呉明益のレビュー一覧
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ネタバレ役者あとがきの通り、ノスタルジー的楽しみはこの本の大きな魅力だった。けれどこの時代を行きたことがない自分にとっては新しい世界でもあり、切ない、辛い物語の中であってもどこかワクワクした気持ちで読み進めることができた。
新公園へ遊びにいく過去の自分は双子の少女に恋をしていた。どちらのことも確かに好きだったのだろう。思春期を迎える前から2人と過ごした彼にとって2人を分けて考えることはできなかったのだろう。あまり褒められたことではないけれど共感できる。
もっと台北市内の様子を観察しておけばよかった。あの博物館ももっとじっくり見てもよかった。もう一度台湾に行くことがあったらじっくり見て回ろう。
子供の視 -
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ネタバレ文章が読みやすい。スラスラ入ってくる。自転車の挿絵も好き。
2台の自転車を巡る壮大で入り組んだ年代記だった。
父→ムーさん→サビナ→アニー→林檎の主人→ナツさん
銀輪部隊?→老人→アッバス
各所で様々な人生が交差していた。登場人物が多くて理解が甘い部分は少しあるような気もする。だけどそれがいい、あまりにも単純な繋がりでは面白くない。
ある物事について過去の歴史を紐解いていくスタイルが結構好きなのかも。主人公たちはヴィンテージ自転車の魅力に強く惹かれている。専門家となるほど情熱を捧げていることを羨ましく思った。
前作で主人公が残していった自転車の行方を問われたことから書かれた小説だとされている。 -
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ネタバレ非常にすぐれた文学作品を読み通したという感じがする。
小説家の「ぼく」が、失踪した父の自転車を探し求める中で多様な人々と交流し、彼らの物語が重層的に折り重なることで豊穣な小説空間を醸成している。大戦中のマレー半島における日本軍の行軍や、戦火に翻弄されるゾウの運命にまで話は及ぶ(ゾウの視点で語られた特異な章も一つある)。この作品の主題のひとつとして、時間の重層性に対して我々がどう向き合うか、ということが挙げられよう。自転車のレストアという営みを通じ、昔を懐かしみつつも時の流れに伴う変化を尊重する立場が描かれている。
今回はプロットを追うのに必死で細部の読み込みが不完全燃焼になってしまった。他日、 -
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“ある場所は、いったん人が踏み込んでしまったら、もう無傷ではいられない”
山に擬した伝説の巨人の身体に足を踏み入れた少年と少女は成長し、様々な人々と出会う。
丁寧に一人ひとりのストーリーを追いながら、台湾の先住民族に対する負の歴史へ、更に日本による占領統治時代へと物語は奥行きを増してゆく。
同時に、原住民であるタロコ族(トゥルク)の村が国策と企業の利権を伴う大規模な開発により押し潰されてゆく様が描かれる。
ここでも無慈悲で大きな力の前で揺れ動く一人ひとりの心情に寄り添い、掬いあげてゆく。
鋭く現実の社会問題に斬り込みながら、ウー・ミンイーはファンタジーと融合することを恐れない。それは決して -
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呉明益の最初の長編小説。解説にも書いてあるが、『歩道橋の魔術師』で描かれる中華商場、『自転車泥棒』で描かれる台湾の過去、『雨の島』『複眼人』などに出てくる超自然的な視点等々、その後の呉明益作品のエッセンスがこれ一つの中にほぼほぼ全て含まれているように読める。本当に面白い。
が、しかし、全く分からんというのが率直な感想である。
大筋だけをざっくり捉えるなら、語り手の「ぼく」に突然現れた規則的な睡眠という睡眠障害が治るまでの物語、という説明で合っていると思う。基本線をそう考えるなら、問題は、どうして「ぼく」は睡眠障害になってしまったのか? どうしてその睡眠障害は、8時間の睡眠が3時間ずつ後ろにず -
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呉明益の本を読むのは「自転車泥棒」,「歩道橋の魔術師」についで3冊目だろうか.それら2冊よりも,さらに幻想色が強い.
舞台は台湾東岸であり,太平洋を漂ってきたゴミの島の激突や海面上昇,温暖化による多雨化の影響を受けて,色々なことが崩壊に向かっている.また登場人物たちは皆,身近な人の「死」を経験している.そのような中で,夫と息子を亡くして自殺を決意した主人公のアリスが,ゴミの島と共にやってきたワヨワヨ島民のアトレとの出会いを通じて,再生に踏み出すことがテーマとなっている.
