たかどのほうこのレビュー一覧
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やっぱりたかどのほうこ(高楼方子)さんは変わってるな〜と、改めて実感し、変わってる(私の中では褒め言葉)というのは他の絵本作家では思いつかなそうな、味のある面白いお話を創造されるという意味で、ひとつひとつの素材はよくあるものでありながら、それらの組み合わせ方がとても独特なのである。
『つんつくせんせい』シリーズも本書で三作目(2002年作)となり、シリアス路線とユーモラス路線では文字通り作風が180度変わる方子さんの中では、バリバリのユーモラス路線をひた走るこのシリーズ、方子さん自身の絵とお話が醸し出す、不思議ほのぼの系+型破り感は健在でありながら今作では更にややこしさが追加されており、その混沌とした訳の分からなさが楽しいのだ。
つんつくえんの皆は山の家に行くこととなり、森の中では道に迷ってしまったものの、なんとか「つんつくせんせい」がその家を見つけて、ほっとひと安心。
その家の中のテーブルにはスープが用意されていたり、せんせいが面白がって揺らしていたら椅子が壊れてしまったり、隣の部屋にはベッドが用意されていたりと、まるで童話『3びきのくま』のような展開には見事な伏線があったような無かったような、まあそれはともかく、つんつくえんのみんなが疲れてベッドで眠っていたその時、15匹のくまがその家を目指して歩いてきたから、さあ大変。
つんつくえんの児童14人を率いるのは、『つんつくせんせい』、つんくまえんのこぐま14匹を率いるのは、『つんくませんせい』と、名前からしてややこしいものの、家の中にある小物であったり、表紙と裏表紙の絵であったりと、さり気なくヒントを掲載している作り込みの細やかさもあるので、最初読み終えた時に?マークでいっぱいだったお子さんにも再読してみることをおすすめできる、そんなややこしい展開ではあるものの、絵本の中のキャラクターたちはみんな楽しそうでいて、そんな雰囲気を生み出せるのも方子さんの魅力だよね。 -
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遊びにも行かなければ、お菓子も食べず、お金を貯めることだけを人生の楽しみとしている、けちなケチルさんは、裏通りで見つけた『100ばいのき』という本で、更にお金を増やせる情報を手に入れて大喜び。
その山のてっぺんにある木の根っこのところに物を埋めると、たちまち100倍になって枝から出てくる(1枚の金貨が100枚に)という、そんな凄い木ではあるものの、その山の手前にある『さんぞくとうげ』では、99人の山賊が待ち伏せし、そこを通る人を襲ってお金を奪うことも知ったから、さあケチルさんは考えに考え、迷いに迷った末、一世一代の大冒険という賭けに出たのだが…。
自然描写も含めて、ここまで細かく描き込んだ、たかどのほうこ(高楼方子)さんの味のある絵には、数の多さを上手いこと活かした面白さが見事に直結していて、それは99人の山賊たちを、ケチルさんがどうやって切り抜けようとしたのかに端を発した二段構えの面白さでもあるのだが、おそらく、こういうアイデアは方子さんじゃないと思い付かないんじゃないかなと感じてしまう、そんな独特の笑いのセンスが本書最大の読みどころでありながら、そこには争いの無い笑いに包まれた雰囲気を生み出していることから、方子さんならではの世界に向けた平和のメッセージも、きっと潜まれているのだと思う。
そして、表紙カバー折り返し裏に書かれた、方子さん自身の本書のコメントに独特の笑いのセンスが潜まれていることも、私の中では最早恒例となっている面白さなのだ。 -
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つんつくえんの子どもたち以上につんつくせんせいが活躍(!?)する、たかどのほうこ(高楼方子)さんの「つんつくせんせい絵本」シリーズの二作目(2002年作)。
園の劇で使うとんがりぼうしを作ったつんつくせんせいは、その完成品を気に入って、早速それを被りながら子どもたちと公園に散歩に出かけたところ、そこでは芸人と「こざる」が楽しい大道芸をしており、つんつくせんせいたちも見物することに。
ところが、その芸の途中で「ちょっと おかりしますぞよ」と、芸人がつんつくせんせいのとんがりぼうしを取り上げて新たな芸を始めてしまい、そんなことしたらつんつくせんせいのご機嫌が悪くなるだろと心配していたら、案の定、芸が終わった後にとんがりぼうしを返すのを忘れてしまい、そのまま自転車に乗って帰り出したから、さあ大変!
