佐藤正午のレビュー一覧
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ある夏、丸田君のスマホに届いた「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」というメッセージ。
心当たりはないものの、それをきっかけに、彼は遠い記憶の中から失った過去を少しずつ取り戻してゆく。
第三者である語り手(これもまた物語のキーになります)により明らかになる過去の不思議な事件。
丸田君そして周囲の人達はどう受け止め、未来へつなげてゆくのか。。。
なにか長い旅をしたような気分です。
二人の丸田君が作り出す混沌とした世界観と、困惑する登場人物たちに読者が巻き込まれるような形で物語が進んでゆきます。
好き嫌いが分かれそうですが、自分はとても好きな作品です。
直木賞受賞第1作まで7年とは、なかなか時間をかけましたね。 -
Posted by ブクログ
彼はこう思っていた。僕は大事なことを忘れているのかもしれない。何かとてつもなく大きな約束を果たさないまま生きているのかもしれない。漫然と、平気でいままで生きてきたのかもしれない。そしてそのせいできっと誰かに歯がゆい思いをさせている。失望させている。誰か、顔は見えないけれど、どこかにいるその誰かを、深く失望させている。
あの事故さえなければマルセイは有名バンドの一員になれたはずだと、同級生たちの噂話を認めさせたいのか。マルセイだけではなく、ほかの二人の未来も予定が狂って失敗だったと言わせたいのか。ではあの事故さえなければ、ひとは災難さえ避けて生きていれば、誰もが思い描いた未来をまるごと手にできるというのか十八蔵で予定していた未来を。
去年、きみに会って、実際に言葉で自分の思いを伝えるつもりでいました。あの事故の騒ぎが落ち着いたあと、連絡がついたらすぐに飛んでいって、もっとほかにもきみが望むことや、わたしにできることがあればそれもやるし、わたしにできることは全部やる、そう言おうと心に決めていました。
でも思い描いていた機会は、思い描いていたようには訪れませんでした。
「自分勝手な先生でコメン。でも、夫に早死にされた人生をもう一回生きたいとは思わないわ。夫に死なれた妻がつらいのは、独り言もそうだけど、なんてことない小さな話を聞いてくれる人がいなくなることなのよ。大事な人が亡くなって気づくのは、その人に言いたいことがもう言えないということ。今日一日の出先での出来事とか、もののはずみでよみがえった学生時代の思い出とか、伝えたくてももう伝えられないということ。宇宙人に愛された特別な子供の話とかじゃなくてね、ほんとにもっと平凡なこと、他人にはどうでもいいこと、たとえば若いときのわたしは真秀みたいに痩せてて、それから運動神経が良くて…」
「まあいいわ。とにかくそういう話ができなくなるのよ、先に夫に死なれると。ピンとこないでしょう?もっと大事な話をすることが夫婦の大事だと思うでしょう。でもそうじゃない。いちばん大事なのは、小さくて平凡な話をすること。何年も何十年も、まずに小さな話を続けること。だから覚悟しなさい。きみが仮にジェダイのフォースパワーの使い手だとしても、そんなものは夫婦の間では何の頼りにもならない。それはマルセイが証明したでしょう?きみにできるのは、せいいっぱい長生きして、真秀の話を聞くこと、そして自分も話すこと、平凡で小さな話を、来る日も来る日も。飛べるからって、決して飛ぼうなんて考えたりしちゃダメ。真秀とふたりで子供を育てると決めたのなら」 -
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ひえー面白かった。このメタな物語世界に完全に飲み込まれてなにが事実(小説の中の)でなにが小説(小説の中の)なのかが渾然一体となるのを最高に楽しんだ。言ってみればずるいんだけど、とても技巧的でもある。類を見ない構造でめちゃくちゃ面白かった。時系列も視点も作中の事実も創作もさまざまな伏線と共にかなり激しく移り変わるので、答え合わせに今すぐ再読したいほど。なにひとつスッキリしないんだけど読後感は悪くないし、強い余韻を残した。作中で誰かに用いさせた表現をその後主人公がしつこく使うあたりがなんか好きだった。あと、登場人物が誰かの喋り方をそれつまんないですよ、とか評するのがなんだかが印象的だった。ところで津田伸一はマウスを左って左利きなのか?
