あらすじ
白い犬の後を追いかけてきたタロコ族の少年と、自分を売ろうとする父親から逃げてきた少女。山の深い洞穴で二人は出会い、心を交わす。
少年が少女の村に、少女が少年の村へ入れ替わり出ていくのを、巨人は見つめていた。
山は巨人の体であった。人々に忘れ去られた最後の巨人ダナマイ。彼の言葉を解すのは、傷を負った動物たち。
時を経て再会する二人を軸に、様々な過去を背負う人々を抱えて物語は動き出す。
舞台は原住民と漢人、祖霊と神が宿る台湾東部の海豊村。
山を切り崩すセメント工場の計画が持ち上がり、村の未来を前にして、誇りを守ろうとする人々と、利益を享受しようとする人々が対立する。
巨人がなおも見つめ続ける中、かつてない規模の台風が村を襲い、巨人と人間の運命が再び交差する――。
物語を動かすのはつねに、大いなるものに耳を傾ける、小さき者たち。
★2023年台湾書店大賞小説賞受賞
★「博客来」ブックス・オブ・ザ・イヤー入選
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
『少年があの犬を見かけて既に三日になる。巨人ダナマイもこの三日間ずっと、彼らを注視し続けている』―『第一章 初秋』
切れぎれの不連続に流れる時間。埋もれてしまった過去の日常の記憶。呼び起こされる郷愁。
故・天野健太郎翻訳による「歩道橋の魔術師」「自転車泥棒」以来、呉明益を読んで思うことはいつも同じ。翻訳された順番に読んでいるので「複眼人」が翻訳された時に少し驚いたけれど、台湾の自然と固有の民族、そして超人的な存在、というのもこの作家を特徴付ける要素だろう。
作家による解説というのは翻訳書では滅多お目にかからないけれど、本書では執筆の経緯や描かれた事実などについて著者自らの説明が巻末にある。その中にこのような言葉がある『もし読者から、これは環境小説なのか?と訊かれたら、私はこう答える。これは小説である』。作家がわざわざそんなことを言うのは、恐らく「複眼人」や「雨の島」で描かれた内容が、どちらかと言えば環境派と呼ばれる人々の共感を得やすい内容であったからではないかと推察するが、作家の理想とする世界がどうであれ作品としては、単純に環境破壊を凶弾するとか、自然に対する畏怖を持てとか、というメッセージがある訳ではないと自分は思う。ただし、そういう気持ちを持っている人々を丁寧に扱っている、ということは事実としてあるだろうけれど。本書で描かれる「原住民」とセメント工場建設を巡る話も、単純に捉えることはできないような描かれ方をしている。
そんなことを考えてしまうのは、生前、天野健太郎が先行する「眠りの航路」や「複眼人」ではなく「歩道橋の魔術師」を選んだのは何故なんだろうか、という思いがあるから。並べてみると、日台の複雑な関係が綾となって描かれている「眠りの航路」や超人的な存在が登場する「複眼人」に比べて、「歩道橋の魔術師」は台北の商場が舞台ではあるものの、誰でもすっと入って行き易い小説だなと思う。しかしその後に翻訳されたもの、そして本書を読んで改めて思うのは、呉明益という作家を特徴付ける自然との関りや超人的な存在、そして台湾の先住民族という要素は既に初期の段階からずっと存在していたのだなということ。翻訳された順番で「複眼人」や「雨の島」を読んだ時には作風が少し変わったなと思ってしまったものだけれど、それはこちらの勝手な印象だったという訳だ。
本書には複数の登場人物が主役級に登場するが、誰一人として起承転結のある物語を紡がない。多少もどかしさも感じるような関係性が描かれるのだけれど、『この小説で書いたのは本当にあった出来事だが(遠い歴史でもなければ、近い未来でもない)』と作家が明かすように、安直な物語に矮小化させることのできない事象が、実は描かれている。その切れぎれのエピソードの書かれていない繋がりをどう読むかは読者に委ねられているけれど、そのようなことに思い至るという行為こそ作家が期待していることなのかも知れない。その意味では、確かにこの本は小説ではあるけれど、倫理や他者に対する畏怖というようなものを考えさせられる哲学の書でもあるのかも知れない。
Posted by ブクログ
“ある場所は、いったん人が踏み込んでしまったら、もう無傷ではいられない”
山に擬した伝説の巨人の身体に足を踏み入れた少年と少女は成長し、様々な人々と出会う。
丁寧に一人ひとりのストーリーを追いながら、台湾の先住民族に対する負の歴史へ、更に日本による占領統治時代へと物語は奥行きを増してゆく。
同時に、原住民であるタロコ族(トゥルク)の村が国策と企業の利権を伴う大規模な開発により押し潰されてゆく様が描かれる。
ここでも無慈悲で大きな力の前で揺れ動く一人ひとりの心情に寄り添い、掬いあげてゆく。
鋭く現実の社会問題に斬り込みながら、ウー・ミンイーはファンタジーと融合することを恐れない。それは決して敗北でも逃避でもない。
「物語」を紡ぐこと。創造することは、現実に対抗する力なのだという思いが伝わってくる。
ジェットコースターのように進むストーリーではない。一歩一歩と山道を歩むように展開する小説だ。少年少女の活劇を期待すると肩透かしだろう。だが、最後のページまで辿り着いたときに、僕は体の奥が震えた。読んでよかった。
ーーー
本書を読んで、辺野古で闘っている人々が自然と思い浮かぶ。そして、沖縄の歴史を都合よく書き換えようとする力についても。
正しく知ること。より深く想像すること。
過ぎたことだ、しょうがないじゃないかと呟くのを、少しでも踏み止まること。
そんなことを考える。
“最近思うんだが、人は本当に、自分が会ったこともない祖先がどこから来たかなんて、気にするもんだろうか?祖先がどこから来たか知らないのは、そんなに大変なことだろうか?
だけどこう考えるたび、こう言われたことを思い出す。「自分がどこから来たか知らないトゥルクは、その辺の猪と一緒だ」だから俺の今の考えは、もし俺たちが語らなければ、この後もう誰も、俺たちの物語を覚えている人がいなくなるだろう、ってことだ。”
“巨人に呑み込まれた者は山の一部となり、巨人に吐き出された者は山を理解する者となる”
Posted by ブクログ
自然と開発、神話と現代、貧富や人種とさまざまな対比を描きつつ、主要人物それぞれの過去と現在、全てを抱え込んだ呉明益渾身の小説世界。
とても私なんかがこの本の良さを表現できないが、最後、振り返って小さな2人が入れ替わった意味を考えてしまった。
しかし実家の山も巨人だったのかな。3本足の小動物は見かけなかったが、コウモリはいたしな。
いやー、讃!!
Posted by ブクログ
台湾の巨人が住むとされる田舎町が開発され抵抗するも時代の波にのまれてしまうようなお話。あまりあらすじはよくわからなかったけど、自然も大事で、でも生きていくためには産業やお金も必要で・・という葛藤が描かれていたのかな。巨人の存在が哀しげだった。
Posted by ブクログ
まず、ルドンから着想を得た表紙の絵に惹きつけられました。
台湾の土着の民族が漢民族や日本人達によって搾取され追いやられていく様子が、山に住むという伝説の巨人の終焉と絡めて壮大な物語になっている。
最初の2人の子供の出会うシーンはとても良かった。だんだんありきたりの展開になって少し残念。
過去や現在が入り乱れ沢山の登場人物がそれぞれの人生を語り名前が変わったりするので、ごちゃごちゃして紛らわしかった。訳者さんの後書きで工夫されたところだと思うけど、読みづらかった。