鈴木大介のレビュー一覧
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傑作
77歳で末期がんによりこの世を去った父は亡くなる直前にネット右翼になっていた。
父の使う韓国中国人やマスメディア、シングルマザーなどの貧困層へのヘイトスピーチやスラングに心を痛めていた著者は父と最期まで本音で語り合えずに今生の別れを迎えてしまった。
好奇心旺盛で流行り物に飛びつくのでなく「自分で考え自分で選べ」が信条だった父がなぜ老後ネトウヨになってしまったのか、を仮説を立て親族や地域コミュニティの人々に話を聞き検証して、また推論していくノンフィクションストーリー。
その果てに待っていたのは著者自身のネット右翼への憎悪と過敏すぎるアレルギー反応による父への誤解、父の一部の言動に過剰に反応し、父をネット右翼と断定してしまった著者自身の過ち、そしてそれを認めたからこそ邂逅される等身大の父の姿だった。
年末年始、久々に実家に帰ったら親が陰謀論や極左、ネトウヨのようになっていたと感じた人にはぜひ一読いただきたいです。
著者は父との分断を生前に解消できなかったことを非常に悔やんでおりました。
解消できる分断とできない分断の分類わけまで書かれている著作ですので、ぜひ大切な人の受け入れ難い思想や言動を見て見ぬ振りしていつのまにか手遅れになる前に、解消できる分断は解消を試みるのはいかがでしょうか? -
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『老人喰い』は特殊詐欺に関するノンフィクション…らしいが取材を元にフィクション化されている不思議な本。
この本に登場する特殊詐欺グループのメンバーはほぼ20代の若者。詐欺グループに入るきっかけは様々だが、彼らは「新人研修」で古参メンバーからある洗脳教育を施される。いわく、若者は経済的弱者、詐欺の対象である高齢者は経済的強者。弱者が強者から奪うことに良心の呵責を覚える必要はない。「老人こそ日本のガンだ」云々。
詐欺の対象となるのは資産がある、過去に詐欺被害に遭っている、単身である、親族と疎遠である等の属性の高齢者たち。詐欺メンバーは金を持っている高齢者からのみ奪っていることを免罪符にしているが、そもそも金を持っていない高齢者を詐欺にかけたところで支払えないのだからこの大義名分はおかしい。 -
Posted by ブクログ
リアル本にて。
引退後ネット右翼特有のスラングを口にするようになった父親に対して、逝去したあとになぜ父がそのような行動を取るようになったのかを、家族・友人等へのヒアリングをもとに考察したルポ。
政治的な主張に伴う分断を感じる機会が増えている昨今、イデオロギーの異なる家族と家族で居続けるためのヒントのようなものを求めて、この本を手に取った。
本書で紹介している対策自体は、取り立てて真新しいものではないかもしれない。認知バイアスを取り除いた上で、相手をできるだけ具体的に客観的に把握し、差分だけでなく共通点にも注目しよう、ということで、ともすればアンコン研修で説明される内容に近い。ただ、著者ご本人が相手が逝去してしまってるがゆえにどうあがいてもわかりあえないことを強く悔恨なさっていることと、イデオロギーの違いで家族が分断するなんてくだらないと言い切っていることに、少なからず心が動かされた。
自分はイデオロギーについての議論に疎く、ともすれば「右か左か」のようなカテゴライズをしてしまいがちだが、「ネット右翼」と総称される集団が主張する政治施策につても、本来は独立した多数のテーマがあり、シンボル化された「ネット右翼」と完全な意味で同じ主張の個人は存在しないのだろう。それを「ネット右翼」とひとくくりにしてしまうことで、本来そこに存在しなかった分断を勝手に創ってしまう。。。今自分は小さな子供が3人おり、妻とは全力で力を合わせないと生活が成り立たないので、イデオロギーを理由に妻と対立している余裕なんてない。ただもし自分達に子供がいなかったら?子供たちが独立して、思う存分議論できる時間ができたら?ゾッとする。将来万が一にもそんな世界線に立たないように、安易なカテゴライズを避け、主張の背景を聞き、なによりイデオロギーの分断ごときに負けない繋がりを育んでいきたい。 -