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非常にすっきりとした文章でした。
カバーイラストの背景は白で書名は薄いグレー、陰影は最小限に手とリンゴを描いているのも納得です。
リンゴを買いに行ったきり戻らなかったガールフレンドを追う主人公の独白です。
書き出しがかっこいい。
カクテルと靴の話から物語が始まるのですがこれは終わりまで、物語に浸った読者をジーンと響かせてくれます。
火薬を使うような派手な演出はないですが、物語の構成はサスペンスに富んでいて楽しいです。読者の疑問は主人公の緻密な推理と自然に重なっており心地良く読めます。
ガールフレンドとの馴れ初めのシーンがお洒落で好きです。
どんな人にこの本を勧めるのかといえば運命に打ちのめされる体験をしたい人、かもしれません。運命といっても単なる巡り合わせでなく、各々個人が生きている人生を改めて俯瞰した時に思わずでたため息、みたいな、そんな運命。
読んだ後にカバーイラストをみるとなかなか趣深い。本の顔とはよく言ったものだ。
あとがきには物語で登場する「アブジンスキー」が紹介されている。案外飲みやすいがあっという間に酔ってしまう、だそうだ。
この「ジャンプ」の読み味を表現するとき、アブジンスキーは良いところでは?と私は思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『鳩の撃退法』では、どこまでが現実の話で、どこまでか小説の話なのか理解するのに苦労した。
『月の満ち欠け』では、誰が誰の生まれ変わりなのか理解するのに苦労した。
そして本書『冬に子供が生まれる』では、どれがマルユウでどれがマルセイなのか理解するのに苦労した。
でも仕方ない。作者がそういう風に書いているのだから仕方がない。小説は、一度で理解できるように書かなければいけないという決まりはない。あえてミスリードするように書いているとすれば、それは登場人物たちの混乱を、そのまま伝える意味もあると思う。
しかし、それでもやっぱり謎は残る。この小説の書き手である湊先生も真相は知らないし、マルセイとマルユウの証言も不明瞭だ。作者は古くからの文学の作法に則り、読者に解釈の余地を残してくれている。長くなるが、以下はこの作品に対する私なりの考察である。
〈要点整理〉
★マルユウ(丸田優)
子供のときから野球が得意
右利き左投げ
高校では野球部のエース
大学進学後、野球への興味を失う
現在は医療事務の仕事に就く
★マルセイ(丸田誠一郎)
ギターが上手く、高校で注目を集める
ワッキーと一緒にバンドを結成するが、上京後に突如脱退
大学を中退して職を転々とする
ビルの最上階から転落して死亡
〈考察〉
小学二年生(8歳)のとき、2人の丸田少年と佐渡君は、天神山でUFOを目撃する。それが地元の新聞に載り、ちょっとしたニュースになる。
(補足すると、新聞の取材は当然ながら目撃の当日ではなく、取材時に佐渡君は入院のため不在だった。だから写真には2人の丸田少年しか写っていない。)
高校卒業間近(18歳)、当時取材した記者が再び3人を天神山に連れ行く。しかし、そこで事故が起き、記者とバイクで先導した先生が死亡。3人だけが無事に助かった。
この事故のとき、マルユウとマルセイが「混線」した。明白な「入れ替わり」ではなく、本人たちも混乱していた。マルユウは真秀と親密な関係になりつつあったにも関わらず、大学進学後に高円寺まで尋ねてきた彼女を冷たくあしらった。そのときの彼の態度は明らかに「マルセイ」だったが、本人には自覚がないようだ。そのため、2人のやり取りはちぐはぐなものとなる。
マルユウが「マルセイ」になったとすれば、マルセイも「マルユウ」になっていたはずである。マルセイが突然バンドを辞め、マルユウも野球を辞めてしまった理由はここにある。そして「マルユウ」が乗り移ったマルセイと、真秀は結婚する。
マルセイが湊先生と再会したときも、彼は同時に「マルユウ」だった。しかし、本人はやはり混乱していて、「自分が自分じゃないような気がする」「マルユウの人生を代わりに生きてるんじゃないか」などと語る。
