香納諒一のレビュー一覧
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男くさいハードボイルドとは、少々、雰囲気が異なる。
始まりから、主人公に心がそっていかない。
インターネット心中で妻を亡くした男が
酒におぼれたあげく、アル中になる。
それはそれで、うなずけるのだが、
結末まで、アルコールの中から、闇の中から
這い上がることもなく、底の底に沈んでいくような主人公に、
共感しがたい。
というより、その闇は、彼の中から湧き上がってくるのだと、
疑いを持ったときから、彼が抱え持つ傷に予想がつく。
哀しい結末ではある。
彼の中は空っぽで、その空っぽを、
闇が埋めてしまったということなのか。
妻の恭子をインターネット心中で失い、
酒におぼれるようになった新田。
そんな中、ネット心中を追っていた
友人のライター、小杉のバラバラ死体を
発見する。
その現場からは、胴体だけが消えていた。
さらに、ネット心中に関わっていたと
思われる人々も同じように殺害されていたことがわかる。
新田は、やはりネット心中で姉を亡くしたジローら、
若者たちと事件を追っていくのだが…。 -
Posted by ブクログ
「ガリレオの小部屋」
閉塞感、怖い。
香納諒一は「30代の終わりから40代の頭にかけておよそ3年ほどに亘り、自分の目指す小説世界と現在書いているもののギャップに苦しみ、仕事を生活が出来るぎりぎりまで絞り込んで、一から小説修行をやり直した」と本書初出のあとがきに記している。
半年くらいで何かが見つけられるだろうと始めたことだが、なかなか納得が出来ず、その間短篇について発表することを封印し、とにかく多くの短篇を読むことと習作に明け暮れたという。
これを読むに、香納諒一とは昔の文豪みたいな空気を持っている。自分の理想とする小説を身を削るように作りだそうとする姿は、なかなか今の小説界では珍しいような気がする。例えば、伊坂幸太郎のようなタイプとは真逆のイメージだ。彼は身を削るよりは身にたっぷり楽しさを染み込ませて、そこから書きたい小説のイメージを膨らませている、そんなイメージを私は持っている。
初出に記すのだから、本書は探していた何かを見つけた結果の作品となる。となると、その結果とは“ずるずると何かがずれていく人間の悲しさ”なのだろうか。
「雪の降る町」では、小説家を目指していた恵美は、選考委員のヒヒ親爺に抱かれれば受賞させると言われて抱かれるが、結果は落選。何か大切なものを無くしたのに、それがなんだかわからなくなってしまったのではないかと思う恵美。
何かがずれてしまう、そのタイミングがじりじりと迫ってくることがリアルに感じられる。が、しかし、少しなんか憂鬱になる。
「海鳴りの秋」は、父と息子の間にあるずれが埋まっていく物語だ。不良少年が父とキャンプにいく最中に巻き込まれる冒険によって少し成長する話はありがちかも知れないが、人生の歯車がずれていく短篇が多い中ではちょっと異質だ。
しかし、人間の閉塞感を描き出した短篇とはやはり疲れてしまうのも、また事実。 -
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ネタバレ「心に雹の降りしきる」に続いて2本目の香納作品。
色んな要素が複雑に根深く絡んでてて、
本が厚いのもうなずけるのだが、この作家の文章は好きにしてもちょっと長過ぎかも。
もう少し簡潔にすすめばもっと、手が進んだのではと思う。
ともあれ、後に自覚する “ただ「愛していた」” 事だけが、主人公を突き動かし、気が晴れるのか晴れないのか判然としない事実にまで向かわせたことが、読後、なんだかこれで良かったような想いにもさせる。
愛している、を後から気が付くなんて、馬鹿な男だし、
無言で消える女も罪深い。
でも、そんな二人でも良いかも知れない。 -
Posted by ブクログ
今度の作品は期待した。人間描写を主体にしたかつての香納諒一が甦ったのかと思った。過去に傷を負った警官。しかも内勤警官が駆り出される物語。意地を見せたりする小説ではないのかと、誰だって思う。
しかし、物語は想像以上に暗く重たかった。凄惨な死体の状況から見て、かつて類を見ないサイコ殺人というだけで、あまり快くない方面の物語であることが知れ、おっと『贄の夜会』みたいに、錯綜した謎解きストーリーなのかと想像してしまう。
終章まで読み終えた印象はもっとよくなかった。何よりも屈折しすぎている物語であるからだ。東野圭吾の謎解き小説のように、人間の体温の感じられる読後感、情緒のようなものがあるわけでもない。ひたすら病んだクロージングはやはり『贄の夜会』であり、『第四の闇』であり、生理的には気持ちが悪い小説なのだと言える。
こうした方面の読者を求めて作者が書いているとは思えない。作者はとても生真面目な作風で人間の心を掘り下げるタイプの作家だからだ。人間の描写をすれば、描写される側は、リアルであればあるほど複雑化するというのはわかる。だが、ここまで複雑化してしまうと、もはや奇怪な怪物である。