Posted by ブクログ
手にとる前は、親子なのかと思ったが、違った。患者と主治医なのかと思ったが、これも違った。
鈴木大介氏はルポライター、41歳で脳梗塞を発症、高次脳機能障害をもつ。鈴木匡子氏は高次脳機能障害の専門医。ふたりの対談で構成されている。
病巣は右半球、頭頂葉と前頭葉にかけての一帯。顕在化した障害は、作業記憶の低下、注意障害、談話障害、感情障害など。なんといっても本書の読みどころは、当事者のなまの声、いわく言い難い、どうにも表現しようのない、もどかしい障害の状態が表現されている点。しかも、言おうとしていたことがすぐに霧散してゆく。
医者も、研究者も、リハビリのスタッフも、ふつうは概念や外から見た病態から入ってゆく。それゆえ、本書のように内から見た病態の詳細は貴重。とくに当事者の身になって考える上では重要。 -
Posted by ブクログ
「真の弱者は救いたい形をしていない」とはどういう事かの詳細解説みたいな本。
本文にもあったが、知性や精神に重い障害を持つ人と関わった事の無い層には到底信じられない世界だしにわかには受け入れ難い内容だと思う。
知的ボーダーや精神疾患持ちの方と深く関わった事がありそれなりに理解がある方だと自負している私は「分かるー!」の気持ち良さと、あまりの深淵の深さに「ぇえ…」の困惑の連続で感情の交互浴が凄かった。
特に、
『彼女らは本当に、救いようがないほどに、面倒くさくて可愛らしくないのだ』
の部分は、あまりに実感として“理解る(わかる)”ので唸ってしまった。
目を背けたくなるけど現実ですね。 -
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私は子供の頃から「日本に生まれただけで幸せ」と言われてきた。
それは疑いもなく事実だと思う。
しかしながら、その幸福が誰にでも平等に享受できるものではないのだと、強く全ての日本人に理解してもらいたい。
多くの人がセックスワーク(性風俗や違法の売春まで)を行う人を、「楽して稼ごうとしている」とか「自分を安売りしている」などと忌避するだろう。
たしかに、本書でもそう言った気軽な思いで参入する一般女性も描かれる。
しかし、彼らは「貧困」でさえない。
「貧乏」と「貧困」は異なるのだ。
さらには本書で定義する「最貧困」とは、存在さえ不可視化され、ほぼ全ての日本人が知りもしない、想像もできないほどの、目を背けたくなるような絶望を生きている。
援デリ(非合法売春の業態の一つ)の少女たちは何歳からいるかわかるだろうか。
代々先輩が後輩を売る中学校があるなど、想像できるだろうか。
彼らの単価は?
なぜ彼らが部分麻酔を持ち歩くのか?
なぜ彼らは普通のバイトやせめて夜職をしないのか?
ある少女は「じゃんけんでチョキ出されたら負けますね」と笑う。親に折られて、拳を握れないのだ。
2人の子供と一緒にいたい母親は、公的書類が読めず、福祉支援が申請できない。
カップル援デリをする少女は、会話もままならず、「あ、はい」程度しか回答できない。
ある買春少女は長い会話に集中できず、ちょっとした事で相手を殴ってしまう。
彼らに自己責任だと言えるだろうか。
誰にでも煩わしい行政手続きや面談を経て、生活保護等福祉保護を受けられるだろうか。
彼らは公的医療保険制度も理解していない。
私自身、人に理解しづらい病気で休んだことがある。
1人で抱えてはいけないそうだ。
ならば、どうしたらいい?