それは劇で使う大事な帽子だからと、つんつくせんせいと子どもたちは慌てて追いかけ、せんせいに至っては木に登ってまで頑張ったのだけれども、結局、取り戻すことはできなかった⋯⋯。
方子さんの良い具合に気の抜けた自然体の絵は、まさに子どもたちの笑いのツボに寄り添った(こういう手紙の表現の仕方、子どもの頃にあったよね)、このシリーズの雰囲気にぴったりである中、個性的なつんつくせんせいと14人の無個性な子どもたちとの不思議な一体感が、更に印象深くなったのが本書。
そうした絆のようなものは、工作が下手なつんつくせんせいが作り上げた、糊でべたついていたとんがりぼうしを、せんせいだけではなく子どもたちも皆気に入ったことや、そのぼうしを取り戻せず、つんつくえんに帰るせんせいのがっかりした姿に合わせて、子どもたちも皆がっかりしていたりと、そうした反応からは14人の子どもたちが無個性で同じように見えるからこそ、皆でリアクションしたときの感情がより大きな力となり、それがひしひしと読み手にも伝わってくることで、これだけつんつくせんせいが個性的であるにも関わらず、子どもたちはせんせいを信じ、そして慕っているのだと感じられた、それはラストの微笑ましい展開からも分かるように、つんつくせんせいが目立っているように見えて、実はせんせいを陰ながら支え盛り上げているのは子どもたちだったのだ。
ちなみに、今回もカバー前折り返しに掲載された方子さんの前書きには、本書が作られたきっかけと共に方子さん自身の思い出も書かれていることから、彼女の新たな素の一面が垣間見えてくるような、そんな魅力も健在なのであった。 -
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おそらく児童書に於いては、ものの見方とは決して一通りでは無いことの大切さを独自の視点で子どもたちに教えてくれることの多い、たかどのほうこ(高楼方子)さんではあるが、このシリーズに関しては、他のそれではあまり見られないようなやりたい放題感が満載なのが特徴的で、まるで方子さん自身が童心に帰ったような天然の閃きで(誉め言葉です)、お話を即興っぽく創り上げたと思わせる無邪気ぶりが、新鮮というか意外というか、可愛らしいというか、こんな一面もあったのねと知ることで、この方の作家性はますます分からなくなってきて面白い。
「ヘンテ・コスタ」さんが作った「へんてこもり」では、文字通り、へんてこなことが毎度の如く起こる、このシリーズも3作目となり、前作では子どもたちに危険(?)が迫ったが、今作ではへんてこな方々に危険(?)が迫るようで、こうして見ると、へんてこというよりは割と物騒なところにも思えてくるが、まあそれは置いといて。
こちらも毎度の如く、そらいろようちえんの「アキオ」「ケケコ」「ノンコ」「ブンタ」の仲良し4人組が、休み時間にへんてこもりに遊びに行き、早速誰かを探している声が聞こえてきたと思ったら、飛び出してきたのは、またしても、あの「まるぼ」であったが、前回のような歓迎ムードというよりは、どことなく緊迫感漲らせた様子が気になるところ。
その後、まるぼに「はやくはやく!」と案内されて着いた池のほとりを見ると、そこには緑色のちょっとガマガエルふうの格好のものが、頭に黄色い本みたいなものを載せて、じっと座っていて、確かにその本みたいなものと尻尾のようなものが繋がっているのは怖いと感じたが、私がそれ以上に気になったのはその名前であり、これはどうしても未来から来た猫型ロボットのそれを連想してしまうのだが、その辺はこうして出版されているからきっと大丈夫なのだろう。
その「なまえもん」は、まるぼによると、いろんなものの名前を集めているやつで、普段は「へんてこ としょかん」の倉庫番をしているが、たまに外に出てきては目についた生き物をぺろんと飲み込んでしまい、それが腹の中でこなされてしまうと助からないらしく、しかもその中には、アキオとノンコにとって思い出深い、「ぼさこう」と「うるりんぞ」もいるとのことで、これは助けないとね。
しかし、それはまるぼにとっても危ない状況ということになり、そこはブンタと片足ずつをひもで結ぶことで対策をしたものの(森の外のものは食べない為)、二人三脚にしか見えないのが面白くて、ほら早速ブンタと歩調が合わなくて転んでしまったまるぼに、大丈夫かと思いながらも、つい笑ってしまう。
そして肝心の助け方であるが、まるぼによると、なまえもんの体がぽんぽんと弾みだしたときがお腹でこなしてる印で、その後に鼻提灯を出したとき、そこにこなしてるものの姿が映るから、その時皆で一斉に名前を呼べば良いとのことで、こういった点は上記したように、方子さんが咄嗟に思いつきで決めたような雰囲気がありながら、実は子ども心にとても訴えるものもあることに気付く。
