと狭い、自分と関わりのある人たちの範囲を自分の社会として見てるんだろうなって思いました。
多分、それぞれの人たちのその範囲を「世間」って言って大きくずれてないと思うし、自分が今までに大事にしてきた人たちも、これから大事にしていきたい人たちも、この「世間」の中に入る人たちだったりする。
本の中では、同じ電車に乗ってる人でも自分と関わりのない人に迷惑がかかってもそこまで気が回らない人も、自分と一緒に乗ってる人に同じことされると気分を害したりして、そこに境界線があるんじゃないかって書き方をしてて、「たしかに」とか思っちゃいました。
その「自分の世間」の範囲を広げていければって思ってもいるし、年々広がっていってるような気もするけど、だからと言って世界中の人たちとつながろうとまでは思ってない。そこまで大きな社会で生きているわけじゃない。
ただ、世界の人たちは「6次の隔たり」でつながっているわけだから、自分が自分の周りにいる人たちと楽しく笑って過ごしていくことを続けていければ、それを受け取った誰かがまた他の誰かにつなげていければ、いつか世界の裏側の人にも届くんだ。だから、自分の世間を大事にしていこう、と改めて思いました。
あと、日本特有の文化として、こんなこともあるんだそうです。
・世間を騒がせたことをお詫びしたい、という言葉は
英語やドイツ語に翻訳することができない。
・宝くじにあたると日本では世間をはばかって隠したりするが、
アメリカでは新聞に堂々と顔写真がでる。
個人的には、そんな日本の文化の方が好きです。
周りにいる人たちのおかげで、自分も活きる。
自分がいることで、周りにいる人たちが活きていく。
自分が今いるのは、両親はもちろんたくさんの人たちのお世話になってきたからだ。
だから、その人たちに自分にできるだけのことを返せる人になりたいです。
そして、もらった分は自分たちだけのものにせず、自分の同世代や後輩たちに確かにつないでいけるといいなと思います。
この本が明らかにしたかったことは全然違うのかもしれないけど、周りの人たちの存在とか、その人たちとの付き合い方について考えるいいきっかけになった本でした。 -
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ドイツをまとめるのは大変だなあ・・・と思ったのが一番の感想です。
私の読解力を棚に上げて言えば、なんか内容がまとまってないような。
そもそもドイツ自体がまとまった国家として日が浅いのからかもしれません。
みなさんも知っての通りドイツの原型は9世紀前半のカール大帝死後、その子供たちによって行われたヴェルダン条約およびメルセン条約によるフランク王国分割により形成された東フランク王国です。
まあ実質的なスタートは962年オットーの戴冠による神聖ローマ帝国成立と考えていいでしょう。
しかしこの帝国は諸侯や都市の力が強く、帝国内の半独立国としてときに皇帝に刃を向けます。
宗教でもルター以後北部のプロテスタントと南部のカトリックと16世紀を中心に争い続けます。
だいたい、ドイツ史を描くならば中世末から近代まではハプスブルク家を中心にせざるを得ませんが、ハプスブルク家の領土は今のオーストリア、ドイツではありません。
現ドイツの形を完成させたのは東方に興ったプロイセンであり、17世紀頃から力をつけ始め、あれよという間にオーストリアと比肩するようになり、1871年にオーストリアをのけ者にしてついにドイツ帝国をまとめてしまいます。
第二次大戦後東西ドイツに分かれていたことは書くまでもありません。
極論を言えばドイツという地域は歴史的に統一性がないのです。ですから地域史として描けても一国史として新書でコンパクトにまとめるのは無理があるのではなかったのではないでしょうか。それこそ山川の歴史大系ほどの分量が必要となってしまいます。
あと著者が中世史家ということもありますが、中世に関する内容が細かすぎるのも気になります。その所為か、近世までは比較的文化や心性なども取り上げていたのが、ナポレオン戦争以後の内容が政治史中心の簡略された事象の羅列になってしまった感があります。ビスマルクについては比較的多く取り上げられていましたが、ヴィルヘルム2世やヴァイマール体制、ヒトラーなどについてはもう少し詳しく書いてほしかった気がします。
しかし、この本を読んで考えさせられたのは、阿部先生はこのほんのテーマの一つに世俗の権威や法律が適用されないアジールという空間をとらえてますが、その伝統が中世都市などで適用されていたこと、大陸国のドイツはそのためいろんな民族が国内に入ってきたこと、その伝統が今でも生きていること。
日本は難民受け入れが厳しいと非難されますが、このような伝統を持つヨーロッパと単純に比較できるのかということです。
日本にもアジールは存在しますが、その対象はあくまで同民族です。日本には他民族が自分たちの周りで普通に生活するということは想像にもありませんでした(渡来人などは一過性のものでしかもすぐに同化する)。
ローマの万民法も他民族との共生が前提にないと成立し得ないように、ヨーロッパには他民族との共生というのが通常の状態という時代が1000年以上続いているわけで、日本と思考が全く違います。
もはや国際化した世界における日本の立場として難民受け入れを積極的にしなければならないのは言を俟ちませんが、単純にヨーロッパと比較してどうこうというのはちょっと短絡的かなと思うわけです。受け入れを広げるにしろ狭めるにしろ歴史的な日本の民族性というのも考慮の一つに入れないといけないと思います。
「歴史とは過去と現代の相対化である」とはE.H.カーの言葉ですが、現代を見るには過去を知ることが欠かせないことを改めて感じました。