人と人との対決で終る小説に拘っているのだろうか。それにしては、あまり胸のすくような対決とは言えない。複雑で精緻すぎて、病的な対決である。内勤警官が対決の場に強引に呼び寄せられて、犯人と対決し、また過去の記憶とも対決する。思わせぶりな過去の事件に関しても、徐々に語られて薄められてしまったような印象があり、あまり強いインパクトを感じないで終ってしまう。
何よりも、第二第三の殺人というのはかなり強引な設定だ。病んだ人間たちを描くことでトリックが完成されるような構図である。そもそも物語の発端からグロテスクで病んではいるのだけれど。それにしては、印象が絞りにくい物語だ。
せっかく丹念に構築仕上げた世界なのに、人間の印象が弱い。トリックを優先して人間の心を捻じ曲げ、屈折させ、大仰に事件を起こしてみせるとこういう話になるのではないか。何もミステリーを書かなくてもいいのに、とぼくは『夜空の向こう』や『深夜にいる』を懐かしく思う。
この小説を読む限り、ぼくが追いかけてきた香納諒一は、わずかな痕跡をとどめてどこかに消えてしまったとい言わざるを得ない。
もしこの作品が別名で書かれ、香納諒一ではない誰か他の作家だと思い込んでぼくが読んでしまったならば、もしかしてぼくはこの小説が面白いと、言うのかもしれない。これだけの書き手はなかなかいない、と喧伝したがるかもしれない。そのくらいの実力もエネルギーも十分に持った作品だと思う。
だけどぼくのような過去からの読者は、こうした作品に出くわすと途端にとても厄介な存在になるのだ。わがままで贅沢。それが読者でありファンであるからだ。 -
Posted by ブクログ
香納諒一という作家を知らない人がこれを読んだとしよう、あるいは前作『ステップ』、あるいは『贄の夜会』、『第四の闇』を。きっとその読者は、香納諒一という作家は、プロットが複雑で錯綜していて、アイディアが豊富で、奇想と仕掛け満ちた作風の持ち主だと。
『贄の夜会』以降、香納諒一の作風はがらりと変わった。
しかしそれに先んじて数年間の沈黙があった。何しろ2,000年に『炎の影』を上梓して以来、2004年に『夜空の、向こう』という連作短編集、『あの夏、風の街に消えた』という長篇を書いたっきり、2006年まで、香納諒一という作家はその後の変身を全く予期させなかった。少なくとも、ぼくは予期しなかった。
『贄の夜会』と『冬の砦』は、作家として新しいフェーズに入った第二期香納諒一の宣言であったかのかもしれない。しかしその後の香納作品は、凝りに凝ったプロットやネタ重視の徹底した謎解き娯楽小説か、そうではない昔の作風を残したものとに二分したかに見える。
ぼくは、2004年までの作品がほぼ全部において大好きだった。だからそれ以降のトリックを重視した作品は何か、香納諒一として買った商標が付け違っているように思えるのだった。その中でも『冬の砦』と『夜よ泣かないで』の二作は、なぜかこちら側にとどまっている作品であるように思えてならなかった。
とりわけ『冬の砦』は、今でもぼくの心の中で傑作である。もちろん2004年の二作も、香納諒一の普通小説としての新境地を見た思いがして、愛すべき作品であった。
さて、本書、『記念日』は、記憶をネタにした作品だ。こう簡単に言いきっちゃっていいものかどうかわからないが、トリック小説である。
記憶を失った自分を付け狙うのは誰だ? そう言っただけでラドラムの『暗殺者』(後にボーン・シリーズとしてヒット映画になったシリーズだ)を思い出すのだが、本書はそのネタと大差はない。記憶を失う前の自分を解き明かす物語である。しかしそれでいて、かろうじて恋愛小説としての気品を保とうとしている危ういバランスの作品だ。
ラストシーンは何となく香納風味に終ってほっとする。でもそこに至るプロセスは、一時代前のスパイ小説だと言っていい。もちろん活劇シーンや、謎の殺人に満ちており、内容は面白い。娯楽小説としてのハードルをクリアしているのだと思う。なのに、こんなに味気なく感じるのはなぜだろう。それは香納諒一という作家が、ぼくの好きだったあの作風をやはりどこかで捨て去っているからだ。
記憶、洗脳、催眠などを題材にして一世を風靡しているのが松岡圭介だとするなら、香納文体は、よりずっと丁寧で無骨で生真面目である。世界の興味を引き付けるマジシャンのような松岡小説は、面白いが底が浅い。香納という作家はきっと自分の作品を大切にしているのだろうなと思う。それほど、作品を刻むのに刃を入れる回数は多いし、丁寧だ。だから単なる娯楽小説にすればいいものを、危ういバランスを保ってでもいい小説を作ろうと魂を入れてしまうのだ、きっと。
すべてはこの一作で語り尽くせるものではないだろう。もっと彼の作品を読み、その行く末を推し量りたいとぼくは思う。何故って、もうこの人の作品とは、なぜか永いつきあいなのだから。