上のストーリーだけ読むと荒唐無稽だが,これらは背景であって,哀しみと暖かさが幻想的に描かれています. -
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(私が読んだ)呉明益二作目。
主人公の父の失踪。そして、消えた自転車。
「それらは、どこへ行ったのか?」
その答えを探る中におけるあらゆる人々や歴史、その記憶や悲哀との邂逅の物語。
作中では自転車やゾウといったキーアイテムがあり、それらが人々を出会わせ、自分の人生や歴史について知ることのきっかけを生成していく。
私たちは人間だけでなく、あらゆる事物と共に生きている事を思い出した。
例えば外出に欠かせない靴ひとつ取っても、掘り下げる事で今まで見えてなかった人生について知るきっかけにもなり得るだろう。
いくらでも多角的に切り取ることの出来る人生の複雑さは、ある種狂気じみているなぁと感じた -
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台湾人作家の小説には、ある種ノスタルジーを感じる。
自分自身が体験していないのに、懐かしさを感じてしまう。
甘耀明「鬼殺し」にも感じた、日本統治時代の台湾に、かつての日本を感じる。
それは日本人作家が描く明治期の日本よりも日本らしく感じる。
一台のアンティーク自転車をめぐって、本省人、外省人、日本人、台湾原住民にそれぞれの物語があり、そして太平洋戦争時の銀輪部隊、インパール作戦中のゾウの数奇な運命、が語られていく。
熱を出すと父親は自転車に僕を乗せて小児科医まで走った。
当時は高級品だった自転車はよく盗まれ、我が家の自転車も何台か盗まれた。
幼い頃に最後に見た父の記憶は、 -
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ネタバレ1992年まで台北に実在した繁華街「中華商場」を舞台にした連作短編10作と、文庫本で追加された短編1作が入っている。それぞれの物語は、商場で育った少年が、大人になってから、かつての友人に歩道橋にいた魔術師について聞き取った話を基にしたという体で語られる。
中華商場の歩道橋にいた魔術師は、商場の子どもたち向けにマジックの道具を売っていた。売っている道具と魔術師の見せるマジックは、どれも、タネも仕掛けもあるものであったが、時折、彼は、本物の魔術らしき奇跡的な現象を起こす。
商場の子どもたちの生い立ちは、今の私たちの感覚からすると、けっして明るいものではなく、貧しく、身近な人が死に、暴力に溢れて -
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一九九二年に解体された台北の中華商場。
そこに住んでいた人たちの不思議な記憶の物語。
かつて中華商場に住んでいた作家が、当時の同級生や友人、関係者へ「歩道橋にいた魔術師」のことを覚えているか尋ねていくという連作短編集。
マジック・リアリズムというのはよく分からないが、過去の出来事を回顧しているようで、どこかで現実離れした状況を垣間見せている。
それがかえって記憶のあいまいさや少年期特有の感情を表現しているようで、話している人の当時から今に至る人生も微かに映ろう。
その結果、ノスタルチックでありながら、人生の重みまで感じることなる。
また、故天野健太郎氏の訳は、当時の台湾と日本を結び付け、ま -
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台北で暮らすフリーライターの「ぼく」は、数十年に一度と言われる竹の開花を見るために陽明山に登るが、その日から睡眠のリズムに異常が起きていることに気づく。睡眠の異常に悩む「ぼく」の意識は、やがて太平洋戦争末期に神奈川県の高座海軍工廠に少年工として十三歳で渡り、日本軍の戦闘機製造に従事した父・三郎の人生を追憶していく。戦後の三郎は、海軍工廠で働いた影響から難聴を患いながらも、台北に建設された中華商場で修理工として寡黙に生活を送っていた。中華商場での思い出やそこでの父の姿を振り返りながら「ぼく」は睡眠の異常の原因を探るために日本へ行くことを決意し、沈黙の下に埋もれた三郎の過去を掘り起こしていく。三
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私が今まで読んできた小説とは違う、新しいもの、知らない感覚に触れた、という読後感があった。これは読書において私がとても大切にしていることだったのでとても嬉しかった。
この作品だけでなく過去のさまざまな作品も、自分の内部や世界を見つめるために実験的に書いているのかもしれない。著者の後記を読んでそう思った。
全てを理解することなんて到底できない「自然」という大きな存在だけれど、個人の物語の中にどうにか落とし込んだときに、彼の場合はこういう物語になるのだろう。表紙や挿絵の神秘的な雰囲気も作用して、読んで見て色んなことを感じ取ることができた、素晴らしい読書体験だった。
ネイチャーライティング(・フ -
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『「経験の中にないんだ。 前に読んだ哲学書に書いてあった」 阿賢は言った。 「人間は自分の経験の中でしか生きられない。でも今朝の俺たちは自分の経験の中にはいない」 小鉄は自分には永遠に阿賢のようなことは言えないと思った』―『// // アイスシールドの森』
六つ(プロローグも数えれば七つ)の、バラバラだが緩やかに符牒を通して繋がり合う短篇に共通するのは、「クラウドの裂け目」と呼ばれるコンピュータ・ウィルスによる厄介な現象と、そのウィルスから届く鍵を使って、他人の、だが近しい人の、内面にも似たアーカイブを覗くことで振り回される主人公たち。豊かな(複雑で乱雑な)自然の営みの傍らで、空想科学小説に