それはヒーローショーでも見られる、正義の味方がピンチに陥った時と似ていて、よく司会のお姉さんが子どもたちに、「このままじゃ、皆のヒーローがやられちゃう。でも皆が元気に名前を呼べば、きっと力を取り戻すよ」的な呼びかけをするが、子どもたちはそれに対して実に素直に、なんだったら言われなくても必死に声をかけようとすることには、それだけ子どもたちの中でのヒーローの存在感というのは、絶対的な信頼度を誇るのだろうと感じ、そうしたものは単に強いだけではなく、要はどれだけ思い入れがあるかの問題なのではと考えると、ここでのへんてこながらも憎めない愛らしさでいっぱいの存在たちにだって、そうした思い入れが出てくるのは、ちょうどシリーズも重ねてきて何度か出会っている、彼らに対する信頼度の証でもあるのだと私は思い、特にそれが本編のアキオの行動によく表れていたことには、きっと共感できる子どもも多いことだろう。
ただ、ヒーローのように、そうした場面が決してカッコいいというわけではないものの、このシリーズの場合、あくまでも面白さ優先である点に(寧ろ面白さしか無いともいえるが)魅力的なものがたくさん詰まっているので、そこは「あはは」と笑いながらも、まるぼの皆を助けたいという気持ちの大切さを頭の片隅にしまっておいてくれれば、それでいいのだと思う。
また面白さといえば、シリーズ3作目ということで、へんてこな新キャラも登場して、これがまるでまるぼの女の子版みたいな格好で、おそらくまるぼが気にかけている風なのだが、彼女は「おじょうさまになるためのほん」を読むのに夢中で全く振り向かず、皆の救出作戦にも加わらないが、終盤に意外な存在感を発揮するあたりは、方子さんのお話も実はちゃんと練られていたということを、見事に証明している。
そして、今回はまるぼも大ピンチになったり、「へんてことしょかん」関連の乗り物も初登場したりと、お話の展開からも目が離せない中、終盤の切なさもさすがに3回目ともなると少し慣れてきて、何が切ないのかと思ったら、この子どもの頃にした遊びから生まれてくるものと別れとが、お互いに上手いこと溶け込んでいる様に思われたのだなと感じられて、それはまるで夕焼け小焼けみたいな心境だけれども、きっとまた会えるってことだよね。 -
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子供を泥棒するから 小泥棒
まずマルボが森に行く遠い道か、ちか道を選んでもらう。 4人に選んでもらって みんなは当たり前のように 近道 って言って その場合は 丸マルボがスキップしながら森が短くなって「きっぷきっぷ 心も軽く 丸い体も弾むよ ポン」っていう曲をうたう。
間違えちゃうと、間違えた言葉で出てきて、最初にバクが出てきた時は ぶんたっていう子が 今日 鼻詰まりでちゃんと歌えなかった。
えっと みんな歌を間違えちゃって えっと びっくりした。
自分は歌えると思う。ちょっと今から歌ってみるね。きいてて。(→じょうずにうたえました♡)
2024/12/05 小1 -
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そうか、たかどのほうこ(高楼方子)さんの場合、『まあちゃんの絵本』シリーズもそうだけど、もしかしたらお話も絵も全て自分が担当するときは、そうしないと気が済まない拘りや、自らも楽しみたいといった、そんな気持ちがあるのかもしれないと感じられた、それくらい今回も型破りな展開と緩い適当感が見事に合わさった、方子さんの童心に帰ったようなやりたい放題感が満載な作品であった。
ヘンテ・コスタさんが作った「へんてこもり」で遊ぶ、そらいろようちえんの子どもたち(アキオ、ケケコ、ノンコ、ブンタ)と、へんてこな方々が繰り広げるシリーズ2作目(1997年)は、前作とは打って変わって彼らに思わぬ危機(!?)が訪れる一方で、前作同様に表紙の楽しそうな行列は何なのか、まあ、それはすぐに明らかになるのだけれども、この時間って幼稚園の休み時間だったんだと思うと、もう幼稚園に通う必要がないほどの楽しさや学びの多い、そんな密度の濃さなのではないかなとも・・・思うんだけどね。
今回も『もりのいりぐち』からではなく、かしわの木の横を抜けて、へんてこもりの中に入った4人。
なぜならば、前にそこから入ったときに、とてもへんてこで面白いことが起こったからであり、早速アキオが「たしか、このあたりで、きみが『まるぼ!』っていったら、まるぼがでてきたんだよね」と、ブンタに話していたら出てきたよ、本当にまるぼが!!