その後、湊先生を脳梗塞の危機が襲う。マルセイはそれを超自然的な力で救う。その力は右手首の痣がもたらしたものだった。この痣は、もともとマルユウのものである。それが18歳のときの天神山の事故で、マルセイに複写された。この痣には不思議なパワーが宿っており、マルセイはそのパワーを使ってバンドをメジャーデビューさせ、また真秀と結婚した。だが、パワーを使ったせいか痣は薄れていき、「マルユウ」は再びマルセイに戻っていく。
マルセイはその後ショッピングモールの駐車場から転落して死亡する。理由はわからない。事故なのか自殺なのかもわからない。ただ、マルセイは自分の死を予感していたようだ。
マルセイが語った「悪を成敗しました」というのも、何のことなのかはっきりしない。もしかしたら杉森先生が想像したように、真秀はN先生にレイプされ、子供を孕ってしまったのかもしれない。それを知ったマルセイが、ジェダイのフォースパワーでN先生を消し、お腹の子供を遺伝的な意味でもマルユウの子供に変えてしまったのか。それが冒頭の「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」につながるのか……。
いやいや、それは穿ち過ぎだろう。お腹の中の子供はマルセイの子で、マルセイは「マルユウ」でもあったのだから、「おまえの子供」でもあるという意味なのだ。そう思いたい。
この物語に正解はない。マルセイは死んではいなかったのか。そうでなければ、ボルボとメモの書き足しはどう説明すればいいのか。しかし、本文に書かれている通り、不思議というものはそれに気づいた者にとってのみ不思議なのだ。弁当箱の握り飯が柏餅に変わっていたとしても、「いやいや、自分が入れてきたのは柏餅だ」と言い聞かせてしまえば、不思議でもなんでもない。ボルボとメモ書きにしたって、他の人なら何か理屈をつけて説明してそれで終わりだろう。
人生は結局、無意味なのかもしれない。湊先生が誰に何をどう説明したところで、それを信じてもらうことができないとしたら、無意味ではないか。またマルセイやマルユウたちにとって先生は部外者でしかなく、真実を共有できる相手ではないとしたら、なんと無力なことだろう。しかし、無意味でも無力でも生きるしかない。それが人生なのだ。先生は、マルセイからそういうメッセージを受け取った。だから泣くしかなかった。シジフォスのように、転がり落ちた岩を何度も押し上げるしかない。愚かしくも悲しい涙だ。 -
Posted by ブクログ
この作品は映画を先に見た。というか、先に知った。エンドロールで原作があることを知り、佐藤正午……見覚えのある名前だ! たしか『月の満ち欠け』という小説を読んだことがある──それがきっかけだった。
本書の主人公は、津田という小説家である。津田は行きつけのドーナツショップで、ある男と相席になる。その男が読んでいる本の帯に、こう書いてあった。「別の場所でふたりが出会っていれば、幸せになれたはずだった」。津田はそれについてこう言う。「だったら、小説家は別の場所でふたりを出会わせるべきだろうな」。じつは、これが小説全体の大きな説明になっている。
津田が相席した男は幸地秀吉といった。この幸地秀吉が、その夜を境に一家そろって失踪してしまう。それで津田は、この失踪を題材にして小説を書き始める。ここから、現実の出来事と、津田が書く小説との奇妙な並走が始まる。
おそらく読者が一番苦労するのは、どこまでが現実に起きたことで、どこからが津田の書いた小説の話なのか、ということだ。しかし、じつはそんなに難しくない。津田は自分が知ることのできない部分を「俺だったらこう書くね」と創作することで小説を書いているのだ。つまり、彼には知り得ない部分が作り話だと思えばいい。
だがそれだけではない。ときどき津田の書いている小説の中の出来事が、実際に起きているのではないかという予感が走る。「事実は小説よりも奇なり」というが、事実が小説を追いかけてきて、抜き去ろうとする。この現実とフィクションのカーチェイスこそ、この作品の醍醐味だろう。
ところで、紙幣を本の栞代わりに挟んでおくのはあまりおすすめしない。KKK(経験者は語る)。まあ、津田がフイにしたものに比べれば、僕が失った金額なんて全然たいしたことはないのだが。