日本に生まれて幸せ。
そう言えると言うことで、やっと幸せなのだ。 -
Posted by ブクログ
おもしろくて一気に読んだ。
著者の鈴木大介が高次脳機能障害になり、生活に多くの困難を抱えたからこそ、発達障害特性のある妻の大変さに初めて気づく。当事者にならないとわからないこと、見えない景色は確かにある。
著者のえらいところは、定型発達者であった頃の自分が、妻に精神的DVを行ってきたのだと自覚し、反省していること。そして、中途障害者となった今、お互いのできることできないことを理解して、想像力を働かせて、少しずつ家事を協働して、より良いパートナーシップを築けるようになったこと。
片付けられない、未来を考えられない、話が通じないなどなどは、努力が足りないのではなく、本当に不可能に近いということ。これがなかなか外から見ただけではわかりづらい。どうしても定型発達者は、自分の常識に当てはめて相手を非難してしまう。
夫が発達障害の妻の、カサンドラ症候群の本はいろいろあるが、定型発達男子が、発達系女子とのパートナーシップについてガチで考えた本は珍しい。実際に役立つすごく価値のある1冊です。 -
Posted by ブクログ
「最貧困女子」を代表作とするルポライターの著者が、40を過ぎた頃に脳梗塞になり、リハビリを通じて、自身の症状が自分が取材対象としてきた若者たちと似ていたことから、様々な仮説を立てつつ、リハビリをしながら自分を見つめ直す闘病記となっている。
発達障害と脳機能障害の類似点を当事者として体感しているのは、医学的な根拠は示していないものの、肌感で正しいと思う。以前読んだ「ケーキの切れない非行少年たち」も、それを示唆していたような気がする。
発達障害を持つ子どもへの教育という観点からしても、この気付きは興味深い。
奥様も発達障害ということだが、愛に溢れており、微笑ましい(苦労も多いので軽々しくは言えないのかもしれないが)。
自分の周囲にも高次脳機能障害者がいて、支援している。
何かあったときの人間関係の構築について著者は言及しているが、まさにそのとおりだと思う。 -
Posted by ブクログ
まえがき
・人は低所得に加えて「三つ無縁」「三つの障害」から貧困に陥ると考えている
「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」「精神障害・発達障害・知的障害」
・世の中には、こうした分類・分析・論証や議論から外れたところで、目も当てられないような貧困の地獄の中でもがいている女性、そして未成年の女性達がいる。セックスワーク(売春や性風俗産業)の中に埋没する「最貧困女子」。それが僕が見てきた最も悲惨な風景だった。
・彼女らは貧困問題の議論から除外されてきたとしか思えないばかりか、常に差別と無理解と糾弾の対象だった。
なぜなら彼女らの貧困、抱えた苦しみや痛みは、「可視化されていない」のだ。
・見えづらい、分かりづらい、面倒くさい、そんな「最貧困女子」を、忘れないでほしい。見捨てないでほしい。
彼女らの抱えた不可視の痛みと苦しみを、この本では可視化してみたいと思う。
第一章貧困女子とプア充女子
第二章貧困女子と最貧困女子の違い
第三章最貧困女子と売春ワーク
第四章最貧困少女の可視化
第五章彼女らの求めるもの
総括
・女性の低所得層が増えるほどに、低所得と貧困の境界が分かりづらくなり、その中でも特にセックスワークの中にある貧困女性が一層不可視状態に陥ってしまう「最貧困女子・少女」にとって、セックスワークには吸引力がある。
セックスワーカーを「ワーク系」「サバイブ系」「財布系」で分類することを提案し、生きるためにセックスワークに就かざるを得ない多くが合法的でない違法な売春ワーク周辺に偏在する傾向を描いた。
簡単な解決策など示しようがないが、まず小学生時代の居場所ケアによって、「売春ワークへ吸引する地域の縁」を絶つこと、家で状態の少女らには親和性の高いシェルターづくりの必要性がある。18歳以上の最貧困女子については、セックスワークそのものに正常化・社会化が必要だと提言した。
格差社会の中でセックスワークに一般の女性が参入する機会が増えている。様々なステージで議論を始めてほしいのだ。
まず第一歩は、それがどれほど直視に耐えないようなものであっても、彼女らの置かれた現実を知ることからだ。
最も救わなければならない女性が、差別や批判の対象となるような、そんな残酷な連鎖だけはもう断ち切ってほしい。そう願ってやまない。
あとがき
世の中で、最も残酷なことはなんだろうか?
それは、大きな痛みや苦しみを抱えた人間に対して、誰も振り返らず誰も助けないことだと思う。
道端で倒れて七転八倒している女性がいれば、、多くの人が手を差し伸べるだろう。
だが、その女性が脂汗を拭きながらも平然を装っていたら?声をかけても「大丈夫ですから」と遮ってきたら?