「やあ きみたち。まってたんだよ! むこうに、おかしを よういしてあるんだ。さ、いこう!」
と来れば「行きます!行きます!」と、子どもたちはなるわけだけれども、そこに行く条件として、『腰に手を当てて、歌いながら、スキップで行かなければならない』そうで、その歌はまるぼがスキップしながら、お手本として歌ってくれたぞ。
スキーップ、キップキップ!
こころも かるくー
まあるいからだも はずむよ、ポン!
・・・えっ、これずっと歌いながら腰に手を当ててスキップするの、ちょっと恥ずかしいんだけど(笑) もちろん読み聞かせとなれば彼らに成り切って陽気に歌いますけどね。
そんなこんなで薄暗い森の中に入った彼らは、そんなゾクゾクするような雰囲気に嬉しくて何かせずにはいられない中、まるぼは、「そらそら、きを ひきしめて! いいか、はじめるぞ!」と、まるで教官のごとく気合いを入れて、早速スキップが始まったが・・・。
事の始まりは、最後尾にいたブンタの鼻が詰まっていて正確な歌詞を歌えなかった、その瞬間、前の彼らがひゅっと先に行ってしまった時であり、森の中から現れたのは、なぜか鼻先をぎゅっと縛って、片手には大きな火ばさみ、背中には籠を背負っているといった、如何にもな怪しさを漂わせた二本足で歩く「バク」であった。
そして、そのバクが嬉しそうに鼻の詰まった声で(そりゃ鼻先を縛ってるからね)、「びつけた、びつけた、はだつばりは こどこだだ」(おそらく「みつけた、みつけた、鼻づまりは この子だな」)と言ったと思ったら、火ばさみでブンタを挟んで背中の籠にポーンと放り込んでしまい、ブンタは大声で助けを求める。
それを聞いたみんなは大急ぎで引き返してきて、まるぼが助けようとするが、そのバクは馬鹿にしたように相手にしないのを見た瞬間、まるぼは戦略を変えて鼻声で訴えたところ、ヌケヌケとやって来たバクに熱いお湯を吹き飛ばしてブンタを助けるという、おお、なんて抜け目の無さだと思った途端、まるぼはブンタに、「ちがううたを うたったら、やっかいなことになるって いったろう」と説教を始め、アキオが何が起こったのか聞いたところ、ここは『コドロボーのこみち』で、違う歌を歌うと子どもを盗んでいくという、なんて恐ろしい道なんでしょう!!