助けてくださいと言える人と言えない人、助けたくなるような見た目の人とそうでない人、抱えている痛みは同じでも、後者の痛みは放置される。これが、最大の残酷だと僕は思う。
現代の日本ではこうした最悪の残酷が広がりつつある。格差社会、特に貧困が単身世帯の女性や、ひとり親(シングルマザー)に集中しているという報道は、だがそんな中、その貧困や抱えた痛みが「不可視化」され、それどころか差別や批判の対象とすらなってしまう女性や未成年の少女らがいること、それがセックスワーク(売春・性風俗)周辺に集中していることを本書では描いた。
本音を言えば僕の心情は、もう限界だ。
あれ?これ放っておいたらまずいんじゃない?そんなことを少しでも思ってくださる読者が入れば幸甚だ。
心情面だけではなく、実際問題は深刻だ。
ひとつだけ言えるのは、男は子供を産めないということだ。今日本は少子高齢化の中、圧倒的な生産人口不足・労働力不足の時代を眼前に控えている。にも関わらず、福祉といえば高齢者の介護福祉。子供や女性への福祉は軽視されたままだ。
生産人口の減少は、国力の衰退にほかならない。むしろ日本の男性は頭を下げて女性に「産んでくださいお願いします」とお願いするような状況にあるのに、そもそものその貧困状態が可視化されていないことに、大きな危機感を抱きはしないだろうか?
本書を読むことはとても重苦しいですし、本書からさらに想像していくことは神経が持たないです。
セックスワーカーはAV出演者も含めて、すっかりと日本女性のごく普通の当たり前になっているようです。
日本人AVは世界中でとても人気があり、日本人女性たちはとても性的に卑猥な尊厳のない軽い女性として世界中で定着し見られているようです。
しかも昔とは違い映像で日本人女性の卑猥な姿が、世界中の人々達に今後何千年間も晒し者にされることになってしまうのにも関わらず。
そうした規模とかを考えれば、こんなにも女性が卑猥で軽くて情けがなくなってしまった国、民族は地球の歴史上どこを探しても過去に遡ってみたとしても、現代の日本以外では他には例がないはずです。
とても深刻な取り返しがつかないのではないのかと思ってしまいます。
日本人女性たちのことをそうやって晒し者にさせて平気でいる日本人のことは世界中ですっかりと蔑みと笑い者になっています。 -
購入済み
考えさせられた。
考えさせられました。自堕落に見える彼ら、彼女らの背景にそんなことがあるんだと、それはまたとてつもなく理不尽で悲しいことなのだと。今、50歳後半になってちょっとだけ世の中が分かってきた気がしていましたが、まだまだ至らないことに気が付きました。
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Posted by ブクログ
少し前に、「風呂キャンセル界隈」という言葉が話題になった。「あぁ、面倒くさくて入れないとき、あるよね」。そう笑いを持って受け止めた人も多いだろう。しかし、それを笑えない人たちがいる。本気で風呂に入れないのだ。入りたくないわけではない。入らないといけないこともわかっている。でも入れない。どういうことか。
うつ病を始めとする精神疾患の兆候としてよく挙げられるのが、入浴の困難である。健常者でも夜遅くにクタクタになって帰宅し、「もういいや、風呂は明日の朝入ろう」と考えて、そのまま寝てしまう経験はあるだろう。うつ病になると、朝起きた瞬間その状態からスタートする。謎の疲労と倦怠感。十分に寝ているはずなのに疲れが取れず、体が鉛のように重い。歯を磨く、服を着替える、髭を剃る……日常生活にさまざまな支障が出始めるが、いちばん顕著に現れるのが風呂である。
これは医学的には「易疲労性」と呼ばれるが、本書では「脳性疲労」という言い方をしている。脳が疲れた状態、脳の処理能力が低下している状態、つまり体じゃなくて脳が不自由な状態。この「不自由な脳」がいかに貧困と結びつきやすいか。それが本書のテーマである。
「不自由な脳」は、なかなか一般には理解されにくい。著者はもともと貧困層や生活困窮者を取材してきたルポライターである。その中で、彼らには共通した特徴があることに気づいていた。時間を守らない、計画性がない、約束を破る、危機的状況なのに何もしない。なぜこんなにもだらしがないのか。でも著者はあえてそれを書かなかった。書けば「こんな人間は貧困になって当然だ」と自己責任論の燃料になり、貧困者に対する攻撃を助長してしまう。そういう危惧があったからだ。だが同時に、著者自身もその「なぜ」を深掘りせず、「結局そういう人たちなのだ」と考えることしかできなかったという。
それが一変したのは、著者が脳梗塞で高次脳機能障害を負ってからである。この後遺症よって彼は「書類一枚が永遠に読み終わらない」「確実に間に合う時間に家を出たのに約束に遅れる」「買い物でレジの表示金額を見ても財布からいくら出せばいいかわからない」といった、かつての取材対象者たちと同じ状態に陥ったのである。そこではじめて、「やらない」のではなく「できない」という状態が存在することに気づく。
でも、そういうのは病気の人でしょ。病気と怠けてる人を一緒にしないでほしい。そう思うかもしれない。しかし、著者は過去の貧困の取材を振り返って、その対象者たちに高い頻度で発達障害や精神疾患による精神科通院歴があったことを思い出す。彼らは自分と同じだ。
つまり、取材を通して密に接してきた著者でさえ、自分が経験するまでは「不自由な脳」を理解できなかったのだ。冒頭の例を思い出してほしい。誰かが「風呂に入れない」と言っても、健常者は「そういうことは誰にだってあるよ」と、自分の経験の延長上でしか理解しようとしない。「できない」のではなく「やらない」だけ。つまり努力が足りないとしか思ってもらえない。この断絶感。
著者は、脳の問題を「精神的な問題」として片付けたくないのである。たしかに精神は脳の働きに違いないが、「精神的な問題」という言い方をすると、どこか「自分で何とかできる」ようなニュアンスが漂う。だからこうした人たちは社会生活から脱落しても(そして彼らは容易に脱落する!)、なかなか手を差し伸べてもらえない。それどころか、「俺たちは同じ環境や条件で頑張っているのに、たったそれしきのことで!」と非難の矢を向けられてしまう。
このような自己責任論に終止符を打ちたい。当事者としてのそのような使命感が、本書には滲み出ている。脳も体の一部であり、不自由を抱えたまま介助も支援もなく生活していくのは無理ゲーに等しいのだ。それを当たり前の認識にしたいという強い思い伝わってくる。 -
Posted by ブクログ
大切に保護されて過ごすべき子供時代に命に係わる暴力と虐待を受け続け、何も与えられず、適切な教育も受けられず、容姿にも恵まれず、孤独と苦痛を感じている彼女たちは、社会からゴミを見るような目で見られている。
許せん!と、消費期限3分の義憤が沸いてすぐ消えた。恐ろしいことに気が付いたから。
人は見た目が9割というけれど、ただ容姿に恵まれないだけでなく、たくさんの厄介ごとと疫病神に憑りつかれて凄まじい負のオーラを放つ彼女たちは誰もが最悪の第一印象を抱くと思う。そして粗暴なふるまいや極端なルーズさ、品のない言動を目の当たりにし、
おそらく、いや間違いなく、僕はゴミを見る目で彼女たちを見る。
そして自分の世界から切り捨てるだろうと思う。あまりに異質すぎて理解不能。サバンナの動物が過酷な自然でも生きていけてるように彼女たちも独自のコミュニティを持ちその中で生きてるのだろうと勝手に想像して終わり。記憶から消える。
ルポライターってすごいなー、この恐ろしい世界の内側をよくこれだけ取材できるもんだ。
この本読んで、大きく考えが変わったわけじゃない。だけど、一つ決めたことがある。
書いてしまうと安くなりそうなので書かないけど、僕は決めた。 -
Posted by ブクログ
この手の本は大変貴重だと感じます。
国内統計でも性産業に関するデータは基本的にありませんし、データ取得そのものにプライバシー権が及びますので、標本が少なくてもこのようなルポから学ぶことは重要です。
風俗業、とりわけ性産業女性たちそのものにももちろん課題は山積みですし、一定の自己責任は伴うでしょうが、層別に考える良いきっかけになりました。
売れっ子キャバ嬢やav女優、私たちが表層的に判断するのはこのような目立つ方々ですから、お金を持ってる、整形をする、華やかな人たちを前提にしています。
しかし、本書では、もっと身近でミクロな領域について言及しており、これが大多数のセックスワーカーの真理に近いのかと感じました。