・・・とはどうしても思えないのは、さっきのバク(はなつまりばく)も含めて、どこかゆる~い雰囲気が漂っていてなんか憎めないんだよねといった、この感じがまさに「へんてこもり」の安心感や信頼できる(?)魅力だからであり(裏表紙の絵も最後に見ると微笑ましいのが分かる)、今回へんてこな出来事に巻き込まれるのがブンタだけではない点には、より楽しさが増した感があったのだが、それ以上にまるぼの機嫌の良し悪しの激しさや、子どもじみた手段を選ばない抜け目の無さであったり、ダンディになったり、誉められたら途端に照れたりといった、ころころと変わるキャラクターの愛らしさ(あと意外に繊細なところ)が加わることで、子どもたちやへんてこな方々以上に、まるでまるぼのショータイムみたいな印象を抱いてしまったことには、却って新鮮な驚きがあり、へんてこもりに行くのは子どもたちだけれども、実はそこで子どもたちと何かをすることを最も楽しみにしていたのは、まるぼなのかもしれないと思えたことに、これはまるぼの為のお話なのかもしれないと感じると、ちょっと染みるものもありながら、その反面、へんてこな方々のネーミングの適当さも凄くて、これはいったいどういうバランスなんだと(笑)
それから、これは前作もそうだったけれど、なぜ終盤だけいきなり切なくさせるの? といったギャップがすごくて、それまで「あはは」と笑っていた後に訪れる、その急展開には込み上げてくるものがあって、思わず泣きそうになるだろと言いたくはなるが、それも含めて、このシリーズが愛される理由でもあり、またへんてこもりに行きたくなる理由でもあるのだろうな。 -
Posted by ブクログ
たかどのほうこ(高楼方子)さんの作品は、『ココの詩』や『黄色い夏の日』のように、結構な重みのあるシリアスなものがあるかと思ったら、本書のようなとびきり明るい型破りなものがあったりと、そのあまりのギャップの差に時折怯んでしまうのだが、その辺は対象年齢の違いや伝えたいことが異なることもあって、一概にどうこう言えないものの、ここまで来ると、まるで別人のような感覚を抱いてしまい、そこがとても面白い。
いわゆる『へんてこもりの はなし』シリーズの1作目(1995年)であり、「へんてこもり」とは、「そらいろようちえん」の裏に作られた森のことで、作った人が「ヘンテ・コスタ」さんなので『ヘンテ・コスタのもり』という名前はあるものの、皆は「へんてこもり」と呼んでおり、そんな愛称の付け方に如何にもな子どもらしい面白さを感じられたところから、既にこのシリーズの意図するところが見えてきそうな気がする。
お話は、幼稚園の休み時間に仲良し4人組(アキオ、ケケコ、ブンタ、ノンコ)が、普段とは違う場所からへんてこもりの中へ入ったことも影響したのか、その中で「どうぶつしりとり」をしたときに、まさかの出来事が発生する。
それはしりとりの最中、ブンタに「ま」の付く動物が回ってきたときであった。
おそらくブンタは内心「えっ!?」と戸惑ったのであろう。そう、「ま」の付く動物と聞くと一瞬頭の中が真っ白になってしまう、そんな感覚はよく分かるが、少し冷静になれば、マングースとかマントヒヒとかマダガスカルミドリヤモリとか、結構あるから頑張れと応援したところ、おもむろに彼の言った動物の名前は「まるぼ」であった。
まるぼ・・・いや、さすがにそれはないだろと私は思い、他の3人も「そんなどうぶつ、いないぞ!」と騒いだから、ブンタも「やっぱりいないか」と頭をかいたところ、こんな声が聞こえてきたぞ。
「まるぼなんて どうぶつ いないだって?
じゃあ、この おれさまは だれなんだ。
おれさまは まるぼだぞ」
・・・えーっ!? そんなのあり?
ところが、ありなんです。
何故ならば、本書は子どものための幼年童話だからです。
私が考えたところ、ここでの「へんてこもり」というのは、きっと子どもの心の中の世界で、そこで起こることは何でもありの自由自在で、可能性は無限大の面白さとくれば、あとは子どもの想像の赴くままにどうぞといった感じなのだと思い、そうした過程で思い出したのが、同じ方子さんの絵本『まあちゃんのながいかみ』で、そこでの破天荒な想像力の飛躍ぶりは、まさに本書の型破りな何でもありの展開と呼応していて、子どもの心の中に秘められた可能性に枠など無いのだということを改めて教えてくれる。
そして、そうした楽しさがよく表れているのが方子さん自身の表紙の絵であり、これにはある法則性がありつつ、子どもにとっての居心地の良さを絵から充分に感じられるのは、人間だけではなく動物や動物っぽいもの(笑)もひっくるめて、皆が楽しそうな表情をしている、これが全てなんだと思った。
そんな本書は『路傍の石幼少年文学賞』受賞作品であり、「路傍の石」と聞くと、真っ直ぐで切ない凜とさせるものがあるが、そうした真摯なものも本書のような楽しいものも、子どもたちには何でも吸収していってほしいと切に願いたい。
なんて書いておいて、実は本書の終盤も割と切なかったりするのだが、そんな中で、まるぼの『ヤカン目、マルヤカン科、マルボ』という動物学者の分類には、あんたヤカンがこの世に出てこなかったら、どうなってたんだと突っ込みたくなる、そんな適当感にも味があって、何でもありってやっぱり楽しい。